18.  

目に映るものは、炎でもなく不気味な鐘でもなく。
身を起こせば、ホテルの部屋でもない。
「……」
夢であればとこんなにも願ったのは、初めてだった。
「おはよう、カイト」
ふらりと視界に入った人物に、夢ではないのだと希望と絶望を味わう。
…」
呆然と名を呟いたカイトに、は何も答えない。
ベッドへ近づくと、彼はカイトの傍へ腰掛けた。

「記憶はちゃんとあるか?」

問い掛けに、目を見開く。
ゆっくりと伸ばされた手が、傷を塞ぐ頬のテープをなぞった。
「人間って凄いんだよ。記憶を故意に忘れることも、摩り替えることも出来るんだ」
カイトは触れる手を掴む。
「忘れるわけ、ないだろ…っ!」
握られた強さは、葛藤の強さだ。
「そうか」
答えたは身体を寄せ、こつりと額を合わせた。
…いつかと同じように。

「俺はお前の隣に居る。すべての人間がお前の敵になっても」

俺が本来の世界に戻るまでは、ずっと。
その声がカイトの内に染み込んだ瞬間、カイトは目の前の身体を強く抱き寄せた。
しがみ付かれ身動きの取れなくなったは、彼の背にそっと腕を回す。
…肩口の熱い感触は、涙だ。
声を上げるまいと歯を食い縛り泣くカイトに、痛々しささえ思う。
(喚いてしまえば良いのに)
そうしないのはきっと、優しさでしか無いのだ。



病室を後にすれば、ノノハが駆け寄ってきた。
さん! カイト…カイトは?!」
彼女の声でを見つけた他の面々も、周りに集まる。
「怪我の程度は深くないし、記憶障害とかそういうのもない。
医者の話では、退院は3日後あたり」
誰もがほっと息をついた。
物言いたげなソウジの視線を受け、は病室を指差す。
「もう目は覚ましてるから、会えるよ。ついでに食事の手配も」
「うん、分かった!」
ノノハが真っ先に病室へと向かう。
英語が堪能であるのは、数年間留学していたカイトを除けば、ギャモン只1人。
ゆえにの要求の先はギャモンで、彼も心得ていたか軽く片手を上げた。
アナとキュービックも2人に続き、廊下の向こうへと消える。
1人残ったソウジを振り返って、は苦笑した。
「残念なことに、ここ屋上は出れねえんだ」
林檎ジュースを取り出したソウジもまた、肩を竦める。
「まあ、病院だからね。外に出ようか」

郊外であることも手伝い、この病院の敷地もだだっ広い。
どう考えても、車でなければ辿り着けないのだが。
(静けさを求めるなら、理想か?)
よく整えられた芝生の公園で、は空いているベンチへ腰掛ける。
「で?」
同じく隣へ腰を下ろしたソウジを、最低限の単語で即した。
空を見上げ、彼は大きく息を吐く。
「…POG中枢の目的が、解らなくてね」
解道が危惧していたことは、疾うに限度を超えていた。
「ちょっと学園長の力を借りて、直談判しようかと思ってるんだ」
「…意外と行動力あるな」
からの素朴な評価に、笑う。
「いやあ、君やカイト君ほどじゃないさ」
笑んだ視線は、真剣な眼差しへ変移する。
「『賢者のパズル』はともかく、カイト君をいきなり『愚者のパズル』へ放り込んだ。
おそらく彼らは、この先『愚者のパズル』ばかりを突き付けてくるだろう」
標的(ターゲット)は、カイトだけとは限らない。

「このままでは、僕の可愛い後輩たちが殺されてしまうよ」

だが、ああそのこと、という呟きが発せられ、ソウジは思わずそちらを見直した。
君?」
はカイトの病室を見上げ、目を細める。
「それ、もう俺が聞いたから。だから別のこと聞けよ」
カイトを殺したいのかと、尋ねた。
「えっ?」
ソウジに『愚者の塔』でのやり取りを掻い摘んで説明し、はふと思いつく。
(イギリス出る前に、もう一度行ってみようか)
の説明に考え込んだソウジは、顔を上げた。
「…それで? 彼はなんて答えたんだい?」
POGのNo.2である、管理官殿は。



√学園の面々…特にノノハは渋りながらも、ホテルへ引き上げた。
窓から覗く月明かりに、カイトは口元を引き結ぶ。
(…ルーク)
現実を直視しても、疑問ばかり。
「信じる心が折れないのは、強さだよ。カイト」
電気も付けずにいたこの部屋は、入口側が暗闇となっている。
そこから月明かりの下へと浮かび上がったの姿は、いっそ非現実的で。
カイトは近くまでやって来た彼の腕を、無意識の内に取った。
「カイト?」
不思議そうに首を傾げられ、ようやく我に返る。
「あ…いや、」
何でも、ない。
言いつつも腕を離さないカイトに、はふっと笑む。
「残念ながら、俺は『現実に』ここに"居る"」
本来なら、存在の想像すらせずに一生を終えたはず。
人の想像力は現実を凌駕するのだと、は自身の身を以って理解したのだ。

カイトは彼の言葉の意味を考えるが、頭は本領を発揮してくれない。
「カイト」
呼ばれて顔を上げれば、ふわりとした温もりが唇に触れた。
間近の深蒼と深緑に、射抜かれる。

「お前が立っていてくれれば、俺も立っていられる」

すでには、カイトに依存してしまっている。
もはや、独りで立ち続けることは叶わないだろう。
それを自覚して貰わなければ、元の世界に帰るという目的さえ捨て兼ねなかった。
…」
ルークのことで千々に乱されていた思考が、繋がっていく。

ーーーカイトは蒼い太陽、あの子は緋い月。

アナの比喩が蘇った。
ノノハがさらに尋ねていたことを、思い出す。
『じゃあ、さんは?』
彼女は間髪置かず、こう言ったのだ。

さんは、皓(しろ)い風。誰も留めておけない。
太陽でも月でも、捕まえられない。だから…』

覚悟と、誓いを。

離れようとしたを引き寄せ、口付けた。
瞬かれたオッドアイへ、告げる。
「…守るから。お前のことは、オレが絶対に守る」
如何様な『愚者のパズル』であろうと、彼を傷つけられない。
けれど、心は?

「オレが前を走ることで、お前が立っていられるなら。
向かってくるものに…オレは背を向けない」

気の狂いそうな過去と、現在に。
そして、の願いのために。
驚きの色に染まっていた表情が、儚くも笑みに変わる。
「…うん」
たった一言だけを返し、はカイトの手を静かに握り返した。



さんは、皓い風。誰も留めておけない。
太陽でも月でも、捕まえられない。だから…』

ーーー見つけたら、絶対に見失っちゃいけない。
I pledge the future in the wind...


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12.2.12

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