28.




揺れもしない。
音も微か。
分かるのは『高速で走っているであろう』感覚のみ。
「静か過ぎて逆に不気味だな…」
真っ暗なトンネルがひたすらに続く車窓を眺めながら、エヴァンは呟いた。
その向かいのシートで、ちょこんと座ったV.Vが笑う。
「なかなかの技術力だろう? これはサクラダイトが発見される前から存在した」
へぇ、と目を丸くする。
「あんた、どんだけ生きてるんだ?」
さあ、と肩を竦める子供は、見ようによっては精巧に創られた人形のよう。
"彼女"がエヴァンを見つめる目は、C.C.のそれと似ているようで、違う。

「我々に時間の概念は無い。私にとってそれは、共に在るもの」
「共に"在る"?」
「そう。私は"時を司る魔女"」
「ならC.C.は?」
「アレは、"永遠を司る魔女"」
「その違いは?」
「概念」

たった今、時間の概念は無いと言ったのは誰だ。
返そうとして、エヴァンは止めた。
「…哲学的な話は苦手だ」
そういった類いはそれこそ、ルルーシュの得意分野のような気がする。
ふっとV.Vの視線が車窓へ移り、何事かとエヴァンも窓を見上げた。
「明るい…?」
真っ暗闇ではなく、何かが見える。
とは言ってもエヴァンは進行方向に背を向けて座っているので、よく分からない。
逆に進行方向に向いて座っているV.Vは、窓を指差して答えた。
「空間のトンネルを、抜ける」
今度は音が響いてきた。
どうやら微かに聞こえていた音は、列車が滑るように風を切る音だったらしい。
気付けば、車内が目に見えて明るくなってきている。
「ほら、外だ」
V.Vの言葉に再び窓を見た、その瞬間。

「…っ!!」

目の前が真っ白になった。
「おい、どうした?」
突然に目を抑え身を屈めたエヴァンに、V.Vは身を乗り出す。
燦々とした太陽光が車内を照らし、この地方はちょうど真昼なのだと分かる。
「おい?」
座席から降りたV.Vは、エヴァンの顔を覗き込むように再度尋ねた。
エヴァンは何事か呟いたようだが、聞こえない。
ただ辛うじて、彼の動かした逆の手が窓の外を指差した。
「外…?」
指の先を追えば、そこには。
事実を悟ったV.Vは自分が座っていた座席に立ち、幅の狭い手摺に足を掛ける。
しかしいくら手を伸ばしても、目当てのものに手が届かない。
「少し、我慢してくれ」
エヴァンへそれだけを告げ、V.Vは座席から飛び降りると後ろの車両へ向かった。

「おい、誰か」

前の車両に繋がる扉から姿を見せた人物に、誰もがハッと身を固くした。
この車両も含め、3両目以降に乗っているのは嚮団に居た者たちだ。
正確に言うと、先頭車両にジェレミアとコーネリア、2両目にエヴァンとV.V。
なかなかベストな選択だったろう。
V.Vは自分を見る固い視線など気にせず、呼び掛ける。
「誰でも良い。前の車両のブラインドをすべて降ろしてくれ。私では手が届かない」
何のことだ、と誰もが訝し気な視線を投げる。
久々に見た外の世界に、誰もが夢中になっていた。
嚮主の姿をしている人物は、なぜそれを閉ざせと言うのだろう?
V.Vは痺れを切らし、最も近い位置に座っていた少年の腕を掴んだ。

「急げ。エヴァン・スールの目が灼けてしまう」

幾人もの気配がこの車両に入って来たと思ったら、次々とブラインドの降ろされる音がした。
「っ、エヴァンさん!」
「エヴァン兄さん! 大丈夫?!」
意識が朦朧として、声の持ち主がどの子供なのか特定出来ない。
するとこちらを見る子供たちの気配の間から、まったく違う気配が分け入ってきた。
「目はまだ閉じておいた方が良い。腕は? 肌がひりつかないか?」
「……かなり」
ようやく声が出せた。
小柄な気配が後ろを振り返る。
「誰か、研究者から白衣を」
「あ、分かった!」
子供の1人が、後ろへ駆けて行った。
目を庇うように抑えた手に、小さな手が触れる。
思っていたよりも暖かい。
「嚮団の中で暮らして、何年になる?」
何年だったっけ、とエヴァンは徐々に戻ってくる意識の中で数えた。
「…5年くらい」
「地下に閉じ込められたのは?」
「2年前」
「お前、生まれはどこだ?」
「…西欧」
ああ、という嘆息がすぐ傍で聞こえた。
「身体は鍛えられても、地下では日光への耐性がつかない」
つくどころか、衰える一方だろう。
先程出て行った気配が駆け戻ってきた。
「先生から借りて来た!」
「ありがとう。どうだ? 眩しくはないはずだが」
V.Vはエヴァンの座る座席に上り、子供から受け取った白衣を掛けてやる。
「…無理っぽい。火花が散ってる感じがする」
すべてのブラインドを閉めたこの車両は、薄暗い。
それでも無理だと言う。
「危険だな。研究者の中に、医術の心得のある者が居ればいいが」
誰か知っているか? とV.Vは子供たちへ尋ねた。
しかし誰もが首を横に振る。
「居ないわけがないと思うが…。仕方がない、捜そう」
全員に当たれば、1人くらいは居るかもしれない。
そんなことを当たり前のように言ったV.Vに、エヴァンは苦笑した。

