17.
斑鳩に、ロロの姿がないのはいつものことだ。
(彼はもっとも新参の親衛隊員であったし、他の団員と会いたがらない)
C.C.の姿が見つからないのも、いつものことだ。
(彼女はいつ何時でも我関せずであったし、自分本位に動いていた)
『ゼロ』が斑鳩に居ないことも、よくあることだ。
(彼は『ゼロ』だけをしているわけではない、という話であった)
だが、今回は少し事情が違う。
扇と藤堂は、回線向こうの幼い少女に疑問を返した。
「お待ちください、天子様。黎星刻が、留守?」
『そうです。ごくひの任務だと言っていました』
彼女のどこか、自分に身近な話ではないような言い方にも、疑問が残る。
「しかし天子様。星刻は貴女の側近、行き先も告げないとは…」
尋ねた扇に、天子はきょとんと首を傾げた。
『なにを言っている? わらわのそっきんは香凛だ。星刻ではない』
人集めと情報収集は、エヴァンにとって同意語だ。
双方が切っても切れないものであるし、大切なもの。
電波を発する通信は傍受される危険性が高いため、エヴァンは己の足で人集めに勤しむ。
「エヴァン兄ちゃん! こっちにね…」
「ああエヴァン様、ちょうど良かった! あちらに…」
「エヴァン、目的地はそっちじゃない。向こうから…」
嚮団での生活が長く(軟禁と監禁も長いが)、けれどまったく外部の人間。
だからこそエヴァンは、この嚮団で顔が広い。
外への憧れの強い子供たちやその子供たちを擁護したい大人は、元からエヴァンに協力的だ。
が、やはり非協力的な人間が大半を占める。
ブリタニアの研究施設であるから、管理に携わる人間の考え方はブリタニアの国是そのもの。
(遠慮せずに済むのは、良いことだ)
エヴァンは自分が優しさなどとは縁遠い存在だと、よく知っている。
そして己が『強者』に分類されることも、自惚れではなく事実である。
邪魔をする人間は、黙らせるか捩じ伏せる。
それがエヴァンのやり方だ。
故に待ち伏せには絶好の場所に立っている人間を見つけ、笑みを浮かべた。
…バイザーを付けたままなので、"気配を感じ取った"が正解か。
「あんたはどっちかな?」
声に出すと、相手がこちらを振り向く気配がした。
「…敵ではない。が、味方でもないな」
低いテノールで男だと分かった。
それも相当な手練で、隙はまったく感じない。
エヴァンは初めて、バイザーを取って相手を見たいと思った。
「なあ、こいつ誰か知ってる?」
適当に声を投げると、一角から答えが返る。
「わたし知ってるよ! テレビで見たの。リー・シンクーって名前で、この間『ゼロ』と握手してたよ」
俄然、興味を惹かれた。
「へぇ、噂の『ゼロ』と? じゃあ『ゼロ』も近くに居るわけか」
相手は是とも否とも答えない。
「?」
そこへ唐突に、妙な感覚を覚えた。
気付けばシンクーという男の傍に、気配が1つ増えている。
「あ、ロロだ!」
「ロロにいさん!」
周りの子供たちが声を上げたが、にわかには信じられなかった。
「ロロだって…?」
エヴァンの呟きが聞こえたらしく、相手がこちらを見て驚く気配がした。
「エヴァンさん…?!」
声を聞いても、まだ確信には至らない。
彼に最後に会ったのは2年前だが、あまりにも違いすぎる。
(同一人物か? 本当に?)
こんなにも柔らかな気配は、この嚮団では久しく感じていない。
(意味分かんねえ…なんだこれ)
首を傾げるしか無かった。
「お前、暗殺要員やってるロロ…? 本当に?」
"暗殺"という言葉で硬質になった気配は、無視だ。
逡巡していた相手から、真っ直ぐな視線を寄越される。
「暗殺者は辞めました。"嚮団の人形"も、やめました。
ボクはロロ・ランペルージ。あの人の『弟』です」
断固とした意思の声だった。
「あの人?」
問い返したそこへ、またも人の気配が増える。
今度は3人だ。
(…!)
