34.




美しさは罪だ。
それは過去から、そして未来でも変わらぬ事実だろう。
当人がそれを恨むか誇るか、それも未来まで変わらぬ普遍の選択だ。

「どうした?」

暗闇から伸びた指先が、星刻の長い髪を絡める。
星刻は振り返り、触れる指に誘われるようにそっと身を屈めた。
「…貴方は相変わらずだ」
こちらを見上げるアメジストが僅かな光源に反射し、ゆるりと細められる。
触れた唇から漏れる吐息は、甘い。
暗闇でより一層白く見える腕が、首に回される。
さらさらと流れる黒髪は、闇の中に漆黒を創りルルーシュを囲った。

ルルーシュは、星刻の髪に触れることが好きだ。
それは妹を思い出すからか、母を思い出すからか、それとも単に好きなのか。
(きっと、すべて当てはまる)
閨(ねや)物語は、いつから殺戮抜きには語れなくなったのか。
そういえば、記憶の中には常に誰かの『死』があった。
「俺も随分と遠くに来たな…」
幾度めのピロウトークか、数える気など始めから無い。
「それは物理的な?」
「ああ。ブリタニア、日本、そして中華連邦。
日本については過去だが、このご時世、これだけ動き回ることも難しいさ」
何度、日本と中華連邦を往復しているだろうか。
星刻の頭(こうべ)を引き寄せ、ルルーシュはその耳元で囁いた。
「…ときどき、不思議に思うよ」

なぜ、『ゼロ』になったのだろうかと。

「"ギアス"を受け取ったことは、起こり得る事象の1つに過ぎない。
少なくとも俺は、"ナナリーの兄"であり続ければ…それで良かったのに」
知らず、笑みが零れた。
離れた手を星刻が取り返せば、彼は満足げに笑みを深める。
「だが、『ゼロ』でなければ、C.C.以外の誰にも出会うことは無かった」
未だに解らないのは、"あの時"彼女が自分を庇った理由だ。
C.C.はまだ、何かを知りながら口を閉ざしている。
「…随分と、感傷的になっていますね」
僅かながら驚いた様子の星刻に、ルルーシュはややあってから目を閉じた。
「…C.C(セィ・ツー)に会った、あの部屋」
覚えているか? と問えば、沈黙により答えを返される。
ほんの24時間前の話だ。
あのように強烈なものを忘れることも、相当に難しい。
「エヴァンの絵画の手前で、…見たんだ」
ルルーシュは額に飾られた記憶たちに、出会った"CのCODE"に、胸の内で尋ねた。

(なぜ、母上が)

並ぶ絵画の中に、母マリアンヌの姿を見た。
絵画の『中』ということは、すでに死んだ人間であるということ。
あの日、テロリストの襲撃でナナリーを庇い亡くなった母は、何を見たのだろう。
そういえば、結局コーネリアからは詳細を聞き出せなかった。
同じくジェレミアも、コーネリアの指示で警戒範囲を変え、その理由は知らなかったという。
残る糸はシュナイゼルだが、こちらはまだチャンスに恵まれない。
「…C.C.はC.C.で、なぜか記憶喪失だ」
今の彼女は、あの記憶図書館で見た"ギアスを手に入れる前の"状態だ。
精神年齢的には、天子やセナと同程度かもしれない。
彼女が記憶喪失になった理由は、おそらく怪我の程度ではないはずだ。
現皇帝たる父と相見えたあの空間に現れた、それが関係しているような気がする。

ふと星刻の苦笑が耳を掠め、ルルーシュは目を瞬いた。
「星刻?」
星刻は彼の、短いけれども艶やかな髪をそっと梳いて、これは母親譲りなのだろうと感じる。
「すぐに深みまで考え込むのは、貴方の悪い癖だ」
マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアを、星刻は写真でしか知らない。
しかしラクシャータが見間違えるくらいだ、生き写しという言葉も使えるに違いない。
そして彼の母もまた、美しさの他に"何か"を隠し持っていたのだ。
「…仕方が無い。そういう性格なんだ」
ルルーシュは心外だと眉を寄せたが、降りてきた口付けにくすりと笑む。
離れ自分の姿を映す漆黒へ、だからこそ囁いた。
「だったら、俺に考える隙を与えるな」
今日はいろいろと有り過ぎた。
考え込む事柄には、何一つとして不自由しない。
時には、明日のことなどすべて忘れて溺れたって良いだろう?

甘美すぎて、すでに毒と化した微笑。
くすくすと零れる誘いの言葉を、誰が断ろうなどと思うだろうか。
少なくとも星刻は、そのような無粋な選択肢を最初から捨てている。





賑やかねえ、と、ラクシャータはここが朱禁城であることを忘れるところだった。
それもこれも、目の前の光景が成し得る技だ。
「リーファ、これはなぁに?」
「これは小龍包。あたたかい料理が来るようになったから、前よりもっとおいしいの!」
天子とセナという少女は、すっかり馴染んだらしい。
その横で、空になった皿を運ぼうとしたC.C.を女官たちが遮っている。
「C.C.様、そのようなことは私たちがやりますから。お座りになってくださいな」
「ご、ごめんなさい!でも、あの…えと、…落ち着かなくて」
あのC.C.がおどおどとしている様は、物凄い違和感だ。
ラクシャータは並んだ料理にフォークを突き刺して(箸は面倒だ)、ひょいと口に運ぶ。
インド料理とは違うが、中華料理の辛さもそれなりに好きだ。
彼女の脳裏には、"平和"という言葉がぼんやりと思い浮かぶ。
少なくとも、この空間は平和と言えるだろうか。

