23.
黄昏れた空が、どこまでも広がっていた。
崩れかけた大理石の柱が、その存在を誇示するかのように影を落とす。
見下ろしたはずの大地は奈落のように、雲の果てを見せない。
「ここは、なんだ…?」
落とした声が遮るものの無い空間で木霊し、ここが普通の空間でないことが窺える。
…鮮烈な眩しさに眼を閉じれば、次の瞬間、妙な空間に立ち尽くしていた。
腕に抱えた『ゼロ』の仮面だけが、ルルーシュに現実であることを教える。
「これ、落ちたらどこに行くんだろうな?」
しみじみと零された言葉に、もう1人巻き込まれた人間が居ることを知った。
「エヴァン…」
どこかホッとしたようなルルーシュの声に、エヴァンは肩を竦める。
そこで気付いたが、自分たちの立っている位置は、V.V.に対していたときとまったく同じ。
だが、星刻やコーネリアの姿はない。
(ギアス…?)
思い当たる共通点は、それだけだ。
「この地は"アーカーシャの剣"…。約束の地だ」
余りある威厳の籠る、聞き慣れた声。
神聖ブリタニア帝国を先代以上に発展させ、強者の国へと導いてきた…声。
「…第98代ブリタニア皇帝、シャルル・ジ・ブリタニア」
ルルーシュが呟いた先のエヴァンが、両眼に紅い鳥を煌めかせるのが見えた。
『ゼロ』の仮面を抱える腕に力を込め、声の方向へ身体を向ける。
「国を預かる為政者が、このような場所で何をしておいでなのですか?…父上」
久々に相対した父は、ルルーシュの数歩先に伸びる階段の上からこちらを見下ろしていた。
(この男が、"記憶を改竄するギアス"を持っていると言っていた。だが、)
シャルルの視線が、ルルーシュから僅かに逸れる。
「予期せぬ客人を呼んだか」
言われたエヴァンは目を細め、その紅い眼でシャルルを見上げた。
「まさか、皇帝陛下に直にお会いする日があるとは思いませんでしたよ。
…俺はブリタニア臣民じゃないから、通常レベルの礼儀しか持ってないけど」
後半はすでに敬語ですらない。
それを面白がってか、シャルルは咎めることをしない。
「お前は、我が愚息の行動に巻き込まれたか」
エヴァンもまた、同じ調子で返した。
「愚息と言うには、優秀過ぎると思うけど?」
まったく物怖じする素振りも無い彼に、シャルルは豪快に笑う。
「面白い!だが、優秀であることと利口であることは違う。そうだろう?ルルーシュ」
シャルルの立つ斜め前に、何かの装置がせり上がってきた。
この空間はやはり、常識を飛び越えたもののようだ。
「ルルーシュ、お前は嘘をつき続けてきた。なぜ嘘ばかりをつく?」
何を言っているのかと、ルルーシュは口の端で嗤った。
「嘘をつかなければ生きていけない状況に放り込んだのは、貴方ですよ。父上」
母を殺され、日本に送られ、妹を守る為に様々な嘘をついた。
生きる為に、己の名前も生すら偽った。
今もこうして、実体を持たぬ『ゼロ』として、嘘を形にして立っている。
他に生きる方法があったのなら、教えて欲しいくらいだ。
「それに貴方は、自ら『嘘』を使いましたね。私に」
実際には、使われていない。
けれどそこまで嘘つきだと言われて、真実を晒す必要も無い。
「…おいルルーシュ。どういう意味だ?」
エヴァンの問いに、ルルーシュはシャルルから視線を外さずに答えた。
「記憶を改竄する。それが、あの男の持つ"ギアス"だ」
ルルーシュの言葉を、シャルルは一笑に付する。
「残念ながら、あれは嘘ではない。お前が本来、あるべき姿だ」
そして皇帝である男は、先程せり上がってきた装置へ近づいた。
「「!」」
幸いにも2人は、驚きをそのまま顔に出すほど愚かではなかった。
(ギアスが、効かない?)
