27.
「あら、1人で何をやってるの? ナイチンゲール」
公園の入口でぼんやりとしていたノノハに、聞き覚えのある声が届いた。
すでに日は暮れている。
きょろりと周囲を見回せば、黒塗りの車。
街灯の明かりに、窓から顔を覗かせる少女が照らし出された。
「エレナさん?」
乗るようにと目線で示され、数秒迷ったノノハは後部座席へと乗り込む。
「アインシュタインは居ないの?」
彼女が席に着くなり、エレナは問うた。
問いに詰まったノノハの解を遮るように、携帯電話ではない電子音が車内に響く。
「えっ?」
ノノハはポケットを探り鞄を探り、出てきたのは光を点滅させる小さな物体。
「あら、何それ?」
興味深げに顔を寄せて来たエレナへ、手を差し出して見せる。
「これ、キューちゃんのメカ…」
エジソンの? と不思議そうに首を傾げた彼女は、今度は携帯電話のバイブ音を聞いた。
「はい、もしもし? えっ、キューちゃん?」
電話を取ったノノハは、今しも通話相手がキュービックであったことに驚く。
その彼女が不意にこちらを見たので、エレナは通話内容を予測できた。
「…アインシュタインは、また招待されたのね」
今回の招待もまた、"愚者のパズル"なのだろう。
「うわあっ!」
突然に運転席のSPが声を上げ、エレナはハッと顔を上げた。
「どうしたの?」
SPは前方を指差す。
「い、いきなり上から人がっ!」
「えっ?」
前方を見直しても、人影など無い。
代わりにエレナの座る座席の横で、コンコンと硝子をノックする音が聞こえた。
スモークガラスの内側から見上げて、目を丸くする。
「スカイウォーカー?!」
窓を開ければ、彼はゴーグルを外し微笑んだ。
「こんばんは、お姫様。そこにノノハ居るよな?」
「え、ええ…」
斜め前に座るノノハを見れば、彼女は真っ直ぐにエレナを見つめていた。
「エレナさん。私、カイトのところに行ってくる」
引き止める代わりに、こんな言葉を投げた。
「あんた、そんなこと続けてたらホントに死ぬわよ」
目を瞬いた彼女に、なおも言葉を投げ掛ける。
「あいつの傍にいるだけで巻き込まれるのよ? 下手すれば人質として利用される。
…ルーク様は、アインシュタイン以外を必要としていないんだから」
ギヴァーでもソルヴァーでもない人間が、関わるべきではない。
それが例え正論であっても、ノノハは首を横には振らない。
「確かに私はパズル駄目だけど、でも」
関係なくなんて、ないから。
そう言い残して車を降りたノノハへ、エレナはそっと溜め息を吐いた。
「…ほんと、理解に苦しむわ」
誰しも自分が可愛いはずなのに。
初めて飛んだ空は、ただ凄かった。
だが行き先が行き先だけに、ノノハは手放しではしゃげない。
「…さんも、キューちゃんから連絡を?」
自分を抱えて飛ぶ当人へ問えば、肯定が返った。
「カイトを独りで行かせるのは絶対に駄目だ、ってさ」
一度ビルの屋上で足を止め、はノノハを下ろす。
「このゴーグル、キュービックに頼んでちょっと改造してもらったんだ」
ゴーグルの外側に重なるように嵌められた、薄いレンズ。
それは留め金部分の切り替えスイッチで、暗視スコープに変わる。
「俺が言ったのはここまでだったんだけど、科学者ってのは何でか余計なものを追加するんだよな」
今暗視スコープ上で点滅しているのは、キュービックがカイトに持たせていた発信器の位置だった。
ここから、近い。
光り輝く都市の明かりを見下ろして、ノノハは自分の両手を握った。
「ねえ、さん」
どうしてカイトは、独りで行ってしまうのかな。
「私はカイトの傍に居るんだって、決めたんです。カイトにも言いました。
それなのにカイトは、私を置いていこうとする」
あんなにはっきり言ったのに、伝わっていないのかな。
「それは違うと思うぜ。特にカイトの場合は」
「えっ?」
乏しい明かりを映し込んだ深緑と深蒼が、ノノハの声を堰き止めた。
「…先に、謝っておいた方が良さそうだな」
何のことだろうか。
内心で首を傾げたノノハに、は薄い笑みで答える。
「俺は、カイトがPOGの招待を受けたことを知ってた」
キュービックから連絡が来る前に、当のカイトの口から聞いていた。
ノノハは己の耳を疑う。
「そんな…」
だからごめん、との言葉はまだ続く。
「俺はたぶん、ノノハやキュービック、それにクロスフィールドも含めて。
今カイトに関わっている誰よりも、カイトの現状を知ってる」
どうして、と。
音だけが零れ落ちた。
言葉となる前に掠れた音は、ノノハ自身の受けた衝撃を物語る。
(どうして、行かせたの)
"オルペウスの腕輪"の力で、カイトに何が起こってしまうか予断を許さないこの状況で。
(どうして、独りで行ったの)
訳が解らなくなった。
独りで行ってしまったカイトも、独りで行かせたも、その理由がまったく理解出来ない。
はノノハを倣い、街明かりを見つめた。
「大切なものがあったとき、人が取る行動は2つ。
