08.  

※拙宅のアナちゃんは女の子です。

ピーチクパーチク、チチチチ。
賑やかにさえずる鳥たちに、微笑む。
「うん、うん。そっかぁ。アナも行ってみるね〜」
絵筆を持った少女は、そこでピタリと動きを止めた。
「えっ?」
バサバサと一斉に外へと飛び立った鳥たちを追い、窓から身を乗り出し空を見上げる。
「!!」
目を見開き、少女はクロッキー帳と筆箱を掴むと美術室を飛び出した。

バタン!!

派手な音を上げて開かれた扉に、カイトとノノハは驚いて振り返った。
「うおっ、アナ?!」
「どしたの?」
アナ・グラムは2人を見、すぐに誰かを捜して視線を彷徨わせる。
しかし、探し人は見当たらない。
「ねえ! 鳥さん見なかった?!」
カイトとノノハは顔を見合わせる。
「鳥?」
「"とりとも"が話してたの! 空を飛べる人がいるって!!」
ノノハは反応に困った。
「…とりともってなに」
「たぶん、鳥の友達。前、猫をねこともって言ってたし」
あ、そうなんだ。
カイトの返答に納得したのかしてないのか、彼女は苦笑する。
「空を飛べる人なら、さんのことだよね」
どこ行ったっけ、ときょろりと周囲を見回すが、ノノハも見つけられない。
カイトは屋上入り口側の手摺へ近づいた。
「あいつ、大学部の方まで飛んでみるって言ってたぜ。ほら」
あそこ、と彼が指差した先を、アナとノノハは揃って追う。
(あっ…!)
気づけば頭上を飛び越えていた彼の姿は、鳥ではなく"龍"に見えた。
アナは呆然とその姿を目で追いかけ、彼が屋上へ着地したと見るや駆け寄る。

「ねえ! 絵、描かせて!!」

唐突に請われ、は即答を渋った。
「別に良いけど…。俺、じっとしてるのは無理だぜ?」
告げれば、嬉しそうな笑顔が返る。
「アナが勝手に描くだけだから、動きまわってても大丈夫!」
彼女は植え込み近くのベンチへ座るとクロッキー帳を開き、鉛筆を構えた。
美術部員だろうかと勝手に思いながら、苦笑いしているカイトとノノハの元へ寄る。
「あれ、誰?」
「アナ・グラム。ダ・ヴィンチの称号持ってるんだ」
絵の知識と技量はやたら凄いけど、猫と話したり鳥と話したり、よく分かんねえ。
本心で唸ったカイトに、思わず笑みが浮かぶ。
「へえ。けど俺、鴉と話せる奴は知ってるよ」
「マジで…?」
ノノハは2人から離れるとアナの隣へ腰掛け、彼女の手元を覗き込んだ。
「おおお…さすが、上手い…」
クロッキーだと言うのに、描かれているのが誰なのか、その人物の雰囲気までもが伝わってくる。
「動いてる人描くのって、難しくないの?」
尋ねてみれば、アナの首が軽く傾げられた。
「ん〜正確に描くとしたら、難しいかも。でもアナは〜こっちの方が好き」
さらさらと滑っていた鉛筆が、ぴたりと止まる。
「あの人、アレで飛んでる?」
「え?」
アレ、と示されたのは、の足元。
ノノハは頷く。
「あ、うん。A.T(エア・トレック)って言って、さんの居る世界では当たり前なんだって」
「そうなんだ。あの人はアリスなんだね〜」
「アリス? アリスって、不思議の国のアリス?」
「うん」
ハートの女王が治める魔法の国へ落ちた、少女アリス。
今までの常識が通じない違う世界、という意味では、似ているのかもしれない。
「確かにあのA.Tって、私たちから見たら魔法よね…」
いつ見ても、彼のエアに目を奪われる。
だがをじっと見て、アナは眉尻を下げた。
鉛筆を動かす手が、緩やかになる。

「…でもアナが思うに、あの人はとても寂しそう。少しのキッカケで、壊れてしまうくらいに」
見てるこっちが、泣きたくなるくらいに。

ドキリとした。
アナの表現はいつだって独特だが、いつだって正鵠を射ている。
談笑するカイトとへ視線を戻して、ノノハはふとした違和感を覚えた。
(あ、れ…?)
ではなく、カイトに。
不意に押し黙ったノノハに、アナが振り向く。
「どしたの?」
問われ、ハッと我に返った。
じっとこちらを見るアナに困り、ノノハは言葉を探す。
「…私がカイトの幼馴染っていうのは、知ってるよね」
「うん」
「小学生の頃、カイトはイギリスのクロスフィールド学園に留学してて。
その頃のことは私は知らないけど、でもそれ以外はほんとにいつも一緒で」
「うん」
ノノハはと話すカイトを見つめる。
「…けど、」

