21.
砕けた欠片。
守ってくれた破片。
感じていたものは、すべて嘘?
(覚えてる。声も、思いも、あの暖かさも)
手にしたパズルの欠片は、ただのパズル?
すべて、ニセモノ?
まるで父母を呑み込んだ奈落のように、闇がぱくりと口を開けた。
「全部、嘘…?」
今までのすべてが。
優しかった両親の、あの暖かさすらすべて?
何もかもを見失ったカイトの目の前で、POGの端末がパタリと閉じられた。
解道は口を開く。
「…ここまでが、私の受けた任務です。この先は、私の独断です」
私は今のPOGに対して、反逆します。
続けた彼に、ノノハたちは目を瞬いた。
「カイト君。私はまだ、君に大事なことを伝えていません」
だがカイトは強く首を振った。
「もうそんなもの聞かねえ! あんたもオレを騙してたっ!!」
仕組まれていたのだ。
何もかも、『始め』から。
「こんなもの…っ!」
握り締めたパズルの欠片を振り上げる。
「駄目! カイト!」
ノノハは叫び、手を伸ばした。
(嘘じゃない。絶対に嘘じゃない! カイトのお父さんとお母さんは、嘘つきなんかじゃない!)
彼の両親は、あんなにも優しく暖かな眼差しだったのに。
「止めなさい!」
手を伸ばしたのは、解道も同様だった。
彼の両親として在った友人たちのことを、よく知っているが故に。
彼らは間に合わず、けれど振り上げられたカイトの腕を掴んだのは、また別の腕だった。
「止めろ、カイト」
カイトにとって、誰よりも抑止力を持つ声。
掴まれた腕は痛い程に強く握られ、顔を歪めた。
離せと発しようとした喉は、目が合った刹那に干上がる。
「本当に、嘘だったか? お前にとって、お前の両親だった人たちはニセモノだったのか?」
ひたと据えられた双眼に、切り裂かれそうだった。
「お前が本物だと思っていたのなら、それは本物なんだよ。
与える側の事情なんて、そんなもの関係ない」
解らない。
の言っている意味を咄嗟に掴み取れず、次の言葉を聞き逃した。
「…な、」
「え?」
腕を掴む指先が、ふっと緩んだ。
深緑と深蒼が揺れたように思えた一瞬、脳裏でフラッシュバックしたあの黄昏時。
(オレより、ずっと…)
泣きそうな顔してる。
「俺の目の前で、大事だと言ったパズルを捨てるな…っ!」
静かだ。
2人しかいないこのテラスは、こんなにも静かだったのか。
「アナもキューちゃんもギャモン君も、なんで来ないんだろ?」
昼ご飯を食べ終え、ノノハは改めて考える。
正面に目を向ければ、カイトも何やら考え込んでいる。
だがその視線は、すぐに外へと向けられた。
青い、空に。
「…さんも、どうしたんだろうね」
昨日からずっと、ノノハもカイトも知っている友人や先輩や後輩に必ず問われている。
『今日はあの人が飛んでいないけど、どうしたの?』
いつものように作りかけの作品を止まり木にした小鳥たちの話に、アナは手を止めた。
「えっ、どういうこと…?」
廊下をやって来る足音が聴こえ、アナは扉を振り返る。
「アナ、いる?」
ノックの音と共に、ノノハの快活な声が聞こえてくる。
返事をしないでいると、数秒の躊躇を挟んで扉が開けられた。
「あ、いたんだ。返事くらいしてくれれば良いのに」
彼女が浮かべた苦笑ともつかない表情に、アナはただ言葉の先を待つ。
「あの、さ…。昨日も今日も、テラスに来なかったよね。どうしたのかなって…」
アナは立ち上がり、床に散らばっていた創作道具を拾い上げる。
ペーパーナイフに絵筆、ペンディングナイフ。
「…太陽が、思ってたより遠いって気がついて」
「え?」
構図が決まらなくて放り出していたキャンバスに、パレット。
「自分の足元を見下ろしたら、真っ暗で何も見えなかったの」
道が真っ暗で、進めない。
太陽は遠くて、足元を照らしてくれない。
「アナが思うに、太陽は月を追いかけて行っちゃった」
誰の話をしているのか、ノノハにはすぐに分かっただろう。
口を閉じてしまった彼女に、でも、と問いたかった言葉を続けた。
「ノノハ、さんは?」
「えっ?」
「さっきね、とりともが言っていたの。あの人と一緒に飛べなくなったって」
どういう意味なのだろうか。
首をやや捻ったノノハに、アナは己の背後を振り返る。
彼女の視線の先には、作品に止まった数羽の鳥たち。
「あの子たちね、今まではさんと一緒に飛べたの。
さんの"風"はとても鋭いけど、あの子たちに気づいたらいつも風を弱めてくれてたって」
でも、変わってしまった。
彼は青空の下で飛ばなくなってしまった。
鋭い風を弱めることもなく、逆に寄せ付けないように尚、鎌鼬のような風で飛ぶ。
「飛ぶって…いつに?」
「夕方。それ以降は、この子たちには見えないから解らないって」
鳥は鳥目、梟のような夜行性でなければ闇を見通せない。
つぶらな瞳の鳥たちから視線をアナへ戻し、ノノハは口篭った。
