19.




剣の流れた軌跡だけが、光として走る。
血を払い落とし剣を鞘へ戻すと、離れた場所で重い音がした。

「油断大敵だよ、黎(リー)」

星刻からは見えない位置に潜んでいたのだろうか。
"嚮主の間"とやらへ続く建物の道は薄暗く、至る所に横道が存在している。
その暗がりに居たらしい神官を始末し、エヴァンが笑った。
ふと、星刻は気付く。
(どうやって倒した…?)
彼は武器を、何ひとつ持っていない。
体術に自信があるのは、その身のこなしで分かる。
何しろ、年単位で監禁されていたというのが嘘に思えるくらいだ。
だが、今回は明らかに違う。
エヴァンが倒した人間は、彼から有に数mは離れた場所に倒れていた。

「何をしてる?行くぞ」

閉ざされた正面扉を開けることに成功したルルーシュは、動こうとしない2人へ声を投げた。
「…2人とも、次は何人か残せ」
「は?」
訝しげな顔をしたのは、エヴァンだけだ。
ルルーシュは扉の向こうに誰も居ないことを確認する。
「扉のロックを外すのが面倒だからな」
「?」
「今に分かる」
さっぱり要領を得ないルルーシュの言葉に、エヴァンは首を傾げるばかりだ。
それでも、考えついたことはある。
(ギアス…?)
まだ、互いに能力を見せてはいない。
「エヴァン、そろそろバイザーを外したらどうだ?」
問われ、そういえばそうだと気付く。
「ん?ああ、そうだな…」
外に出る時は、掛けなければ目が焼かれるだろう。
何せ、2年以上もこの地下街に居るのだ。

「「居たぞ!『ゼロ』だ!」」

そうこうしていると、銃を持った神官に行く手を塞がれた。
「あーらら」
バイザーを外した彼の姿は『ゼロ』と星刻の後ろにあるため、他の人間には気付かれない。
故にエヴァンの気の抜けた声は、彼がこちらの動向を探っている表れだ。
ルルーシュは剣を構えようとした星刻を制し、銃を向けてくる者たちへと語りかけた。
「これは神官職の方々。嚮主V.V.が不在とみえますが、いかがされました?」
人とは不思議なもので、問われれば答えようとしてしまう。
生じた隙にルルーシュは仮面の左眼部分を開け、命じる。

「お前たちは、我が下僕(しもべ)となれ!」

行く手を阻んでいた者たちは、銃を懐へ仕舞い敬礼を返す。
「「Yes, your Highness!!」」
それは、他人に命令を実行させるギアスなのだと予測がついた。
しかしエヴァンが驚いたのは、ギアスを掛けられた者たちの言葉と行動だ。

「ルルーシュ…。お前、まさかブリタニア皇族か?」

返礼はブリタニア特有のものであり、言葉は皇族に対し発せられるもの。
驚く彼に対し、ルルーシュは仮面の下で笑みを作る。
「ここでの用件が済んだら、いくらでも話してやるさ」
星刻が平然としているのは、彼がルルーシュの"身内"であるからだろう。
(面白いのは、性格だけじゃないのか)
何事か神官たちへ指示を出す彼に、新たな興味が湧いてくる。
神官たちの気配が何処かに消えてから、エヴァンは改めて『ゼロ』と星刻を見た。
「…組み合わせも面白いな」
何のことだ、と問いたそうな彼らを無視して、さっさと先へ歩き出す。
「あんたのギアスは"命令型"か」
「型?」
ルルーシュには、その単語が引っ掛かった。
「そう。自分以外の誰かに対して影響を及ぼすギアス。逆に、自分に影響のあるギアスを"自己型"と呼んでいた。
大きく分けてギアスはその両系統に分かれ、そこからさらに分類出来る」
「…なるほどな」
となると、マオの"他人の心を読む"ギアスは自己型ということか。

前方に、別の扉が現れた。
嚮主の間はまだ遠い。

「開けた瞬間に撃たれる…可能性は低そうだけど」
それぞれに扉の向こうから死角となる位置に隠れ、エヴァンが扉を勢いよく開ける。
「「だ、誰だ?!」」
複数人の声が飛んだが、殺気は飛んで来ない。
「…!」
その声の中に、聞き覚えのあるものがある。
すぅ、と目つきが変化したエヴァンに、ルルーシュは薄ら寒い何かを感じた。
目的があるのは彼ではなくこちらだというのに、エヴァンは構わず己の姿を晒す。

「…へぇ。俺を2年も監禁してくれた連中が、全員揃ってるじゃないか」

言われた人間たちがビクリと怯える様が、容易に想像出来た。
彼らはエヴァンの後ろから姿を現した『ゼロ』に、さらに恐怖を募らせたようだ。
「ゼ、『ゼロ』だ…!!」
「なぜ『ゼロ』がここに?!」
星刻に見覚えがあるだろうに、そちらは前者2人が強烈過ぎて目に入っていないらしい。
今度は神官ではなく、研究者たちだ。

前に出ようとしたルルーシュを、エヴァンは片手を広げることで遮った。
「…エヴァン?」
彼は仮面の下で眉を顰めているだろう。
そんなことを考えて、エヴァンは口の端を吊り上げる。
「あんたの出る幕はないよ」
吐き出された言葉には、残虐な響きが乗っていた。
「直に見たいなら別だけど?」
「なんのことだ…?」
ルルーシュは自分を遮る手を降ろさせて、ようやく妙なことに気がついた。
(なんだ…?)
恐怖に顔を引き攣らせてこちらを凝視している人間たちは、1歩も後ずさろうとしない。
エヴァンが1歩、2歩と近づいても。
(違う。下がらないんじゃない、下がれないのか…!)
彼から離れその表情を窺おうと苦心して、ようやく事を悟る。

(両眼のギアス…!)

