41.




カレン・シュタットフェルトにとって、すべては己の矜持であった。
そんなものはとうに砕けていると言っても過言ではなかったが、それでも今、彼女を支えているものはそれだけだ。
「…馬鹿げてるわ」
口元を彩るのは、確固たる自嘲。
近づいてくるラウンズの一員らしき男を、カレンは可能な限りの威圧を以て睨み据えた。
「いろんな人が訪ねてくるわね。あんたは何の御用?」
男は人相の悪い顔に、なお一層悪意を感じさせる笑みをつり上げた。
「お前の大事なモンはなんだ? プライドか? 自由か? …いいや、」
捲し立て硝子越しにカレンへ突きつけられた、銃口。

「命だ。そうだろう?」

本気で、死ぬかもしれない。
今までカレンは、一度だってそう思ったことは無かった。
いつだって、切り抜けられると思っていたから。
(切り抜けられたわ。それは事実だった)
『ゼロ』が助けてくれると、信じていたから。
(…そうよ。『ゼロ』は、助けてくれると言った)

でも、『今回』は?

「しっかしまあ、"紅い死神"のパイロットがこーんな女だったとはなぁ?」
この男にとって相手の命を奪うことは、快楽そのものなのだろう。
薄ら寒い何かがぞわりと背を駆け、カレンは無意識のうちに腕を撫でた。
「…あんたは、」
無駄と分かりつつも後ずさり、彼女のその様子を見た男はまた笑う。
「俺様かぁ? ナイトオブテン、ルキアーノ・ブラッドリー様さ」
その名前には聞き覚えがあった。
「…あんたが、"ブリタニアの吸血鬼"さんなわけ」
"ブリタニアの魔女"と呼ばれた第2皇女コーネリアは、騎士道精神に則った戦いを好んだ。
だが"ブリタニアの吸血鬼"は違うと、誰かに聞いた覚えがある。
(…ほんと、不味いかも)
構え直された銃の撃鉄が、ガチリと鳴った。
「んじゃ、あばよ」
今この瞬間に助けが来るなら、それはきっと天啓に等しい。
(私はここで終わりたくない…っ!)
引き金が、引かれる。

「ストーーーーーップ!! ブラッドリー卿、ストップストップ!!」

素っ頓狂な叫び声が広い空間に木霊し、ルキアーノが訝しげに声を振り返った。
「あぁ?」
慌ただしくエレベーターと繋がる橋へと走ってきたのは、白衣の男だった。
見た目の通り体力はなさそうで、橋の袂で大きく深呼吸をしている。
「は〜あ、良かったぁ間に合って」
「なんだ? テメェ」
ルキアーノはカレンに向ける銃口をそのままに、問う。
すると橋を渡ってきた白衣の男は、酷いですねぇと苦笑を浮かべた。
「いちおう、作戦会議のときも居たんですケド。僕はキャメロットの主任研究者、ロイド・アスプルンドです」
「…キャメロットって言やあ、セブン直属の」
「ええ」
カレンは白衣の男を注視する。
(セブンってことは、枢木スザクの…?)
ルキアーノはロイドへ続きを即した。
「で? 今から死刑執行ってとこに、何なんだよ」
「それですよ、それ」
彼は小脇に抱えていた封筒から、1枚の書類を取り出して掲げる。
「これ、下の看守長宛に昨日届いてたんですよ。で、」
こっちが、とさらにもう1枚取り出す。
「これも昨日、看守長宛に届いていたんです」
銃を下ろしたルキアーノは、ロイドが掲げた2枚の書類を見た。
右の文書の最後の署名は、ブリタニア帝国宰相シュナイゼル・エル・ブリタニア。
しかし左の文書の署名は、エリア11総督ナナリー・ヴィ・ブリタニア。
「ブラッドリー卿は、シュナイゼル殿下に許可を貰ったんですよねぇ」
確認した後、ロイドは文面を指差す。
「問題はここです。この囚人について…」
眼鏡の向こうの視線が、カレンへ向けられた。
「シュナイゼル殿下は『処刑』を命じ、ナナリー総督は『処分保留』を命じている。
で、看守長は迷ったんですよ。どちらの命令に従うべきかと」
ルキアーノは笑い飛ばした。
「ハッ! そんなモン、殺してここを破壊しちまえば良いじゃねーか」
どこまでも暴力的思考の男だ。
カレンは一層強まった嫌悪感を隠さなかった。
一方で、ロイドは困ったように軽く肩を竦める。
「一番良いのは、『黒の騎士団』がここを潰してくれることですけどねえ。
で、目下の問題なんですけど。この囚人、うちが引き取りますんで」
「はあ?」
意味が分からない、と片眉を上げたルキアーノに、ロイドは大仰に両手を広げて力説する。
「こういうときでもないと、うちは実験体(モルモット)を確保出来ないんです。
なぜか? 枢木卿の直属になったことで、現行のランスロットに注力することを余儀なくされているからですよ。
ですが次世代を開発しなければ、いずれ『黒の騎士団』のみならず中華やインドにも先を行かれる。
良いですか? ブラッドリー卿。KMFは、乗る人間が居なければ正確なデータを取得出来ないんです」
開発段階の機体ほど、危険なものは無い。
幾重にもテストを重ねてようやく、実戦に投入出来るのだ。
「それにこの囚人、『黒の騎士団』のエースですからねえ。ラウンズ並みの実験データを取れると思うんですよ」
ルキアーノは舌打ちを零す。
(これだから科学者ってのは…)
軍という枠の中でもっとも厄介かつ面倒な人種は、間違いなく研究者という人種だ。
「んで? それをシュナイゼル殿下が許可したってのか」
「もちろん。そうでなきゃ、アナタに殺されても文句言えませんって」
それもそうか、と納得したルキアーノは、面倒さに負けて少しだけ考えが足りなかった。
ロイドは彼の思考が浅かったことに気づいたが、それを指摘することはない。
「そんなわけでブラッドリー卿、この囚人は処刑済みにしといてください。
殿下への報告はとっくに終わらせてますから」
再度舌打ち、ルキアーノは銃をホルスターへ戻す。
「チッ、しゃーねぇなあ…」
仕方が無い。
この欲求不満は、『ゼロ』を殺すことで解決することにしよう。

