9.
丸一日だろうか。
久方ぶりに見慣れた上官の姿を見つけ、周香凛(ジョウ・チャンリン)は足早に駆け寄った。
「星刻様!」
黒の騎士団、ブリタニア帝国のラウンズ、中華の大宦官に組する軍と、反乱軍。
多くの陣営が入り交じる戦いから一夜明け、昇った日はもう傾き始めている。
香凛は周囲の崩壊があまりに酷いことに、新たな怒りを覚えた。
(なんという…!)
崩れ落ちた巨石、辺りに転がる瓦礫、そしてKMFの残骸。
押し黙り眉を強く寄せた彼女に、星刻も改めて辺りを見渡す。
「…本当に、酷いものだな」
ここは天帝八十八陵。
歴代の中華連邦皇帝たる『天子』の亡骸が、祀られている地。
この大きな岩山1つが、そのまま王墓だ。
だからこそ、『ゼロ』は篭城にこの場所を選んだ。
歴代『天子』たちの墓でもあるこの山を、中華の人間が壊すことはないだろうと。
香凛が言葉を震わせる。
「大宦官め、どこまで腐りきっていたのか…!
これは天子様だけではなく、中華の民すべてに対する冒涜だ!!」
燻る感情を吐き出してから、彼女は艦の修復のため未だこの地に留まる騎士団の旗艦を振り返る。
「…『ゼロ』は、どこまで星刻様の策を?」
一斉蜂起のことを知る者は、反乱軍でもほんの一部だったというのに。
「さあ…どうだろうな」
星刻は軽く肩を竦めるに留めた。
「それよりも、神虎について改めて礼を言おう。香凛」
中華連邦軍において最新鋭のKMF、"神虎(シェンフー)"。
凄まじい程のスペックの高さに幾人ものテストパイロットを屠って来た、それこそ人食い虎のような、それ。
相当な数であるはずの軍人の中で、シンクロ率が正常値を踏んだのは僅かに星刻だけであった。
そのKMFを、香凛は己の命を賭けて動かし星刻の元へ届けた。
紅蓮弐式がブリタニアのKMFに落とされたあの瞬間、劣勢を間近に感じたのは騎士団も反乱軍も同じだったろう。
そこへ直接に(相当に荒っぽい方法で)届けられたKMFは、どの陣営にも驚愕だったに違いない。
だが香凛の表情は曇った。
「しかし星刻様、お身体は…」
ごく一部の人間しか知らないことだが、星刻は重篤な病を抱えている。
凶悪ともいえるスペックの神虎を操るなど、本来ならば決してしてはならないこと。
反して、星刻は笑った。
「案ずるな。"奥の宮の賓客"のおかげで、良い医者に巡り会えた」
「!」
すぐさま問おうとした香凛を遮り、星刻は天陵の入り口を示す。
「天子様は王墓の枢域に居られる。そろそろ出て来て頂かなくては…」
私は『ゼロ』に話があるから、代わりに行ってくれないか。
そう告げて返事も待たず騎士団の旗艦へ向かった星刻を、香凛は思わず凝視してしまった。
(星刻様…?)
今まで、このようなことはなかった。
天子がもっとも心を許していた武官は星刻であり、天子への忠義がもっとも篤いのもまた星刻であった。
しかし、何かが違う。
(けれど…何が?)
それが何なのか掴めぬまま、香凛は王墓へと足を踏み入れた。
幾人かの騎士団員に案内されながら辿り着いた、王墓の枢域。
しんと静まり返ったその場所は、訪れる者を歓迎しないかのように静寂ばかりだ。
さすがの香凛も躊躇するが、迷いは一瞬。
(天子様はどこに…?)
僅かな灯りだけで照らされた、中華の歴代皇帝たちの墓。
厳粛な空気に包まれたその先に、天子は居た。
香凛は今度こそ、声を掛けるべきかどうかしばし逡巡する。
(いったい、何を思っておられるのだろう…)
静かに黙祷を捧げる少女は、かつての皇帝たちと何を語らっているのだろうか。
その場を微動だに出来ず佇んでいると、不意に少女がこちらを向いた。
「…あなたはだれ?」
何度か目通りしたことがある。
だが、あの頃の彼女と目の前の少女は、何かが決定的に違った。
(お強く、なられたのか…)
香凛は星刻の言う"奥の宮の賓客"を知らない。
けれど確実に、今の『天子』に大きな影響を与えた人物なのだろう。
その場に片膝を付き、香凛は少女を見つめ答える。
「周香凛と申します、天子様。星刻様に代わり、お迎えに上がりました」
それを聞いた表情が、子どもらしく輝いた。
「香凛? 知ってる! 星刻が、とてもしんらいできる人だと言っていた!」
「星刻様が…?」
天子は香凛へ駆け寄ると、嬉しそうに笑う。
「よかった。わらわは星刻のほかに知るぶかんがいない。でも星刻が言ったあなたなら、しんじられる」
「え?」
どういうことかと彼女が問う前に、天子は告げる。
「あなたに、わらわの傍で、わらわを助けてほしい」
狼狽するなという方が無理だ。
「て、天子様?!」
慌てる香凛に、天子は謝罪の言葉を紡ぐ。
「あの、…ごめんなさい。でも、"あの方"と約束したから。少しでも前に進むと。
だからあなたに、わらわの手助けをしてほしい」
"あの方"とは誰か、と問うのは愚行だろう。
(おそらくは、"奥の宮の賓客"のことなのだろう。いったい、)
どのような人物なのだろうか。
香凛はその問いを呑み込み、代わりに別のことを尋ねた。
「お言葉、この私には勿体なき程にございます。けれど天子様には、星刻様が居られるではありませんか」
自分が心から尊敬する上司だ。
彼以上の手腕を持つ存在に、香凛は出会ったことがない。
出された名に寂しげな表情が浮かんだが、けれど天子は笑んだ。
「星刻は…これからもわらわを助けてくれると言った。でも、これ以上のわがままは言えない」
