30.
『解けよ、カイト。お前の解きたいように』
パズルしか存在しない視界に見えた、深緑と深蒼。
(あの…色は…)
どんな色よりも綺麗な彩。
あの輝きがくすんでゆく様を、無視なんて出来るはずもなく。
(全部話した。視界から人が消えること。パズルを解くために、オレが感情すら捨てること)
未来らしい光景が見えることも、すべて。
だのに、彼は言った。
(見えなくても、聴こえなくても傍に居ると)
目を、見開く。
『歴史の変わり目に、誰かが殺して殺されてきた。二度と飛べない身体になった。A.T(エア・トレック)を捨てちまった。
友達(ダチ)同士だった奴らが。兄貴みたいに慕ってきた人が。まったく無関係の人たちが』
全部見てきた。
全部、目を逸らしたくても逸らせなかった。
はただ真っ直ぐにカイトを見つめ、告げる。
『お前がパズルを解くことで誰かが死んでも、誰もがお前を非難しても。
俺はお前の傍にいるよ、カイト。ちゃんとその手の届く場所に』
お前の背を押したのは、俺だから。
紛れも無い事実を、偽りようもない本心を。
(守りたかった。たった1度だけでも肯定してくれた、あいつを)
ガラガラと、モノクロの世界が崩れ落ちていく。
白黒のタイルが剥がれ落ちた向こうには、同じ景色が色鮮やかに広がっていた。
赤の右目が、ぽつりと涙を零す。
ーーー。
小さな、本当に小さな呟きは誰にも聴こえなかったが、階下に居たギャモンには見えた。
カイトの唇が、彼の名を紡いだ様を。
ピッと音を上げたモニターに、キュービックはハッと視線を落とす。
「!」
振り切って無反応であった感情脳波が、刹那大きな谷を描いた。
カイトの左腕で、腕輪が強い光を放つ。
パキィンーーーッ!
昼の明るさを発した"オルペウスの腕輪"が、砕け散った。
反動か、カイトは背後の壁にどっと背を預ける。
だがキュービックの焦りは消えない。
「どういうこと…?」
感情脳波が正常値を踏み続けても、脳波パラメータの総合値は振り切ったまま。
「カイトの脳の加速が、止まらない…っ!」
"オルペウスの腕輪"は無いのに!
彼の言葉に瞠目したソウジたちは、息を呑みパズルを見下ろす。
「…"オルペウスの腕輪"を、捨てた?」
ルークは手摺へ歩み寄る。
「そんな…」
馬鹿なことが、と続いた呟きは、無意識に出たものだろうか。
ビショップはただ、口を噤んだ。
頬を伝っていた涙を、ぐいと拭う。
(…見失わねえ。絶対に)
過ぎるはずの風が、そこで待ってくれている。
自分が先を走ることを、待っている。
壁に預けていた背を離し、カイトは足元のパズルをしっかりと踏み締めた。
「」
呼べば、美しい2色は変わらずそこに在る。
心の奥底から湧き出る想いは、カイトに偽りない喜色を浮かばせた。
「ありがとう」
ふわりと返された微笑は、その答え。
「…ああ」
星の瞬く夜空のように澄み渡った思考は、鬱屈した"愚者のパズル"でさえも照らす。
カイトの笑みには、あのパズルに対する絶対的な自信が宿る。
「お前の居た世界では、そうだったかもしれねえ。けど、ここではそんなもん見せねえ!」
ギャモンを見下ろし、言い放つ。
「解いてやるよ、オレのやり方で! オレは何一つ捨てたりしねえ!」
見えていた。
このパズルの、致命的な欠陥。
「ハートの48!」
よっこらせ、と年齢に見合わぬ掛け声で最後の段差を登り、久々の地上へ足を付けた。
思い切りよく背伸びして、ギャモンは自らの"愚者のパズル"を見下ろす。
「とんだ欠陥パズルだぜ」
遡ることここ数ヶ月、カイトのソルヴァーとしての能力に救われてばかりだ。
「その欠陥のおかげで助かったのは、どこの誰よ!」
キンと響いた声に、周囲へ頭(こうべ)を巡らせる。
声の主は、今や同僚である姫川エレナだった。
「よお、アントワネット。帰ったんじゃねーのかよ?」
「あんたに一言言いたくて残ってたのよ」
エレナは怒りをありありと浮かべたままだ。
さすがのギャモンも笑むことを止め、彼女を見返す。
怒りの眼差しでギャモンを睨み据えていたエレナは、溜め息に近い息を吐いた。
「覚えてる? あんたたちが私のパズルに挑戦したときのこと」
まだ彼女の番組"パズル・キングダム"が、女王と下僕コンセプトであった頃だ。
「あのとき、あんたたちは私の大っ嫌いな"信頼"で私を負かした。
それが何なのよ? このザマは!」
目に見えぬ信頼を、誇るかのような戦いだった。
孤独でありライバルを蹴落とさねばならない芸能界に、そんなものは存在しない。
(大嫌いだからこそ、羨ましかった)
ギャモンのギヴァーとしての素質に、POGは疾うの昔に目に付けていた。
しかし彼は、それとなく行われてきたギヴァーへのスカウトを蹴っていたのだ。
ルークが声を掛けるまで。
エレナはヒールの音高くギャモンへ近づくと、自分よりもかなり背の高い男を見上げる。
その眼前へ、ビシリと指を突き付けた。
「今度あんたがこんな血迷ったことをするなら、私があんたをここから追放してやるから」
