23.
日が落ちた。
眼下に広がった闇は、くらりとした不安定さを助長する。
目前に在るのは、鉄骨組みの立体パズル。
「…とんでもねえもん、創りやがって」
カイトは、彼のパズルが嫌いではなかった。
それが今や、人殺しの『愚者のパズル』だ。
操作パネルを腕に装着すれば、鉄骨上に移動するよう指示を出される。
下から駆け昇る風に、身体のバランスを崩されそうだ。
「パズルが始まる前に落ちてんじゃねーぞ」
揶揄を飛ばされ、ふざけるなと返した。
「こんなパズル創るなんて、見損なったぜ。ギャモン」
ようよう告げてやれば、上等だと歪んだ笑みが返る。
そのギャモンが、ふと周囲を見渡した。
「は居ねーのか?」
ああ、こいつは知らなかったかと思い出す。
「…あいつはもう、来ねーよ」
「ああ?」
どういうことだ? となお問うてきたギャモンは、以前と変わっていないように思えた。
カイトはパズルの形と自分たちの位置を見直し、上空を見上げる。
(これはPOGのパズルだ。絶対に、オレを見てる)
…思った通り、微かに聞こえていた音はヘリのプロペラ音。
ちらちらと見え隠れする空の赤色灯へ向かって、カイトは声を張り上げた。
「おい、ルーク! 聞こえるか?!」
見えないはずなのに、真っ直ぐにこちらを見上げてくる、瞳。
9年前と変わらぬそれは、ルークが求めて止まないもの。
「……」
誰もが、何を言い出すのかと身構える。
だがカイトは、誰もの予想に反して笑みを浮かべた。
「ありがとな! あいつに『もう止めろ』って言ったの、お前だろ?」
予想だにせぬ言葉に、ルークは思わず頬杖を付く腕を外した。
カイトの目の前にいるギャモン、機上のビショップもまた、唖然とカイトを見つめる。
「これ以上この戦いを見続けたら、あいつは壊れちまう。…お前も、そう思ったんだろ?」
幹部たちの視線が上司へと向くが、ルークは何も言わない。
カイトの笑みが、翳りを帯びたものに変わる。
「もう良いからって、オレも言ってたんだ。けどオレもあいつも、互いに約束したことがあって」
彼が元いた場所へ戻るために、"神のパズル"を解くと約束した。
彼はその為に、それに関わる"死"からカイトを守ると約束した。
あの時の約束は、にとって立ち続けるための原動力に等しかった。
「お前が言ってくれなかったら、あいつは…は今もここに居て、このパズルを見てた。
だから…ありがとな。ルーク」
彼を守ってくれて、ありがとう。
「……」
ギャモンは上空に話し掛けるカイトに、先日出会ったを思い返す。
(オレの感覚は、間違ってなかったのかよ…)
あの、儚いような届かぬような、空虚さを醸していた彼は。
ーーー彼を見つけたのは、偶然にもギャモンの妹、ミハルだった。
海沿いの自然公園は彼女の帰宅コースで、そこは『空を飛ぶ少年』が現れることで有名で。
ミハルもたまに彼を見掛けて、感嘆と少しの憧れを持って彼を見上げていた。
その日はちょうど、カイトの家を訪ねた後だった。
彼とノノハの連絡先を貰って、帰らぬ兄についてようやく安堵の息をつく。
(大丈夫、だよね?)
お兄ちゃん、と小さく呟いた。
いつものように公園の中央通りを歩いて、ミハルは視界に入った人物に目を見開く。
(あっ…!)
『空を飛ぶ少年』だ。
風がミハルの横を吹き抜け、街灯を足場に飛んだ彼の姿が鳥のように。
「えっ?」
ギクリ、と足が止まった。
(落、ちる…?)
額を抑えた彼の姿が、上空でバランスを崩す。
「危ないっ!!」
力の限り、叫んだ。
その声が届いたのか、次の瞬間、ミハルは突風に煽られ尻餅をつく。
「きゃっ?!」
鞄を落としてしまったが、そんなことより! と慌てて顔を上げる。
見遣った先には、あの少年が立っていた。
(よ、良かった…)
ホッと胸を撫で下ろした刹那、ミハルはまたも心臓が縮む。
落とした鞄を引っ掴み、もつれそうな足で駆けた。
…オブジェの柱に寄り掛かった少年の身体が、ずるずると下へ落ちていく。
何とか駆けつけ、地面へ倒れそうになった彼の身体をかろうじて支えた。
「だっ、大丈夫ですか?! お兄さん、しっかりして!!」
お兄さん! と何度も呼ぶミハルの声を聞きつけ、人が寄ってきた。
「おっ、おい、救急車だ!」
誰かの咄嗟の声が聞こえたようで、抱えた少年の唇が動く。
「え?」
ミハルは彼の口元へ耳を近づける。
「…俺の、ケータイ…8、で…終わる、番号…」
強く眉を寄せたその表情は、とても苦しそうだった。
言われ、ミハルは彼の衣服から携帯電話を探す。
「け、ケータイ、ケータイ…!」
もたついてしまったミハルは、数秒経ってようやく電話を探し当てた。
電話帳には番号が2つしかなかったが、気にする余裕もなく。
言われたとおりに8で終わる方へ掛ければ、ほんの3コールほどで繋がった。
『はい。こちら√学園、学園長室です』
繋がった先がなぜ学園長室だったのか、なんて。
この時のミハルには、疑問さえ湧かなかった。
「あっ、あの! お兄さんが…空を飛ぶお兄さんが大変なんです!!」
『えっ?!』
解道バロンの携帯電話は今、ソウジが持っている。
彼がPOGに連行される直前に、手渡してきたものだった。
ソウジは2年連続で高等部生徒会長を務めているため、√学園の中であれば顔が効きやすい。
解道ほどの力はないとはいえ、の連絡先としては他に代替がなかった。
だが滅多に来ない電話口の向こうが見知らぬ少女で、しかも危難を伝えてくるとは。
『あっ、あの! お兄さんが…空を飛ぶお兄さんが大変なんです!!』
あの彼が、本当に空から落ちでもしたのだろうか。
瞬時に浮かんだ想像を打ち消し、少女の話を聞く。
どうやら落ちたわけではなく、けれど酷く苦しそうだと。
「救急車は?」
『はっ、はい。他の方が呼んでくださって…あっ、今来ました!』
ならば彼が運ばれる先は、大学部付属の病院だろう。
「分かった。念のために、行き先を√学園大学部付属病院と言って貰えるかな?
君も付き添ってくれると有り難いんだけど…」
『も、もちろんです! お供します!』
少女の強く頷く様が目に見えるようで、くすりと笑みが湧いた。
「君の名前を聞いていいかな? 僕は軸川ソウジ。√学園高等部の生徒会長だ」
『えっ? あの軸川先輩ですか?!』
なぜか驚かれ、話題になることは何もしていないはずだと思い返す。
だが次には、ソウジが驚きに息を呑んだ。
『わ、私、逆之上ミハルって言います!』
まさか、ギャモンの妹だとは。
偶然なのではなく運命ではないかと、ソウジには本気でそう思えた。
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12.2.26
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