44.




酷かった。
あの場で生き残れた者は、総じて機動力の高いKMFに乗っていた。
僅かに爆心地より外に居た者も、辛うじて生き残った。
「悪かったな、アーニャ」
「いいよ。別に」
トリスタンは飛行能力自体にダメージを受け、当分の間は修理に追われそうだ。
爆発の影響を受けなかったアーニャのモルドレッドに拾ってもらい、ジノは総督府へと帰還する。

何も無くなってしまったトウキョウ租界。
なかなかに整然とした美しさを持っていた街は、一瞬のうちに消え去ってしまった。
生死さえ分からない者は、いったい何名になるのだろう。
格納庫へ降り立ち、忙しない空気に溜め息を混ぜる。
「…ジノ」
珍しく、アーニャの方から話し掛けてきた。
こちらを見上げる彼女の表情は、常の通り無表情に近い。
けれど彼女の視線は、正面から外されていた。
「あなたに、聞きたいことがあったの」
そこで言葉を切り、アーニャはややの躊躇を間に乗せた。
いつも以上の喧噪に包まれる中で、彼女の声はあまり響かない。
「…ジノ。あなたにとって、ルルーシュ君は何?」
意表を付く問いだった。
目を瞬いたジノに、アーニャは自分が見て聞いた事実を告げる。

「『ルルーシュ様』って、言ったでしょ」

あのとき。
爆弾が炸裂した、そのときに。
(聞いていたのか)
いや、聞こえたと考えた方が自然かもしれない。
思わず叫び、手を伸ばした瞬間を。
アーニャはジノの纏う気配が鋭利に変化したことに気づく。
(…初めて見た)
明るく朗らかで、誰が対しても取っ付きやすい。
それがジノ・ヴァインベルグという人間であり、アーニャも含めた他者よりの評価だ。
ラウンズとして培ってきた感覚が、危険信号を灯した。
(下手なことを言えば、この距離で撃たれる)
確信だった。
"撃たれる"でも、"刺される"でも良い。
とにかく、自分の命が危険に晒されると、本能が告げている。
…だがアーニャは、ジノが嫌いではない。
真意を包み隠さず話せば、答えの切っ掛けをくれるという自信もあった。
(ただの勘だけど…)
アーニャはこちらの出方を窺う彼に、今まで誰にも語ることの無かった事柄を話すことに決めた。

「私ね、記憶が無いの」

脈絡の欠片もない言葉が、彼女の口から飛び出した。
「記憶が、ない?」
眉を寄せたジノが鸚鵡返しにすれば、こくりと頷きが返る。
「何歳かな…。10歳くらいからかな。いきなり記憶が途切れるようになったの。
玄関に居たはずなのに、気づいたら庭に居たり。誰かと会話してたのに、いつの間にか私の知らない話になっていたり」
軍に入った後も、ラウンズを拝命した後も、それは変わらなかった。
「相手のKMFが勝手に撃墜されていたり、部屋に自分の知らないものがあったこともある」
なんて不気味なことだろうか。
その不安を払拭することも含めて、アーニャはブログを始めた。
1日に何度も更新して、後でそれを見返して、この記憶は本物なんだと安心する。
「…それで?」
彼女は何を言いたいのだろう。
ジノが先を即すとアーニャは自分の携帯電話を取り出し、1枚の写真を表示させる。
それをジノに向けて、見せた。

「これ、ルルーシュ君…だよね?」

予想外すぎて、言葉を失った。
(ルルーシュ様? しかもこの場所は…)
アーニャの携帯電話に表示されていたのは、ジノの知る幼少時のルルーシュだった。
背景の庭園にも、見覚えがある。
8年前に、在った場所。
「しかもこの写真、ロックが掛かってて消したり出来ないの」
単純に考えれば、彼女の携帯電話で誰かが勝手に操作したことになる。
アーニャの知らない間に保存され、彼女の知らないパスワードで保護された、写真。
8年前の携帯電話にカメラは付いていないので、メール添付で外部から送られたものだろう。
パチンと画面を閉じて、アーニャは再度ジノを見上げる。
「答えて、ジノ。あなたにとって、ルルーシュ君はなに?
もしもこの写真が本当にルルーシュ君なら…」
王侯貴族『ヴァインベルグ』の名が、その理由を明かす鍵になる。
だがアーニャの言葉は、それ以上続かなかった。
「ジノ…」
真っ直ぐにこちらを射抜く視線に、つい先刻危惧した殺気は宿っていない。
替わりに在ったのは、どこまでも揺るぎない、凪。

