31.  

「全員揃った?」
「はい。すでに」
POGジャパン内の会議室へ向かいながら、ルークはビショップへ尋ねる。
…カイトとギャモンが"愚者のパズル"で戦ってから、3日が経つ。
今日、ルークはPOG各支部へ通達を出していた。

『グリニッジ標準時間PM1:00、"ファイ・ブレイン"計画に関する新たな情報を開示する』

会議室へ入れば、ジャパン支部の幹部たちが待ちかねていた。
壁1面を占拠する巨大なモニターには、各支部の幹部たちの姿が所狭しと映っている。
ルークの姿を認めた誰もがざわめき、そして居住まいを正す。
全員が揃っていることを確かめ、ルークは口を開いた。

「待たせたね。それじゃあ、始めようか」



ざあざあと途切れること無く降る雨は、心を洗うものだろうか。
それとも、心をも水浸しにしてしまうものだろうか。
食堂のテラスから分厚い黒雲を見上げ、ノノハは小さく息を吐いた。
「雨ってどうしてこう、憂鬱になるんだろう…」
静かに筆を走らせながら、アナはその言葉を拾う。
「雨は恵み。雨が降っているときは、憂鬱かもしれない。でも雨は、いろいろなものを流していく」
だから雨が上がれば、綺麗な青空が見える。
アナはキャンバスから目を離し、描きかけのスケッチブックを見下ろした。
このスケッチブックだけは描くものが決まっていて、それはいつからか描けなくなってしまって。
「…"龍"は、『嵐』を呼ぶ」
「え?」
「嵐の間は誰も動けないけど、嵐が過ぎ去れば…皆が空を見上げる」
綺麗に晴れたねって、笑って。
彼女の言い回しは余りに独特すぎて、ノノハは理解できないのが常だった。
けれど今、彼女が言ったのは。
さんの、話?)
出し抜けに、ノノハの携帯電話が着信を告げた。
「び、びっくりした」
画面を見れば、キュービックからだ。
「もしもし、キューちゃん?」
『ノノハ! そこにカイト居ない?!』
「ここには居ないよ。たぶんさんのところに…」
すると彼は、電話向こうで思案の沈黙を寄越した。
『カイトと…出来ればアナも連れて、ボクの研究室に来て欲しいんだ。出来るだけ急いで!』
は、√学園高等部本館にある宿泊施設に戻っていた。
…病院に居ようが居まいが、症状は何も変わらない。
それが医師と、本人も含めた判断だった。
昼夜が反転してしまっていることも、覚醒している時間が短いことも、変わらずに。

ノノハがアナと共にやって来れば、予想に違わずカイトはそこに居た。
暗いかと思っていた部屋は存外明るく、ベッドの影を消さぬ程度にカーテンが開けられている。
「どうした? 2人して」
こちらを見たカイトが手にしている組み木パズルは、彼のものだろうか。
それとも、が持っていたものだろうか。
深くは考えず、ノノハは要件を切り出す。
「キューちゃんが呼んでるの。急いで研究室に来てくれって」
「キュービックが?」
「うん。なんか、軸川先輩も一緒らしいの。私とアナも呼ばれて」
彼女の後ろからひょっこり顔を出したアナが、にこりと笑う。
「アナも一緒〜カイト、行こう!」
「ああ、分かった」
立ち上がったカイトは扉を閉めようとした手を止め、眠るを見つめた。
(今日は…)
今日は、起きるだろうか。

キュービックの研究室へ入ると、部屋の主とソウジが食い入るようにパソコンの画面を睨んでいた。
「何かあったのか?」
自然、問い掛けるカイトの眼差しも険しくなる。
キュービックは声だけを寄越した。
「大有りだよ。POGのシステムへのハッキングが成功したんだ!」
「なんだって?!」
彼らの見つめるディスプレイを覗き込めば、見慣れた電子の迷宮があった。
POG端末に表示される、青と白のグリッド。
「凄いんだよ、キュービック君。時間は掛かったけど、ここまで1人で突破したんだ」
ソウジが林檎ジュースを片手に、キュービックを褒める。
褒められたキュービックは何事か言い淀んでいたが、すぐに胸を張った。
「ま、まあね! ボクの腕に掛かればこれくらい!」
それに、と彼はカイトを見上げた。
さんを助けたいのは、ボクも一緒だから」
カイトは心からの笑みを返す。
「…ありがとな、キュービック」
間近で真っ直ぐに見つめられるというのは、相手が誰であれドギマギするものだ。
キュービックは慌ててディスプレイへ視線を戻す。
「ほ、ほらこれ! 全部のセキュリティパズルに、鍵(キー)が割り当てられているんだ」
鍵はジャパン支部を含めた各地の幹部1人1人が担当し、細分化されている。
そしてすべての鍵が揃うと深奥部への入り口が現れ、さらに厳重なセキュリティパズルが現れる仕組みだ。
「…何か分かったか?」
問えば、キュービックは新たな画面を隣のディスプレイへ表示させた。
「うん。POGの総帥はピタゴラス伯爵なんだけど。8ヶ月前から一度も、誰の前にも姿を見せていないんだ」
「え?」
彼が表示させた画面は、"重要"と電子署名の押された会議記録。
どの文書にも、ピタゴラス伯爵の名前は入っていない。
「それから…これ。ルーク・盤城・クロスフィールドが、"管理官"の任を受けた日付」
およそ4ヶ月前の日付で、彼は"管理官"の肩書きを得ていた。
巨大なPOGは組織の大きさ故に幹部にランク付けが為されているが、管理官のポストは1つしか無い。
ノノハが眉を寄せた。
「おかしくない? だって、管理官の上にはピタゴラス伯爵しか居ないんでしょ…?」
同じPOGの人間であるソウジが首肯する。
「そのとおりだよ、ノノハ君。つまりルーク管理官は」
彼だけが伯爵の行方を知っているか、それとも伯爵の意向を無視しているか。
「カイト」
名を呼ばれ、カイトはキュービックを見遣る。
彼が操作する画面には、新たなセキュリティパズルが表示されていた。
「これを解いて欲しいんだ。こればっかりは、ボクでも軸川先輩でも駄目だった」
一目見ただけで、かなり高度なパズルであることが分かる。
カイトに席を譲り、キュービックは続けた。
「各支部の幹部の鍵を手に入れたら、出てきたんだ。ビショップって幹部のキーパズルが」
「あの人は中央戦略室の幹部だからね。各支部の幹部を纏める本部長と、立場は同等だ」
パズルに向かいながら、カイトは確信を抱く。
「…このパズルの先にあるのは、ルークのセキュリティパズルだな」
誰もが、無言で頷いた。



