09.  

落ちるーーー!

彼らがそれを認識した刹那、は飛んだ。
自由落下を始めたノノハとギャモンの腕を掴み、垂直の壁を蹴り上げ重力に逆らう。
どさり、と乱暴な下ろし方であったが、異論はなかった。
「た、助かったぜ、…」
「死ぬかと思った…」
2人は床に手をつき、ホッと息を吐く。
はつい先ほどまで足場が在った場所を見据えた。
誰ともなく、呟く。
「このパズルってさ」
落ちるって予測してないと、解けないよな。
ギャモンは押し黙る。
(足場がただのリフトだったから良かったものの…)
すぐには乗り移れない乗り物であったなら、助からなかった。
「タチの悪ぃパズルだぜ…」
パズルの先に居るPOG責任者に言うべき文句は、まだ増えるらしい。
…そのとき。

絶叫、だった。
カイトの絶叫が、響いた。

リフトのあった奈落の空間を、飛び越える。
「カイト?!」
が駆け寄れば、酷く強い力でしがみつかれた。
「…っ?!」
「ごめん。ごめんね、父さん、母さん」
(えっ?)

ぼくがもっとはやく、パズルだときづいていたら!

それは慟哭。
の知らない、カイトの。
「カイト? おい!」
腕を掴んでくる指先は震え、流れる雫は止め処ない。
彼にとってこの空間は、今自分たちが見えている姿ではないのかもしれない。
だがカイトに何が見えているのか、分からない。
流す涙は、何に対して?





川の流れの先が、黄昏る。
カイトは手にした組み木パズルを、ただじっと見下ろしていた。
いつだって肌身離さず、持っていた。
(これが、最期だったから)
サアッと後ろから抜けた風に振り返れば、の姿がある。
彼はカイトが手にしたパズルを見て、尋ねた。
「それ、大事なもの?」
「えっ?」
思わず聞き返した。
は目を細め、笑う。
「凄く、寂しそうな目で見てたから」
ああ、そうかもしれない。
「これ、さ…」
「うん」
相槌を返した彼に、逡巡を残して語る。
「…このパズル。死んだ父さんと母さんが、最後にくれたパズルなんだ」
は目を瞬いた。
「それ、パズルなのか?」
カイトが手渡せば、彼は金平糖のような星型を眺め眇めて感嘆する。
「へえ…凄いな。てことは、神社仏閣もパズルみたいなもんなのか」
返されたパズルをまた見下ろして、カイトも笑う。
心無しか、自嘲を含んで。

「…けど、駄目だな。解けないんじゃ」

意味が無い。
(ああ、本当に)
寂しそうだ。
哀しいとか怖いとか、そういうのではなく。
「なあ、カイト」
こちらを見た彼に、は問い掛ける。
「明日も明後日も、10年後も、パズルに関わらない自分を想像できるか?」
息を呑んだ。
カイトはただ、立ち尽くす。

黄金色を映し輝く、蒼と翠。
そこには、どんな世界が広がっているのだろう。

(吸い込まれそうだ)

けれど問いに対し、ゆるりと首を横に振った。
言葉が、重い。
「…無理、だ」
分かっているのに、解けない。
解きたいのに、解けない。
置かれた状況は最悪で。

「それでも、オレはパズルを捨てたくない」

だって、他には何も遺らなかったのだ。
父も母も奈落へと消え、墓は形だけで何も入ってはいない。
遠い思い出の結晶は、想いと共にパズルに仕舞ったから。

はカイトのすぐ隣へやって来て、川面を見つめる。
「…俺もだよ」
その視線が、遠い。
「俺には、A.T(エア・トレック)しか残ってない。だから俺は、こいつを手離せない」
存在すらしない技術だと、言われた。
自分の存在自体がないのに、自分はここに居る、そんなパラドックス。
(怖いんだ。いつだって)
目が覚めれば、目を閉じて開けば、いつでも諦めと期待で蝕まれる。
同じ目線で遊べる"誰か"が、どこにも居ない。

どうやって来たのかも分からないのに、帰る方法なんて。

一寸先は、まさしく闇。
(不味い…)
深く考えないよう努めてきた事柄が、溢れようとしている。
は意図して視線を伏せた。
(抑えこまないと)
こんな、どこかも分からない場所で精神が崩れれば、二度と戻れない。
内の葛藤に気を取られたは、つと伸ばされた片腕に気づけなかった。
「っ?!」
唐突に頬に触れた、温もり。
驚き見れば、カイトの微苦笑が在る。

「オレよりずっと、途方に暮れた顔してる」

発しようとした言葉を、咄嗟に飲み込んだ。
触れてくる手を、払えない。
「…カイト」
「うん?」
再び伏せた視線は、しばらく上げられそうになかった。
「ノノハたちは、お前にパズルを無理に解かなくて良いと言った。
パズルがなくても死ぬわけじゃない。ただ、少し生き方が変わるだけだと」
「…うん」
「けど俺は、解いて欲しい」
頬に触れていた手が、硬直した。
その手に自らの掌(てのひら)を合わせて、は言葉を切る。
生身の温度に、先を躊躇した。
このようなときに言いたい言葉では、なかったのに。

「…俺が、元いた場所に戻るには。それには、"神のパズル"が必要だ。
仮定でしかないけど、捜す宛も俺には他にない」

もしもカイトがパズルを解くことを辞めたら、俺は。

伏せられ、合うことのない視線。
ほんの僅かだけ握り返された、手。
その意味を、カイトは悟った。
(そうか…)
は、この世界の住人ではない。
突然にこの世界に放り出され、それが"神のパズル"と関係あるのではないかと思われた。

もしもカイトがパズルを解くことを辞めたら、彼は帰れる可能性を『0』にされてしまう。

…言いたくは、なかったのかもしれない。
合わせられない視線の意味がそうであればと、少しだけ願った。

呼んでも、伏せられた顔が上げられることはない。
カイトは彼の額に、自分の額をこつりと合わせた。

「ありがとな、

微かな身動ぎに、彼が動揺したことを認める。
構わず、続けた。
「オレさ、『パズルを解く』って、『パズルを信じる』って約束した人が居るんだ。
2人ともガキの頃に別れたっきりで、約束だけがオレの中にあって」
「……」
「時々、掴めなくなるんだ。オレはパズルが好きだけど、同じだけ大っ嫌いだから」
父と母を奪った『パズル』が憎くて、仕方がなくて。
けれど『パズル』が無ければ、目の前の彼には決して出会えなかった。
…だから。

「だからさ、今度はオレがお前に約束する。
パズルを解かなきゃお前が帰れねぇのなら、そのパズル、オレが全部解いてやるよ」

絶対の自信の篭る声音に、顔を上げた。
ようやく交えることの叶った双眼に、カイトはにかりと笑む。
「約束、な」
差し出された右手の小指。
それは誰もが知る、約束の交わし方。
しばらくの無言を通したは、徐に口を開く。
「じゃあ俺も、カイトに約束だ」
川の波間に、夕日が乱反射する。
暮れる日の中浮かべられた笑みは、あまりにも綺麗で。
胸に落ちた感情の波紋を、カイトは無視することも出来なかった。

「パズルを解くことで元いた場所に帰れるのなら。パズルを解くお前のことは、俺が守るよ」

POGに、屠らせやしない。
…」
呆然と名だけを返したカイトに、クスリと零す。
その右手の小指に己の小指を絡め、笑った。
「約束、だ」

少なくともその間は、足元の暗闇を見なくて済むと思った。
To continue falling, promise.


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11.12.25

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