42.
「兄さん、聞こえる?今からナナリーを迎えにいくよ」
『ああ。頼むぞ、ロロ』
ーーートウキョウ租界一部蒸発より、25分前の会話。
『黒の騎士団』が戦闘を開始する。
その10分前に、ロロは一部の人間と共に、トウキョウ租界・総督府区域への侵入を果たしていた。
同行の者たちはもちろん、ルルーシュの"ギアス"に掛かったブリタニア軍の兵士たち。
(兄さんは、本当に凄い…)
ルルーシュが以前にエリア11へ戻ったのは、もう2週間近く前だ。
"ギアス"の掛け方もあるのだろうが、ロロは時々、兄の綿密な策に背筋が寒くなる。
(その知略が、いつか兄さんを殺すんじゃないかって)
いつか、ユーフェミアが言っていた。
ルルーシュの思考に付いていけるのは、対等に並び立てるのは、黎星刻ただ1人であると。
予定のポイントで足を止め、ロロは暗がりに身を隠す。
腰のホルダーに仕舞っていた地図を総督府の設計図と共に取り出し、自分の位置と作戦を反芻した。
同行の者たちはそれぞれの役目のため、すでに各所へ散っている。
(総督ナナリー・ヴィ・ブリタニアを抑える。ここから逃げられる前に)
あと2分で、彼女のおおよその位置情報が内部から送られてくるだろう。
総督執務室には居らずとも、この総督府内には確実に居る。
「!」
携帯電話が、静かに着信を告げた。
どうやらターゲットは、すでに階下へ移動しているようだ。
ロロは地図を見下ろす。
(シャトルがあるのは4カ所。うち2つが軍用の発着場に繋がっている)
軍用機のある地点は、外部からも分かる。
つまり『黒の騎士団』が高確率で狙う位置であり、そこから皇族を逃がすとは考えにくい。
以前軍部に出入りしていたロロは、その辺りの造りもよく知っている。
となると、ナナリーが向かう先は残りの2カ所。
設計図へ視線を落とせば、双方が倉庫らしき空間であることが分かった。
(どっちだ?)
内部の者へ連絡を入れれば、ナナリーの姿はどの監視カメラにも映っていないと言う。
(確かめるしか無い)
銃を取り出し、構えた。
潜んでいた箇所から駆け出すと同時に、自身の半径100m範囲に"ギアス"を発動させる。
周囲の人間の体感時間が止まっている間に、ロロは奥の扉へ駆け込んだ。
(ちっ、鉢合わせた!)
扉の向こう側には、軍人が1人。
5秒以上の"ギアス"の発動は身体活動に影響を及ぼすため、一度解除するしかない。
"ギアス"を解いてしまうと、次の発動までに2秒のブランクが出来る。
(声を出される前に!)
"ギアス"が解除され、体感時間の動いた軍人がロロの姿に気づく。
構わない。
手首のスナップで袖口からナイフを取り出し、相手の頤(おとがい)へそれを突き出す瞬間に再度"ギアス"を発動した。
相手は何が起きたのか知る以前に、絶命。
ロロは素早く周囲を見回し、見つけた箱積みの陰に死体を隠す。
再び走り出そうとしたところへ、建物全体が振動した。
『黒の騎士団』が作戦を開始したと見て、間違いない。
辿り着いた目的地には、2機のシャトルが待機されていた。
"ギアス"の発動を幾度か繰り返し、両シャトルの内部を確認する。
(ここじゃない、向こうか!)
来た道を戻り、もう1カ所アタリを付けた場所へ向かう。
軍人や内部の人間たちの会話で、KMFが使えないという話を漏れ聞いた。
(本当に、凄いなあ…)
ゲフィオンディスターバー。
ラクシャータが長年研究し続けた、サクラダイトの活動阻害装置。
使っても一時しのぎだろうとルルーシュは言っていたが、ブリタニア軍に第5世代KMFが未だ多いことも事実だ。
(あれは…!)
目端に留まった人影に、ロロは速やかに身を隠した。
エリア11総督府において総督に近い者たちの顔写真は、脳内にインプットされている。
その1人が、見えた。
(総督補佐官、アリシア・ローマイヤ!)
