29.  

ーーー天命、なんてものは、存在するのだろうか。
それを一体何度、呪ったことだろう。



軽いストレッチを終えて、A.T(エア・トレック)に履き替える。
ベッドに腰掛け、は組んだ手指に額を合わせ目を閉じた。
(何で、俺は…)
の履くA.Tの名は、『天牙(てんが)』と言う。
A.Tの心髄に関わる"歴史の変わり目"に立ち会える者だけが、受け継いできた。
彼らは『傍観者』と呼ばれ、すべての暴風族(ストーム・ライダー)は『傍観者』へ手を出すことを禁じられている。
そして『傍観者』は、歴史に関わる可能性のある戦いに手を出すことを禁じられた。
…いつ、誰が創ったかも判らぬ不文律。
いつだってその不文律に守られ、傷つけられてきた。
それなのに。

「ここにA.Tは存在しないのに!」

これは何だ。
初めは、パズルによって繰り広げられる戦いなど想像もつかなかった。
けれどこれは、どう考えても『歴史の変わり目』だ。
『神のパズル』を求める人間の戦いの系譜、その潮目だ。
「俺は…『傍観者』でなんか居たくないのに」
それでも、動けないのだ。
本来生きているはずの世界でも、ここでも。
(カイトたちが好きだ。でも、クロスフィールドたちも嫌いじゃない)
どちらも好きだから、どちらにも付けない。
当事者たちとは違う、この酷い苦しみから逃れる術はないのか。

上着を羽織ると、は病室の窓辺から飛び立った。
向かった先は√学園。
1階にある宿直室の1つへ足を踏み入れ、何日ぶりだろうかと思い返した。
なお、思う。
(ここで何ヶ月経った?)
扉を閉め、背を預けた。
(俺は…)
このパラドックスを解く手立ては、どこにあるのだろう。
(ここは違う世界なのに)
着信したメールには、カイトが招待状を受け取った旨が記されていた。



支柱が飛び出してくる、対戦型の立体パズル。
最初に地上へ辿り着けた者が勝ち、敗けた者は同時に飛び出し閉鎖するパズルの中で圧死する。
「なんでこんなもの創ったのよ、ギャモン君…っ!!」
階上の桟橋からパズルを見下ろすノノハは、唇を噛み締めた。
…パズルを叩き付けられたなら、カイトは必ず受ける。
ギャモンがこのようなパズルを創らなければ、カイトがこれに挑戦する必要性など無かった。
パズルの操作パネルを見下ろすエレナは、STARTボタンに躊躇を乗せる。
「こればっかりは同感よ。ナイチンゲール」
ガリレオの馬鹿、という呟きは、スタートの合図に消えた。

カイトの生体データを写しとるモニターに、キュービックは眉間を寄せる。
「カイトの脳が、今まで以上の加速をしてる…」
後ろからモニターを覗き込み、ソウジは対戦の続くパズルを見下ろした。
「金色ではなく、鈍く発光する腕輪…。管理官の持つ腕輪と呼応している?」
反対側の桟橋では、ルークとビショップがパズルを観戦している。
カイトの"オルペウスの腕輪"は、彼の呼び掛けで発動したように思えた。

『さあ、ここまで登ってきてよ。カイト』

支柱が飛び出す音の間隔が、早まる。
「…っ!!」
キュービックがハッと目を見開き、ノノハとエレナもモニターを覗き込んだ。
「キューちゃん? どうしたの…?」
彼の目線は、少しずつ地上へ近づいてきたカイトへ向けられた。
モニターの脳波パラメータは、すでに振り切っている。
「カイトの意識が、腕輪に呑まれる…っ!」
ゾッとした。
「カイト?! カイト!!」
思わず手摺を掴み、名を叫んだ。
彼は自分より柱数本下段にいるギャモンを、ただ見下ろしている。

戦局が、膠着した。

「おいカイト! さっさと次の手を言いやがれ!」
下から怒鳴ったギャモンを、真っ赤な右目が見据える。
何を考えているのか、普段は分かりやすい程真っ直ぐな瞳が、恐ろしかった。
(腕輪なんて、そんなもんお前にゃ必要ねーだろうが!!)
間近で見てきたからこそ、分かる。
カイトは他に並ぶ者が居ないと思えるだけの、ソルヴァーだ。
だからこそ、ギャモンはギヴァーへ転身した。
己のパズルで負かしたいと、本気で思えた相手であるからこそ。
(感情が無くなっちまってるなら、さっさと次の手を言えば良い!)
負けが、見えていた。