鮮やかなラピスブルーであるはずの眼はどちらも深紅に染まり、紅く光る鳥が浮かんでいた。
エヴァンは恐怖に震える目の前の人間たちに、なおも笑みを深める。
「なあ、俺のギアスの研究成果はどこにある?」
1人が引き攣ったような声を上げた。
「わ、た、たすけてくれ…っ!」
笑みが消え、底冷えした声が恐怖を限界まで助長する。
「答えろ」
今度こそ、誰かが喉の奥で悲鳴を上げた。
「う、上のデータ中枢だ!嚮主V.V.がすべて電子データとして落とせと…!」
「ふぅん…俺以外のデータも?」
「そ、そうだ!そのはずだ!そ、それだけじゃない!他のデータも…!」
「他のデータ?」
「し、神官どもの研究資料だっ!」
「…ああ、ギアスの歴史の方ね。ところでV.V.はどこに?」
幾分か冷静さの残っていたらしい研究者が、しなくてもいい返事をしてしまった。
「V.V.様のことなど、お前にはどうでも良いだろう…!」
エヴァンの口元に、再び笑みが刻まれる。
「そうだな、どうでも良いか。お前たちにもな」
ヒッ、と引き攣った音が誰かから発せられ、さすがのルルーシュも困惑を隠せない。
(この怯えようは一体…)
まるで、死神でも相手にしたかのようだ。
エヴァンは心底楽しそうに、無邪気ともとれる残虐な笑い声を上げた。

「じゃあな」

その瞬間、確かにエヴァンの両眼に浮かんでいた紅い鳥が羽ばたき、金色に輝いた。
「…っ?!」
ルルーシュも星刻も、目の前に広がった光景に絶句する。

相対していた研究者たちが全員、突然に苦しんだかと思えば絶命した。

「これ、は…」
何の前触れもなく、唐突に。
「エヴァン、今のは…」
彼はこちらを見ようともしない。
「俺と話したいなら、仮面を外せ」
転がる死体の向こうを見つめたまま発せられたそれは、紛うことなく"命令"だった。
(確かに、フェアではないか)
大丈夫だと己に言い聞かせて、ルルーシュはゆっくりと仮面を外す。
…誰かに恐怖を感じるなど、久々だ。
見計らったようにエヴァンがこちらを振り向き、ラピスブルーが一瞬にして深紅に変わった。

「!」

動けない。
まるで金縛りに遭ったかのように、指一本動かせない。
辛うじて動くのは発声機能だけだ。
「これがあんたの問いの答えさ。俺のギアスは、"相手の動きを封じる"こと」
反論は、半ば反射だった。
「…最初のものはそうだろう。しかし、それなら転がった死体は何だ?」
今の答えだけでは、説明がつかない。
予想通り、エヴァンは酷薄な笑みをルルーシュへ向けた。
「ああ、答えが1つとは言っちゃいない。だが、それを試したらどうなると思う?」
ルルーシュもまた、『ゼロ』として浮かべる笑みを返す。
「想像はつくさ。だから…」
エヴァンの意識が、ルルーシュから逸れた。

「お前に俺を殺す意思がないことを確認してから、説明してもらう」

ひたり、とエヴァンの後ろ首に据えられたのは、抜き身の剣。
「…驚いたな」
これまたそうは思っていなさそうに、エヴァンは視線を後ろへ向ける。
「あんたも確かに、有効範囲内に居たんだけど」
彼の言葉には答えず、星刻は剣を握る手に力を込めた。
「そのギアスを、解除してもらおうか」
ここへ至るまでほとんど彼から感じなかった、本物の殺気だ。
(…よっぽど、ルルーシュが大切と見える)
彼だけではない。
C.C.もロロも、もう1人居た軍人らしい男も。
(ギアスを使わずに倒すことも可能だけど…)
実戦から遠ざかって久しいのが、些か問題かもしれない。
その辺りを抜きにすれば、この星刻とも武器無しで互角に渡り合える。
数秒でそんな結論を出しつつ、エヴァンは降参を示すように軽く両手を上げた。

「俺の場合、邪魔者は殺す選択肢しか無いからな。今回は止めとくよ」

発動させていたギアスを解除し、さらに不透過のバイザーを掛ける。
「これで分かったろ?このバイザーの意味が」
「…ああ」
さすがのルルーシュも、冷や汗を掻いたのは事実だった。
星刻がエヴァンから離れる。
(エヴァン・スール…。油断のならない男だ)
相手に剣が届く範囲とは即ち、相手にとっても射程範囲内ということ。
星刻が1歩踏み込んだ瞬間、エヴァンは反射的に動こうとした己の身体をわざと止めていた。
(こちらが背後を取ったのではなく、背後をわざと取らせた…?)
いずれにせよ、事実と真実がイコールになるとは限らない。
ルルーシュは星刻の微妙な表情に気付く。
「…星刻」
呼び掛けに対し問題ないと軽く頷いた彼に、それでも思案せずにはいられない。

(エヴァン…。何としても、こいつを敵に回すことだけは避けなければ)

漠然と、しかし強くそう感じた。
(ギアスは無意味だ。何より、あいつのギアスの方が速い)
ルルーシュのギアスは、言葉を発しなければならない。
そこで発生するタイムラグの間に、エヴァンのギアスは金色に輝くだろう。

(似合い過ぎて冗談じゃない、か。本当にな)
メドゥーサの

神(ギアス)も魔物(ゴルゴーン)も飼い馴らした男

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08.9.22