30.




中庭ではなく、朱禁城を正面から臨む前庭。
そこへ降り立ったのは、金のカラーリングを持つヴィンセント。
ヴィンセントの掌からひょいと飛び降りたラクシャータは、にんまりと満足げに笑った。
「一度やってみたかったのよねぇ。KMFの手で移動って」
ほら、『ゼロ』はよくやってるじゃない?
尋ねた彼女に、操縦席から降りたロロが答えることは無い。
ラクシャータはやれやれと肩を竦める。
「つれないわねえ…。アンタ、本当に『ゼロ』としか話さないの?」
話し掛けられれば答えるが、『ゼロ』にしか応えない。
それがこのロロという子供への、ラクシャータの持つ印象だった。
ロロは年頃らしい面差しに、心からの嫌悪を浮かべる。

「騎士団の連中と馴れ合う? 有り得ないですね」

おや、と思わず彼を見つめ直す。
「それって、アタシは勘定に入ってないの」
疑問符のように聞こえて、断定された言葉。
ロロが答える前に、朱禁城の渡り廊下から洪が現れた。
「これはチャウラー殿! …ゼロの呼んだ客人の1人は、チャウラー殿であったか」
答えるように手を挙げたラクシャータの隣には、幼さを残す顔立ちの少年が居る。
洪は僅かながら考えた。
「…では、"ロロ"というのは貴殿か?」
「そうです」
硬質な空気を纏う少年に思案するも、洪が次に口にする言葉は変わらない。
「ではご両人、こちらへ。天子様もお待ちです」

なぜヴィンセントは、中庭ではなく前庭に降りたのか。
それは『黒の騎士団』KMF開発者の姿を見せ、『ゼロ』の非公式の来訪を正当化するためだ。


名を尋ねた天子に、少女は小さな声で"セナ"と答えた。
そういえば名前を知らなかったな、とルルーシュは2人の少女を等分に見遣る。
ふと気がついた。
「天子」
再びいつものように『天子』と呼ばれ、彼女は顔を上げる。
「…ルルーシュさま?」
そっと頬に触れて来た彼に、首を傾げた。
ルルーシュはほんの数秒だけ考えて、尋ねる。
天子ではなく香凛へ。
「香凛。ここ最近、貴女から見て天子の様子はどのようなものだった?」
問われた香凛は面食らいつつも、正確に返した。
「はい。今週は毎日、各市のインフラ関係の担当者との勉強会を。
些か根を詰め過ぎでは、と何度も申し上げたのですが…」
そして、彼女は正直だった。
なぜ天子に対するものと同じように答えているのか、後になってから香凛は首を傾げた。
ルルーシュは苦笑を浮かべ彼女の答えに軽く頷くと、天子へ視線を戻す。
「天子。休むことも役目の内だと言っただろう?」
それは彼が、仕方が無いなと浮かべる表情だ。
言葉に詰まり、天子はバツ悪く俯く。

「だって…皆がわらわを助けてくれているのに、わらわは何も出来ない。
少しでも早く皆を助けられるように、早く分かるようにならないと…」

予想した通りの答えだった。
きょとんとこちらを見上げるセナの頭をそっと撫でて、ルルーシュは言葉を替える。
「言っていることは、間違いじゃない。だが『天子』の言葉としては間違いだ」
「え?」
彼がなんと言って天子を休ませるのか、香凛は興味を惹かれた。
(おそらくは、星刻様も同じことを言われる)
なぜか、そんな確信があった。
ルルーシュは天子をまっすぐに見つめ、『天子とは何か』と再度問うた。
「お前は答えた。『中華を統べる皇帝の名だ』と」
天子は頷く。
「はい。『天子』は、中華の民をまもることが"しめい"です」
頷きを返し、ルルーシュは笑んだ。

「その通りだな。つまり『天子』が倒れれば、中華の民を守る者は居なくなる」

天子の目が大きく見開かれた。
「あ…」
それは"中枢の不在"。
すべての最終決定権を持つ存在が無ければ、政治は立ち行かなくなる。
代行処理にも、限界がある。
「言っておくが、倒れるというのにも種類があるぞ? 崩御から疲労まで、な」
浮かべられた苦笑と最後の言葉にハッとして、天子は顔を赤くした。
ルルーシュは恥ずかしさで俯いてしまった彼女の頭を、宥めるようにぽんぽんと撫でる。
…それはまるで母親のようだと、香凛は唐突に思った。
香凛の中で、『ゼロ』と少年の姿が一致しない。

ややあってルルーシュの手が離れることを惜しむように、天子は顔を上げた。
そんな彼女へ、案ずるなとルルーシュはやはり優しく笑む。
「お前はまだ子供だ。だから、無理をする必要などどこにも無い」
思い通りに行かなくて、泣き喚いて良い。
泣き疲れて眠ってしまっても、誰も咎めはしないだろう。
「どれもこれも、子供の間だけ出来ることだ。もっと我が侭を言ったって、皆が聞いてくれるさ」
悪戯なアメジストが香凛を見上げ、何の言葉も浮かばなかった彼女は反論に窮した。
苦し紛れに自分の正面、彼らが入って来た扉側に控えるかつての上司へ視線を向ける。
しかし星刻は、苦笑しつつ天子とルルーシュを見つめるのみであった。
その彼が不意に香凛が控える方の扉を見遣ったので、彼女も何事かとそちらを振り返る。
コンコン、と響いた音と共に、洪の声が聞こえた。