「私が、その問いに答えることは出来ない」

このような目をした者を、アーニャは何人か知っている。
唯1人に生涯の剣を捧げる、『騎士』の中に。
けれどこのような目の出来る者は、相当に少ない。
主君への無条件の信頼が存在し、かつ、主君からの無条件の信頼が存在して初めて、このような目が出来る。
アーニャは答えの要求を呑み込み、別の問いを投げた。
「…じゃあ、本人に直接聞くのは?」
トウキョウ租界がこの状況では、難しいことだが。
ジノは苦笑じみた笑みに変わる。
「今は無理だ。…でも、アーニャの『記憶が途切れる』っていうのは、少し心当たりがある」
「えっ?」
「可能性の話だから、いくつか確認しないといけない。だから…」
その先は、もう分かった。
アーニャは残念そうな表情になりながらも、頷くことを己に了承した。
「…分かった。ジノが確認出来るまでは、黙ってる」
「おう。サンキュ!」
彼はまた、いつもの太陽のような笑顔に戻った。
しかしそれも束の間。
「さてと。じゃあ、あの爆弾について訊きに行くとしようぜ」
賛成だ。
ジノとアーニャは連れ立って、キャメロットの拠点へと足を向けた。



どうやって、ここまで戻ったのだろう?
カレンは自分自身に問い掛けた。
手が、操縦桿から離れない。
(紅蓮聖天八極式、って言ったっけ。もう、紅蓮で良いよね)
バラバラに飛び散った思考の中で、そんなどうでも良いことを決める。
考えろ、考えろ、考えろ。
「わたし、は…」
零れた言葉は、誰に拾われることも無い。
すでにOSがシャットダウンしたモニターは、真っ暗だ。
「わたしは…」

守れなかった?

外から、自分の名を呼ぶ声が聴こえる。
重い思考と重い身体を何とか動かし、外へ出た。
「カレン! 『ゼロ』は?!」
扇が真っ先に問うてきた。
カレンは言葉が喉に詰まり、答えられない。
「…あの爆発で、騎士団はかなりの被害を被りました。
LOSTした機体の数は、他の合衆国も含めるとかなりのものです」
説明を寄越したディートハルトを見れば、藤堂やラクシャータの姿もあった。
その誰とも、視線を合わせられない。
「わから、ないの」
やっと絞り出した声は、自分でも笑えるくらいに貧弱だ。
けれど口に出したら、止まらなくなった。
「分からないの! 蜃気楼の居た場所を見たら、蜃気楼がなかったの!」
巻き込まれたなどと、思いたくない。
彼女の叫びを聞いた誰もが、息を呑んだ。
(…嫌な沈黙ね)
両手を白衣のポケットに仕舞い込んだまま、ラクシャータは紅蓮を見上げる。
随分と、趣味に走った改造を施してくれたものだ。
(アタシの大事な紅蓮を、よくも…)
沈黙が降りる中、扇が声を絞り出した。
「…捜索隊を出そう。ブリタニア軍も同じことをしているだろうから、細心の注意を払って」
「よし、汎用KMFを用意させる。それから、街での聞き込みも必要だ」
藤堂が間髪置かず賛同し、軽い打ち合わせが始まる。
(あ、れ…?)
カレンは藤堂の傍に、千葉の姿しか見えないことに気がついた。
「朝比奈さんも、行方不明…?」
千葉は頭(かぶり)を振り、視線を落とす。
「そうだ、としか言えないな…。あいつは調べたいことがあると言って、作戦前に出て行った」
どうやら彼は、工作チームと合流したかったらしい。
なぜだろうかと聞けば、やはり『分からない』という回答が来る。
(工作チームって、確か『ゼロ』直轄の…)
そこでカレンは、ロロ・ランペルージという少年の存在を思い出した。
(話したこと無いけど、確かゼロを『兄さん』って…。あれ?)
おかしい。
明白な矛盾点に、なぜ今の今まで気づかなかったのか。
(ルルーシュに弟なんて居ないじゃない)
彼の肉親は、エリア11総督として存在しているではないか。
ナナリー・ヴィ・ブリタニアが。
「カレン。紅蓮を見させてもらうわよ」
「えっ? あっ、はい!」
カレンが返したときにはもう、ラクシャータは紅蓮に解析機を繋げ終えた後だった。
扇たちは捜索の段取りを整え、すでに格納庫を後にしている。

