39.




そのとき確かに、彼女の周りだけ時が止まっていた。

かんっ! と床にぶつかる音の元は、思った通り重みのあるプラスチックであった。
常には有り得ないことに、エヴァンは音の主の名を呟く。
「…シノザキ?」
目を見開き呆然とした咲世子は、自身の携帯電話を落としたことにも気づいていない。
エヴァンの他にも、リビングにはいつものように誰かが居る。
その誰もが彼と同じく、咲世子の様子を訝しげに見つめていた。
1秒、2秒、3秒と経ち、不意に言葉が発せられる。
「…を、」
「え?」
「テレビを、付けて頂けませんか」
彼女は一点を見つめたまま、微動だにしない。
(いや、出来ないのか?)
咲世子の要望を聞いたエヴァンの視線に応え、別の少年がテレビのスイッチを入れた。
現れた画面に、なんだこれはという言葉が脳裏に閃く。

画面に映る、巨大なクレーター。
(半径何キロだろうか、10km?)
(あの場所には、何が在ったのだろう?)
黒土だけが見える巨大な穴、画面の右上には"LIVE"の文字。
けたたましいと言っても過言無いような、レポーターの震える声が流れてくる。

『黒の騎士団とブリタニア軍の戦闘において、何らかの爆弾が使用された模様です。
現在、両軍ともが現状確認に奔走しているようで、公式発表は未だありません』
『被害状況の確認すら侭ならず、爆発後の衝撃波による二次被害も甚大である模様です』
『それにしても…なんという悲惨な状況でしょう。皆さん、これは作り物の映像等ではありません。
これは、ここは、トウキョウ租界です』
『…いえ、トウキョウ租界であった、と言うべきでしょうか』

そんな馬鹿な。

「トウキョウ租界? トウキョウ租界"だった"…?」
音にする気もなかった言葉の羅列が、押さえ切れずに唇から零れ出る。
確か今日は、いや昨日は、『黒の騎士団』がエリア11駐留ブリタニア軍へ宣戦布告したその日で。
ルルーシュはもちろん最前線だろうし、ロロやジェレミアもそれに似た状況であったはずで。
今、電波に乗って目の前に映っている場所は、彼らが戦っていた場所であったはずで。
「…シノザキ、」
画面から目を離せぬまま呼びかければ、我に返っていたのかはい、と声が返った。
軽く頭(かぶり)を振り、エヴァンは無理矢理に目を閉じる。
言葉が形になるには、幾秒かを要した。
「電話、何の報告だった?」
誰もが覚悟していることを、敢えて口に出す勇気はあまり持ちたくないものだ。

次いで開かれ真っ直ぐにこちらを射抜いたラピスブルーに、咲世子は知らず息を詰めた。
ルルーシュの眼差しを敢えて『愛』と括るならば、エヴァンの眼差しに在るのは『0』か『1』だ。
彼は、客観的な事実以外を一切許さない。
語られる事実に1%でも可能性があれば『1』、そうでないものはすべて彼にとっての『0』に分類される。
エヴァン・スールという人間は、そうして生き抜いて来たのだろう。
問われ答えようとした咲世子の口は、まるで鉛のように重い。
言葉にも重さが在るということを、今更に彼女が実感したほどに。
「…ロロ様が、行方不明。ルルーシュ様は、意識不明だと」
告げて来たのはジェレミアであった。
その中にはもう1つ、ルルーシュの実妹ナナリーが行方不明であることも含まれている。
しかしエヴァンや彼の関係者に、その事実は不要である。
何せ彼らは、ナナリーという名の彼女を知らない。

ルルーシュとロロ。
2人の現状を告げた瞬間、リビングの空気がパキンとひび割れの悲鳴を上げた。
だが、誰の口からも言葉は無い。
否定も肯定も、疑問の言葉さえ。
エヴァンの中で彼らの現状は『1』と分類されたのだと、咲世子は確信を持った。
「…分かった。俺たちがやるべきことは、何も変わらないな」
確信の通り彼は確認の言葉…それはきっと自分の為の…を寄越し、再びテレビへと意識を戻した。

