13.  

日本を離れて久しい、ある日。
ルーク・盤城・クロスフィールドは、カイトが『オルペウスの腕輪』を手に入れてからの一連のパズルを、すべて見返していた。
…最初の2つは、POG特務育成機関SectionΦ(セクション・ファイ)の招待。
以降はすべてルークの指示、現在はヘルベルトの指示で招待が為されている。

「彼は、徹底した"傍観者"のようだね」

最初の2つ以外のほぼすべてに映る、美しい容姿を持った人物。
POGの誇るネットワークを駆使しても、経歴はおろか戸籍さえも見えぬ少年。
ゆえに名も分からぬ彼を、ルークと幹部たちは『空を飛ぶ少年』と呼んだ。
「傍観者、ですか。確かに、そう説明するのが適切かもしれません」
ビショップはルークの問い掛けに頷き、『空を飛ぶ少年』の行動パターンを見出す。
いや、誰でも分かるだろう。

第一に、どのような難易度のパズルであれ、彼は解くことに手を貸さない。
第二に、100人居れば100人が"助けなければ"と判断する局面になければ、ソルヴァーに手を差し伸べない。

ルークは感嘆を交えて息を吐く。
「あそこまで自らの行動を自制することは、並大抵じゃあない」
凄まじい力を秘めた彼のインラインスケートは、それこそイレギュラーな存在だ。
だが徹底した傍観の立場が、ギヴァーにもソルヴァーにも影響を与えない形に収めていた。
「彼は、大門カイトを守っているのでしょうか?」
ビショップの問いには、おそらくと返す。
「"神のパズル"に至る行程。その最も近い場所に居るのが、大門カイト。
これはピタゴラス伯爵も同様の意見で、ゆえに『空を飛ぶ少年』は彼の隣にいる」
"神のパズル"を探している、と言った言葉は、真実だろう。

あれは、綻びの存在し得ぬ言葉だ。



ちょうどが、カフェテリアで昼食を注文し終えたところだった。
「はろー、スカイウォーカー。サングラスがあまり意味を為してないわよ?」
突然の声の主を、ぽかんと見返した。
「…お姫様?」
そこに居たのは、√学園中等部の制服に身を包んだ姫川エレナだった。
ん? と気づく。
「俺、称号は言ってないよな」
が解道から『スカイウォーカー』の称号を貰ったのは、つい3日ほど前だ。
「学園長に聞いたに決まってるでしょ。来たら必ず挨拶に行くようにしてるし」
「へえ」
「にしても、変わった称号ね。架空の人物だなんて」
カイトとノノハの反応も、エレナとまったく同じだった。
(SF映画の登場人物だからな…)
ただ、本来ここには存在しない自らを思えば、非常にお似合いだ。
指摘には曖昧な笑みだけを返す。
何食べよっかな、とメニュー表を物色したエレナは、無難にオムライスを注文した。
「はい、身分証」
たまげたのは、会計の調理師だった。
「あ、アントワネットの称号?! まさか姫川エレナちゃん?!」

どよめいた階下に、カイトは何だろうかと下を覗き込む。
「あっ、あいつ!」
姫川エレナ?!
と共に展望テラスへ登ってきたのは、POGギヴァー・姫川エレナその人。
階下の人集りが異様だった。
護衛の姿が2人しかないが、残りは外だろうか。
「アントワネット?!」
なんでここに、と尋ねたギャモンへ、高慢に返す。
「私はこの学園の生徒よ。来ちゃいけないの?」
「生徒ぉ?!」
カイトの隣へ腰を下ろしたの隣へ着席し、前へ落ちてきた髪を掻き上げる。
いただきます、と手を合わせてから、向けられる視線の問いに答えた。
「ま、来るのは年に2回程度だけど。指定のレポートは学期末に郵送するし」
「へえ…って、やべ! ラーメン伸びる!」
慌てて食事を再開したカイトに、はくすりと笑みを零す。
「ノノハたちは?」
「あいつは次の土曜の助っ人打ち合わせ。アナは個展会場の下見。
キュービックはさっき、大事な実験の結果が出そうだからとか言ってたぜ」
テーブル上の料理の数が異様であることに、エレナはようやく気がついた。
「…どんだけ食べるのよ」
「まあ、いつものことだし」
の言葉に、信じられないと呆れた。

他愛ない会話を交わしながら、それなりに美味しいオムライスを平らげる。
エレナは頬杖をつき、アイスティーのストローをくわえた。
…目の前には、早食い競争をしながら言い争うアインシュタインとガリレオの姿。
犬猿のような2人は、よく飽きないものだと部外者ながら思う。
少し前に合流したナイチンゲールは、遅めの昼ご飯真っ最中だ。
「……」
そっと自分の隣へ目をやり、サングラスに隠されていない面差しに目を奪われた。
(オッドアイ…)
こちらからは左眼しか見えないが、酷く印象的な彩。
「ねえ、スカイウォーカー」
呼び掛けに振り向いた彼は、蒼と翠の双眼をエレナへ向ける。
深い森と泉を思わせる色に見えるのは、西洋の神話世界。