不承不承の体(てい)で出て行ったルキアーノを、ロイドは笑みで見送った。
(ざーんねんでしたぁ!)
嘘も方便、書類は本物だがその先は嘘だ。
武人と文人の違いは、物事を論理的文言によって説明出来るかどうか、の1点に尽きる。
そして数学的論理を用いれば、大抵の武人は諸手を上げるのだ。

ロイドは書類を封筒へ仕舞い、さて、と囚人の少女へ向き直った。
「カレン・シュタットフェルト君。君は自分がこれから何をすべきか、分かるかナ?」
言われたカレンは、問われた意味も分からなかった。
生殺与奪の権利は相手にのみ存在するというのに。
先刻までのふざけた科学者ぶりは形(なり)を潜め、ロイドという名の男はカレンを品定めする。
細められた目は青という色も伴って、冷たさしか感じさせない。
「何をすべきって…」
カレンには、自分が試されていることを辛うじて察せられるだけだ。
それを悟ったのか、相手がやれやれと肩をそびやかした。
「おやぁ? ヴァインベルグ卿に聞いたでショ? 僕のこと」
ヴァインベルグ。
枢木スザクとは別の意味で引っ掛かる、騎士の名前。

『せっかく、風変わりな錬金術師が紅蓮を改造しまくってるのに』

突き詰めれば電気信号である思考に弾き出された答えは、まるで感電したかの如く衝撃に変わった。
「あんた…、あんたも"身内"なわけ…?」
…この恐怖をも引き連れる衝撃に、カレンは覚えがある。
声が、震えた。
にぃと深められた笑みが、答えだった。
次の言葉を発せられないカレンに構わず、ロイドは勝手に話し始める。
「僕としては、こっちが改造したラクシャータのKMFを試してみたい。とてもね。
実際に乗ってどうなるかは、保証しないケド」
汎用型でないKMFは、乗る者を選ぶ。
まるで意思があるかのように。
「で、"あの方の騎士"は、間近で守ることの出来る者が必要であると理解している」
それはジノ・ヴァインベルグのことか。
カレンは唇を真一文字に結ぶ。
そんな彼女に、ロイドはそびやかしていた肩をため息で落とした。
「まあ、君に選択肢はないわけだけど。ここで発生するのは『魔女の裁判』なんだよねえ」
これがまた厳しくて、と頭を掻いた男に、ようやくカレンは口を開く。
「魔女…?」
「そう、魔女の下す判決。なんていうかねえ、君は限りなく崖っぷちだから」
1度目で、信頼という名の硝子玉が真っ二つに割れた。
2度目で、2つに割れた硝子玉の片方が粉々に踏み砕かれた。
ひとつふたつ、と指を立ててみせたロイドに、カレンは眉根を強く寄せるばかりだ。
「なんなの。はっきり言ってくれない?」
このときカレンは、『錬金術師』の存在により受けた衝撃が大きすぎて、思考回路がどうかしていた。
『魔女』と呼ばれる者をとうに知っていたはずが、解を寄越されるまで思い出せずに。

喉元で押さえつけてくぐもった声音は、声が震えないように苦慮された結果である。
分析するまでもない事実を、やはり指摘せずにロイドは嗤う。
紛うこと無く、彼はカレンを嗤った。
「『ゼロ』の傍らの『魔女』は、君に何て言ったのかナ?」
「…っ?!」
ひゅっと息を吸い込んだ彼女の浮かべた、それは恐怖の色。
ロイドは内心でC.C.に苦笑する。
(魔女さんは容赦ないねえ、ホント)
まあでも、ちゃんと"使える"状態でここに居るのだから、結果オーライ。
カレンが縮こまった兎と同じ目をしたのは、それでも一瞬だった。
「…あんたが、あんたが私に紅蓮に乗れと言っているなら、私は喜んで引き受ける。
でもあんたたちは、私に何を求めてるの?」
残念、不正解だ。
ロイドは小さく笑い声を落として、カレンから視線を外した。
「ふふっ、君といい『黒の騎士団』といい、無責任の集まりだねえ。
そうやって常に答えを求めて与えてもらって、その結果は引き受けないんでショ?」
「なっ…」
「君に選択肢は無い。でも、僕は答えを与えない。なぜなら、別に君じゃなくたって構わないから」
それは、カレンに残った僅かな矜持を打ち砕く。
視線を上げ再度彼女を見たロイドには、嘘偽りない事実だけが存在して。

「僕らが求めているのは『紅蓮の戦力』であって、『カレン・シュタットフェルト』じゃあない」

使えないなら、別の手を考えるまでだ。
「さ、どうする?」
唇を戦慄かせるカレンを横目に、ロイドは牢の鍵を取り出した。



―――トウキョウ租界一部蒸発まで、残り15分。
マアトの羽との臓

重きは羽か、心臓か

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10.8.8