「…ロロが、あんたを"母さん"って呼ぶ理由が分かるよ」



目を瞬く刹那に走り去って行った列車。
あの技術力を解明出来たなら、世の中が新たな道へ進むだろう。
「さて、俺たちも戻るか」
ルルーシュの言葉に、この場に残った者を一通り見回した星刻が尋ねた。
「…斑鳩へ?」
有り得ない、という響きの乗った言葉に、ルルーシュは肩を竦める。
「そうだな。今の状況で、斑鳩へ戻る気はない」
片手に抱えた『ゼロ』の仮面を、何ともなしに見下ろした。
「それに、その子を連れて行くのは酷だ」
いくらなんでも、と続けられた彼の言葉に、ロロは少女を抱く腕に知らず力を込める。
「C.C.」
「は、はいっ!」
呼び掛ければとても元気な、それでいて酷く戸惑った返事が来た。
不思議なことに、自分が『C.C.』と呼ばれていることは分かっているらしい。
苦笑を隠し切れないまま、ルルーシュは『ゼロ』の仮面を手渡した。
「しばらく預かっていてくれ。大事なものだから、失くさないように」
小さな子供に教えるように伝えれば、ややあってこくりとC.C.の頭が上下する。
「はい、ご主人様」
彼が無意識の内に伸ばした手にC.C.は一瞬身を固くしたが、前回のように拒絶することは無かった。
ぽんぽん、と彼女の頭を撫でて、ルルーシュはロロを振り返る。

「ロロ。悪いが一度斑鳩へ戻って、ラクシャータを連れてきてくれないか?」

斑鳩へ戻ることは分かるが、その次の意味が掴めない。
ルルーシュは戸惑うロロの抱える少女を、代わりに抱き上げる。
少女は仮面が無いことで安心したのだろう。
ロロから離れて寂し気な顔は見せども、ルルーシュに怯える様子はなかった。
「星刻。天子に頼んで欲しいことがある」
そうして徐に告げられた先を、星刻はすでに知っていた。



いくつもの街の現在の状況を記した、いくつもの紙束。
電子データでも良いのだが、決して豊かとは言えない中華連邦の状況を考えると、そうもいかない。
逆に、これだけのデータを集め纏めた各街の為政者たちの、切実な要望と新政府への期待が現れていると言えた。
「天子様、そう根を詰めては身体に毒ですよ」
大きく息を吐き飲茶へ手を伸ばした主に、香凛は何度目かの諌めの声を掛けた。

午前中からずっと『天子』の執務室で入れ替わり立ち代わる、インフラストラクチャーの関係者。
彼らと机を挟んで相対し、じっくりと、ゆっくりと何が必要なのかを学ぶ幼き少女。
書類の捲られるスピードは非常に遅く、普通であればいい加減にしろと相手は怒鳴るだろう。
けれど彼らは誰一人として文句を言わず、根気良く彼女と向き合っていた。
なぜなら彼女はまだ12歳で、つい先日までは大宦官たちが政権を握り、彼女は政治の土産物として扱われていた。
大宦官の一派以外の者は誰もがあらゆる苦しみを受け、だからこそ今、彼女を支えようとしている。

黎星刻と彼の賛同者が立ち上がり、『ゼロ』が救った『中華の天子』に。

一気に飲茶を飲み干して、天子はもう一度大きな息を吐く。
「今日のうちに、この束をすべて見てしまいたい。だって、みながわらわを助けてくれている。
ならばわらわは、早くそれにこたえなければ」
間違ってはいない。
間違ってはいないが、それだけでは駄目なのだ。
(星刻様なら、どのように諭されるのだろう?)
なんとか上手く彼女を休ませる文句が無いものか、と香凛は頭を捻る。
そこへ携帯電話が着信を告げ、誰からかと画面を見て驚いた。
「星刻様?!」
天子も驚き、ぱっと顔を上げる。
「星刻?」
僅かな間の後に電話に出た香凛は、別の理由で頭を捻ることになった。
「あの、星刻様。それはいったい…?」
尋ねた言葉に返ったのは、短い伝言。
しばらくして通話を切った彼女へ、天子は問い掛ける。
「香凛、星刻は何を?」
こちらを見上げる天子に、香凛は変わらず頭を捻ったままで答えた。

「天子様に、『奥の宮を開けて欲しい』と」



ばさり、と広げられた真っ白なシーツは、ふわりとダブルベッドのマットを覆う。
カーテンがしっかりと吊られていることを確認して、雨戸をきっちりと開ける。
並んだクローゼットの中を調べ、他の部屋同様に揃っていることに頷く。
何度目かの一連の作業を繰り返し、満足の笑みで部屋を出た。

「咲世子さん! お部屋の準備、終わりました!」

ブリタニア本国の離宮よりは狭く、けれど決して手狭ではない部屋に廊下。
新築同様のフローリングの向こうに見えた女性へ、手を振った。
駆け足で近づけば彼女は茶会の準備を終えたところのようで、上品な紅茶の香りがどこからか漂ってくる。
「ありがとうございます。助かりました」
「いいえ。今までやったことがなくて、上手く出来たか不安ですわ」
にこりと笑って首を横に振ると、緩いウェーブの掛かる髪が肩口で揺れた。
黒を目指して次々と染め変えられていたその髪も、今は元通りの桃色が艶やかに現れている。
咲世子は壁の時計を見上げ、"彼女"へ提案した。
「まだ少し時間がありますね。休憩しましょうか、『マリー』さん」
『マリー』と名を替えたユーフェミアは、一二もなく賛成する。
「はい、咲世子さん。そういえば、テラスが良い感じに日陰になっていました」
「ではテラスにしましょう。お茶とお菓子を持って行きますね」
「あ、わたくしも運びますわ!」

ここは南の大陸オーストラリア。
南の街の北にある、森と草原の狭間に建った白い屋敷。
動き出した計はだれのもの?

あなたの? わたしの? それともみんなの?

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09.2.27