画面の向こうの状況は、いつ動くとも知れない。

己の成すべきことを考えようとリビングを出た咲世子は、そこでユーフェミアと鉢合わせる。
珍しくも驚いた咲世子は、彼女の目に映る感情に2度驚いた。
「咲世子さん、エリア11へ行く手配をお願いして良いですか?」
いつも浮かべられているマーガレットのような笑みが、凍っている。
柔和なブルーバイオレットの目は、純粋な怒りのみで輝いていた。
…その鋭利な色は、ロロのものとよく似ている。
咲世子はやや間を置き、口を開いた。
「…残念ながら、今すぐにというわけには参りません」
行き先が、あの現状を体現しているエリア11であるというだけで、難しい。
だがユーフェミアは、分かっているとばかりににこりと笑んだ。
「いいえ。『コーネリア・リ・ブリタニア』が一緒であれば、可能です」
ジェレミアからの報告に軋み止まっていた咲世子の思考が、ようやく動き出した。
彼女はユーフェミアを正面から見つめ、可能な限りの最短ルートを導き出す。
「畏まりました。マリーさんの宛先は"錬金術師"に致しましょうか。皇女殿下の宛先は…」
はて、と軽く首を傾げた咲世子に、ユーフェミアは凍った笑みのまま既知の名を落とす。

「お姉様の宛先は、『シュナイゼル・エル・ブリタニア』でお願いしますわ」

咲世子が手配に掛かるために必要な情報をすべて差し出したユーフェミアは、コーネリアが未だ滞在する客室へと足を向ける。
(ニーナを引き抜いたシュナイゼルお兄様。ふふっ、今頃ニーナは後悔の海の底)
トウキョウ租界のあの状況。
ユーフェミアに仕組みは理解出来ないが、制作者については分かることがある。
(可哀想なニーナ。自分では背負えないほどの命が、頭上から降り注いで)
撃って良いのは、撃たれる覚悟のある者だけ。
たとえ撃った者が違っていても、撃たれたモノの親であるなら変わりはしない。
軽いノックで扉を開ければ、リビングから聞こえたものと同じ音声が聞こえる。
「お姉様」
画面を食い入るように見つめていたコーネリアが、ハッと振り返った。
同じくこちらへ軽い会釈を寄越したギルフォードに、ユーフェミアは目礼で応じる。
「お姉様、エリア11へ参りましょう」
「な…」
告げられた目的地に主従の言葉が不自然に散るが、頓着せずユーフェミアは続けた。
「すでに決まったことですわ。早ければ、今日の夕刻に出ることになります」
何事か反論しようとしたコーメリアは、すぐに口を閉ざす。
…この屋敷で、コーネリアとギルフォードの声が聞き入れられることは無い。
元々行く宛に迷いを持っていたコーネリアは、この瞬間に覚悟を決めていた。
「…分かった。私の同伴者として行くのだろう?」
確認であった問いかけには、ふわり、と花のような笑顔が肯定を示す。
コーネリアが恐れているのは、この笑顔を再び失うこと、それだけである。
それは彼女の持つ『甘さ』などではなく、ただ単純に、妹への愛でしかない。

ーーートウキョウ租界一部蒸発より、42分が経過していた。





「会長っ!!」
ミレイは半年ぶりのアッシュフォード学園で、慣れ親しんだ声を聴いた。
慌てて視線を巡らせれば、懐かしい顔。
「リヴァル!!」
駆けて来たリヴァルと手を握り合い、互いの無事をひたすらに喜んだ。
「良かった…会長が無事で…!」
「リヴァルこそ…!」
ミレイがつい先ほどまで視線を向けていた場所は、アッシュフォード学園が『切れている』場所。
何も無くなってしまった爆心地の円の数m外が、今立っている場所でもある。
とにかくそちらへ目が行ってしまうミレイに、リヴァルも同じく視線を向ける。
「なあ、会長。これって…」
敢えて途切れさせた言葉の先を、リヴァルもミレイも知っている。

