43.
それは唐突な、意識の浮上。
ホワイトアウトした刹那の後に、続きの光景を見ているような。
今まで見ていたものがすべて夢ではと疑うほど、唐突な。
「…ここは、」
天井を見上げ、左右を確認し、ルルーシュはここがアッシュフォード学園の自室であることを認識した。
ゆっくりと身を起こし、鈍痛を発した額を押さえた。
(何が、起きた?)
自分の姿を見下ろす。
ああ、『ゼロ』の服装のままだ。
経緯が不明であるとはいえ、これは着替えなければ不味いだろう。
ベッドから降りれば、幸いなことに足元はしっかりとしている。
(爆弾…だろうな。あれは)
クローゼットを開ければ、学園の制服が顔を出す。
(…スザクの言葉は、ハッタリではなかったということか)
蜃気楼を捕らえていたラウンズとその部隊を葬った、カレンの紅蓮弐式。
それが次に向かった相手は、スザクのランスロット。
『これを撃てば、トウキョウ一帯が灰になる。僕は撃たない。撃ちたくない』
だから降伏しろ、と彼は言った。
そんな言葉を、誰が信じる?
(だが、真実だった。しかしスザクは、なぜ撃った?)
撃たないと言った言葉も、彼にとって真実であったはずだ。
『ゼロ』の衣装をクローゼットへ放り込み、アッシュフォード学園の制服に腕を通す。
これを着るのも、随分と久しぶりだった。
襟元を正すべく伸びたルルーシュの手が、そこでピタリと止まる。
「…クッ、はははっ!」
解った、スザクの撃った理由が。
解った途端に、笑ってしまった。
(俺じゃないか)
撃たなければ、スザクはあの場で死んでいたのだ。
カレンの紅蓮弐式に、白兜は為す術も無かったのだ。
(俺が『生きろ』と言ったから、アイツは生き延びるために撃った!)
これを笑わずしてどうする。
自業自得とは、先人もよく言ったものだ。
クローゼットを閉じたところへ、ノックが響いた。
「どうぞ」
返事を期待していなかったのだろう、勢い良く扉が開かれる。
「ルルちゃん?!」
ノックの主は、スーツ姿のミレイ・アッシュフォードだった。
「会長…」
思わずそう口に出して、彼女は苦笑する。
「もう、私は会長じゃないわ」
それもそうだ。
ミレイはルルーシュを上から下まで確認して、ほぅっと安堵の溜め息を零した。
「良かった…」
リヴァルも本当に心配してたんだから、と続けられ、嬉しさと申し訳なさで複雑な感情が生まれる。
しかしルルーシュは、現状の把握に努めた。
「…会長、俺が何でここに居るのか教えてくれませんか?」
またもかつての呼び名で呼んでしまっていたが、いちいち気にするミレイではない。
ルルーシュの問いに、彼女も戸惑いがちに問い返した。
「あ…。ホントに、覚えてない?」
「ええ。目の前がホワイトアウトしたことしか」
「そう…。あ、私もリヴァルから聞いただけなんだけどね。
ヴィレッタ先生が言うには、ジノが貴方を抱えてきたって」
「ジノが?」
そういえば、モニターで感知出来る範囲に居た気がする。
(蜃気楼はどうなったんだ…? いや、それよりも)
トウキョウは、どうなったのだろうか。
「…会長、いったい何があったんですか?」
ミレイは表情を曇らせ、緩慢な動作で部屋の窓を指し示した。
「ここからは、あれだけしか見えないけど。テレビで見たら、租界の半分以上が"消えていた"わ」
彼女の示した指の先。
目に入った光景に、強烈な空虚感を覚えた。
(何も、無い…)
道路も建物も、何も無い。
あるのは、ぱっくりと抉られた大地だけ。
残っている建物も、みな何かしらの被害を受けてボロボロだ。
言葉を失ったルルーシュに、ミレイは続ける。
「突然視界が真っ白になったと思ったら、凄い音と暴風が起こったの。
気づいたら、租界が…。何にも、無くなってて」
ミレイは走った悪寒に身を震わせた。
「『黒の騎士団』もブリタニア軍も、どちらも凄い被害らしいわ」
「…そう、か」
予想も計画も、もはや無意味。
ルルーシュには、相槌を打つことが精一杯だった。
考えるという特技が、この光景を前にして意味を為さない。
ルルちゃんはまだ休んでて、と言い置き、ミレイは学園の中へ戻っていった。
彼女の言葉に甘えることにして、ルルーシュはベッドに腰掛けると携帯電話を開く。
