33.
「ユフィ、なんだな?」
ごく自然に差し出されたティーカップを、コーネリアは自然な動作で受け取った。
「あら、そう言ったのはお姉様ですわ」
ローテーブルを挟んだ向かいに椅子を持って来て、ユーフェミアはそちらへ腰を落ち着ける。
「演じている、というのか…?」
姉妹でティーセットを挟み、なんてことの無い会話を楽しんだ。
それは、過去。
「誰しも、別の一面というものがあります。本質ではないそれを、時にそう表現しますわね」
今交わされている会話は、問いと回答だ。
「本質ではない? 私が見ていたお前が?」
誰よりも、妹を愛して来た。
けれど目の前のユーフェミアは、それを否定するかのような物言いをする。
「わたくしはお姉様の妹。それは事実です。でも、それ以外であることを、貴女は許してくれなかった」
「なんだと…?」
自分で入れた紅茶を一口啜り、腕を上げたと自画自賛。
ユーフェミアにとって、ルルーシュの腕に追いつくのは至難の業だ。
努力の質が、違いすぎる。
「お姉様。わたくしは、ずっとルルーシュが好きでした」
突然の告白に、ティーカップを持ち上げたコーネリアの動作が止まる。
それを見てふふっと可愛らしく笑う様子は、かつてと変わりないというのに。
ユーフェミアは遠い過去を見つめる。
「よく、お姉様にマリアンヌ様の宮へ連れて行って頂きましたね。
マリアンヌ様は美しくてお優しくて、とても素敵な方でした」
「…ああ」
コーネリアにとっても、マリアンヌは敬愛する目標であった。
「ナナリーと遊ぶのも楽しかったけれど、でもわたくしは、ルルーシュに会うのが何よりも楽しみで」
髪を伸ばし始めたのも、ヴィ家に出入りするようになってから。
なぜなら、そうすればルルーシュが結んでくれたから。
…彼が、ナナリーにそうしていたように。
当時を思い出し、ユーフェミアの表情が綻びる。
「覚えていますか? わたくしが、『ルルーシュのお嫁さんになる!』って言ったこと」
もう1人の当事者の前で思い出したものを、再び思い出す。
コーネリアは目を伏せた。
「…ああ。よく覚えている」
ユーフェミアがそう言ってルルーシュへ抱きつき、ナナリーが頬を膨らませて競うように彼へ抱きついていた。
『だめです! おにいさまはわたしのです!』
ナナリーはそう言って、むっと睨み合った彼女らに当人は困ったように笑っていたのだ。
「でも、ルルーシュは死んでしまったんですよ。あれから1ヶ月の後に」
そうなのだ。
マリアンヌが殺害され、ルルーシュとナナリーは日本へ送られ、そして。
ユーフェミアはその報を耳にしてからずっと、泣いていた。
『どうしてルルーシュは死んでしまったの? そんなのうそ!』
「わたくしはお姉様にもお母様にも、執事にも使用人にも、宮のすべての人へ尋ねました」
泣き腫らした目で、彼女は出会う人すべてにそう問うていた。
「でも、誰も教えてくれませんでした。お母様に至っては、影で『ホッとした』なんて言ってましたわ。
マリアンヌ様とルルーシュが死んだことに、ですよ? なんて酷い人!」
当時を見つめているユーフェミアの目に、剣が籠る。
それは、彼女にとって許せないことがあったときに見せる表情だ。
(…私も、そう思った)
コーネリアも、母の言い様には酷い怒りを覚えた記憶がある。
けれど、何も言わなかった。
その理由を察せられないほど、子供ではなかった。
息をついたユーフェミアは、再び紅茶に口をつける。
「わたくしはね、お姉様。こうと決めたら絶対に引かないんです」
「…?」
伊達に姉ではない、そんなことは百も承知だ。
コーネリアの戸惑う空気を、ユーフェミアは紅茶の琥珀を揺らしながら感じ取る。
次に顔を上げた彼女の視線は、コーネリアをまっすぐに貫いた。
その口元は、幸せそうな弧を描いて。
「わたくしはね、お姉様。ルルーシュの隣に居るためなら、何だって出来るんです」
辛い記憶を、心で摺り替えてしまうことは珍しいことではない。
だがユーフェミアは違う。
ルルーシュが死んだことを、決して認めはしなかった。
8年間、ずっと。
大人たちが、この環境や今後についてを話し合い始めた。
口を挟むでも聴くでもなく、エヴァンは1人考える。
(場所はどうだって良い。重要なのは、"嚮団の外"であること)
当分の間、自分たちはこの屋敷で暮らすのだろう。
そうでなければ、連れてくる意味もないはずだ。
(けど、何のために?)