間違いない、ここだ。
彼女の向かう先には、シャトルが1機スタンバイされている。
シャトルの内部を確かめようと"ギアス"を発動しかけたそのとき、またも携帯電話が着信を告げた。
(タイミングの悪い…)
無視するわけにもいかず、ロロは電話に出る。
「はい」
『ロロ、そのシャトルは囮だ!総督は乗ってない!』
「なっ?!」
告げられた言葉も衝撃だが、通話の声が誰か思い当たった衝撃の方が、ロロには大きかった。
咄嗟に周囲を見回す。
『違うって!お前から見て右の対角線、リフトの陰だ』
言われた方へ目を凝らせば、微かに振られた手が見えた。
ロロは怒鳴りたい心情を押さえつけ、深く息を吸う。
「…何で貴方がここに居るんですか」
これだから『黒の騎士団』は!
『後で説明する。とにかく、ナナリー・ヴィ・ブリタニアはそこに居ない。さっき兵士が話して』
みなまで聞かず、通信を切断する。
"ギアス"を展開し、ロロは通話相手が潜んでいる場所へ駆けた。
目の前で、刃が自分の顔を映している。
朝比奈は瞠目した。
通話が切られたと思ったらなぜかロロが目の前に居て、ナイフを突き付けてきている。
「今すぐ説明してください。兄さんの…『ゼロ』の作戦をぶち壊す気ですか?」
見据えてくる目は、幼い容姿には冷酷が過ぎるものだった。
(ラクシャータの言ってた意味が、何となく分かったよ)
このロロという少年にとって、『ゼロ』は"絶対"なのだ。
「…壊す理由がないだろ。この作戦には、日本の奪還が懸かってる」
「だったら、ここに居る理由は?」
あまり時間を掛けるわけにはいかない。
それでも問われた朝比奈は、沈黙を挟んだ。
「…少しだけ、自分で調べてみようと思ったんだよ」
「何を?」
「『ゼロ』と『黒の騎士団』、その括りの認識の違いを」
星刻に真っ向から告げられた意見は、朝比奈にとってそれだけ重大なものだった。
どこか第3者の視線と態度を取るラクシャータが、彼の意見を肯定したことも行動を決定付けた。
朝比奈に限らず騎士団の誰もが、『黒の騎士団』と『ゼロ』がイコールであると考えているのだから。
するとロロは、あからさまな嘲笑を寄越した。
「これだから『黒の騎士団』は嫌いなんだ。兄さんが居なければ何も出来ないくせに、兄さんを認めない」
「なんだって…?」
咎めるような朝比奈の声を聞く気など、彼には毛頭ない。
「それで?ナナリー・ヴィ・ブリタニアはどこに居るんですか?
あのシャトルに居ないと判じるなら、それなりの根拠があるはずです」
首筋に据えられたナイフは、1ミリたりとも動かない。
状況が予断を許さないことは、朝比奈にも理解出来る。
だから彼はありったけの意識を総動員して、己の思考回路を切り替えた。
「…さっき、あの女と兵士の会話を聞いた。まだこの建物内にいる。あの女は、"自分は囮だ"と話していた」
「場所は?」
「総督の居場所かは分からないが、兵士が"区画A"と言ってたな」
脳裏で閃くものがあり、ロロは総督府の設計図を再度取り出す。
子供らしい柔らかさを帯びた指が設計図をなぞるのを、朝比奈は不可解さを持って見つめていた。
(こいつ、ほんとにまだ子供なのか…)
紙の上を滑る指が、不意に止まる。
ロロはその地点をじっと見下ろし、舌打ちを堪えた。
見据えた設計図の地点は、ルルーシュさえも選択肢から外していた場所。
…総督府から繋がる軍用機発着場、それもナイトオブラウンズの直轄部隊が展開する、もっとも危険な地点。
位置を確認したロロは、周囲を見回すついでのように朝比奈を振り返った。
「貴方はさっさと戻ってください。足手纏いだ」
言うが早いか音も立てずに走り出したロロには、隠密行動への慣れがある。
だが朝比奈とて、生半可な覚悟で総督府へ入ったわけではない。
『ねえ、あんたたち幹部を一番嫌ってる人、誰か教えてあげようか?』
ラクシャータはおそらく、風船のように軽い考えで朝比奈に言ったのだろう。
彼女に大義は存在しないのだから。
けれど続いた言葉は、朝比奈の胸のどこかに引っ掛かったのだ。
『あと思ったんだけどさ、藤堂もアンタたちも、卜部のこと忘れちゃってるでしょ?』
軍用機が発着する喧噪は、遠くの戦闘音も併せて酷くなる一方。
そんな一角で、カシャン、と何かを取り落とす不自然な音が響いた。
兵士たちが途端に殺気立ち、こちらへ近づいてくる。
(っ、不味った)
何とか息を殺し潜みながら、ロロは左胸を押さえた。
どうやら、自分で思っていた以上に"ギアス"を使い過ぎていたようだ。
発動中に活動を停止する心臓が、悲鳴を上げていた。
(とりあえず、場所を)
変えないと、と落とした携帯電話を拾って"ギアス"を発動しようとしたところへ、声がした。
まさか、続いて絶句する羽目になるとは。
「区画Cにて『黒の騎士団』と思わしき者を発見、銃撃戦になっています!応援を!