あんな風に笑うカイト、初めて見たよ。

気づいたのは、つい先程が初めてではなかった。
ふとした拍子に見える表情が、違う。
言われたアナは、改めてデッサン対象の2人を見遣った。
「……」
柔らかな眼差し。
隠されない感情。
気づかぬ内に溢れる、その名前。
「…寂しいっていうのはね、心のどこかがぽっかり抜けちゃってるの」
「え?」
「ぽっかり抜けちゃった部分を埋めないと、壊れちゃう。
"心"は本当に繊細で、本当に大切なものだから」
止まっていた手を動かし、クロッキーを再開する。
ノノハはアナの言葉に、両親を無くした直後のカイトを思い出した。
(笑わなくなった。パズルも解かなくなった。最低限の返事しか、返してくれなかった)
その状態のまま、彼はイギリスへ行ってしまった。
「あの人は、探してる。自分が壊れないための、何かを」
彼女の言う"あの人"は、のことだろう。
普段の彼からはそのような雰囲気すらないことに、ノノハは愕然とした。
(気づけなかった。気づいて、なかった)
彼が落ちてきたあの日、『A.Tが無い』と知ったときの彼は、表情が抜け落ちていなかったか。
カイトは、とアナの言葉は続いた。
「カイトはパズルが大っ嫌いで、でも約束したからパズルが好き」
「え…?」
矛盾している。
アナはノノハへふわりと笑いかけた。
「ノノハが居るから、カイトはいつも通りで居られる。アナは、そう思うな」
ノノハは二の句に迷う。
「そう…かな」
そうだよ、ともう一度返して、アナは初めてカイトと出会った日を思い返す。
「カイトも寂しそう。でも、あの人みたいにぽっかり抜けてない。…凍ってる」
「凍ってる?」
頷いたアナは鉛筆を置き、描き上げたクロッキーを身体から離して眺めた。

「寂しいって思う部分を凍らせて、感じないようにしてる」

ハッと強張ったノノハの表情に、でもねとアナは微笑で継いだ。
「あの人と話すカイトは、そう見えない」
ノノハが複雑そうな顔になる。
「それって、どういう…」
アナは答えず、クロッキー帳を手に立ち上がった。
「出来た!」
彼女の声はカイトとにも届き、2人の目が丸くなる。
「もう出来たのかよ?」
「うん。クロッキーだから」
ほら、と彼らに向けて絵を見せれば、感嘆の声が漏れた。
「上手いなー」
「やっぱ、ダ・ヴィンチは伊達じゃねえな」
言ってることは噛み合わねえけど。
「独自の世界観を持ってるってこと?」
尋ねたに、カイトは笑う。
「すっげぇ遠回しだな」
変わったヤツって言えば良いのに。
(あ、また…)
ノノハはカイトの違う表情を見つけた。
自分が知っているカイトの表情も、本物であることに変わりはない。
(じゃあ、これは?)

「アナは〜アナ・グラムって言うの」
「そうか。俺はとでも呼んでくれれば良いよ」
「分かった!」
自己紹介を済ませたアナは、ノノハの手を取る。
「ノノハ、今日はお菓子ないの?」
「えっ? ああ、昨日の残りのクッキーならカバンに…」
「じゃあ、アナがもらう! どうせカイトは食べないでしょ?」
「ノノハスイーツはこっちからお断りだ!」
あっかんべ、と舌を出したカイトに笑い、アナはノノハをせっついて屋上を後にした。
「アナ、そんなにお腹減ってるの?」
屋上の入り口を見上げながら、ノノハは前を行くアナへ問い掛ける。
アナはううん、と首を振り微笑んだ。
「えっ、じゃあなんで…」
「なーんでも!」
「ええ?」
なんなのよー、と噛み合わない加減にノノハが嘆いても、アナの笑みは消えることはなかった。

(アナは、カイトが好き)
(ノノハも、カイトが好き)
(でもアナたちは、カイトの"寂しい"を解かせない)
(カイトの"寂しい"は強くて冷たくて、カイトは凍ってることも思い出せない)
(…でも、)

でも、あの人なら。
Flip flip your heart!


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12.1.9

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