「天子様。お客人をお連れしました」

扉が開かれることを待ちながら、ラクシャータは手にした煙管(キセル)を白衣へ仕舞う。
「ここって、どう考えても『天子様』の寝所よねえ?」
彼女の半歩前に居るロロは、やはりというか何も反応を返さない。
だが彼女の後ろに控えていた2人の女官の内の片方が、控えめに正答を寄越した。
「いいえ、天子様の寝所は反対側です。こちらは本来ならば、天子様の伴侶となる方が住まわれます」
「ふぅん…伴侶…」
そのような場所に、何故『ゼロ』が?
ラクシャータの2つ目の問いには、女官たちも微笑みを返すのみ。

洪に続いて部屋に足を踏み入れたラクシャータは、思わず足を止めた。

ロロはつい先刻までの無表情が嘘のように、誰かへ向けて安心したように笑う。
「兄さん」
そういえば、斑鳩でも『ゼロ』をそのように呼んでいた。
彼の姿に目を丸くしていたのは、天子の側近である香凛も同じだ。
洪は早くも慣れたらしい。
続いてラクシャータの目に入ったのは、天蓋の掛かるベッドの脇に立つC.C.の姿。
普段と違う雰囲気に見えるが、その手に抱えられている物の方が受ける衝撃は大きい。
(『ゼロ』の、仮面…?)
またも何故だろうか、という疑問が沸き上がる。
ようやくもう1歩足を踏み入れて、ラクシャータは天子と目が合った。
「あなたはだれだ?」
問われ、まともに顔を合わせたのは初めてだと気づく。
ラクシャータが口を開く前に、誰かが答えた。
「紅蓮弐式の開発者だ。星刻の乗る神虎の調整も、彼女が行ってくれた」
天子よりも幼いらしい別の少女が、ロロへ駆け寄る。
「…湯浴みをさせてもらった方が良いな。血がこびり付いてしまっている」
ロロに抱き上げられた少女の前髪をそっと横へ流し、"彼"は2人の女官へ頷いた。
彼女たちは心得ていたように、不思議そうにラクシャータを見上げていた天子へ声を掛けた。
「では天子様。こちらのお嬢様とともに、湯浴みへ参りましょう」
しかし、言われた天子は渋る。
「…これから、大事な話をされるのではないのですか?」
場に集まっている人間から判別出来るくらいに、天子は成長している。
それは誰にとっても、喜ばしいことだ。
彼女が問いかけた相手はふわりと微笑み、その白に近い銀の髪を撫ぜた。
「大丈夫だ。後でちゃんと、お前にも話すさ」
ラクシャータは見間違いかと、目の前の光景を疑った。


「マリアンヌ、様?」


その笑顔を、見たことがある。
その柔らかな眼差しを、声を、聴いたことがある。
(なぜ、)
思わず零した言葉を拾い上げこちらを見た"彼"は、目を細める。
ラクシャータが見知っている、彼(か)の人の表情で笑う。

「誰よりも尊敬する母と見間違われるとは、光栄だな」

重なる面差しと、表情。
重なる髪色に、アメジストの眼。
(まさか、)
美しく強かったあの女性は、『閃光』と呼ばれた。
関わりは片手で数えられる回数であったが、ラクシャータは彼女に好感を持っていた。
目を見張るようなKMFの腕前を持ち、そして当たり前の愛情を当たり前に子へ注いでいた…皇妃。
そういえば、あのロイド・アスプルンドが珍しく敬意を表していた。
(それから、)
ラクシャータは驚愕から抜け出すことが出来ず、言葉は勝手に口を突く。
「総督ナナリー・ヴィ・ブリタニア、は…」
聞き覚えがあって、当然ではないか。
あの少女がエリア11総督に就任した日、釈然としない疑念を覚えたのも、気のせいではなかったのか。
"彼"は答える。

「正真正銘、俺の妹だ。だがナナリーは、おそらく貴女と会ったことが無い」

すでに母上は引退されていたから。
『ゼロ』の衣装を纏う"彼"は予想に違わず是と答え、ラクシャータは片手でくしゃりと髪を掻き混ぜる。
「ああ、じゃあ、本当にアンタは…いえ、貴方は、」
ああ、なんということだろう!
皇妃マリアンヌが連れて来た彼女の子は、とても賢い子供だった。
可愛らしい外見に反して、己の在るべき姿をよく知っていた。
詳細まで分からずとも的確な問いを投げて来て、それは答える側としても楽しいもので。
彼が皇子として成長すれば、中々に面白そうだと思っていた。

「本当に、ルルーシュ殿下…?」

今度こそ、香凛と洪の目が点になる。
大きく見張られた目はラクシャータを見、彼女が凝視する『ゼロ』へと向けられた。
星刻と視線を交わしたルルーシュはふっと笑みの種類を替え、こちらを凝視する彼らに嗤う。
それは等しく、人の上に立つ者の笑みで。

「さて、どこから聞きたい?」
過去から零れた(うつつ)

きっとすべて、計算のうちだった

前の話へ戻る閉じる
09.6.1