32.




乾いた風が、ワンピースの裾を遊ばせる。
日焼けを免れている女性らしい柔らかな指先で、くるん、と日傘をひと回し。
可愛らしい花のような笑顔は、その姿によく似合う。
かつて『慈愛』と呼ばれた微笑みで、"彼女"は告げた。
「こんにちわ、お姉様。でも残念ながら、"貴女のユーフェミア"はすでに死にました。
ですから、わたくしはこう言いますわ」

どちらさまですか?

コーネリアは、言葉を発しようとして失敗した。
今、彼女はなんと言った?
「ユ、フィ…?」
酷く戸惑った様子で再度名を呼んだコーネリアに、"彼女"も同じく困ったように笑う。
「ですから、わたくしは"ユーフェミア"ではありません。貴女の妹は、もう亡くなられたでしょう?」
貴女の目の前で、多くの者たちの目の前で、アヴァロンから身を投げて。

それらしい遺体は、後になって特区宣言が行われた会場から発見された。
ドレスのような衣服と長い髪、そして女性であろうことのみが判別出来る、酷い状態の遺体だった。
何せ、あの会場は炎に呑まれかけたのだから。
…イレヴンの虐殺と第3皇女の死。
その後に起きたブラックリベリオンでコーネリア自身も重傷を負い、本国へ強制送還された。
ユーフェミアの確実なる『死』の報告は、皇族のみが利用する特別病棟の一室にて。
そうして結果として残ったのは、皇族を置かぬ強制エリアとしてのエリア11。

だが今、目の前の"彼女"は言ったではないか。
『こんにちわ、お姉様』と。

強い拒絶と答えを探し求める眼差しに、"彼女"は苦笑を浮かべ肩を竦めた。
「もう、ルルーシュってば。わたくしはあまり気が長くないのに」
「…ルルーシュ、だと?」
発された第三者の名前は、コーネリアに怒りをも思い出させる。
険しさを増した彼女の表情に、頓着などしないとばかりに少女は呆れを交えて微笑んだ。
「仕方ありませんわね。咲世子さん、手筈通りでよろしいのですか?」
ジェレミアと何事か打ち合わせていた咲世子は、彼女の問いかけに軽く頷きを返す。
それを確認して、少女はコーネリアをまっすぐに見据えた。
「すべての武器をこちらへ預けてください。そして、この屋敷のすべての人間へ危害を加えないことを約束してください。
この条件を飲んでいただけない場合は、今すぐその列車でお帰りくださいね。
これは交換条件などではありません。それはお分かりですか?『コーネリア皇女』」

こちらを見据える目は、信用出来るか否かの品定め。
替えた呼び名は、他人であるという宣言。
(どういう…ことだ? これは)
確かに、違う。
漠然と、しかしコーネリアは確信として思った。

目の前に居る自分の"妹"であるはずの少女は、自分の知る"妹"ではない。



照り付けていた、灼け付くような日射しの感覚が消えた。
「…思ったより涼しいな」
屋敷の中へ入ったことを察して、エヴァンはそんな感想を呟く。
腕を掴んでいたひと回り小さな掌が離れ、異質な気配がこちらを見上げる。
「光度は列車の中と変わらない。バイザーは外さない方が良い」
自身の横を通り過ぎて行く、いくつもの見知った気配。
エヴァンはV.Vの言葉に頷いた。
「最初からそのつもりだったさ。それより…」
その場から動こうとしない彼に、V.Vは何だろうかと目を瞬く。
不思議そうな気配を悟ったのだろう、彼は苦笑を浮かべた。
「俺の前、歩いてくれる? あんたの気配が一番判りやすいから」
最初から見ていない場所って、結構リスキーなんだよ。
そう続けたエヴァンに、V.Vもようやく思い出す。
嚮団では彼があまりにも自然だったので、バイザーが不透過であることをすっかり忘れていた。
「前を歩くだけで大丈夫か?」
問えば、邪気の無い笑みが返る。
「注釈を付けてくれるんなら、有り難いかな」

広い屋敷だ。
前を歩くV.Vと、さらに先を行くいくつもの気配の動きの間隔が広い。
部屋の位置と数を歩数で測りながら、エヴァンはこの建物が何階まであるのか知らないことに気づく。
「V.V。この家、何階建てだった?」
「3階だ。おそらくはこの1階と同じ造りだろう。同じ外観をしている」
「ふぅん…」
そういえば、いつの間にやら"サヨコ"という女性の気配が付いて来ていた。
「…あんた、ホント凄いな。いつから居たんだ?」
足を止め振り返れば、微かであった気配が途端に濃くなる。
同時に、笑みを含んだ回答が返った。
「ほんの1分ほど前ですね」
まさか、気づかれるとは思いませんでした。
にこやかに返す彼女の言葉が、真か否か。
ともかく、試されていることは明白だろう。

