37.
最大の宣戦布告を、故国へ最大の敬意と愛情を以て。
超合衆国決議・第壱號―――『日本』の奪還。
決議発令、4時間前。
最後の原稿が纏まり、騎士団および各国代表は最終調整へ入った。
24時間ぶりに自室へ戻ったルルーシュは、仮面の奥で溜め息を吐く。
「ご主人様!お帰りなさい!」
部屋のソファからぴょんと子犬のように飛び上がったC.C.が、ぱっと駆け寄って来た。
彼女はルルーシュの後ろの人物に気づき、あ、と目を瞬かせる。
「シンクーさん?」
やはり、C.C.にこれは違和感が酷すぎる。
後ろで複雑な表情をしているであろう星刻に軽く笑い、ルルーシュは仮面を外した。
「さすがに、疲れたな」
扉の鍵を閉め、星刻はルルーシュの向かいのソファへ腰掛ける。
「あれだけ会議詰めでは、当然でしょう。それに…」
言いかけて止まった言葉の先は、分かっていた。
「騎士団のことだろう?…あれは良いんだ。今までの俺のやり方にも、非はある」
それは事実だと、ルルーシュは『ゼロ』の道を振り返る。
洪(ホン)がラクシャータに漏らした言葉を、神虎の調整時に彼女が星刻に呟いた。
『黒の騎士団』って、『ゼロ』が居なくなったら終わりよねえ。
あら大変、と他人事のように。
それはつまり、騎士団が『ゼロ』を記号ではなく『個人』と認識しているということだ。
「C.C.、セナは?」
ルルーシュは外した『ゼロ』の仮面を大事に抱き締めているC.C.へ問う。
彼女はそっと奥の寝室を指差した。
先は聞かずとも分かる。
「…C.C.も寝たらどうだ?静かなのは今だけだ」
超合衆国決議の採択を行えば、そう間を置くことなく戦闘が始まるだろう。
しかしC.C.は考える素振りを見せた後、ふるふると首を横に振った。
本当に、子犬のようだ。
ふっと笑みを零して、ルルーシュは彼女の頭を撫でる。
「なら、寝なくても良いからセナの傍に居てやってくれるか?きっと独りでは怖がる」
中華連邦に滞在していた時も、セナは独りを怖がった。
常に誰かの傍を、誰かに触れていないと落ち着かず、怯えていた。
ロロが次の作戦の為に不在の今、C.C.だけが彼女の傍に居ることが出来る。
C.C.はルルーシュの言葉に素直に頷き、仮面をローテーブルへ置くと寝室へ向かった。
その姿が扉の閉まる音と共に消えてから、ルルーシュは知らず溜め息を吐く。
…本来のC.C.は、いったい何をやっているのか。
せめて、存在が消えたのかどうかが分かれば良いのに。
彼が思考のループに陥りかけていることを悟った星刻は、わざと話題を転換させる。
「…ロロはすでに作戦に?」
星刻の意図に気づいたルルーシュは、僅かに自嘲めいた笑みを浮かべた。
「ああ。咲世子を"あちら"から呼ぶわけにはいかないから、カレンについては錬金術師に任せた」
「なるほど。しかし…1人では、」
ナナリー・ヴィ・ブリタニアの身柄の確保。
彼の意識がロロへ強く向いているとはいえ、ナナリーは実妹だ。
ルルーシュの中に、彼女を見捨てるという選択肢は存在し得ない。
「1人では難しい。それは確かにそうだろう。だが、出来る限りの布石は敷いた」
言いながらも、当人の表情はあまり芳しいものではない。
「…星刻」
「はい」
「シュナイゼル・エル・ブリタニアが、エリア11に来ている」
懸念の大元は、そこか。
ルルーシュは言葉を切り、軽く頭(かぶり)を振った。
「まあ、今から心配しても何も変わらないんだが…」
「何か気になることが?」
「…ああ。錬金術師の言い方が、妙だったからな」
いつ、どこで、誰が盗聴しているか分からない。
だからこそ自分たちは、それぞれの通信で固有名詞を口にしない。
『次、もしかしたら"とんでもないモノ"が使われるかもしれませんねぇ』
前に爆発しかけたやつです、と続けられたもの。
(前というのは、おそらくブラックリベリオンの頃のことだろう。
俺は実際に見ていないし、話も詳しくは聞いていないが…)
考えようとして、止めた。
