19.  

声が、聴こえる。
連れて行ってと願う、幼い声が。

「…呼んでる」
アナは走らせていた絵筆を止めた。
もうすぐ一応の完成を見る絵を前に、『声』が聴こえる。
「アナを呼ぶのは、誰?」
窓の向こうには、か細い月が姿を現していた。
(ノノハはギャモンたちと一緒かな?)
途中まで、絵を描きながら彼女と会話をしていたはずだ。
しかしアナは集中力が一定を超えると、周囲の何者も見えず、聞こえなくなってしまう。
時計を見れば、20時過ぎ。
上着を羽織り部屋を出ようとして、はたと思い出した。
「…1人で勝手に行ったら、怒られるかな」
以前にカイトとノノハと共に北海道へ行ったとき、何か一言残してくれと彼らに心配されてしまった。
(でも、早く行かなきゃ)
今行かなければ、きっと二度と聴こえてこない。
部屋を出て鍵を閉め、数秒考えたアナはエレベーターの上ボタンを押した。

ノノハたちが泊まるホテルは、先行していたカイトとが取っていた宿と同じ。
彼らと違うのは、生憎とシングルが1部屋を除いて埋まってしまっていたことだ。
故にノノハとアナ、ギャモンとキュービックのそれぞれが相部屋だった。
目的の部屋へやって来て、インターホンを押す。
(居るかな…居ないかな…)
確率は五分だった。
「Who is this please?」
ややの間を置いた返答に、アナはホッと胸を撫で下ろした。

「アナ・グラム。あのね、さんにお願いがあるの」



バイキング形式のレストランで、ノノハはそっとため息を吐く。
先に料理に手を付けていたキュービックだが、さすがに彼女の沈み様を放っておけない。
「ノノハ、いったい何を見たの?」
彼女は昼間、外出許可を得たカイトとと共に、何処(いずこ)かへ出掛けた。
「ルークって野郎が居たっていう、特別教室か?」
プロ並みに大量の皿を危なげなく運んできたギャモンが、キュービックの隣へ座る。
「アナはどうした?」
「あ、うん。すっごい集中して絵描いてたから…。さんは、一度寝てから考えるって」
ならば後で呼びに行こうと落ち着いた。
「で? 何があったんだ?」
その特別教室ってのは。
香ばしい香りのクロワッサンをひと口齧り、ノノハはようやく口を開く。
「…酷いところだったよ。まるで牢屋だった」
向かいのギャモンとキュービックが、動きを止めた。
「なっ、どういうこった?」
「そうだよ。あいつ、POGのNo.2じゃないか!」
ノノハでさえあまり思い出したくない、あの部屋の光景。
あれが、9年前のルーク・盤城・クロスフィールドの、日常だった。
さんが言うには、早く出るために順応した結果だろうって」
早速パスタを1皿平らげたギャモンは、次の料理へと取り掛かる。
「…その牢獄みてぇなとこから出るために、言いなりになったってか?」
今の状況とどう繋がるのか、話が見えねえ。
正直に述べたギャモンへ、ノノハも相槌を返した。
「うん…。私もよく解らなくて。でもさんは、そういう状況に居た友達が居るって」
「それは…さんが本来居た世界の?」
「みたい」
夕方に日が差し込むだけの、格子が嵌めこまれた小さな窓。
部屋の入口は格子で牢が組まれ、あろうことか鍵はパズル式だった。

『どこの世界にもあるもんなんだな。"大人の都合だけの世界"って』

足を踏み入れたは、そう憎々しげに呟いた。



夜風は肌寒いが、澄んだ夜空は優しい。
森の小道を抜ければ、地平線まで広がる草原に出た。
「もしかして、あの遺跡?」
何かを一心に見つめながら歩くアナへ問えば、うんと答えが返る。
「楽しそうな2人が、あそこに駆けていってる」
「ふぅん…」
は、自分に見えないものを否定する気はない。
故にアナが『見える』と言っているなら、本当に何かが見えているのだと思う。
(ここなら大丈夫かな)
モーターの稼働を解除し、久々に"走る"ことにする。
建物は無いが、風の抜ける開けた場所ならば『道』が掴み易い。

『 Lord of CELESTIAL ROAD -Road Run-Lv3』

生え揃った草に触れない、ギリギリの境界線。
地と空(くう)の境目、気圧の違いから存在する道を、翔ける。
「ふわぁ、楽しそー!」
アナは思わず足を止め、文字通り翔けるに歓声を上げた。
あまりに彼が楽しそうだったので、駆け足になって追い掛ける。
「ん?」
合間に技(トリック)を挟みつつ巨石の遺跡へやって来たは、人影に気づく。