急いでいることを感じさせない動作でエヴァン、V.Vを追い抜き、咲世子は来訪者たちをリビングへと導く。
茶菓子と紅茶の香りが、食欲を誘った。
「毒などはもちろん入っておりませんから、どうぞお寛ぎください」
はたして、信用出来るだろうか?
問いかけるようないくつもの視線を感じ、肩を竦めたエヴァンはV.Vを見下ろす。
「なあ、実験台頼んでも良いか?」
あまりにも率直な、ある意味で残酷な頼みごと。
V.Vは意図せず苦笑した。
「…まあ、自分で真っ先に手を伸ばさなかっただけ、良しとしようか」
そのとき彼女が浮かべた表情は、ルルーシュの笑みに良く似ていた。
主の優しい笑顔が、咲世子の脳裏でV.Vの笑みと重なる。

V.Vは長い髪を踏まないよう注意して椅子によじ上ると、クッキーをひとつ、ひょいと口に放り込んだ。
サクリという歯応えと控えめの甘さが口内に広がり、中々に美味しい、と咲世子へ告げる。
「遅効性の毒なら難しいが、これは大丈夫だろう」
それに、ルルーシュから頼まれている者を、ルルーシュに頼まれた者が殺害する可能性も低い。
するとエヴァンが何かを言うよりも早く、クッキーへ手を伸ばした少年が居た。
彼は列車内で、V.Vが最初に声を掛けた子供だ。
子供たちの中では、ロロと同じく年長に入るだろうか。
少年はクッキーをぱくりと口に入れてから、あ、と目線を彷徨わせた。
他の子供たちの視線が集まり、僅かな沈黙が挟まれる。
「…ロロ兄さんが、大丈夫だと言っていたし。あ、これ飲んでも良い?」
盆に置かれたままのティーポットとカップ指差し、彼は咲世子へ尋ねた。
もちろんそのための物なので、咲世子はにこやかと返す。
「では順に注ぎますね。皆様、席へお着きください」
ストレート、レモン、ミルク、お好きなものを仰ってくださいね。
どうやらお茶請けも、クッキーの他、マフィンやチップスなどがあるらしい。
(準備良過ぎだろ…)
エヴァンは席に着くと、呆れとも感心ともつかない溜め息を吐いた。

V.Vが動かしてくれた手に、ティーカップの柄が触れる。
カップの形を確認して口へ運べば、葉の上品な香りが気分を落ち着かせてゆく。
周囲も同じく、緊張が解けたようだ。
(…さて、)
テーブルに頬杖を着き、エヴァンは思案する。
考えるべきことは、自分たちのことに他ならない。
しかしエヴァンには、ルルーシュの意図を読めるだけの関わりがなかった。
(あいつは、俺の創った世界を外から守ると言った)
朧げに見えるだけでは、先へ進むことは難しい。
嚮団の内部に居た者たちにとって、『世界』とはそういうものなのだ。



コーネリアが通された部屋は、リビングとは逆の位置にある客間だった。
淡い暖色の家具で纏められた部屋は、一昔前の庶民派ブームを彷彿とさせる。
周囲を一瞥し、コーネリアは外したマントをソファへ放り投げた。
乱雑に襟元を緩め、同じくどさりと座り込む。
(どういうことだ…!)
脳裏で反響する"彼女"の声が、更なる混乱へとコーネリアを押し上げる。

ジェレミア・ゴットバルトが何処かへ向かい、列車が前触れもなく元来た方角へ走り去ってから。
ユーフェミアであるはずの少女はこう言った。
『仕方ありませんね。しばらくの間、"貴女が求める妹"に戻って差し上げますわ』
彼女はコーネリアをこの部屋へ通した後、着替えてくると言って屋敷の奥へ消えた。
(戻るとは、何だ?)
コンコン、と軽いノック音がし、返事をする前に扉が開いた。
開いた扉から現れた人物に、コーネリアは絶句する。

白いブラウスに、桃色のロングスカート。
随所に縫われたフリルは、そう。
"彼女"がいつも、『お姫様だもの!』と口癖にしていたお気に入りで。
確か、彼女の持っている服にはすべて、型は違えどフリルやリボンの装飾が施されていた。

「ユーフェミア…」

呆然とした声に、クスクスと可笑しそうに"彼女"は笑みを零す。
「お姉様、ジェレミア卿に聞きましたよ? 1年前に病院から脱走して、ずっと行方不明だったって」
肩を軽く振るわせて笑ったので、短い桃色の髪が揺れた。
(そういえば、あの子が髪を伸ばし始めた理由は何だったか)
ティーカートを部屋へ入れて、"彼女"は扉を閉める。
「お姉様?」
そして立ち上がった格好で微動だに出来ないコーネリアへ、不思議そうに問いかけた。
問うべき言葉が多すぎたコーネリアは、ただ沈黙する。
(…なぜだ?)
目の前に居る少女は、紛うこと無くユーフェミア・リ・ブリタニア。
誰よりも、何よりも慈しみ育てて来た、己の妹。
それが、どうして。
なんとかソファへ座り直し、それを確認したユーフェミアは並べたカップへ紅茶を注ぐ。

晴れていれば、必ずテラスでティータイム。
皇宮の、リ家で見慣れたこの光景は、失われたはずだった。
白昼イトメア

幸せな頃の夢は、悪夢だ

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09.9.13