ソルヴァーとしての意地も、ギヴァーとしての誇りも無い人間を、POGに属させるわけにはいかない。
それはPOGギヴァーとして屈指の実力を誇るエレナであるからこそ、言える言葉だった。
「優しいね、お姫様は」
ふわりと風のように流れてきた声に、2人は揃って上を見上げた。
開いたドーム天井から、がひらりと降りてくる。
「スカイウォーカー…」
カイトたちと戻ったのではなかったのか。
疑問を表情に乗せたエレナへ笑みを返し、彼の視線はギャモンへと移る。
「後々、カイトとノノハにもやられるだろうけど。身から出た錆だからな」
ゴーグル越しでない深緑と深蒼、美しい色に刹那宿った殺気。
ギャモンは息を呑んだ。
…その、鮮烈なまでの彩りは。
次の瞬間、エレナは思わず両目を瞑る。
頬を拳で殴られ、ギャモンは有に3mは吹っ飛ばされた。
ドサリと背を打ち付けた痛みが、殴られた痛みよりも背骨からじりじりと響く。
「…てめぇ…!」
ギャモンは上体を起こし己をぶん殴った相手を睨み上げたが、先の言葉は呆気に取られて出てこなかった。
真っ赤な龍の顎(あぎと)が、剥き出しの敵意で牙を見せる。
A.Tの銀色が、紅に染まっている気がする。
「どんな理由があろうと、裏切り者は大っ嫌いだ」
それ程までに強烈な、敵意という概念を形にしたような姿。
(んだよ、これは…)
彼の"龍"は、青ではなかったか?
立ち上がることを忘れたギャモンを見下ろし、は嗤う。
「蹴りじゃないだけ感謝しろよ」
今の俺の蹴り食らったら、一般人は死ぬから。
刹那襲って来た刺すような風に腕で顔を庇えば、すでに彼の姿は飛び去っていた。
彼が巻き起こす風すら、以前とはまるで違う。
「どうしたのよ…あの人。前に会ったときは、あんなのじゃなかった」
星空を見上げ、エレナは同じように空を見上げた日を思い出す。
空を翔ぶなんて経験は、あれがきっと最初で最後だ。
「ねえガリレオ、どういうことなのよ? あの人、どうして…」
彼が去った夜空を仰いだまま、ギャモンは溜め息を呑み込む。
殴られた頬がかなり芯に響く。
「…分かんねーな。けど、ちょっと前から様子がおかしくは、あった」
POGへ入ったときの話だ。
あのとき見た彼は、脆くて壊れそうだと思いさえした。
だが今は。
(…目の前のもん、全部薙ぎ払っちまいそうだ)
建物も、『人』ですらも。
POG側から√学園まで送るという有り難い申し出を受け、カイトたちは学園のロータリーまで戻ってきた。
口数が少ないことは、どうしようもない。
カイトは時折ズキズキと鈍痛を発する額を抑え、やって来た方角を振り返る。
(…)
彼のおかげで、自我を取り戻せた。
彼のおかげで、"オルペウスの腕輪"と決別することが出来た。
けれど。
「カイト君」
ソウジに名を呼ばれ、視線を戻す。
「君に、話しておかないといけないことがあるんだ」
話しそびれていたんだけど、と続いたはずの言葉が、不意の突風に遮られる。
「うわっ?!」
「きゃっ!」
無数の極細の針で肌を刺されたような、そんな風だった。
慌てて顔を上げれば、学園とは別の方向への姿が飛び去る。
(…え?)
見間違いかと、目を擦った。
(赤い、龍?)
「イギリスのときと同じ…か」
「え?」
低く落とされた言葉に、もう一度ソウジを見遣る。
彼はPOG端末を取り出すと、ある映像を表示させた。
「これがどこか、カイト君は分かるよね」
ノノハとキュービックも、カイトに倣って端末を覗き込む。
「なに、これ…」
「どこかの塔、だよね? ボロボロというか、どうやったらこんな風に壊せるのか解らないけど」
石材カッターで引き裂いても、こんな巨大な爪痕を石造りの壁に、それも無数に残すことは出来ない。
ましてや、鉄の歯車を両断にするなど。
「…『愚者の塔』だ」
カイトの言葉に、ノノハもキュービックも息を呑んだ。
1つしか浮かばない解を、カイトは絞り出す。
「が、やったんだな?」
ソウジは頷く。
「その日、地元の新聞とネットニュースには"赤いドラゴン"が塔に蜷局を巻いて嘶いた、と載った」
「!」
が飛び去った方向をもう一度見て、ノノハは戸惑いを隠せない。
「じゃあ…、さっき"赤い龍"が見えたのは…」
見間違いではなく?
自宅へ帰り着いても、ホッとするどころか焦りが募る。
電気を付けぬまま自室へ向かい、カイトはベランダへ出た。
(せめて、"神のパズル"が何なのか分かれば)
どこにあるのか、どんなものなのか、一切の情報が手元にはない。
知っているとすれば。
(…ルーク)
かつての親友、只1人だけだった。
Also too impatient, time.
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12.6.10
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