15.
『君、今から学園長執務室へ来れますか?』
高等部校舎の屋上で、はその電話を受け取った。
相手はもちろん、√学園学園長である。
は学園内で最も高い位置にある管制塔(と勝手に呼んでいる)を遠目に、返した。
「…3分以内に来いって言うなら、部屋の窓開けてもらった方が早いけど」
ここから学園長執務室へ普通に向かおうとすると、10分近く掛かる。
建屋が違うのだから当然だ。
(まあ、無理かな)
エレベーターを呼ぶかと足を踏み出したは、意外な返答に聞き返すこととなった。
「短期留学?!」
カイトは聞き返さずにはいられなかった。
机上のディスプレイには、見慣れたクロスフィールド学園が映る。
「正確には交換留学です。先方から申し出がありましてね」
「それにカイトが選ばれたから、僕が迎えに行くって手を上げたんだよ」
カイトの隣で、そのクロスフィールド学園の制服を纏う少年が微笑む。
少年…ルーク・盤城・クロスフィールドを振り返り、カイトは唸った。
「…にしても、急だな」
まあね、とルークも肩を竦める。
「急なことには、ちょっと理由があってね」
「理由?」
返答を脇へ置き、ルークは何処かへ電話を掛けていた解道を見た。
「どうですか? 解道学園長」
「…ええ。すぐに来てくれるそうです」
言いながら、解道は己の背後にある窓を開ける。
「学園長、何を…?」
相変わらず林檎ジュースを手にするソウジは、窓を開けた意味が分からず首を捻った。
「カイトも、クロスフィールド学園と√学園が姉妹校で、かなり仲が良いことは知ってるだろ?」
ルークの言葉に、カイトは頷いた。
「だからクロスフィールド学園と√学園は、結構重要な情報が瞬時に行き交うんだ。実はこの間…、」
そこで、ルークの言葉が不自然に途切れた。
室内にはあり得ない風が吹きつける。
「うわっ?!」
誰もが腕で顔を庇った一瞬後、在るはずのない声が。
「来客ならそう言えよな…」
窓枠にしゃがんだ存在と共に。
「えっ、?!」
飛行場の管制塔と同じく、敷地内のどの建物よりも高いこの一角。
こんな芸当が出来るのは、只1人。
「そしたらちゃんと正面から入ってきたのに」
独り言とため息は、どうやら解道に向けられたものらしい。
「…仕方ありません。急を要しましたので」
他に弁解の言がないことから、"こちらの事情"も承知の上での呼び出しなのだろう。
知らぬ顔はカイトの隣にいる少年だけなので、は彼へ苦笑を向けた。
「悪い。驚かせたな」
ルークは見開いた目を何とか瞬く。
「……いや、実際に見ると本当に凄いね」
「"実際に"?」
気づいたカイトの鸚鵡返しに、ルークは先刻の続きを話し始めた。
「さっきの続きだよ。クロスフィールド学園長も、彼のことを知ったんだ」
彼、という単語が示すのは、だ。
「何の話?」
「カイト君が、クロスフィールド学園に短期留学することが決まってね」
イギリスの学校だよ、というソウジの回答に、は片眉を上げる。
「…俺は関係なくねえ?」
後を継いだのは、呼び出し主たる解道であった。
「君も来てくれないか、という申し出なんですよ」
たっぷり10秒は必要だった。
「はあ?」
ゴーグルを首に下ろし、あり得ないと首を否定に振る。
「どう考えても無理だろ」
は『存在しない人間』だ。
√学園都市の外すら出歩けない身で、海外へ?
解道がここでルークに視線を戻す。
「…諸々の事情すべてを知った上で、彼を招きたいと?」
「もちろん」
クロスフィールド学園長の意図が、まったく見えない。
カイトとは顔を見合わせた。
「意味、分かった?」
「…いや、のは分っかんねえ」
カイトはそこではたと思い当たる。
「ルーク。お前、オレを迎えに来たって言ったよな?」
「うん、そうだよ」
「向こう出発するとき、クロスフィールド学園長がも呼ぼうとしてることを知ってたのか?」
「そうだね」
解道とソウジ、両名から同時にため息が漏れた。
「…つまり、すでに手配済みってことか」
なんてことだ、とソウジは無意識の内にストローを噛む。
「写真さえ撮って貰えればね」
ルークは事も無げに肯定してみせた。
(表沙汰になったらヤバイのに、それでも?)
思案したは、それで何かが変わるわけでもないと思考を切り替える。
「俺の身分証明が出来るなら、そっちはそれでいい。けど、それだけじゃ駄目だ」
何が問題なのかと目で問うたルークへ、自分の足元を指し示した。
「これが持っていけないなら、俺は行かない」
これ、と指差されたA.T(エア・トレック)に、カイトはハッと息を呑んだ。
「無理だ、ルーク。のアレは、空港の監査で引っ掛かる」
「…どういうこと?」
ただのインラインスケートにしか見えないけど。
ルークとて空を飛んでいることを認識しているので、当然"ただの"ではないことは分かっている。
は窓に腰掛け片足を膝に乗せると、ルークに見えるようA.Tの後輪を軽く叩いて見せた。
「これは後輪に動力が入ってて、俺たちは『核(コア)』と呼んでる。
原付並みの出力の出るモーターと、それ以外にもいろいろ組み込まれてる精密機械だ」
「あー…、なるほど」
確かに、それは手荷物でも貨物でも検査で引っ掛かるだろう。
「X線だとかそういう類は、こいつ自体にはまったく影響ないけどな」
持っていけるなら可能な限り手荷物が良いし、と続いた。
ルークは腕を組み、考える。
(2日ほど日にちをずらせば、何とかなるかな)
とりあえず。
「ちょっと考えさせてもらえるかな。クロスフィールド学園長に相談してみるよ」
保留を提案したルークに、彼は頷いた。
「そうしてくれ」
もしくは諦めてくれ。
告げたにカイトは表情を曇らせるが、こればかりはどうにもならなかった。
食堂までの道すがら、ルークは解決策の可否を脳内で繰り返す。
なかなかに難しい問題だった。
(…、か)
"監視カメラは上を向かない"と言われたことを、未だに覚えている。
彼はそれを、目の前に体現してみせた。
A.Tと言ったインラインスケートの力は、彼自身の技量を併せてのものだろう。
…それから。
「綺麗な人だね、さんって」
言わずにはいられぬ容姿だった。
映像の中の彼は常にサングラスかゴーグルを掛けており、素顔を見たのは初めてで。
あの深緑と深蒼には何が映るのだろうかと考えた。
不意に呟いたルークに、隣を歩くカイトは笑う。
「…そうだな」
ただ、優しく。
思わず足を止めた。
「どうした?」
突然に立ち止まったルークを、カイトが振り返る。
ほんの刹那の間に、たった今垣間見た表情は消えてしまっていた。
ルークは歩みを再開し、またカイトの隣に並ぶ。
「…いや、カイトもあんな風に笑うんだなと思って」
「?」
自覚はしていないらしい。
(やっぱり、9年は長いな…)
9年間の我が身を振り返る気はないが、それよりも。
(カイトは変わってない)
ルークには、それだけで十分だった。
Now, an invitation from the past.
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12.1.15
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