傍に置いておくか、自分から遠ざけておくか、そのどちらかだ」
発した言葉を受け取り損ねたノノハに、は笑んだ。
「カイトにとって君は後者だよ、ノノハ。だからカイトは君を置いていく」
傍にいれば、巻き込んでしまうから。
「それで良いと君が思っていても、カイトが納得しないのなら同じこと」
言われたノノハは初めて、カイトの根本に行き当たったような気がした。
(カイトは、恐いのかもしれない)
父母を目の前で亡くしているカイトは、それが繰り返されることを最も恐れている。
大好きなパズルの所為で、大切な人が死ぬことを。
カイトの持つ発信器が示す建物は、静かだった。
夜も更けて数刻、人通りもない為か自分の存在だけが妙に浮いている。
入り口は施錠されておらず、2人でそっと足を踏み入れた。
「あそこか」
がらんと広い空間に、錆び付いた機械が並んでいる。
ランプ1つ付いていない様子を見ると、すでにパズルは終わっているということか。
ノノハは入り口から遠く、ベルトコンベアーに繋がる機械に背を預けている人影を見つけた。
「カイト!」
駆け寄り、様子がおかしいことに気づく。
「カイト? カイトっ!」
呼び掛けても気付かない。
両手で頭を抱え、青い顔をしてカイトは何処かを見ている。
「ねえ、カイト!」
聞こえていないのかとノノハが彼の肩に触れた、そのとき。
「うわあっ!!」
カイトが悲鳴を上げ、彼女の腕を振り払った。
腕を思い切り弾かれたノノハは、呆気に取られる。
「え…? カイト?」
あちらこちらと彷徨うカイトの視線は、明らかにノノハを端に捉えているはずだ。
しかし彼はノノハに視線を留めず、また彼女の後ろのにも気がついた様子がない。
「どうしちゃったのよ、カイト!!」
ノノハは堪らず、カイトの腕を取った。
またも驚愕し振り返ったカイトと、目が合う。
合った、はずなのに。
「な、に…っ、離せ! そこに誰かいんのかよ?!」
カイトの視線は焦点が合わず、ノノハを捉えていなかった。
振り払おうとしてくるカイトの腕を、意地で掴み続ける。
「カイト、カイト! 私が見えないの?! …、きゃっ?!」
腕が大きく振り被られ、吹っ飛ばされる。
投げ出された彼女の身体を受け止めて、は青褪めているカイトに目を細めた。
「…自分以外に居ないのに、突然何かが触れてきた。たぶん、そんな感じなんだろうな」
ノノハの脳裏に、キュービックの言葉が蘇る。
『パズルを解くために必要な情報。それだけに集中するため、他のすべてが排除される』
まさか。
「何も、見えてないの…?」
聴こえて、ないの?
はカイトに近づき、呼び掛けた。
「カイト」
聞こえた様子はない。
頭痛がするのか、両手で頭を抑えている。
ふと彼の左腕に目を向ければ、"オルペウスの腕輪"が鈍い光を放っていた。
頭を抱える手に触れると、カイトはビクリと肩を揺らす。
即座にパシンと弾かれた手で、今度はその手を握った。
「カイト」
振り払おうと握る手に力が込められるが、離してやる気はない。
「や、だ…っ、離せっ!」
ノノハもまた、が繋ぎ止めるカイトの手を上から握った。
「カイト…カイト! お願い、戻ってきて!!」
名前を呼ばれている。
叫びが聞こえる。
雑音に混じって、遠くから声が聴こえてくる。
(恐い、恐い、恐い。誰も居ないのに、何かが触れる)
右手が暖かい。
温度の違う手に、それぞれ握られているような。
他には誰も居ないのに。
(恐い、恐い。何も聴こえない。誰も居ない)
頬に何かが触れ、息を呑んだ。
振り払おうとして掴んだ"それ"を、よく知っている気がする。
自分を呼ぶ声は、聞き慣れたものである気がする。
(恐い。誰も居ないけど、本当は…居る?)
それは日常を日常としてくれた、いつだって味方でいてくれる人の声。
それは翔ける色彩で、吹く風が止まってしまわぬよう、どうしても守りたい人の温度。
ノイズが消える。
クリアに聴こえた呼び声と、鮮やかに映る彩。
「…? ノノハ…?」
焦点が合う。
目に光が戻り、カイトはとノノハを交互に見比べる。
ノノハは溢れそうになった涙を無理やり拭った。
「カイト、良かった…っ」
カイトの手を握る彼女の手は、今も震えている。
「ノノハ…」
彼女が包み込むように握る手は、2人分。
(そうか。だから)
そうしてカイトは、左手で別の腕を掴んだままであることに気づく。
「…」
半ば呆然と名を呟けば、微苦笑が返った。
「おかえり、カイト」
途端、戻ってきたという実感が内から湧いてくる。
(引き戻して、くれた)
この彩を見られる世界に、また。
What you see is truth?
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12.5.4
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