25.




あぜ道に立っている。
ついぞ見た記憶の無い、絵画で目にするような景色だ。

すぐ目の前に伸びる土を馴らした道に、馬車の跡は無い。
道は広がる草原と丘を越え、遠いどこかへ続いている。
その道沿いにはぽつりぽつりとあばら屋が朽ち建ち、ところどころに井戸の跡がある。
人っ子一人通らない道はどこまでも続き、空はどんよりと薄暗い。

ぽつん、と。
まるで静物画のような、教会があった。

足を引き摺りながら、必死に歩いてくる子どもが居る。
痩せ細り骨ばかりの足で、あちらこちら傷だらけの身体を引き摺って。
その薄汚れた顔には、子どもらしい赤みさえない。
じゃらり、と耳障りな金属音が鳴る。
強制的に働かされていたのか、子どもの右足には足よりも太い鎖が嵌められている。

ばたり、と。
力尽きた子どもは、教会の前で倒れた。

その子どもは少しでも前へ進もうと、手を伸ばす。
『…いやだ。しにたくない』
ふっ、と。
その声に応えるように、子ども…どうやら少女らしい…の上に影が落ちた。

『あなたは、生きたいの?』

優しい、母親のような声だ。
少女はぐっと力を込めて上半身を起こし、声の主を見上げる。
灰色がかった青と白の衣服。
見上げた人は、シスターだった。

彼女は再度、少女へ問い掛ける。
『あなたは、生きたいの?』
少女は強く頷く。
『生きたい。生きたいよ!』
シスターは問い返す。
『なぜ、生きたいのですか?』
少女は首を横に振る。
『分からない。分からないけど、でも、死にたくない!』
シスターは静かに頷いて、言った。

『では、貴女に力を授けましょう。生き延びる為の"力"を。
その代わり、いつか私の願いを1つだけ、叶えてもらいましょう』

教会からほど遠くない場所に、小さな村があった。
シスターと別れた少女は、井戸端で話を弾ませる中年女性たちに近づく。
『おや、なんだい? この子どもは』
少女の紅い左眼が、紅い鳥を飛ばす。
不審な顔をして少女を見た女性たちが、途端に気の毒そうに少女へ駆け寄った。
『まあ!どうしたんだい、お嬢ちゃん!こんなにも怪我をして!』
『可哀想に…うちへおいでなさい。温かいスープを作ってあげましょうね』
少女はぎこちなく笑った。
『…ありがとう』
左眼は、紅く輝いたままだった。

『あれだけ言ったというのに。貴女はまた、人を弄びましたね?』

静かに諭された少女は、口を尖らせそっぽを向く。
『だってアイツ、アタシを汚いもの見るみたいに!』
成長した少女は女性へと移り変わる過程で、言動はまだまだ子どもが抜けない。
その少女を諭しているのは、過去に彼女が出会ったシスターだった。
『どうやら…"ギアス"は貴女を傲慢にしただけのようね』
身の程を知りなさい、と強く突き付けられ、さすがの少女もしゅんとする。
『…だって、』
アタシは、愛されたいの。
小さくため息を吐いたシスターは、外に馬車がやって来たことに気が付いた。
『あれは貴女のお迎えね。どこへ行くの?』
翳っていた少女の顔が、ぱっと輝く。
『そう! あのね、街の貴族がアタシを養女にするって!』
シスターは、そう、と返しただけだった。

『ねえ、シスター。"愛"って、何かしら…?』

沐浴をする少女の背を流してやりながら、シスターは言葉を返すことはしない。
少女が前にこの教会を訪れてから、すでに数年が経っていた。
『今まで、たくさんの人がアタシと結婚したいって言ってくれたわ。
でも、それってアタシの"ギアス"が言わせたの?それとも、本当にアタシを愛してくれてたのかしら?』
シスターはやはり答えない。
少女はシスターを振り返り、苦笑した。
『ねえ、そんな顔しないでよ。貰った贈り物もお金もぜーんぶ、返してきたんだから』
たくさんあって、大変だったのよ?
そう言って笑った少女の眼は、本来の色から程遠い。
鮮やかな赤には紅い鳥が、どちらの眼にも棲み着いていた。
『シスター。これからアタシ、どうすれば良い? シスターのお手伝いをすれば良いかしら?』
この力をくれたとき、願いを叶えろってアタシに言ったわよね。
しかしシスターは首を横に振った。
『…いいえ、その必要はないわ』
彼女は少女から離れ、教会が教会である証へと歩み寄る。
白く大きな十字架の向こうには、両手を広げた聖母が輝いている。
『"CODE"を移す条件は、相手が一定以上に"ギアス"を進化させていること』
『え?』
『残念ね。貴女、私に騙されたのよ』

私の願いは、"CODE"を移して死ぬこと!