きっと今まで通り、彼は天子の傍で天子を助けてくれるだろう。
だが、それでは駄目なのだ。
たとえルルーシュが許したのだとしても、これ以上は彼に甘えまいと天子は決めていた。
「わらわがいたのでは、星刻は飛び立つべき場所へ飛び立てない。
星刻は"あの方"の『きし』なのだから、"あの方"のそばにいなければ」
斑鳩の居住区、その一角。
幹部以外は決して近づこうとしない空間がある。
(さすがに静かだな。ここへ躊躇なく入って来れるのは、扇か藤堂くらいか)
C.C.は、伸びる廊下をヒールの音と共にゆっくりと歩く。
彼女が歩いているのは、『ゼロ』の私室がある居住区だ。
『ゼロ』が仮面を外さないからこそ、誰もここへ近づこうとはしない。
目当ての扉を開けると、ガランとした部屋だけがC.C.を出迎えた。
(居ないのか? 確かここへ上がってきたはずだが)
部屋の主はどこへ行ったのかと考えて、すぐに思い当たる。
が、その前に来た道を振り返った。
「天子を放って来たのか? 酷い男だな」
クスクスと笑う魔女に、星刻は毎度のことながら呆れの表情を隠さない。
「高慢とは、お前の為にある言葉だな」
「褒めてくれるのか。それは珍しい」
「…部屋の主は居ないのか?」
さらりと皮肉を流した星刻に、C.C.も呆れを口に出す。
「お前は"柳に風"だな、からかい甲斐のない。ルルーシュなら展望室だろう、私も今来たばかりだ」
その展望室の場所を知らない星刻は、歩き出したC.C.の後に続く。
「…お前、神虎と言ったか? あんなもの動かして、平気なのか?」
振り向かず問われたものは、珍しく他人を心配する部類だった。
雨でも降るのだろうかと半ば本気で考える。
「手懐ける程度ならば問題ない。どうやらあちらも、データが欲しいようだ」
「…まったく。機械好きは良い勝負じゃないか」
誰と比較しているのか、考えるまでもない。
展望室に近づき見慣れた姿が見えたが、C.C.は思わずため息を吐く。
「不用心が過ぎるぞ、ルルーシュ」
こちらを振り向いた当人は、ふっと笑みを向けてきただけだ。
『ゼロ』の仮面はその腕に抱えられている。
C.C.の悪態に何も答えず、ルルーシュはまた視線を元の位置へ戻した。
釣られてC.C.と星刻もその視線の先を追い、見えた景色に目を見張る。
荒涼と広がる大地、視界に収まらない地平線、沈む日。
「…この美しさに気付いている人間は、どれだけなんだろうな?」
唐突な言葉に揃ってルルーシュを見たが、彼の視線は夕日から外されることはない。
「存在というものの小ささに気付く人間は、どれだけ居るだろうか」
自分の足元を見つめたことのある者は?
自分の存在意義を考えたことのある者は?
続けられる問いに、C.C.が苦笑した。
「そんなもの、答えられるのは私くらいだろうが」
ルルーシュもまた、そうだろうなと答える。
「けれど、世界の美しさは変わらなかった。そうだろう?」
永きを生きる魔女は、そうだな、と懐かしそうに目を細めた。
(どれだけ己の不幸を嘆いても、世界は何も答えなかった。ただ、美しく醜い姿のままで)
齢18に過ぎない子どもがそれに気付くなんて、まさしく『狂気』と言う他ない。
だがルルーシュは、露程も狂ってなどいないのだ。
(ああ、本当に、)
お前の息子は想像以上に恐ろしく、だからこそ愛おしいよ、マリアンヌ。
黙って踵を返したC.C.は、泣いていたのだろうか。
確信はなかったが、星刻は何となくそう思った。
いつの間にか空は薄暗くなり、思った以上の時間の流れを感じさせる。
足元から忍び寄ってくる夜の気配に目を落とし、ルルーシュは星刻を見た。
「星刻。お前は、俺が狂っていると思うか?」
またも唐突な問いだった。
だが、答えなど既に在る。
「貴方が狂っていると言うなら、私や他の者も狂っているということになりますね」
星刻でなくても、他の誰に聞いても同じ答えが返るだろう。
もはやそれは確信ではなく、事実だ。
何を思ったのか、ルルーシュは笑い声をあげた。
「ははっ! まさか、お前にも言われるとは思わなかった」
ユフィとロイドがそう言っていて、どうやらジノも言っていたらしい。
そこにお前が加わるなら、きっとロロとC.C.も同じだろうな。
予想に違わず連なった名前に、星刻は笑みを浮かべる。
「それはそうでしょう。我らは皆、貴方を主とし、友とし、『世界』としている。
それぞれ想いは違えども、立っている場所は同じです」
まるで睦言のように、甘い言葉だ。
己の頬に触れてきた手を心地良く感じながら、ルルーシュも同じように言葉を返す。
「ならば俺にとって、お前たちは俺の『世界』を支える存在だな。きっと誰が欠けても、俺の世界は歪む。
それぞれに向ける俺の心は違っても、元である俺は『俺』であるから、何も変わらない」
常に剣を握る武骨で力強い手に己の指を絡め、ルルーシュは星刻へ口づける。
舌を差し出せば顎を掬われ、口づけはより一層深まった。
「…続きは部屋だな」
艶めいた声の誘いを断る理由を、星刻は持ち合わせていない。
気付けば日はその姿を消し、月が空の主導権を握っていた。
世の境界線に戯れ
この世界は醜く、そして美しい。
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08.7.21