"ギアス"を無効化出来るのは、現時点ではジェレミアのみのはず。
その力も、身体を改造される段階で生まれた未知のものであったはずだ。
「なあ、ルルーシュ」
エヴァンの声に、ルルーシュは意識だけをそちらへ向ける。
紅い鳥を金色にする気はないようで、エヴァンは肩を竦めた。
「ギアスが効かないのって、他にも居たよな?」
ルルーシュはシャルルを見据える目を細めた。
(…そうだ。効かない人間が、居た)
それはギアス嚮団の嚮主として君臨していた、イニシャルの名を持つ人間。
「この世界は、嘘に満ちておる」
不意に告げたシャルルの手が、装置に伸びた。
「?!」
起動スイッチか何か、それに付随するものだったのだろう。
周囲の黄昏れた遺跡の風景が崩れ、元から異空間じみていた場所がさらに姿を変える。
(うわ、気持ち悪…)
声に出さずエヴァンは眉を顰めた。
巨大な歯車が自分たちのすぐ傍、もしくは足元で軋む音を上げ、呼応するように白い仮面が現れる。
こちらを見下ろす無数の仮面たちが、口々に話し始めた。
《おまえはうそばかりついている》
《嘘に何の意味がある?》
《他人を偽る、それは罪》
《なぜ、ほんとうのじぶんをさらけだそうとしない?》
「…ここは、一体」
まるで脅迫のように問い続ける仮面たちを無視して、ルルーシュはシャルルへ問う。
「ここがどこなのか、その問いは無意味だ。儂はお前、お前は儂でもある。
意味を見出すこと、それ自体が無意味」
問いを問いで返されたような、あまりに不明確な言葉だった。
能面のように白く感情さえ持ち得ない仮面たちは、すべてルルーシュに向かって言葉を投げつけてくる。
《お前はいつも仮面を被っている》
《妹に、友人に、仲間に、すべてに》
《なにをおそれる?》
《じぶんをさらけださないのに、あいてをしりたいとねがうのか?》
知りもせずに、好き勝手なことを。
ルルーシュは白い仮面たちへ視線を向けず、父であるシャルルのみを見据える。
「このような場所で、何を企んでいるのですか?貴方は。
V.V.と共謀し、ギアス嚮団を使い、世界へ戦争を仕掛け、弱者を切り捨て、何を?」
「ならばお前は、何を求めている?すべてを偽り、『ゼロ』となり、兄弟を殺し、戦いを広げ、何を?」
どうやらシャルルは、こちらの問いに答える気がないらしい。
ならば、この戯れに付き合ってやろうと思った。
今、『ゼロ』として立っているのは。
「私に願いを託した者たちへ、1年前の奇跡の続きを」
「お前が裏切ったことで、お前が奇跡に終止符を打ったのではなかったか?」
あれを裏切りと言うのなら、随分と"裏切り"という言葉の敷居が低い。
「私は裏切ってはいない。『ゼロ』は記号、『ゼロ』は人々の望み。
人々が願い続ける限り、『ゼロ』は不滅だ」
「偽りで奇跡を見せ、人々に信じさせるというのか。
そうしてC.C.にも奇跡を見せたか、ルルーシュ。偽りの奇跡を」
出された名前が、新たな波紋を呼ぶ。
「C.C.…?」
「あやつの願いを知っておるか?ルルーシュ」
そういえば、知らない。
『お前の願いを叶える代わりに、私の願いを1つだけ叶えてもらう』
いつも彼女は楽しげに過しているから、忘れていた。
あの魔女の、願い?
ルルーシュの戸惑いを、シャルルは当然のように笑う。
「あやつの願いはな、ルルーシュ。死ぬことだ」
CODE所持者の不老不死を、断つ。
それこそが、C.C.の願い。
「死が、願いだと…?」
(あのC.C.が?)
エヴァンは久々に再会した、己の契約主(過去形か?)を思い出す。
(死にたがってた?随分とルルーシュに惚れ込んでるらしい、アイツが?)
そんな馬鹿な。
シャルルは浮かぶ白い仮面を見回し、どこか遠くへと語る。
「あやつは己の願いと共に、我らの同志であった。共に『嘘の無い世界』を創ろうと」
「嘘の無い、世界…?」
「そうだ。偽るからこそ、争いが生まれる」
分からない。
ルルーシュには、父である皇帝の言っている意味が分からない。
(ここから、出たい)
この短い時間の間に、いったい何度己の存在を否定されたのか。
今更揺らぐようなものは持っていないが、何か…そう、"確かなもの"が欲しくなった。
無視を決め込んでいた仮面たちの言葉が、抱える仮面を重くしていく。
(…これは、不味いな)
ルルーシュが、繰り返される『言葉』の重さに耐えられなくなっている。
知り合ったばかりのエヴァンでさえ、それが見て取れた。
しかし、一方で不思議に思う。
(ブリタニア皇帝とルルーシュ。似ていると思うのは、気のせいか?)
双方が駆使する『言葉』が食い違っているだけで、とてもよく似ているように思えたのだ。
「!」
景色が崩れ創られた様と同じように、突然に皇帝とルルーシュの間に何かが現れた。
『何を惑わされている?ルルーシュ。私が願いを託したのはお前で、私が惚れ込んだ王は、お前だ』
シャルルからルルーシュの姿を隠すように、ふわりと現れたのはC.C.だった。
彼女の姿を久々に見たエヴァンだが、その姿が微かに透けて見えることに首を傾げる。
「C.C.…」
力なく名を呼んだルルーシュに、彼女は肩を竦めて歩み寄った。
『どうした?らしくもない』
「……」
『私がお前に願いを言わなかったのは、"時"が来ていない為ではない』
永過ぎる生は人生ではなく、もはや経験。
けれどそれを『生きている』と言わしめたのは、ルルーシュだった。
多くの言葉を切り捨て、C.C.は少ない言葉で真実を語る。
『…なあ、ルルーシュ。お前が初めてだったんだ』
視線だけで続きを即したルルーシュに、手を伸ばす。
母親とも言える慈しみを込めて、触れた頬を撫でた。
『ギアスを与えたこと。私が巻き込んだすべて。それに礼を言ったのは』
ルルーシュの背後で、ガシャンと硝子の砕けるような音が響いた。
Sein zum Tode.
我々は、いずれ死ぬ(だからこそ、)
前の話へ戻る/閉じる
08.11.24