妨害電波により、無線が通じません!」
バタバタと兵士が走り去っていくのは、なかなかにベタな展開だった。
途中まで彼らの後を走っていた兵士の1人は、そんなことを考えながら途中で引き返す。
そして滑走路に近い車の陰に、思っていた人物の姿を見つけた。
「おい、大丈夫か?!」
もはやロロは、見上げる気すら起きない。
「…だから、あなたは何をやってるんですか」
強く眉を寄せている彼に、演技でなく身体のどこかが変調を来しているのだと朝比奈は気づく。
「おい…、本当に大丈夫か?」
「放っといてください。それより、あのシャトル」
「ああ」
物資補給シャトルと同じ造りに見えるシャトルが1機。
何と言うことも無いように見えるが、兵士たちの間に漂っていた緊張感は、それ以上の理由を語っていた。
朝比奈は被っていたバイザーを深く被り直し、立ち上がった。
「ちょっと中を見てくる」
「は?」
「お前の方が得意なのは分かったよ。なんか妙なこと起きてたし。けど、僕の方が怪しまれることは無い。
さっきの見たろ?あいつら、名誉ブリタニア人に注意なんか払わないんだ」
どうやらそこそこ正論だったようで、ロロは何か言いたげな口を閉じた。
朝比奈は堂々とシャトルへ駆け寄ると、開いたままのタラップから侵入を果たす。
『黒の騎士団』の攻撃が激しさを増したようで、一兵士の行動に目を留める者は居なかった。
シャトルの内部、僅かな幅の通路には手動式の扉が1枚。
銃を手にした朝比奈が思い切って扉を開くと、間髪入れず内側から問い掛けられた。
「どなたですか?」
柔らかな少女の声だ。
一番前の座席で、ハニーブラウンの髪が後ろを見ようと動いたのが見て取れた。
まさかシャトル内に1人で居るとは思っていなかった朝比奈は、少し迷う。
「…第2小隊のアサカワと申します。上司がただ今持ち場を離れておりますので、交代を」
ベタだ、ベタ過ぎる。
しかし相手は、そのベタな設定を信じたようだった。
「そうですか。…あの、失礼ですが、貴方は日本人の方ですよね?」
「えっ?」
そう断定されるような失態はしていない。
ただ1度、回答しただけだ。
(…イレブンとは言わなかったな)
朝比奈にはそれが意外だった。
すると相手は困惑を悟ったらしく、苦笑した。
「やっぱり、そうでしたか。話し方で分かります。
スザクさんが話されるのと、同じようなイントネーションがあって」
途端に驚きは醒め、腹の底にもやもやとした怒りが広がる。
(枢木スザクだって?)
どうにも表現出来ない類いの怒りを抱えたまま、朝比奈は早々に会話を打ち切った。
「…ナナリー総督、そろそろシャトルが離陸致しますので」
(で、失礼致しますって扉を閉めたはずだよな?)
それなのに、なぜ自分は直後、薄暗い場所に居るのだろうか。
しかも何だか、身体のあちこちが痛い。
「…は?何だここ?」
狐につままれた気分とは、このことだ。
「シャトルの貨物室です。すでに荷物は積まれていましたから」
すぐ傍からロロの声が響き、うっかり出そうになった声に慌てて口を塞ぐ。
恨み言のように声は続いた。
「貴方が2分経っても出て来ないからですよ。おかげでターゲットを外に連れ出す時間がなくなった」
朝比奈に騙された兵士たちが戻った、ということだろう。
「…このシャトルはもう飛び立ったのか?」
「いえ、今からです」
差し出された小さな無線機から、操縦室の会話が漏れ聞こえてきた。
(盗聴器を仕掛けたのか。いったい、どうやって?)
考え込んだ朝比奈は、ずる、と身体を引き摺るような音で我に返る。
暗闇に慣れた目は、左胸を押さえ表情を歪めたロロを映し出した。
「おい?!」
これは普通じゃない。
だがロロは首を横に振り、先ほどと同じことを繰り返した。
「…少し…休めば、問題ない…」
朝比奈の声など無視して、ロロは聞くという行為を放棄した。
―――トウキョウ租界一部蒸発まで、残り15分。
タイム・ワルツ
時に惑い、時に追われ、
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10.9.5