エヴァンがその内の1人に何かを感じるのと、子供たちや研究者の歓声のような悲鳴は同時だった。
「お静かに。ここで騒がれると、あなた方も危険だ」
少しくぐもった声で、ピタリと周囲の声が止む。
声の主の隣では、よく見知った人物が笑っていた。
「反逆者の親玉が言っても、説得力が無くて清々しいじゃないか」
「魔女に言われたくはないな」
当然、1人はC.C.だ。
笑い声と奇妙な存在感でよく分かる。
もう1人は星刻という名前らしい男と同じ、軍人やそういった類いの気配がした。
…けれど、もう1人は。
知らず口の端が釣り上がる。
「お前が、『ゼロ』」
C.C.とロロも含め目の前に居る人間の中で、『ゼロ』と思わしき人物だけが異質だった。
はっきり言って、身体能力的に一番弱いだろうという確信がある。
なのに、隙がない。
その矛盾はほぼ100%の確率で、相手の顔を見れば解消されるはずだ。
エヴァンは好奇心を隠さず、『ゼロ』へ言葉を投げた。
「『ゼロ』は仮面を被ってるって話だが、事実か?」
「いかにも」
「C.C.の契約者だから、ギアスを持ってる」
「その通りだ」
「つまり、俺がこのバイザーを外すのとあんたがその仮面を外すのは、同じだけのリスクを伴うわけだ」
「…まったく見えていないのか」
「ああ、光を透過しないんだよ。2年前から何も見てない」
「…ギアスの暴走か?」
「いいや? その逆だ」
ゼロ…ルルーシュは、余裕を隠さず笑う目の前の青年に眉を寄せた。
(逆? どういう意味だ?)
周囲から死角であり、V.V.やその側近たちが居るであろう位置は遠い。
嚮団内部の構造はおおよそ頭に入っているとはいえ、敵と確定される存在は少ない方が良いに決まっている。
だからこそルルーシュは、嘘だけはつかないC.C.の情報を使った。
彼女の仄めかした"嚮団を利用する為の必須条件"は、目の前の青年が鍵だろう。
(リスクは相当に高い。だが…)
一方で、エヴァンという名の青年にとても興味が湧く。
すでに整った条件の中で、躊躇している暇があるなら動くべきだ。
どうやら同じことを考えていたらしく、相手が適当な建物を指差した。
「まあ、考えても埒が明かないな。場所変えないか?『ゼロ』」
暗に、他の者は交えないと言った。
歩き出した彼に続こうとしたルルーシュを、ジェレミアが呼び止める。
「お待ちください。それは…」
心配性だな、と苦笑を返した。
「案ずるな。そのためのお前だろう?」
ギアスキャンセラー、ジェレミアだけが持つ特殊な"ギアス"。
さらに勝手知ったるC.C.とロロが居り、わざわざ星刻も呼び寄せた。
これ以上の対処は、ルルーシュも知らない。
まったく人気の無い建物は随分前から荒れていたらしく、寒々としていた。
割れた硝子の破片と片付けられないままの資料が、足元に散らばる。
「相当な人数を組織してるっていうから、もっと年齢いった奴だと思ってた」
脈絡もなく話を振られ、黙って先を即す。
部屋の真ん中へ来たところで、エヴァンはルルーシュを振り返った。
「予想外だな。細そうな気配だから、女かと思った。明らかに弱そうだし」
「……」
仮面の裏で眉を顰めたのが分かったのだろうか。
エヴァンは片手をひらりと振って、悪気はないとそうは思ってなさそうに告げた。
同じくルルーシュが部屋へ足を踏み入れると、自然と存在するのは沈黙だけになる。
ルルーシュが仮面に手を掛けるのと、エヴァンがバイザーに掛けられていたロックを外したのは、同時だった。
薄暗い中で燦然と輝く、色濃いアメジスト。
珊瑚礁の海を映す、鮮やかなラピスブルー。
軽く口笛を吹いたエヴァンは、興味深げにゆっくりとルルーシュへ近づいた。
「C.C.って、ああ見えて面食いなんだ。
昨日惚気られたときに、『ゼロ』はどんだけ綺麗な顔してるのかと思ってたよ」
「…なんだそれは」
「分かりきった話だ。基本的に、女は綺麗なものと可愛いものに弱い」
だから、他の人間に『ゼロ』の話を聞く度に興味は増した。
2年間閉ざされたこの目に最初に映すのは、『ゼロ』の素顔が良いと。
ルルーシュとエヴァンの目の高さは、ほぼ同じ。
「俺はエヴァン・スール。お前は?」
「ルルーシュだ。ルルーシュ・ランペルージ」
「学生?」
「今のところは」
「…ランペルージってことは、ロロの言ってた"兄さん"はお前のことか?」
「そうだろうな」
目の前に立たれ、ルルーシュは必然的に相手の目を間近に見つめる形になる。