(咲世子、星刻、ジノ…)
着信履歴に残っていた順番だ。
(ユフィ、ロイド、ロロ…)
これはメールの新着順。
メールはそれぞれ1行ずつ、要点のみが書かれていた。
『早いうちに、エリア11へ行きます』
『開発者に心当たりアリ』
『Nを発見、確保出来ず。シャトルは南へ向かう模様』
ロイドとロロのメール着信には、20分のブランクがある。
だがユーフェミアとロイドのメールには、2分しかブランクが無い。
ユーフェミアのメールの着信時間と、咲世子の着信履歴の時間はほぼ同じ。
ジノの着信履歴とロイドのメールの着信時間は、ちょうど5分差。
(…ロロの着信は、あの爆発の前ということか)
巻き込まれたかもしれない。
ルルーシュは、そう考えることを止めた。
(次の連絡を待つ。それだけだ)
さて、と仕切り直したところで、またノック音が響く。
続いて入ってきた人物に、当人共々ルルーシュは目を丸くした。
「ヴィレッタ・ヌゥ?」
「…目覚めていたのか」
そんな呟きが重なり、沈黙が降りる。
彼女の目は、困惑と落胆と、そして安堵で揺れていた。
ルルーシュには、ヴィレッタが安堵する意味が分からない。
なので、率直に問い掛けた。
「逃げないんですか?」
「えっ…」
戸惑いが返り、ルルーシュは言葉を替える。
「俺を殺すチャンスは、いくらでもあっただろう」
今だってそう。
ルルーシュを守る存在は、誰1人としてここには居ないというのに。
言われずとも、矛盾に蝕まれているヴィレッタは理解している。
自分が理解不能な行動を取っていることを。
(しかし、他に何が出来る?)
外があの惨状で、軍部に戻るか?
戻ったところで何か出来るかと問われれば、NO。
(私がアッシュフォード学園に居るのは、皇帝陛下の勅命だ。
だが軍部に戻れば、ヴァインベルグ卿と鉢会わせる…)
死ぬことだけはご免だ。
しかしそう考えると、ヴィレッタには『何もしない』という選択肢しか残らない。
(何もせずに、どうしろというのか…)
不意に押し殺した笑い声が聞こえ、そちらへ視線を向けた。
手で口元を押さえながら、ルルーシュは笑う。
「何を迷う必要がある? 逃げれば良い、どこへでも」
「なんだと…?」
眉を強く寄せ問い返せば、ただ面白がっているようにしか見えない学生が、そこに居る。
ルルーシュは、どうしても笑みを噛み殺せなかった。
ヴィレッタの言動が、迷いが、とても新鮮なものに思えたせいだ。
(もう、元には戻れないだろうな)
口元を隠す指で唇をなぞり、その仕草に合わせて口の端を吊り上げる。
彼が新たに浮かべた笑みを視認したヴィレッタは、目を見開いた。
(これ、は)
『ゼロ』の笑みでは、無い。
開かれた口より発されるのは、絶対的な事実のみ。
「お前に俺を殺す度胸があるなら、ジノは俺をここへ運び込みはしないさ」
見下ろしているのはヴィレッタであるのに、威はルルーシュに。
(例えるならば、これは)
現皇帝に、良く似た。
ルルーシュは彼女が息を詰めた隙を逃さず、斬り込む。
「ミレイやリヴァルの目なんて、純血派であった頃なら気に留める理由さえなかったはずだ。
少なくともお前は、ジェレミアよりもずっと残忍だった」
憎悪していたシャーリーの葬儀の日、なぜ表情を歪めていた?
(自分が殺したわけでもないのに)
ジノが『ルルーシュ』を抱えてきたこと、なぜリヴァルに伝えた?
(そのまま殺してしまえば、望み通りの自由が手に入ったのに)
積まれた事実は、足元を支えられるか否か。
瞳が揺らいだなら、もはや対処など存在しない。
ゆっくりと立ち上がったルルーシュは、ヴィレッタの目にそれを認めた。
「ヴィレッタ・ヌゥ。俺が目覚めているのを見て、なぜ安堵した?」
「……」
沈黙こそが、明白な答え。
けれどルルーシュは、彼女を哀れとは思わない。
軍人である必要はないし、軍人であり続ける理由がないなら、それもまた人生だ。
…答えを求める者には、答えに近い道筋を与えることが容易い。
ルルーシュは口元に敷いた笑みの種類を変える。
ロロと話すときに似た、慈しみを込めた微笑に。
「貴女はこの学園の教師でしょう? 『ヴィレッタ先生』。
貴女に、俺に構っている暇はないはずだ」
今、守るべき対象は、何だ?