「私の事務所に入らない?」

展望テラスが、静まり返った。
「は?」
思いもよらぬ申し出に、は気の抜けた声を発する。
「うちはモデルの部署もあるから、ぴったりよ。貴方ならすぐにトップモデルになれるわ!」
どう? と念押しで問われても、答えは1つ。
「いや、俺はそういうのは…」

♪〜♪〜

「…誰のケータイだ?」
オレの端末でもないし、と首を捻ったカイトの横で、が立ち上がった。
「ごめん、お姫様。ちょっと道開けてくれる?」
「ああ、はい。どうぞ」
テーブルから離れ、一度電話に出る。
「場所を変える。1分後にもう一度掛けてくれねえ?」
相手の了解を得て携帯電話を仕舞い、カイトを振り返る。
「悪い、ちょっと外す。俺のも片付けてもらっていいか?」
「あ、ああ」
どこへ、と続ける前に、の姿が展望テラスから飛ぶ。
カフェテリア内で解放されていた、上部の窓の向こうへと。
「ちょっと?!」
驚きに立ち上がったエレナの視界で、下へ落ちたと思った彼が上へ消えた。
開いた口が閉じない。
呆然と青い空を見つめて、エレナはどさりと座り直す。
「…なによ、あれ。日常茶飯事なわけ?」
首を横に振ったのはカイトだった。
「いや…。あいつ、屋内ではアレ使わねえようにしてんだ。よっぽど急いでねえ限り」
カイトは言葉を切り、押し黙る。
(あのケータイ、のじゃねえよな…?)
元から持っていた携帯電話が使えるか試したいと言うので、付き合ったことがあった。
先ほどが使用した携帯電話は、それとは違う機種。
(それに…)
コール音が鳴った刹那、彼の表情が強張った。
「あ、そうだ。今日はあんたたちに、これを渡そうと思ってたのよ」
スカイウォーカーにも渡しておいてと差し出されたのは、どこぞのテレビ局の入館証。
「…なんだこれ?」
何の用途で使うのか、という意味だ。
エレナは口角を上げる。

「感謝しなさい。あんたたちを、私の番組に出演させてあげる!」



きっかり1分、再びコール音が鳴った。
『周囲に訊かれたくない人が居たのかな?』
早々に発された問いに、やや間を置いて答える。
「カイトの隣であんたと話すことは、+になるとは思えない」
『なるほどね』
電話の相手は、愉快そうだった。
『次の招待状が出される頃、僕はそちらへ戻っているだろう』
思わず携帯電話を見つめてしまった。
「まだ1ヶ月も経ってないだろ」
『実力の問題さ』
「…否定はしないでおくけど。それで?」
今日は曇が多いな、と空を見上げる。
『次の招待状で、奴はカイトを本気で殺しに来るはずだ。
POGの目的は"ファイ・ブレイン"を育て、"神のパズル"を解放すること。
それをあの男は忘れている。愚かにも』
が沈黙を守ると、笑う気配が伝わってきた。
『念押しになってしまうけれど、しっかり守ってほしい。少なくとも…"僕が行くまでは"』
含みのある言葉に、はそっと眉を寄せた。
再度の沈黙で、相手の笑みが深まったらしい。

『答えはすぐに分かるよ』

プツリ、と切られた通話に、しばし携帯電話を見つめた。
(やっぱり声が若いな、こいつ。俺とあんまり変わんないんじゃねえ?)
名前はまだ、知らない。
もう1人、ビショップという男は以前、カイトがパズルを解けなくなった一件で顔を合わせた。
だが、この声は彼ではない。
(…怪しまれたかな)
隠せなかった不自然さに、カイトは疑問を覚えただろう。
結局今まで、話すタイミングを逃し続けている。
(話すって言ってもなあ…)
この携帯電話に登録されている番号は、2つだけ。
1つは、√学園学園長である解道バロンの連絡先。
もう1つは、ビショップという男かその上司である先程の通話相手、どちらかに繋がる電話番号。

自ら手にした、POGとの繋がり。



エレナは人数分の入館証と日時を記したメモをカイトへ手渡し、先に出て行った。
どうやら断る余地はないようだ。
「まーた何か企んでやがんのか? あの女王サマは」
ギャモンはカイトの手からメモ用紙を引ったくり、視線を落とす。
しかしいつもなら返るはずの文句が、ない。
それを不審に思ったのは、ノノハも同じだった。
「カイト?」
カイトの意識は疾うにメモから外れ、青い空へと向いている。
が屋上へと消えた、窓の向こうに。
(ああ、まただ)
まるで何かを堪らえるような、無理やりに飲み込んだような。

(なんでそんなに、切ない目をしてるんだろう)
Melt in the sky...


<<     /     >>



12.1.3

閉じる