36.
RRRRR...RRRRR...
「ロイドさーん、鳴ってますよ?」
「え? あれ、僕の?」
めっずらしいなあ、なんて呟きながら、登録されていない番号の呼び出しに応じた。
「どちらさま〜?」
『お久しぶりです、アスプルンド伯爵』
少しだけ、お時間頂いて良いですか?
その日キャメロットを訪れた客人に、セシルは思わず笑顔を浮かべたのだ。
「まあ、ニーナさん!」
ひと月…いや、ふた月前になるだろうか?
この『キャメロット』から『インヴォーグ』へと所属を変えた、ニーナ・アインシュタインだった。
「お久しぶりです」
相変わらず明るいとは言い難い表情ではあるが、彼女は静かに会釈した。
次に顔を上げたニーナは周囲を見回し、誰かの姿を捜す素振りを見せる。
彼女の傍へやってきたセシルは、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「マリーさんね、今休職中なのよ」
「えっ?」
予想にない答えを得たニーナがセシルを見上げれば、彼女もまた、きょろきょろと誰かを捜していた。
「ああ、居たわ。ロイドさん!」
ランスロットの傍で何やら打ち合わせていた上司を見つけ、声を投げる。
セシルの声にこちらを振り向いたロイドが、ニーナの姿にいつもの笑みを向けた。
「あっれ〜? ニーナ君じゃない。元気だった?」
けれど、ニーナは知っている。
彼の浮かべる笑みが、ただの形であることを。
「お久しぶりです。ロイドさん」
「どーお? 向こうでの研究は上手く行ってる?」
初めて、ニーナが笑った。
「はい」
間髪入れず、肯定のみを返して。
(それって…)
彼女の"研究"について尋ねようとしたセシルを、ロイドは視線で黙らせた。
何を言ったって無駄なことは、彼女だって解っているはずだ。
微妙な雰囲気を纏うかつての上司2人に構わず、ニーナは表情を輝かせ、話す。
「成功したんです、やっと! これで…これで、戦争が変わります」
ロイドは、その意味を正確に知っている。
だからこそ、浮かべた苦笑は演技ではなかった。
「困るな〜僕らが失職しちゃうじゃない」
ニーナは笑う。
邪気も無く、ただ純粋に。
「大丈夫です。ロイドさんなら、うちのチームも大歓迎ですから」
もちろんセシルさんも、と告げられ、セシルは無難に返す。
「ありがとう。そのときにまた、考えるわ」
チームミーティングがあると言って、ニーナは長居すること無くキャメロットを出て行った。
彼女を見送って、セシルは複雑な表情を隠せない。
「…ロイドさん。彼女の研究していたの、なんて言うんでしたっけ?」
問われたロイドは、素直に返した。
「"Field Limitary Effective Implosion Armament"。通称"FLEIA(フレイヤ)"って言ってたかな。
僕も彼女の研究結果を読んだの、つい昨日だったけど」
そこであ、と声を発したロイドに、セシルが首を傾げる。
「どうかしました?」
ロイドは時計を確認して、考えた。
「ニーナ君の上司は、うちと同じシュナイゼル殿下だねえ。じゃあ、ちょっと僕出て来るよ」
「は? 出るってどこへ?」
何がどう"じゃあ"なのか、さっぱり分からない。
「さっき、ちょっと会えないかって電話が来たからサ」
セシルがその電話相手に疑問を覚えるのも、当然だろう。
何しろ、三度の飯より研究(ランスロット)を選ぶこの上司だ。
「どなたと会われるんですか?」
君も知ってる人だよ、と前置いて、ロイドは相手の名を告げた。
「やあ。ちょっと待たせちゃったねえ」
トウキョウ租界、軍基地のすぐ傍にあるカフェテリア。
すでにティータイムを楽しんでいた待ち人に、ロイドは中身が伴うかは微妙な詫びを入れた。
"彼女"は僅かに肩を竦めて、明朗な笑みで答える。
「いいえ。突然のお誘いに応えてくださり、ありがとうございます」
鮮やかなアプリコット色のスーツ姿、そしてテーブルに広げられているノートパソコン。
彼女もまた仕事中であると、その姿が物語っている。
「もうしっかり、キャリアウーマンって感じだねえ。ミレイ君」
「いいえ。私はまだ駆け出しですから」
まだまだひよっこです、とミレイ・アッシュフォードは謙遜した。
彼女はアッシュフォードという家から独立し、天気予報士兼キャスターとして働いていた。
滑り出しはなかなかに順調だと聞いている。
「で、電話の件だけど」