予想はつくが、分からない。
…言い換えるなら、信じられない。
扉の傍に控えていた咲世子へ顔を向ければ、彼女は心得たようにエヴァンの斜め後ろへ移動する。
気配無く、隙もなく、無駄な動作すら無く。
彼女が動いたことに気づいた者は、ロロと同年代の子供たち数人のみ。
その彼らは、エヴァンが何も言わないので注視のみを注ぐ。
エヴァンと咲世子の距離は、歩幅にして3歩。
互いが手を伸ばしてもちょうど触れない、得物が無い状態においての対象外。
咲世子の"動き"は何かの"型"に嵌っていて、正確な訓練を積んでいるのだろうことが判る。
エヴァンはというと、半ば独学であるC.C.直々の手解き、そしてV.V.が付けた専任教師の半ば独学。
柔軟と言えば聞こえは良いが、独学は足したところで独学にしかなり得ない。
だから、足りない部分はギアスで補強。
さらに監禁状態が年単位であったことも手伝い、実戦はロロや子供たちの方が上手(うわて)だろう。
問うべきことから離れ始めた思考を、エヴァンは発声によって修正した。
「ルルーシュは、いったい何を考えてるんだ?」
すると咲世子が、どこか微笑ましいような気配を纏う。
「それはもちろん、『戦うこと無く、笑って過ごせるように』」
「誰が?」
「ロロ様を含め、嚮団の中で暮らして来た子供たちが」
また、考え込まなければならなかった。
「…どうやって?」
不可解だ。
やはりルルーシュという人間は、考え得る範囲の外の存在らしい。
彼のやっていることとやろうとしていることは、明白な矛盾の元にある。
「あいつが『ゼロ』である限り、ブリタニアとの関わりも戦いも消えない。
たとえここが、ブリタニアの侵攻地図にない国であっても」
限りなく関わりを薄めたとして、それでも対象がそう思っていなければ無意味だ。
エヴァンは身体ごと咲世子へ向き直る。
「ロロはどうだった? 暗殺者であることを辞めたか? …辞めてないだろ」
咲世子の気配から、すっと暖かみのあるものが消えた。
ほらみろ、と口元をつり上げることで、エヴァンは事実であることを突きつける。
「"守るため"だったとしても、決着がつかない限り終わらない。
動かなくていいと言われても、動かなければ不安で堪らなくなる。…あんたも、それを知ってるはずだ」
彼女は間違いなく、ルルーシュのために働いている。
それがどのような立ち位置となっているのか、それはどうでも良い。
重要なのは、ルルーシュに動くなと言われたところで、彼女が行動を起こさないわけがない、ということだ。
(ほら、初めて気配が揺れた)
再び彼女に背を向けて座り直し、エヴァンはすでに冷めた紅茶を飲み干した。
「ルルーシュに連絡、つくんだろ?」
あんたじゃ話にならない。
微動だにしないまま、咲世子はエヴァンの後ろ姿を数秒だけ見つめた。
(なんという自信。なんという傲慢さ)
だがそれらには、確固たる理由がある。
(人数と戦力数の上で、勝てるという自信。不測の事態となった場合に、周囲が起こす行動への信頼。
そして…、自身の強さへの確信)
『ギアス』は卑怯ではない。
それは強者の言い訳であり、奪われた者には奪い返す権利がある。
(エヴァン・スール…。やはりルルーシュ様の仰った通り、一筋縄ではいかないようですね)
咲世子からの着信は、予測内とも予想外とも言えた。
ルルーシュは仮面を被り奥の宮を出ようとした足を、扉の前で止める。
すでに右手は取っ手に掛かっていた。
「…何かあったのか?」
手慣れた咲世子の報告は簡潔でいて要点を突いており、ルルーシュが行動の先を決めるのに必要なのは、ほんの数秒だ。
「分かった。1分待ってくれ」
部屋で待っていると告げようとしたロロは、ルルーシュが仮面を外したことに目を丸くする。