「ねえ、ルルーシュ殿下はいつになったら起きてくるの?」

誰ともなしに問いかけると、斜め右の席に座るロロが円卓を回しながら答えた。
「夕方まで無理だと思いますよ。昨日はいろいろ有り過ぎたので」
そういった部分は、星刻が上手く宥めてくれただろう。
嚮団に関することについて、ロロはルルーシュの懸念を増させることしか出来ない。
思いつつ辣油(ラーユ)と醤油で迷い、兄さんの料理の方が美味しいなあと彼は呟いた。
(なんというか、)
こうして見れば随分と、ロロも普通の子供ではないか。
ふっと息をついたラクシャータは、星刻を捜しに行こうかと席を立った。



道すがら擦れ違う者たちへ尋ね歩いて、辿り着いたのは武官たちの詰め所。
気づいた武官の1人が、作戦会議室として使われている部屋へ案内してくれた。
「邪魔するわよ〜」
部屋へ足を踏み入れれば、3人分の視線がラクシャータへ注がれる。
「チャウラー殿?」
彼らの輪の中に割り込んで、広い机に広げられた地図におや?と片眉を上げた。
勝手に世界地図かと思っていたが、中華連邦の地図のようだ。
「…アタシも随分と、『ゼロ』に毒されてるわ」
彼が広げる地図は、いつだって世界地図だった。
「中華内部の問題の方が、我々としては急務ですからな」
確かにそれは、洪の言う通りだろう。
「でも、『ゼロ』はそうは思ってないんじゃなーい?」
ラクシャータが返した言葉に、洪と香凛が押し黙る。
またいつものように『ゼロ』と呼んでいる自分に気づき、ラクシャータは大きく息を吐き出した。

「てゆーか、アンタはいつから『ゼロ』を知っていたの?」

1人表情の変わらない星刻へ問う。
本当は、昨日のうちに聞いておくべきだった。
敢えて『ゼロ』と言ったのは、誰が居るか知れない場所で出すには危険すぎる名前だからだ。
星刻は、ルルーシュに出会った当初を思い返す。
「ブラックリベリオンの2ヶ月後だ。彼が魔女…C.C.と共に朱禁城へ来たのは」
ラクシャータの目が大きく見開かれる。
「なっ、ちょっと待ってよ!それってつまり、神楽耶様辺りはニアミスしてたってことじゃない」
「そうなるな」
「そうなるなって、アンタねえ…」
もやもやとした感情が綯い交ぜになり、ラクシャータは煙管を取り出すと早々に火をつけた。

ラクシャータらが中華連邦へ逃亡したのは、ブラックリベリオンより約10日後。
手回しの早かったディートハルトとその部下は、皇神楽耶の身の安全を最優先にすべてを計画した。
状況にも助けられたが、迅速な対応だったと言えるだろう。
『ゼロ』が陥落させたエリア11総督府の被害は甚大で、ブリタニア軍の残党狩りが圧倒的後手に回ったのだ。

ふうっと煙を吐き出して、ラクシャータは呼吸を落ち着かせる。
煙管を持っていない手で頬杖をつき、再び星刻を見上げた。
「…じゃあ、『ゼロ』の素性を知ったのはいつ?」
問われ、星刻は考える。
それを明かされたのは、いつだったか。





湯の中から手を上げれば、ぱしゃんと水が跳ねる。
ルルーシュは室内の灯りを暈(ぼか)す多量の湯気の中に、右の掌を掲げた。
向こう側が白く、明るく霞む視界。
それはエヴァンと共に異空間へ引き摺り込まれた、あの瞬間に似ていた。

湯に浸かる、という習慣は、ブリタニアの生活には無い。
だがルルーシュは幼少時の経験もあり、湯浴みを好む。
何よりも落ち着くので、1人静かに考えるにはもってこいだ。
今日(言った段階では明日か)は『ゼロ』として何もしない、とロロと星刻へ前もって宣言していたことが随分と効いたらしい。
求められるだけの快感をひたすらに追い、泥のように…ともすれば死んだように眠った。
今更だが、『ゼロ』であることは激務であり、自分自身パンクし掛けていたのかもしれない。

余計なものを快楽で捨て去りクリアになった思考で、ルルーシュは本来の"自分"を表に残し消えた共犯者を思う。
(なぜ、C.C.は戻って来ない?)
どこかへ行ったのではなく、閉じ篭っているのか。
それとも、本当に"消えた"のか。
これはとりあえず、考えることを後回しにした方が賢明かもしれない。
では、こちらは。
(皇帝はC.C.を知っていた。なら、C.C.が母上を知っていてもおかしくはない)
母マリアンヌは自分と同じように、魔女の契約者であった。
それが、あの『記憶図書館』で見た事実。

けれど何かが、腑に落ちない。

(V.V.が皇帝の実の兄であることが真実なら、有り得なくもないが…)
嚮団の前嚮主がC.C.であったことは、すでに幾人もの証言者が在る。
身内の繋がりで母がC.C.と知り合い契約者となっても、何ら不可解な点は無い。
不可解なのは、ルルーシュがここに居る原点たる謎。
母の、死の真相の方だ。
上げた右手をまた湯の中へ下ろして、ルルーシュは両の掌をじっと見つめた。
(あのとき、母上はなんと言ったのだろう?)
思えば、あれが最後の会話だったのだ。





『私の可愛いルルーシュ。貴方がただ1人を愛する日が、来るのかしら?
それとも貴方は、すべてを愛するままかしら?』
『…仰っていることが、よく分かりません』
『良いのよ。今はまだ。けれど、もし貴方がすべてを愛したままであったら』
『母上…?』
『そのとき貴方は、きっと―――――――――――』
亡き者の前曲(プレリュード)

Prelude:組曲の最初に演奏される曲

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09.8.8