向かいに腰を下ろしコーヒーを頼んで、ロイドは早々に本題へ入る。
ミレイもパソコンを閉じ、頷いた。
「はい。あの…どうでしたか?」
残念ながら、とロイドは少しの溜め息を乗せて言った。
「無理だねえ、あの様子だと。すぐに"会議だ"って出て行ったし」
「…そうですか」
突然の、ミレイ・アッシュフォードからの電話。
それはニーナ・アインシュタインに会うことが出来ないか、という内容であった。
ニーナが特派へ入ったことは、彼女も知っていた。
(ま、シュナイゼルの使いが学園まで行ったからねえ)
彼女が『キャメロット』から所属を変えたことは、部外者であるミレイは知らない。
どちらにせよ、ロイドが出せる回答は『NO』に変わりはなかったが。
中華連邦での一件以来、彼女らが袂を分った(表現は妥当なのだろうか?)ことを、ロイドは知っている。
…劣等感というものは、深く深く根付くものだ。
本人が気づかぬほどに深くまで根を張り、あるところでそれは暴れだす。
「もう少し、時間が必要なんじゃないかなあ」
とは言ったものの、時間云々の問題では無いだろう。
ミレイはともかく、ニーナは。
「やっぱり、伯爵もそう思われます?」
逆に問われて、曖昧な笑みを返した。
「なんというかねえ…。うーん、今のニーナ君に会うのはお勧めしないよ」
その意味を掴めずミレイは不可解な顔をしたが、さらに問いを重ねることはせず。
冷めかけた紅茶を口にして、彼女はほっと息を吐く。
ロイドも注文したコーヒーを手にし、空が青いなあなどと長閑(のどか)なことを考えた。
扉の開く音と共に、部屋の空気が緊張する。
ナナリーは顔を上げ、目には映らぬ扉の方向を見つめた。
「元気そうだね、ナナリー」
声はよく知っているものだ。
「シュナイゼルお兄様…?」
呼びかけた気配の後ろには、ジノの気配もある。
ナナリーの隣でローマイヤが、さらに少し離れた位置でスザクが敬礼する気配がした。
シュナイゼルは執務机の様子を見て、柔らかな笑みを机の主へ向ける。
「頑張っているね。このエリア11を"衛生エリア"にまで昇格させたのは、やはり君の力だよ」
久々に貰えた、誰かからの評価。
ナナリーは素直に礼を述べた。
「ありがとうございます。シュナイゼルお兄様」
本当に褒めて欲しい人は、ここに居ない。
「しばらく休んでいないのだろう? どうだい、お茶でも」
ローマイヤとスザクへ視線を向け、シュナイゼルはそれが"命令"であることを伝える。
「ではナナリー様。私はこちらの書類を回してきますので」
「はい。お願いします」
シュナイゼルは、自分の後ろに控えていたジノを振り返った。
「ヴァインベルグ卿、ナナリーの補佐を頼めるかな?」
「は?」
目を丸くしたのは、ジノとスザクだった。
「スザクじゃなくて良いんですか?」
つい、口調が平素のものに戻りかけた。
シュナイゼルはただの思いつきだとばかりに笑う。
「構わないだろう? ナナリー」
確認を取られた本人は、スザクとジノの気配を確認するようにそちらを見、頷いた。
「はい。私は構いません」
決まりだ、とシュナイゼルはスザクを見る。
「枢木卿。しばらくの間、ヴァインベルグ卿と持ち場を代わってくれ」
「Yes, Your Highness.」
スザクにも、断る理由は無かった。
ナナリーとシュナイゼルの後に付いてやって来た場所は、小さな庭園。
総督府の中階に設けられた、高層ビル仕様のテラスだった。
防弾ガラスで覆われているため、抜けるような青空とは隔絶されている。
「ジノさんも、どうぞ」
ナナリーへ勧められ(なぜかティーセットが3人分だった)、ジノは内心でどうしたものかと困惑した。
さすがに、騎士の立場の者が同じテーブルへ着くことは憚られる。
だがシュナイゼルもナナリーと同じことを言い出した。
「構わないだろう、ヴァインベルグ卿。君は父上…ブリタニア皇帝の騎士であり、我々の騎士ではないのだから」
確かに、その通りではある。
まあいいか、とジノは2人の皇族の言葉に甘えて、もう1つの椅子に腰掛けた。
紅茶の銘柄はオレンジペコー、お茶請けはココアのシフォンケーキ。
それぞれが味を楽しんだところで、シュナイゼルが徐にナナリーへ尋ねた。
「ナナリー、訊いて良いかい?」
「はい…?」
「今ここに収監されている、『黒の騎士団』のパイロット。あの少女と既知であるというのは本当かい?」
「!」
置かれようとしたティーカップが、カチンとソーサーと音を立てた。