「あ、貴方、"空を飛ぶ少年"?! 何でここに…」

こちらを認めるなりそんな言葉を繰り出され、首を傾げた。
黒が基調の衣服に身を包む女性は、の向こうから駆けてくる人物にさらに目を丸くする。
「ダ・ヴィンチ?! さっき招待状を出したばかりなのに…」
"招待状"の言に、予測がついた。
「POG、か」
予想外のことに焦りの様子を見せていた彼女は、の呟きにコホンと咳払いをひとつ。
「ま、まあ良いわ。ダ・ヴィンチは私のパズルに挑戦しなければならないんだから」
言っている間にアナは彼女に見える"何か"を追い掛け、巨石の間へ足を踏み入れようとする。
気づいた女性が慌てて声を上げた。
「ちょっと貴女、死ぬわよ?! まだルールを説明してないんだから!」
アナは女性を振り返り、きょとんと目を瞬く。
「あなた、誰?」
今気づいたのか、という言葉は、胸に閉まっておくことにする。
「…やりづらいわ」
ぽつりと零した女性に、同意はしようかとは苦笑した。

とりあえずルールを聞いたアナが、巨石の間を進み始める。
さて、と巨石群へ近づこうとしたを、メイズと名乗った女性が引き止めた。
「何をする気? ルールは聞いていたでしょう?」
彼女を見返して、思わず笑みが浮かぶ。
「貴女、優しいんだね」
「はあ?」
ルークに心酔しているようだが、パズルで人殺しはしたくないとその目が語っていた。
の評価の意味が分からず眉を寄せたメイズは、深まった相手の笑みにハッとする。
「石の上には、何の仕掛けも無いだろ?」
そう言って人の背丈の倍以上はある巨石へと舞い降りた少年に、ぽかんと口を開けてしまった。
「なんてこと…」
実物をこの目で見ると、思わず魅せられた。

パズルはまだ、続いている。

ふとが自分の来た方角を振り返ると、遠目にいくつかの人影が見えた。
(カイトたちか?)
パズルへ視線を落とせば、アナが中央へと辿り着いた。
アナは月と太陽が刻まれた台座に乗って足元を見下ろし、微笑んだ。
「…君だったんだね。アナを呼んでいたのは」
そっと拾い上げ、呟く。
「今から、連れていってあげるよ」
見上げるとと視線が合い、にこりと笑った。
「探しもの、あったよ」
彼女の言葉に、はその傍へと降り立つ。
はい、と差し出された手に乗っていたのは。
「…これ、パズル?」
以前に解かせてもらった、カイトの持つ組み木パズルによく似ている。
「ずっと言っていたの。"カイトのところへ行きたい"って」
これは、あの子の心。
(カイトのことが大好きな、緋い月)

遺跡へと駆けつけたカイトは、佇む女性がPOGであると直感的に判断した。
「おい! アナとは?!」
メイズはその物言いに眉を顰めつつも、手元のモニターを見下ろし憂鬱さを隠さない。
「私のパズルが、こんな短時間で…」
だが遺跡へ入ろうとしたギャモンとキュービックの姿を目の端に捉え、慌てて顔を上げた。
「待ちなさい! まだセンサーを切っていないわ!」
「え?」
遅かった。
鈍い地響きで大地が揺れ、入ろうとした2人は後ろへと飛び退いた。
「なっ、なに?!」
「危ねえっ!!」
巨石群が、斜めに倒れていく。
「アナ! ッ!」
カイトの叫びは、石のぶつかる騒音に掻き消された。

不意に頭上に影が射す。
咄嗟にアナを抱え、は真上へと飛び上がった。
「…っ! わぁ、すっごい!」
彼にしがみつきながらも、アナは決して見られないような高さの景色にはしゃぐ。
眼下では、巨石がドミノ倒しのように崩れていった。
(…あれ?)
カイトたちの居る方向へ飛ぼうとしたのだが、どうやら必要なさそうだ。
は朦々と昇る足元の土煙を落下の圧で吹き飛ばし、元居た地点へ着地した。
「ここには倒れない設計だったのか」
アナを降ろし呟けば、キラキラとした目がこちらを見ていた。
「空を飛ぶって楽しいね! さん、またやってね!」
彼女のマイペースっぷりに、苦笑する。
「気が向いたらな」
呼び声にそちらを見れば、カイトたちが駆け寄ってきた。
「あっ、みんなだ!」
「2人とも大丈夫? 怪我は?!」
問うたノノハに、アナがふるふると首を横に振る。
「大丈夫〜。あ、カイト。これ」
はい、と手渡されたものを見て、カイトは息を呑む。
「これって…」
綺麗な球体に収まった、組み木パズル。
拙い文字で彫られた、『to Kaito from Rook』の文字。
「これは…あのときの」

約束の、組み木パズル。
Call of the Moon.


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12.3.18

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