「貴方は…俺よりも年上のようだな」
「そうなるか。俺はたぶん、今年で22だから」
「いつからこの嚮団に?」
「5、6年前じゃないか?」
「その、まったく光を通さないバイザーの理由は?」
するりと伸ばされた手が、ルルーシュの頬を撫でた。
「さっきも言ったろ?『完璧だから』危険なんだ」
ラピスブルーの眼が、楽しげに細められる。
「すぐに見ることになるさ」
エヴァンが再び距離を取ったことで、ルルーシュは知らず詰めていた息を吐き出した。
「…綺麗な顔、というのは貴方もだろう?」
「お前に言われるとは光栄だな」
まったくそうは思っていないらしいエヴァンに、半ば呆れる。
中性的、女性的という表現とは違うが、誰もが"綺麗"という意見は一致するだろうに。
(他の子供たちの懐きようといい、ロロが気にしていたのも分かる)
不思議な色合いをしたマゼランブルーの髪は、どんな手触りだろうか。
そんな取り留めもないことを思った。
ふと、こちらに注がれていた視線が離れる。
「さっきロロが現れたとき、俺は俺の知っているロロだと信じられなかった」
前に会ったのは2年前とはいえ、あれだけ違えば別人だと考えてしまう。
「でも、お前を直に見て何となく分かった。C.C.が惚気るのも分かる」
先ほどルルーシュが考えていたことと、内容は同じだ。
リアクションの返し様がないので、ルルーシュは黙って先を待つ。
言葉が途切れ、淡く光を帯びたラピスブルーがルルーシュを見た。
「お前、亡くした大事なものはあるか?」
「…ああ」
「誰かに失わせたものは?」
「数え切れないな」
「じゃあ、世界を憎んだことは?」
「ない」
初めて、エヴァンの表情が不意を突かれたように変わった。
「…お前は、自分に起きた運命を呪ったことがないのか」
ルルーシュは頷いた。
「母を失い、妹の光と足を奪われ、父に捨てられ、今も偽りを持たなければ生きられない。
だが俺は、世界は変わらず美しいと思いこそすれ、憎んだことはない」
母を殺した誰かを、自分たちを捨てた父と母国を、そして己に関わる顔も知らぬ誰かを。
「今までの誰かとの関わりを否定すれば、それは今、密に関わっている存在を否定する。
過ぎた刻(とき)には戻れない。だから俺は、己に降りた運命を呪わない」
共に在る者達と、この先も共に在る為に。
はっ、とエヴァンの口から乾いた笑いが漏れた。
「まるで慈母神の教えだな」
憎んだことが無いなどと、狂っているとしか思えない。
けれど、
(心の底から言っているのだとしたら)
エヴァンにとって、『世界』はどうでも良いものだ。
考えるには狭過ぎて、関わるには広過ぎる。
『世界』は人がどれだけ不幸な目に遭っても知らん顔で、何もしてはくれない。
「ルルーシュ。お前にとって、『世界』とは何だ?」
問われたルルーシュは微笑む。
その笑みを見れば、返るであろう答えが容易に想像出来た。
もはや白旗を揚げるしかない。
(…まったく、なんてヤツだ)
本人の口から答えが発せられる前に、エヴァンは向けた矛先を外す。
強い視線は、最初に邂逅した方角を見据えた。
「あいつらは変われるか? ロロのように」
「心からそう望むなら」
「あいつらが排されない世界を、創れるか?」
「貴方がもう創っているさ。俺に出来ることは、その世界を外から守ることだ」
「…食えないヤツだな、ルルーシュ」
「それはこちらの台詞だ、エヴァン」
互いに差し出した手を握り交わし、笑った。
そしてルルーシュは仮面を、エヴァンはバイザーを再び掛ける。
「嚮主の間まで案内してやろうか、"Dragoon(ドラグゥン)"」
「…なんだって?」
「西EUの古語で、"指導者"という意味だ」
ルルーシュはふと、C.C.の『ギアスは王の力だ』という言葉を思い出した。
「それこそ、貴方の方が相応しいだろう?」
「まさか! 俺は『ゼロ』と呼ぶ気はないからな。知らないしどうでも良い」
「酷い言い草だな。ならば俺は、"Samael(サマエル)"とでも呼ばせてもらおう」
それを聞いたエヴァンは、今度こそ声を上げて笑った。
「やめてくれ。似合い過ぎて冗談じゃない」
Eva-イヴの名を持つ知恵者
サマエル:エヴァ(もしくはイヴ)に林檎(知恵)を与えた蛇
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08.9.14/改訂11.7.26