幾度か口籠ったナナリーは、ようやっと口を開く。
「…はい」
「理由を聞いても?」
再度、間が開いた。
「…アッシュフォード学園で、同じ生徒会だったんです。
あまり生徒会に顔を出されてはいませんでしたが、優しくて、明るい人で」
ナナリーが彼女と話す為に使う、囚人用の強化硝子張りエレベーター。
ジノもそこでしか、カレン・シュタットフェルトに会ったことは無い。
(ああ、違うか。紅蓮弐式を落としたときに会ったな)
あのときの眼光や、以前に聞いたスザクへの歯に衣着せぬ物言い。
察するに、彼女は明るく活発なタイプであり、白黒はっきりしたものを好む性格であろう。
ナナリーがジノを見る。
「ジノさん。この間、アーニャさんと学園へ行かれましたよね。どんな様子でした?」
報告義務はなかったので、言っていなかったか。
ほんの1週間ほどではあったが、あの学園は良い空間だった。
「楽しかったですよ。ミレイ会長が、"キューピッドの日"とかってお祭りやりだしたり」
「あっ! もしかして、アーニャさんがKMFを出した…」
「そうそう、それです。人のことは言えないかもしれませんが、アーニャの非常識は凄いですよ」
「ふふっ、やっぱりお祭り好きのままなんですね。ミレイさん」
私もまた行きたいな、と寂しげな笑みのナナリーに、ジノは迷う。
(探るべきか、否か)
その迷いはほんの刹那のものであり、大した意味も無い。
なぜならジノは、ナナリーが生徒会所属であったことを知らなかったのだ。
「ナナリー総督も、生徒会だったんですか…?」
「え?」
ナナリーの戸惑いの声は、何を今更言っているのかという色を纏う。
その様子におや? と、シュナイゼルも首を捻った。
ジノはそのまま疑問を口にする。
「ミレイ会長とかリヴァル先輩、何にも言ってませんでしたし」
普通は、何かしら言って来るだろう。
ジノもアーニャもナイトオブラウンズであり、総督とそれなりに近しい人間だと推測出来るのだから。
「いや…あれは、言わなかったんじゃなくて、知らない…?」
「どういう、ことですか?」
告げられていることが理解出来ず、ナナリーの言葉が途切れる。
代わってシュナイゼルがジノへ問うた。
「ナナリーがあの学園へ通っていたことは、書類上でも明らかだよ。
しかしヴァインベルグ卿は、彼らがナナリーのことを知らないように思えた、と?」
ジノは頷き、そういえばと思い出す。
「カレン・シュタットフェルトが生徒会だったって枢木卿に聞いたので、あのときにアルバムを借りたんです。生徒会の」
「…ふむ。それで?」
「ところどころ写真が抜けていて、おそらく彼女の部分を抜いたのだと思われますが…」
「なにか、不審な点が?」
それが当たり前だったので、ジノも今ようやく気づいたのだ。
「ナナリー総督の写真、1枚もありませんでしたね」
何が当たり前だったのか。
ルルーシュの隣にロロの姿があることが、ジノにとっては当たり前だったのだ。
(何が起きるか、試しても良いですか? ルルーシュ様)
目の前の少女に非情なまでに残酷なことを、試す。
それを心の内だけで、ジノは主へと許しを請うたのだ。
混乱しているナナリーに発してみたい言葉は、とても…それはとても、重い。
(私も、ロロに人のことは言えないな)
彼ほど非情ではないと、いちおうは自負していたのだが。
(でもそれは、少なくともシュナイゼルの居ない場所で)
下手なことを言えば、租界すべてを徹底的に調べるに違いない。
シュナイゼルとは、そういう人間だ。
何事もそつなく万事こなし、また結果への過程は時に『ゼロ』よりも非情。
次期皇帝との声も多いが…。
(さて、実際はどうなのか)
この茶会の後、シュナイゼルに何を問われるのか。
ジノは少しだけ楽しみだった。
もっともそれは、シュナイゼルの部下が慌てたように寄越した通信で、遠い明後日へと追いやられてしまった。
「どうしたんだい? カノン。君らしくもない」
通信に出たシュナイゼルの顔色が、僅かだが判別出来る程度まで変化した。
「ヴァインベルグ卿、テレビは見れるかい?」
「ええ、携帯電話のテレビでよければ」
テレビ画像を映した瞬間、驚いた。
己の主は、なんと凄い発想をするのだろうかと。
青空暗転ティータイム
時間は待たずとも進むのだ
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10.2.14