03.  

ーーー自分の命と等しいものが存在しない、そんな世界。
ここは、どこだ?



A.T(エア・トレック)と言うらしい、インラインスケート。
存在しないことは事実だが、彼にとっては受け入れがたいものだったらしい。
沈黙し視線を落としてしまった少年は、ともすれば彫像のように思えた。

「…ところで、君の名前を聞いても良いですか?」

解道の声に、再び2色の瞳が姿を現す。
カイトはオッドアイを初めて見たわけではない。
…だがこんなにも鮮烈な美しさは、知らなかった。
色合いで言えば、苛烈な彩ではないというのに。
名を問われた少年は、一拍の間を置いて口を開く。



誰もの反応が遅れた。
「変わった名前だね。日本人ではないとか…?」
単に浮かんだ問いを重ねたソウジに対し、相手は答えなかった。
ただ、笑んだだけで。
「長いから、とでも呼んでくれれば良いよ」
そう、注釈を付けただけで。
カイトは、と小さく呟いてみて、率直に思う。

「綺麗な音の名前だな」

彼のためだけにしか存在しない、そんな音の名前だと。
呆けたのは名乗った当人以外もだったが、カイトは気づかない。
興味はもちろん、と彼のA.Tに注がれている。
「そのA.Tの"エア"ってさ、やっぱり空のAir?」
曖昧な頷きが返った。
「うーん、ちょっと違う。でも、間違いじゃない」
「普通のインラインスケートとは違うんだよな?」
すぐには返答されなかった。
は立ち上がり、軽くストレッチ動作を取る。
「屋上って出れる?」
視線は室内における最年長である、解道へ向けられた。
「ええ。特に閉鎖はしていませんよ」
再び彼の視線がカイトへ戻る。
「じゃあ、屋上に連れてってくれ。見せてやるから」
「え?」
枕元に置かれたゴーグルを嵌め、は悪戯な笑みを見せた。
「A.Tは、空を飛ぶための道具だよ」
呆気に取られた。

人が、空を飛ぶ?



授業中であることと、保健室の位置が端に近いこともあり、他の誰にも会わなかった。
授業中であることはカイトとノノハ、ソウジとて同じであるが、そこは解道が手を回してくれたそうだ。
(…本当に、"A.T"の存在だけが違うっぽいよな)
4階分の階段を登る間にと話した上での感想は、それだった。
カイトは腕を組む。

話している言語は同じだし、持っている知識も変わりない。
地名や他の国名だって同じだったし、今日の日付を年号から聞いても、同じだった。
暦については、自身も驚いていたが。

屋上へ出ると、ざあっと爽やかな風が吹き抜けた。
さすがに誰も居ない。
中央付近まで歩いたは、A.Tの後輪に触れる。
同じ動作を、保健室から出るときにも行なっていた。
「なんかあるのか?」
主語無しで尋ねたカイトだったが、彼は正確に問いの意図を汲み取ってくれた。
「モーターの回転をロックしてたんだよ」
なるほど。
そういえば保健室からここまで、彼は歩いていた。
ノノハもその事実に気づいたらしい。
こそりとカイトへ囁いた。
「インラインスケートで歩くって、凄くない…?」
「うん、すげーよ」
相当なバランス力がなければ、不可能な芸当だ。
君。君は"空を飛ぶ道具"だと言いましたが…」
解道の不自然に途切れた声を、は問いで繋げた。
己のA.Tを指さして。
「これの内蔵モーター、出力どんだけだと思う?」
「出力とは、車などの出力と同じ意味の?」
「そ」
想像もつかない。
は戸惑いの視線を一心に受けて、くすりと笑う。
「4kW」
「え?」
「原付バイクと同等」
「ええっ?!」
そんな馬鹿な、と訝るカイトたちの目の前で。

ふわり、との姿が上へと消えた。
僅か1歩の踏み込みと、キュンッ、と響いたモーター音だけで。

彼が舞い降りたのは、エレベーターが留まる箱の上。
ガーデン風に造られた屋上の、飛び出た建物部分だ。
屋上の入り口から、有に5mは距離がある。
その上、高さは3m近い。

「う、そだろ…?!」

開いた口が塞がらない。
驚いている間に、はカイトたちの前へ戻ってきた。
今度は軽いブレーキ音を伴って。
「一般ライダーなら、まあこの程度までしかやらないかな?」
ん? と、言葉に違和感を感じた。
は続ける。
「A.Tはスポーツなんだよ。A.Tを使って生まれ変わったスポーツもある。
プロなら自分の競技に合わせて腕…というか、技を磨く」
「うん、それは分かる」
頷いたカイトに、彼も頷きを返した。
「10万円くらいで買えるから、誰だって使えるんだ。A.Tは。
そうやって遊ぶのが一般ライダー。アマチュアといえば聴こえは良いけど」
違和感は、これか。
カイトは眉を寄せ、問い掛ける。
は、違うのか?」
ザッ、と風が吹く。
同じであるはずの笑みの、色が変わった。

「俺は暴風族(ストーム・ライダー)。
飛ぶことに取り憑かれて、命を賭けてることさえ忘れた側」

後ろへ高く飛んだは、宙返りで飛距離を伸ばし屋上の手摺へ降り立った。
「なっ……」
もはや言葉にもならない。
人が立つような場所なわけがなく、けれど危なげもなく。
手招きされ、カイトたちは小走りでへ近づいた。
位置は学園正面から、やや左。
もうすぐ屋上の端に着く、というところで、息が止まった。
「なっ?!」
さん?!!」
軽く跳躍したの姿が、消える。
手摺の向こう側へ。
ぞっとして駆け寄れば、吸い込もうとした息が喉に引っ掛かった。

『 Lord of CELESTIAL ROAD -Road Run-Lv1』

建物の3階あたりの壁で反動を付け、は校庭へと飛ぶ。
宙返るだけではない。
まるで空中に足場があるかのように、その背に翼があるかのように。
思わず魅せられる、飛び方。
…それが"技(トリック)"と呼ばれる暴風族たちの走りであると、彼らは知らない。
校庭へ着地したの周囲で、砂が風に撒かれ散った。

言葉を失っても、息を吸い損なっても、まだ足りない。
彼が嵌めているゴーグルは、オッドアイを隠すだけでなく、風除けの意味合いもあったのか。
カイトたちの足元から、どよめきや椅子を動かす音が散々にひしめいた。
授業を受けていた生徒たちの中に、目撃した者が居たのだろう。
何よりの姿は、昼日中には非常に目立つ。
受ける視線の数は飛躍的に増えたというのに、彼には気にする素振りがないように見えた。

「!」

瞬きの間に校庭のの姿が消え、彼が走った跡らしい砂煙がまっすぐに校舎へと伸びていた。
カイトたちの目の前を影が飛び上がり、そして飛び越える。
巻き上げられた風に誰もが顔を庇い、後ろで鋭く響いたブレーキ音で我に返った。
Flying. Freedom than anyone else.


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11.10.24

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