ルークは居並ぶ幹部たちを前に、注釈を付けた。
「議題は3つある。深い質問は最後に受けるから、各支部ごとに纏めておいて」
『Yes, sir』
会議記録が始まったことに加え、さらにある1点を確認したルークは話し始めた。

「まずは1つ目。"ファイ・ブレイン計画"は最終段階に入った。
よって、近いうちに『神のパズル』開放の手順を踏むことになる」

場の誰もが息を呑む。
「相手のソルヴァーは、兼ねてより計画に組み込まれていた"大門カイト"」
ファイ・ブレイン候補として管理下に在った子供は、各国に居る。
その中で突出していたのが、彼だったというわけだ。
『おお…やはり…』
『して、ギヴァーはピタゴラス伯爵が?』
ルークは首を横に振る。
「…いや。これは議題の2つ目で詳しく話すけど、ピタゴラス伯爵ではもう務まらない」
今度はビショップですら首を捻った。
(ルーク様?)
口元に笑みを敷き、ルークは答える。

「彼の相手は僕がやるよ。このルーク・盤城・クロスフィールドがね」

ビショップが横から口を挟む。
「失礼ですが、ルーク様。ここはやはり、ピタゴラス伯爵にご登壇いただく方が…」
彼を含め他に言い募ろうとした者たちを、ルークは笑み1つで黙らせた。
「…仕方がないね。先に議題の2つ目を話そうか」
特別ゲストも来たようだし、と胸の内で囁き。



最後の数字が埋まる。
「解けた…!」
カイトが解いたセキュリティパズルの先には、POG内部で行われている事象のタイムテーブルがあった。
各支部の会議、支部の内部ミーティング、外部で行われているソルヴァーへの依頼や挑戦、等々。
「ねえカイト、あれなーに?」
アナが指差した箇所を、誰もが注視する。
"In progress"という文字が点灯している、それは進行中の会議らしい。
参加者の概略を見たソウジが、目を剥いた。
「これは…各支部の幹部が全員?!」
そこには当然、カイトたちもよく知る名前が並んでいる。
どうやら映像と音声にロックは存在せず、覗き見ることが出来そうだ。
「…入るぞ」
誰に確認するでもなく声を投げ、カイトは会議名をクリックする。



1つだけ、とルークは前置きを行った。
「これから話すことは、すべてピタゴラス伯爵の計画の内であると念頭に置いて欲しい。
それは『僕が黙っていたこと』も含めて、ね」
良いかな? と念押しを行った彼に、返す言葉を持つ者はいない。
しん、と静まった会議室で、ルークは厳かに告げる。

「ピタゴラス伯爵は、半年前に逝去(せいきょ)されたよ」

絶句したのは、会議を覗き見たカイトたちも同様だった。
「なん、だって…?!」
声もなく、ただルークの言葉の先を待つ。
彼だけが、言葉の先を知っている。

「だから、僕はさっき言ったんだ。"ピタゴラス伯爵ではもう務まらない"と」

しかし、と言葉の先を失った幹部たちに、ルークは目を細めた。
「支部長レベルでも務まると言いたげだけど、君たちは忘れたかい?」
"神のパズル"開放の条件を。
「条件…と言いますと?」
らしくもなく、フンガが問いを問いで戻してきた。
誰もが驚愕に言葉を失くし、頭の回転まで鈍ってしまったか。
ふふっ、と笑みを零し、ルークは自身の服の右袖を捲り上げた。

「"神のパズル"開放の第1条件は、ギヴァーとソルヴァー、双方が"ファイ・ブレイン"であること」

彼の右腕に輝く、それは"オルペウスの腕輪"。
金色に輝き続ける腕輪は、常時発動していることを意味し。
「ルークが…ファイ・ブレイン…?」
呆然と画面を見つめるカイトは、あることに気づく。
(まさか、あいつがいつも左眼を髪で覆ってるのは…)
静寂に包まれた画面の中で、ルークだけが平静だった。
「さて、これで議題は2つまで済んだね」
彼は腕輪を元のように袖で隠し、改めて集まった幹部たちを見回した。
「3つ目の議題だが、これは今までの議題とは逆だ。
『僕自身の考えと疑問』が元であると認識してもらいたい」
「…ルーク様ご自身の、ですか」
どういうことだろうかとオウム返しにしたビショップに、頷きを返す。
「そう、僕自身が持っている疑問だ。これを君たちにも考えてもらいたい」
何を話す気か、カイトたちにも皆目検討が付かなかった。
(ルーク…。何を?)
彼は浮かべていた笑みを消し、視線を落とす。


「…僕は常々思っていた。『POG』とは、過去からこのような組織だったのか? と」
Thou to reach the truth.


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12.6.24

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