少女を振り返ったシスターは歪んだ笑みを浮かべ、叫んだ。
ハッと息を呑んだ少女に向かって、シスターの額に浮かんでいた紅い鳥が、飛ぶ。

少女が気付いたときには、シスターはすでにこの世に居なかった。
自分の胸を短剣で突き、死に絶えた身体だけを遺して。
白い十字架と聖母の身元で嘆く、少女だけが取り残され…。


1つの物語の、幕が下りる。


ルルーシュは目の前にある絵画から一歩離れ、そっと目を伏せた。
「これは…"今のC.C."の、過去か」
【そう。これは、"今の私"の過去】
答えた相手に問い返したのは、星刻だ。
「お前とあの魔女は、同じ者か?」
問いにはいいや、と薙いだ笑みが返された。
ルルーシュは後ろを振り返る。

深い紺色をした、C.C.が出会ったときに来ていた拘束服。
長いライトグリーンの髪も、金に近い目の色も同じ。
だが、浮かべられた笑みだけは違う。
C.C.はそのような、すべてを受け入れ愛する笑みなど浮かべない。
【私は私、この少女は違う。けれど、同じとも言える】
"彼女"の笑みは、言うなればルルーシュが浮かべるものに似ていた。
仕方がないな、と彼が苦笑する時の表情に、よく似ていると星刻は思う。

ここは『記憶図書館』だと、"彼女"は言った。

ルルーシュと星刻の知るC.C.が出会い、契約してきた者たちとの記憶。
その記憶が、この広い部屋に絵画として飾られている。
これはいわば、"ギアス" の系譜。
隣の部屋には、また別の"C.C."の記憶が飾られているという。
そうしていくつもの記憶が美術館のように展示され、図書館のように遺されていた。

【貴方は、彼女にとってとても大切な人らしい。ここへ自ら逃がすなんて、今までなかった】

傲慢で高飛車で、自分に絶対の自信を持っているC.C.と同じ顔、同じ声で静かに語られる。
違和感があり過ぎて、いっそ気味が悪い。
連なる絵画に沿って足を進めれば、様々な者たちが絵の中に住んでいた。
子どもであったり大人であったり、年代はバラバラだ。
再生時間も違うようで、すぐにブラックアウトする絵画も見受けられる。
契約の時期が早い者から並べられ、ずっと連なった最後の方に、見覚えのある顔を見つけた。
(…マオ)
いつだったか、C.C.を返せと乗り込んできた子どもだ。
あの子どもは出会った時期が違えば、もっと話せたかもしれないと思う。

「この、白い絵画は?」

マオの絵画の1つ前に、真っ白で何も描かれていない絵画が2つある。
この図書館の館長だと言った"彼女"は、ふるりと首を横に振った。
【生きている契約者のものだ。この絵画の主が誰かは知らないが、貴方のものならたぶん…】
あの、一番端にあるものだ。
美術館の展示室のように、最後に途切れた場所。
確かに、白い絵が額に入って飾られていた。
それが何だか、無性に笑えた。
「…そうか。俺も死んだら、ここに飾られるのか」
ここが人智を越えた空間だと分かっているから、なおのこと。
ルルーシュは自分のものだと言われた絵画の前で、改めて"彼女"を見つめ返した。
「俺の知っているC.C.でないなら、お前は誰だ?」
質したルルーシュに対し、"彼女"はすいと優雅にお辞儀した。

【私は、"C"という"CODE"そのものと言えるかな。正確な言い方は分からない。
私の名は"C.C(セィ・ツー)"、永遠を司る魔女】

初めまして。
我が友"V(ヴィー)"が惚れ込んだ者よ。
 き 旅 へ と

伝えよう、遥かなる歴史を

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08.12.14