「…さんも、来ないんだよ」
「そう…」
俯いた彼女を見つめ、アナはぽつりと零す。
「風も、止まっちゃった」
夜に晴れたのは久しぶりだった。
自室の窓を開けたカイトは、ベランダから夜空を見上げる。
考えることは山程あった。
両親のこと、解道のこと、POGのこと、ジンのこと、ルークのこと。
それから。
「!」
不意に机の上で携帯電話が呼び鈴を鳴らし、こんな時間に誰だと手に取った。
(知らねえ番号だな)
無視という選択肢は選ばなかった。
「もしもし?」
『Please tell me. The name of the sky that you know...』
まるで謎掛けのような声が、流れる。
ここ数日、声を聴くことも、ましてや姿を見ることもなかった。
「?!」
クククッ、と受話越しに軽やかな笑い声が響いた。
『なあカイト、ベランダの窓開けてくれねえ?』
すでに開けていた窓から半身を乗り出し、静かな町並みを見下ろす。
「もう開いてるぜ」
ビュオッ、と風を切る音が耳元で鳴り、ベランダに出たカイトを自然に吹いたのではない風が覆った。
乱れる髪を抑えつけるよう片手を翳せば、指の間の景色に舞い降りた、人。
耳元に当てた携帯電話はそのまま、はホッとしたように笑う。
「起きていてくれて、良かった」
二重に聞こえる通話の向こう。
携帯電話の電源を落とし、カイトは相手のそれを目に留める。
「そのケータイ、誰のだ…?」
番号は良い。
ノノハやソウジ辺りから、簡単に聞き出せるはずだ。
…答えがないと分かっていても、問いは口を突いた。
返るのはやはり、困ったような笑みだけで。
カイトは次の言葉を替えた。
「どうしたんだ?」
きっとこのマンションの、屋上にでも佇んでいたのだろう。
でなければ、こんなにも早くここへは降りてこられない。
(それにしても、こんな時間に)
もう、日付は変わってしまっているというのに。
「うん…ちょっとさ、」
誰に話すのが一番マシかなって、考えてた。
告げても動こうとしないへ、カイトは静かに歩を進める。
(また、だ)
また、重なった。
両親を奪った"愚者のパズル"で相対した、所在無く揺れる彩に。
(いや、違う。あの時よりもずっと…)
伸ばした指先で、その頭(こうべ)を抱き寄せた。
「どうした…?」
されるがまま、はカイトの肩へと額を預けた。
直に感じる人の温もりに、小さな息を吐く。
「…重くて、さ」
「うん」
「見てきたものが重くて、上手く飛べないんだ」
「…うん」
「今までは。今までだったら、重くたって大丈夫だった。
話せるヤツも、解ってくれるヤツも、俺のために遊んでくれるヤツもいたんだ」
置いてくる場所が在った。
見たものを、聞いて抱えてしまったものを、置いていけた。
「でも、無いんだ。『ここ』には」
彼の言う"ここ"とは、この世界のことだ。
カイトたちの生きている世界であり、の生きていた世界ではない、『ここ』。
頭を預けたまま目を開き、は足元を見つめた。
「当事者ではなく居合わせただけだとしても、そこで起きたことは積もっていく。
ある瞬間を目撃した事実は積み重なって、自分以外の"歴史"は塔のように堆(うずたか)くなる」
カイトは相槌を打つことを止め、夜闇に浮かぶ彼の髪をそっと撫ぜる。
上着の裾を、微かに掴む感触がした。
「…何で俺は、こうなんだろう」
見たいわけじゃないのに。
見届けたいわけでもないのに。
が切れ切れに話す内容は、カイトにとって要領を得ないものだ。
…不理解を承知で話す相手に選ばれたことは、喜ばしい。
だが。
(これ以上は、ダメだ)
それはカイトに1つの懸念を突きつけ、決意を強いた。
「もう、いいから」
彼の身体をさらに抱き寄せ、どうか繋ぎ止められるようにと願った。
「例え"愚者のパズル"を出してきても、POGは…ルークはオレを殺さねえ。
だからもう、オレを守らなくて良い。もう"オレたち"のパズルを、見なくても良いから」
これ以上、彼に戦いを見せてはいけない。
(どうしたってオレたちは、の理解者にはなれない)
ーーー本当は、私たちが君の力にならなければなりません。
あの日、解道はそうへ詫びた。
彼はPOGへ連行されてしまい、この学園に姿を認めることはない。
(守りたいんだ、本当に。なのにいつだって、守られてるのはオレたちだった)
ただただ、伝わるようにと抱き締める力を強める。
…が内に抱える重しは、どうすれば軽くなるのだろう。
風が攫おうとしたか細い悲鳴に、無力を思い知らされる。
「カイト、
…助けて」
唇を重ね温もりを渡す他、何が出来ただろう。
せめて朝までは忘れ去ってくれと、祈る他に。
Closed wind
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