2年前のブラックリベリオンで、ニーナが叫び持ち出した"爆弾"を。
『黒の騎士団』とブリタニア軍双方の科学者らしき人物が、揃って止めろと声を上げた代物を。

ふるりと首を横に振り、ミレイは学園の中へと視線を戻した。
「…分からないわ。ニーナが何の研究をしているのか」
以前にアスプルンド伯へ聞いたんだけど、やっぱり分からなくて。
そう眉尻を下げたミレイに、リヴァルも溜め息に近いものを零した。
「そうですか…」
ああ、そんなことを言っている場合ではなかった。
時間あります? と尋ねて来たリヴァルに、ミレイはとりあえず頷く。
「ええ。お祖父様に状況を聞かないといけないし、スタッフにも時間の許可は貰ってる。でも、どうしたの?」
とりあえずクラブハウスに、と即され、ミレイはリヴァルの後に駆け出した。

アッシュフォード学園には、多くの"人"が溢れている。
生徒やその家族だけではなく、爆発から逃れた人、爆発後の二次被害で負傷した人、遺族、行き場を無くした人。
学園の広さと知名度、設備が避難所として良い方へと機能していた。
だが先に述べた通り、この学園も爆発の被害を受けている。
敷地の一部は跡形も無く、爆発が収まった後の台風を飛び越えた衝撃波で、窓硝子は大部分が破損した。
冬でなくて良かったと感謝すべきだろうか。

リヴァルの目的らしい部屋は道すがら予想した通りで、ミレイは嫌な予感に知らず拳を握っていた。
すでに薄く開いていた扉をノックすることもなく、リヴァルは中を窺うようにそっと押し開く。
「ヴィレッタ先生、ルルーシュの容態は?」
ルルーシュ。
名を聞いたミレイは入り口付近で立ち止まっていたリヴァルを押しのけ、そして立ち尽くす。
「ルルちゃん…っ?!」
ここはルルーシュの部屋だ。
隣は彼の弟であるロロの部屋で、リビングはさらにその向こうにある。
部屋に入りミレイの視界に飛び込んできたのは、ベッドで眠っているルルーシュの姿。
(おかしい)
学園が、周囲がこんな状況であるときに眠っていられるほど、彼は冷血漢ではない。
むしろ逆であり、真っ先に避難してきた人々への支援や状況の把握に努めるだろう。
ミレイは彼の枕元へ近づき、呼び掛ける。
「ルルちゃん、ルルちゃんってば。ねえ、ルルーシュ!」
彼が目を覚ます気配はない。
「…リヴァル、どういうこと?」
半分程度ならば、推測出来る。
ルルーシュは不真面目で、きっと今回も学園を抜け出していたのだろう。
だから本当は問い掛けずとも、答えがそこに在るに等しい。
「巻き込まれた、の? あの爆発に、外で」
リヴァルは些か口籠った。
「オレは、…あんまりよく知らないんだ。ジノがルルーシュ抱えて来たって、ヴィレッタ先生に聞いて」
彼の隣で複雑な顔をしているのは、高等部体育講師であるヴィレッタ・ヌウだ。
腰に手を当て突っ立っているだけのように見える様は、ともすれば途方に暮れているようにも見えた。
「…詳しく、話して頂けませんか? 先生」
ミレイの見立ては正しく、ヴィレッタは途方に暮れている。
(結局私は、『ゼロ』を殺す機会を尽く潰されている。今もこうして…)
『ゼロ』であるルルーシュは意識不明で、彼を守る存在は誰も居ない。
だと言うのに、皇帝のギアスで総督ナナリーが友人であったことさえ忘れたこの2人が。
"ランペルージ兄弟もしくは兄妹"の友人の、この邪気など欠片も無い監視の目が、ヴィレッタを雁字搦めにしていた。
刃物を、たったひと振り。
たったそれだけで、己は自由になれるというのに!

ーーートウキョウ租界一部蒸発より、28分が経過していた。
Reverse  Joker

最強の手札は地に墜ちた?

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10.5.30