ぎりぎりと奥歯を噛みたい衝動を抑えながら、ラクシャータはOSを起動させる。
すると、なんだか可愛らしいアイコンが表示された。
(あいつら…っ!!)
起動完了画面には、長ったらしい機体名称が浮かぶ。
手早くすべての機能を確認していけば、いよいよ我慢ならなかった。

「あいつら、よくもアタシの紅蓮を!!」

何という無茶苦茶な改造を施してくれたのか。
握った拳が震える。
他のKMF研究者やパイロットが、聞こえた怒声に思わずこちらを凝視していた。
カレンは何とも言えず、黙っているしかない。
大きく息を吐き、ラクシャータは映されたデータを改めて見聞する。
確かに改造は無茶苦茶だが、そこは科学者、きちんと筋の通った造りになっていた。
(カレンがこれを扱えるとはね…)
搭載されている武装も機構も、神虎ほどではないとはいえ人食いに等しい。
(…けど、なんで?)
改造をやらかした人間は、十中八九ラクシャータの既知の者だ。
手にしたオモチャの改造も、白兜が手に入れば同じことをするであろう自分を省みることが出来る。
しかし、だ。
(なんでカレンが起動出来るようになってるの?)
改造を施したKMFが敵に渡れば、酷い目に遭うことは分かっているはず。
改造を施せたということは、機密箇所のロックを外せたわけで。
紅蓮やあの白兜は双方の"ジョーカー"であり、盗られたら動かせないようにするのが常識だ。
ましてや段違いの性能に改造したなら、保険はいくら掛けたって良い。
爆破処理を行わなかったことは、研究し足りない、勿体ない、で説明が付けられるが…。
(きな臭いわねえ…)
これは詳細に解析すべきだ。
「…ラクシャータさん」
考えが一段落することを、待っていたのだろう。
カレンが囁きに近い声量で名を呼んだ。
「紅蓮を改造した人間を、知ってるんですか?」
嫌なことを思い出させるなとばかりに、ラクシャータは露骨に顔を歪めた。
だがカレンは引き下がらない。
「どんな人間ですか? その人」
「は?」
そんなことを聞いて、どうするのか。
何よりこの紅蓮は、『ゼロ』の作戦によって奪い返したものだろうに。
素直に返せば、カレンはふいと顔を背けた。
「…違います。『ゼロ』の作戦では、ありません」
「はあ?」
ワケが分からない。
けれどカレンは、ここで話を続ける気がなさそうだ。
(人目を気にしてる…?)
データの転送完了を確認して、ラクシャータは仕方がない、と腰を上げた。
「分かった。パイロットスーツの具合も見るから、アタシの部屋においで」
どちらにせよ、データの詳細解析は部屋でやる方が捗(はかど)る。

ラクシャータとカレンが共に居る光景は、なんら珍しくない。
行方不明者と現状の確認で手一杯の斑鳩で、わざわざ声を掛けてくる者も居なかった。
「で? さっきの話はなんなの?」
自室へ辿り着き、カレンにソファへ座るよう即す。
熱いコーヒーが欲しいと感じ、ラクシャータは解析機を置いてポットへ向かった。
カップは2人分以上あるので、カレンの分も入れてやることにする。
インスタントコーヒーの缶を開け、適当に中身をカップへ移し、湯を注いだ。
「ラクシャータさん」
「ん?」
スプーンでコーヒーを均一に混ぜる。
「ラクシャータさんは、『ゼロ』が誰か、知っていますか?」

カップにスプーンがぶつかり、ガチンと高い音がした。
疑似ラドックス

直感に反しているだけで、矛盾は含んでいない

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10.12.19