「…いい加減、仮眠を取った方が良さそうだ」
どうも、考えることに疲れる。
「当然でしょう」
立ち上がった星刻が苦笑する。
ルルーシュはソファへごろりと寝転がると、部屋から出ようとした星刻へ手を伸ばした。
「星刻」
足を止め伸ばされた手を取り、彼はルルーシュを見下ろした。
見合ったアメジストがゆるりと細められる。
「この先告げる暇はなさそうだから、今言っておく」
すでにルルーシュの頭の中には、ブリタニア軍との全面衝突時における布陣が組み上がっている。
それは4時間後の決議発表後、星刻も含めた超合衆国主要人物たちに必ず伝わるものだ。
だからこれから告げることは、作戦についてではない。
ルルーシュは笑みと共に、そっと囁いた。
「象徴であり砦である天子と神楽耶は、絶対に守れ。だが、」
お前が死ぬことは、許さない。
ぞくり、と悪寒にも似た感覚が星刻の背に走る。
(そうだ。これが…魔女を以てして"恐ろしい"と云わせた、『ルルーシュ』という人間の本質)
真実『愛している』にも関わらず、相手を殺すことが出来る。
それが、ルルーシュという人間が心に内包する矛盾の深奥だ。
多勢と無勢、個人とその他、国と国民。
完全には相容れることの出来ない、人間の性(さが)。
愛も憎しみも怒りも悲しみも、慈しみと嫌悪さえ、彼は己の中でたった"ひとつ"に昇華してしまった。
優先順位が違うなどという、単純な言葉では計れない。
…真実としての『理解』など有り得ないと、彼は知っている。
それでも『愛する』ことはすべてに平等であると、彼は識っていた。
手にした彼の指先に、星刻は誓うように口付ける。
「もちろん。貴方を守らず死ぬなど、有り得ない」
回答にルルーシュが浮かべた笑みは、酷く美しかった。
階下へ降りて出会った人物に、星刻は内心で驚いた。
待ち構えるようにしていたのは、四聖剣の朝比奈。
彼は星刻の姿を認めるなり、問う。
「『ゼロ』は?」
「…仮眠を取るそうだが」
事実を答えれば、彼は何事か迷う素振りを見せた。
(そういえば…)
四聖剣と呼ばれる人物とまともに言葉を交わしたのは、これが初めてだ。
逡巡していたらしい朝比奈が、やや置いて顔を上げた。
「…この間の、」
唐突に投げられた言葉は、過去を示す。
「『ゼロ』と零番隊がブリタニアの研究施設を潰した話について、聞きたいんだけど」
僅かな警戒を込め、星刻は朝比奈を見返した。
「…それは、騎士団内部でも極秘であったのでは?」
朝比奈は是と頷いた。
「気になることがあって、木下の…零番隊の副隊長のレコーダーを見たんだよ」
レコーダーとは、KMFに必ず備え付けられている記録用ブラックボックスのことだろう。
星刻は相槌を打たず、沈黙で先を即した。
…この場所は『ゼロ』の私室へ繋がる階段の前であり、人が寄り付かない。
朝比奈は苦虫を噛み潰したような、言葉にすることも嫌だと表情で語った。
先をなんと説明すべきか。
「…零番隊の隊員がその研究所らしいところで、何人もの子供と、彼らを庇ったC.C.を撃ち殺した」
それは初耳だった。
星刻が見たのはすでに息も絶え絶えのC.C.であったし、その後はあの通りの記憶喪失だ。
ブラックボックスに残っていた記録であるなら、事実なのだろう。
「…それで?」
彼は何を問いたいのか。
横手の階段を見上げて、朝比奈は回り道をするでもなく真っ直ぐに尋ねた。
「C.C.は死んだのか?」
彼女に思うところは何も無いのだが、考えてみれば零番隊の極秘任務以降、C.C.の姿を一度も見ていない。
星刻はどう答えるべきか、考え倦(あぐ)ねた。
「…死んではいない」
おそらくは、今の彼女を説明するにもっとも相応しい言葉だった。
注釈が必要だが。
「死んではいないけど、重傷で動けないとかそういうことか?」
「…いや。記憶喪失だ」
「は?」
あのC.C.が?と、朝比奈は素で問うて来た。
星刻とて、子供に戻ってしまったC.C.に未だに慣れず、そして慣れることもご免だ。