「兄さん?」
問いかけに笑みだけを返し、ルルーシュは扉を数cmだけ開けて外へと声を掛けた。
「星刻、10分だけ良いか?」
部屋の中へと引き返した彼に、星刻は僅かに眉を寄せる。
ルルーシュは携帯電話をハンズフリーモードへ切り替え、テーブルへ置いた。
「待たせた。用件は?」
『ゼロ』の口調で簡潔に問えば、同じく簡潔な言葉が電波の向こうから返った。
【お前が飼い殺しに近いことをしようとしているから、その抗議】
「エヴァンさん?!」
声の主に驚いたロロが、思わず名を口走る。
続いて言葉を続けようとした彼を手で制し、ルルーシュは問い返す。
「…その理由は?」
笑う気配がした。
【ロロは別人みたいに雰囲気が変わった。暗殺者も辞めたと言った。
けど実際は違うだろ? 戦場で戦い続けてる。それは辞めたとは言わない】
戦う理由が変わっただけだ。
言い当てられた当人は、制され喉の奥で止まった言葉を呑み込む。
(確かに、そうかもしれない)
暗殺者は辞めた。
でも、ルルーシュを守るために同じことをしている。
「……」
沈黙するルルーシュに何を思ったか、エヴァンは微かに声を上げて笑った。
【お前、何考えてる? どう言えば俺が納得するか考えてるなら、すぐに止めろ。
どうせ時間の無駄だから】
人の話を聞かないのではない。
エヴァン・スールという人間の意思にまったく揺らぎがないから、こちらの反論が不必要なのだ。
言われた通り、ルルーシュは考えることを放棄した。
「…では、貴方の結論は?」
完全にペースを崩されている。
同じ台詞をC.C.が過去に発していたことなど、ルルーシュは知る由もない。
【せっかく応用の利く戦力が居るんだ。使えよ、俺たちを】
堪らずロロは立ち上がった。
「そんなっ…、何故ですかエヴァンさん!」
これ以上、セナのような存在を増やしたくない。
するとエヴァンの笑みが苦笑へ変わったようだった。
【ロロ、お前が言っても説得力は皆無だ】
「でも…っ」
【ルルーシュ。実際に単独で動けるのは両手の数だ。リスクが60%以上なら、その半分近くまで減る】
「エヴァンさん!」
分かってはいても、納得はできない。
自分の反論を無いもののように扱われ、ロロは唇を引き結ぶ。
「ロロ」
彼の内側で荒れている波を鎮めるように、ルルーシュはその頭を優しく撫でた。
「お前は俺を守ると言ってくれた。彼らも、きっと同じなんだろう」
こちらの予測が甘かったとは、思わない。
ただ、エヴァンの行動が速かっただけで。
(C.C.の唐突さとはまた違って、慣れるのが難しそうだ)
元は嚮団を利用しようとしていたことも、否定しない。
己が『ゼロ』である限り、彼らへ危害が及ぶ確率が50%を切ることも無いのだ。
ルルーシュは通話相手へ投げようとしていた問いを切り替える。
「エヴァン。その"動ける数"の内訳は?」
【1人はここの守りに必須だ。それを引くと、高リスク対応は俺を含めて5人。
80までなら4人。リスクが90%を超えるなら、俺が動く】
返答の向こうに、ざわめきが聞こえた。
それは抗議や異論ではなく、純粋に"エヴァンがその場を動くこと"に対する不安の声だろう。
つい先日零した台詞を、意図せず発した。
「…"Doragoon"は、貴方の方が相応しいな」
エヴァンがまた、笑った。
【ハハッ、じゃあお前が魔法使いにでもなるか?】
ルルーシュは肩を竦める。
「冗談じゃない。そっちにも本物が居るだろう」
楽しげに笑みを浮かべていたのは、エヴァンよりもV.Vだった。
未来への荷造り
青い空の下で、生きるために
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09.10.3