(この学園に居る生徒たち。そして避難してきた者たち)
出来ることは、何だ?
(軍と連絡を取り、この窮地をしのぐこと)
「俺も先生と一緒に行きますよ。それなら、任務を放棄したことにはならない」
何せ、監視対象が隣に居るのだから。
絆されかけたヴィレッタの思考が、疑惑の鎌首を擡(もた)げる。
「何を…」
相手は『ゼロ』だ。
己を繋いだ鎖の先を握っているのは、この子供だ。
言いかけたヴィレッタに軽く肩を竦め、ルルーシュは立ち上がる。
「残念ながら、今の俺からは勘ぐっても何も出ません。
ロロとナナリーが生きているのかさえ、俺には分からない」
純粋に驚いた。
「なんだと…?」
彼の弟は暗殺者であり、元はヴィレッタの身内でもあった。
今回の戦闘に出ていたとしても不思議は無い。
だが『ナナリー』とは、ナナリー・ヴィ・ブリタニアのことであるはずだった。
「そんな馬鹿な…。ナナリー総督が、戦闘が始まっても避難していなかったと言うのか?」
武人であった第2皇女ならば、問題は無かっただろう。
けれど現エリア11総督は、誰がどう見ても非戦闘員だった。
「それに、ここにはシュナイゼル殿下が…」
どれだけ皇位継承権が低かろうと、皇族は皇族。
抑えられれば、ブリタニア軍の撤退は望めずとも、多くの時間が稼がれてしまう。
帝国宰相と謳われる第2皇子シュナイゼルが、その事実に気づいていないはずがない。
扉を開けるルルーシュの背へ質せば、笑みでも怒りでも哀れみでもない表情が返った。
「シュナイゼルは、他者に哀れみ程度しか持ち合わせていないだろう」
ブリタニアにとって、最大の難問。
それは『ゼロ』の存在だ。
もしもシュナイゼルが『ゼロ』の正体に感づいていたなら、間違いなくナナリーを利用する。
身内かそうでないかなど、あの男にとってはどうでも良い。
(目的が無い人間ほど、読めない者は無い)
ジノから幾度か聞いた話と、"ギアス"で従わせた軍内部の者の話を総合してみた。
けれどルルーシュには、シュナイゼルという人間が見えない。
(まったく見えてこない人間は、初めてだ)
扉を開け、仕草でヴィレッタに出るよう即す。
「まずは当面の、食料の確保ですね。水に関しては、学園の浄水施設が動いていれば問題ない。
それから、先生の軍属を楯に報道陣に規制を敷いた方が良いでしょう。
あることないこと書かれては、個人のプライベートにも関わるし、それどころじゃない。
ただ、被害の実態についての報道は必要です」
「あ、ああ…そうだな。理事長に話をつけて来よう。すでに動かれているかもしれないが…」
思っていた以上にあっさりと、ヴィレッタは転換された話に流された。
ルルーシュとて、何もせずに居る気は無い。
「俺はミレイとリヴァルに声を掛けて、まず学園の生徒たちを落ち着かせます。
こういう時くらい、生徒会がまともに動かないと」
「…あれだけ祭りばかりやっていればな」
任せたぞ、と残して理事長室へと足を向けたヴィレッタの後ろ姿に、ルルーシュは何とも言えない笑みを浮かべた。
(…なんだ。本当に絆されているんじゃないか)
ミレイのお祭り好きも、きっと一役買っていたのだろう。
ルルーシュはそんなことを思いながら、ポケットから携帯電話を取り出す。
素早く文言を打ち込み送るアドレスを選ぶが、ふと手が止まった。
(…C.C.には送るべきか?)
今の彼女に携帯電話など扱えないだろうが、もしかしたらセナが気づくかもしれない。
とりあえずは、当初の人数通りに送付する。
「さあ、どうなるかな」
ここから先は、ルルーシュにも予測出来ない。
今はまだ。
時をやや異にして、彼らは同じメールを受け取った。
ロロは、シャトルの暗い貨物室の中で。
ロイドは、酷い有様のランスロットに顔を歪めながら。
ユーフェミアは、遠出の支度の途中で。
咲世子は、テレビの音声を頭から排除してから。
星刻は、斑鳩との通信を切ったところへ。
ジノは、アーニャとの会話の途中に。
C.C.の携帯電話は、斑鳩の『ゼロ』の私室で着信ランプを点灯させた。
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件名:Lより
本文:『黒の騎士団』の動きを待つ
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さあ、カリヨンを鳴らせ!
始まりの合図は、誰が鳴らしたって良い
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10.10.30