21.
みしみし、ずきずき。
骨の軋む音と、皮膚の外も内側も疼く傷の痛み。
いつも上る階段の、なんてことのないたった数段が、上れない。
引き摺った身体を階段の1段目に引き上げて、力尽きた。
2段目に上がったのは上半身だけだ。
「ほんと、むかつく」
どいつもこいつも、邪魔ばかり!
階段に寝そべるような格好になったが、身体中が痛くて動けない。
器官に血が詰まったらしく、咳き込んだ。
「…っ、は、なんでこう…」
不老不死である身体。
1カ所の傷なら、致命傷でも数十秒あれば治る。
「はやく、治れ」
だが、今回は分からない。
負ってしまった傷が多過ぎて、ため息のひとつも吐きたくなる。
致命傷は重傷に、重傷は軽傷に。
ゆっくりと傷は塞がっていく。
この痛みさえなければ、すぐにでもやるべきことが出来るのに。
「ふぅん…。あんた、"化け物"になりきれてないんだ?」
痛みがあるうちは人間だ、って話を聞いたことがあるよ。
愉しげな声の主を、動かない身体を無理矢理動かして振り返った。
「!」
驚くという行為ひとつ取っても、痛みが身体に響く。
けれど不思議なもので、美しい海を映すラピスブルーに、懐かしさを感じるだけの余裕があった。
「エ、ヴァン…!」
なぜここに居る?
なぜその『眼』が使える?
"計画"の邪魔になると思って、閉じ込めたのに。
血だらけの身体でこちらを見上げる、金髪の子供。
普通なら哀れみを誘うだろうが、生憎とエヴァンはその姿を嘲笑うだけの残酷さを持っていた。
「無様だな、V.V.」
つい先日、自分が監禁されていた部屋へやって来た傲慢な嚮主。
それが今はこの通り。
世の中、何が起こるか分からないものだ。
ちりちりと燃えるように鋭い視線を寄越すV.V.に、エヴァンは自分の後ろを軽く示す。
「生憎と、俺は別にあんたに用はないんだ」
敢えて言うなら、文句の1つくらいは言っておきたかっただけ。
変わらず愉しそうに笑うエヴァンの後ろの人間に、なぜ気付かなかったのか。
痛みに疼く身体を無理に起こすくらいには、驚愕と怒りが勝った。
「ルルーシュ…っ!!」
なぜここに居る?
なぜその姿をしている!
V.V.の姿を見つけ、真っ先に刃を突き付けようと動いたのはコーネリアだった。
(ユフィを穢した、"ギアス"の根源!)
1年前に起きた、当時のエリア11副総督ユーフェミア・リ・ブリタニアによる大量虐殺。
突然に『集めたイレブンを殺せ』と命じた妹は、"ギアス"と呼ばれる力に操られていた。
己の力だけでギアス嚮団の存在を調べ上げたコーネリアは、亡き妹の仇討ちのつもりだった。
まるで自害のように、飛行艇から身を投げてしまったユーフェミアの。
(結局、あの子の遺体は見つからなかった…!)
ならばせめて、と自らに嚮団を暴く使命を課したのだ。
だがそれを、ほんの数mの距離だけ残して果たせずにいる。
コーネリアは目の前に立ち塞がる男を、憎悪さえ込めて睨み上げた。
「そこをどけ!」
星刻は彼女の言葉に対し、静かに返した。
「V.V.に用があるのはこちらも同じ。邪魔はしないで頂きたい」
あくまで平静を崩さぬ相手に、コーネリアは舌打つ。
「貴様、中華の軍人か?なぜ『ゼロ』…いや、ルルーシュに従っている?」
"ギアス"は人を操れる。
少なくともコーネリアの認識は、そこまで到達していた。
「…ルルーシュの"ギアス"に掛かったか?」
"従属のギアス"を掛けられた人間に問いが無意味であることまで、辿り着いてはいない。
それが、"ギアス"など無関係である人間にとっての逆鱗であることも。
不意に切っ先を突き付けられ、彼女は絶句する。
「その言葉、我が志への侮辱と心得よ」
純粋なる怒り、そして殺意。
わずか1mmでも動けば、切っ先は首を突く。
コーネリアは結局目的を果たせぬまま、その場での不動を余儀なくされた。
それは己の数m後ろの出来事だが、ルルーシュは気にも留めない。
「ルルーシュ、お前、なぜ…!」
V.V.の途切れる問いに、答えてやる。
「それは何に対する問いだ?俺がここに居ること?それとも」
『ゼロ』であること?
強者の笑みを浮かべるルルーシュに、V.V.は苛つきを隠せない。
「この、大嘘つきが…っ!お前は、いつもいつも、嘘ばかり!」
声帯に関わる傷が癒え始めたのだろうか。
V.V.の声が大きくなる。
「マリアンヌによく似て、本当に忌々しい!いつだってボクの邪魔ばかり!」
す、とルルーシュの表情から笑みが消えた。
「…なぜお前が、母上を知っている?」
V.V.は笑う。
糸が切れたように嗤う。
「よぉーく知ってるさ。だってボクは、」
「?!」
前触れもなく"白"が突然に差し込み、目が眩んだ。
(扉…?!)