「ゼロがここへ戻って来たとき、ラクシャータが子供を連れていただろう?」
「ああ…」
「彼女はおそらく、C.C.が庇って生き残った。現場の様子は知らないが、今の話で繋がる」
そして現場から彼女を助けたのがロロであったからこそ、セナは彼から離れることを嫌がるのだろう。
朝比奈は顎に指を添え、考える。
(ブリタニアの研究所。『ゼロ』の指令。木下のあの様子と、ロロの言葉…)
『言ったら極秘任務の意味がない。それでも聞きたいなら、木下に聞けば良い。
ゼロの指示に背いてたくさんの子供を虐殺したって、そういう話が聞けるから』
ロロの辛辣な言葉に対し、木下は土気色とも言える程に青ざめていた。
事実でないなら、反論したはずだ。
(事実、なんだろう。星刻も当事者だ)
しかしそうなると、大きな疑問が残る。
「…だとしたら、なぜあの隊員は子供を撃ち殺した?」
C.C.は常に『ゼロ』と共に居たから、彼女の姿を見れば攻撃などしないだろう。
(…どう答えるべきか)
星刻は即答を避けた。
不信とまでは行かないが、星刻もロロと同じく騎士団を信用してはいない。
信用出来るのはルルーシュであり、共に在るC.C.やロロであり、事実を知ったラクシャータである。
(だがこの男は、嚮団襲撃のことを他に話してはいないようだな…)
単に確かめたいだけなのか。
それとも、このような時に『ゼロ』への不信を煽って、足取りを乱したいのか。
…どんな答えを返すにしろ、博打打ちには変わりない。
ならばと、星刻は己の騎士団への不信感を隠さない方法を取った。
「それを知って、どうする?」
切り返された朝比奈は、再度眉を寄せた。
「どうって…」
皆まで言わせず、星刻は続ける。
「常々思っていたが、お前たち幹部は『ゼロ』を信用していないようだな」
反論は無い。
言われて言葉に詰まるのは、そうである証拠。
星刻は嘲りたくなる衝動を堪え、代わりにそれに等しい言葉を吐く。
「はっきりと言っておこう。我が中華連邦は、『黒の騎士団』に希望を持っているのではない」
天子様を筆頭とした中華の民は、『ゼロ』に希望を持っている。
決議発令、2時間前。
「どうした?朝比奈。ぼんやりとしている暇はないぞ」
自機に寄り掛かり意味も無く天井を見上げていた朝比奈を、千葉が咎めた。
「あー、千葉さん…。そっか、もうこっちもスタンバイか…」
さっさと準備をしろ、という声に返答を返して、小さな溜め息をつく。
近づいてくるヒールの靴音に顔を上げれば、KMFの最終チェックに入ったラクシャータの姿があった。
彼女は朝比奈の姿を認め、足を止める。
「あら、アンタはこんなとこで油売ってる場合じゃないでしょ」
「知ってるよ」
「ふぅん、なら良いけど。珍しくホントに浮かない顔ねえ?」
どういう意味だと視線で問えば、軽く笑われた。
「だって、アンタの浮かない顔って基本的に、相手にされなくて拗ねる子供と一緒だもの」
「はあ?」
失礼なことを言ってくれる。
ラクシャータは手にした詳細データを見ながら、愉しげな笑みを絶やさない。
「間違ってないでしょ〜?アンタに限らず四聖剣とか他の幹部連中って、『ゼロ』に対してそんな感じじゃなーい」
そう続けた彼女に、朝比奈はふと思いついたのだ。
「…ラクシャータ。あんたはどう思う?」
「何が?」
「星刻が言ったんだよ」
つい1時間ほど前に告げられた言葉をそのまま伝えれば、彼女は堪えきれずに吹き出した。
「あらまぁ、我慢の限界っぽいわね〜」
「…何が?」
怪訝さを隠さず問い返せば、ラクシャータは何か含むところのある笑みに変わった。
「だって、事実でしょ?」
海上戦艦にて、神楽耶の声が高らかに響く。
「わたくしは日本国天皇、皇神楽耶。わたくしは日本国代表として、『ゼロ』と『黒の騎士団』へ求めます。
…ブリタニアに占領されている、日本国領土の奪還を!」
超合衆国決議・第壱號、発令。
曇りのち思考迷路
さて、出口があるかどうか
前の話へ戻る/閉じる
10.3.28