♪〜♪〜

ビショップの携帯電話が鳴る。
「はい。ええ…、は? 侵入者?」
なぜか開いたドーム天井へ向いたビショップの視線を追い掛け、ルークも空を見上げる。
「!」
在るはずのない"龍"が、嘶いた。
(なぜ…)
彼はもう、来ないはずなのに。
夜闇からふわりとそよ風を伴い、パズルの縁へと降り立った影。
さん…?」
ノノハたちもまた、不意の闖入者に視線を奪われる。
「あの服…確か最初の」
彼が√学園の校庭へ落ちてきたときに、着ていた衣服だ。
作業着に近い真っ黒な衣服には、緋色の刺繍が散っている。
制服姿の彼を見慣れていたはずなのに、それは"この場に"相応しい姿だと思えた。
彼の履くA.Tも併せて、夜に映えるその姿が。
…?」
ギャモンには初めて見る姿だったが、なぜか違和感はない。
場の人間すべてを見遣り、はそっと音を紡ぐ。

ーーー"九つ首(ナインフォール)の鐘が鳴る。トロパイオンの扉が開く"。
ーーー"八本の道、八人の王"。
ーーー"追い、求めよ。空の玉璽(レガリア)を"。

不思議な謳だった。
「なんなの…あの詩は」
パズルから視線を外したエレナが、独りごちる。
誰もが息を詰め、静寂だけが反響(こだま)する空間。
ギヴァーとソルヴァーの戦いの場は、彼の舞台へと様変わりしていた。

「ずっと、考えてた。何で俺はこの世界に落ちてきたのか」

ぽつりと零したに返す答えなど、誰も持たない。
「人は己の歩んできた道を振り返り、ある地点を思い出してこう思う。
『ああ、あれが人生の転換点だった』と」
そう思うのが1人であれば、それは"人生"という個人のもの。
「でも思い返した人が皆、『あの出来事が転換点だった』と認識していたら?」
誰に問うでもない言葉に対し、ソウジが口を開く。
「…それは、何らかの歴史に刻まれるものだね」
政治的なものでも、天災でも、誰かの訃報も時に値する。
はソウジを見上げ、頷いた。
「そう。知っていれば誰もが納得する、時間の節目。歴史の変わり目」
"それ"はいつだって、目の前で起きてきた。
何の意図も無く訪れた場所で、連れ立った地で、話したその先で。
「俺は元居た世界で、『傍観者』と呼ばれた。A.Tの根幹に関わる歴史を見届ける者と」
ルークは目を見開いた。
「ルーク様の彼に対する評価は、正しかったということですね…」
ビショップの言に、小さく頷く。
はすっと腕を伸ばし、指先は彼の足元を指差した。

「ここも同じだ。俺が見てきたのは、見ているのは、『歴史の変わり目』」

確かに、とソウジは内心で同意を示し、そして感ずる。
(まさか)
が√学園の校庭に落ちて来たのは、カイトが"オルペウスの腕輪"と契約した数日後。
彼がこの世界へ落とされた訳は、誰も知らない。
だが、もしも。
(もしも君の役目が、『そう』であったら?)
ゴーグルを首へ下ろし、彼はカイトを呼んだ。
「カイト」
カイトの視線はずっとへ向いているが、感情脳波に変化はない。
振り切ったままの脳波に、キュービックは懇願に近い思いを託す。
(お願いだよ、カイト。さんのことまで、思考から排除しないで)
ノノハではもう、駄目だった。
今、カイトを腕輪の支配から取り戻せるとしたら。
(もうさんしか居ないんだ…!)
ノノハもソウジも、きっとエレナも、ここで誰も死なないように願っている。
止められるとしたら、それはパズルに挑んでいるカイトとギャモンだけ。

…カイトのあの赤い目は、きっと何も映してはいない。
にはそれでも良かった。
(カイトを守ると約束した。カイトはパズルを解くと約束した)
深緑と深蒼の眼を細め、はカイトへと微笑む。


「解けよ、カイト。お前の解きたい様に」

その為に誰かが死んだとしても、構わない。


「なっ?!」
エレナまでもが、手摺を掴み身を乗り出した。
「なにを…何を言っているの、スカイウォーカー!!」
彼女を見上げたの笑みは、変わらない。
すぐにカイトへと戻された視線に、エレナは苛立つ。
「ちょっと、!」
言い募ろうとした彼女の肩へ手を乗せ、ソウジはゆるりと首を振った。
「"神のパズル"と君は、1本の線だ。彼は元の世界に戻るために、"神のパズル"を欲している」
その願いはPOG以上に切実かもしれず、またカイトにとって最も重いものだろう。
「以前、カイト君は言った。君を助けるためにパズルを解き続けると」
それがどんなパズルだとしても、彼を本来在るべき場所へ返せるのならと。

『パズルを解き続けてオレがどうかなっちまっても、アイツはちゃんと見ててくれる』

パズルを捨てるより、ずっと良い。
そう告げてきたカイトは、今までで一番清々しい笑みを浮かべていた。
Before it is over the world...


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12.3.25

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