V.V.の背後、嚮主の座よりさらに奥。
翼のような紋章と紅い幾つもの玉(ぎょく)が埋め込まれた、それは壁ではなく大きな扉。
首を傾げるように後ろを確かめたV.V.は、満足げに笑みを刻んだ。
「ふふ。やっぱり最後に頼りになるのは、兄弟だよね」
コーネリアの表情が驚愕に歪み、星刻も思わず振り返る。
エヴァンは彼らの驚きように驚いたが、ルルーシュも"らしく"なかった。
「ブリタニア皇帝…っ?!」
後に、コーネリアの掠れた声が"父上"と続いた。
…訳が分からない。
V.V.は彼らの様子にご満悦のようで、クスクスと嗤い続けた。
「ねえシャルル、聞いてよ。ルルーシュってばまた嘘をついてたよ」
これはどういうことだ。
元々、突発自体に弱いことは自分でも理解している。
だが今は、考えなければならない。
ルルーシュは視線をV.V.と新たな闖入者から外さず、考え続ける。
(V.V.はなんと言った?シャルル?兄弟?まさか!)
有り得ない。
が、元より父と思ったことのない男のことだ。
知るわけがない。
(それにあの扉は…)
眩い光が、皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの背後で輝き続ける。
あのような光に、いつか出遭ったことがなかったか?
「兄さんは…また、嘘をついた」
低い皇帝の声にも、V.V.は笑って返すのみ。
「ルルーシュのことかい?だって、計画の邪魔になるのは判りきっていたでしょう?
それに、そのルルーシュに比べればこんなの」
嘘にも入らないよ。
どうやら本当に兄弟らしい。
けれどあまりの出来事に、会話の内容からして付いて行けない。
「「…え?」」
ひと際強く輝いた扉の向こうに、ルルーシュとエヴァンの呟きが重なった。
それは偶然だったのだろうか。
現れたのと同じく唐突に光が消滅し、辺りは元の薄暗い空間に戻る。
古い歯車の軋む音が、轟いた。
「しまった!!」
ハッと扉へ駆け寄った星刻が伸ばした、その指の先。
鐘のような反響の唸り声を上げて、扉は閉じた。
それこそ紙の通る隙間もなく、無情に。
巨大な扉は押しても引いても、元より"開ける為の造り"ではなかった。
ここに皇帝の姿はない。
エヴァンの姿もない。
ルルーシュの姿さえ、この嚮主の間から消えていた。
この、扉の向こうに。
たとえ相手が未知の力であれ、何の対処も出来なかった事実に星刻は歯噛みする。
扉に叩き付けた拳が、赤く滲んだ。
「もう、シャルルってば。ボクも連れてってくれれば良かったのに」
あーあ、と笑う子供の首を、切り落としてしまいたかった。
「この扉を開けろ」
「嫌だよ。あの呪われた皇子に剣を捧げるなんて、どうかしてるんじゃない?」
ビシリ、とどこかで亀裂の入る音がした。
殺気で物を斬ることも相手を殺すことも、本当に可能なのかもしれない。
有り得ない現象を目の当たりにしたコーネリアは、ぼんやりとした思考の端で思った。
V.V.だけは相変わらず、馬鹿にしたように嗤い続ける。
「だってそうじゃない。君、"中華の龍"って呼ばれてる黎星刻でしょう?」
『ゼロ』のカリスマは認めるよ。
だって、シャルルにそっくりだもの。
「でもマリアンヌによく似て、ルルーシュは攻撃的だ。
それがいつお前たちに向くかも分からないのに、ホント不思議」
V.V.の言葉は、却って星刻を冷静にさせた。
(…よく視ている)
ルルーシュという人間のことを。
V.V.は笑みを引っ込め、ぱしぱしと目を瞬いた。
すでに血は乾いている。
「あーあ…なんか眠くなってきたよ。本当に、君たちは下らないよね」
ボクたちが一体何のために闘ってるのか、考えもせずにさ。
「そうだ、黎星刻。どうせC.C.のこと知ってるんでしょう?だったら伝えといてよ」
"死にたいなら、さっさと『CODE』を寄越しなよ"って。
「なに…?」
"CODE"という単語よりも。
(あの魔女が、死にたがっている…?)
にわかには信じられなかった。
ふと、駆けるブーツの音で星刻は我に返る。
見ればコーネリアが血相を変えて、V.V.の首元に己の手を当てていた。
「そんな、馬鹿な…っ?!」
V.V.は死んでいた。
眠るように。
鏡のアリスが嘲笑った
だって、非常識が常識だもの!
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08.10.7