32.  

見えた未来の道筋は、今どうなっているのだろう。
オルペウスの腕輪が外れたカイトには、もう何も視えない。

POGの会議を盗み聞きしたことで受けた衝撃は、どうあっても拭えなかった。
ルークに対する疑問ばかりが渦巻くカイトを、ノノハは見守るしかない。
互いに黙ってしまったところで、彼女はあっと思い出した。
「そうだ。ねえカイト、さんのメアドと番号教えて!」
確か通じる携帯電話、持ってたよね?
「別に良いけど…何でまた?」
問うてみれば、彼女は困ったように笑った。
「うん…。さんとね、もっと話したいんだ」
それはきっと、カイトと己だけではないはずで。
「でも会いに行っても、さんが起きるか分からないから」
夜中に電話したら、話せるかなって。
「…そっか」
テーブルに放り出していた携帯電話を手に取り、カイトは電話帳を捲る。
「お前のスマホ、赤外線出来たっけ?」
「えっ、うーん、……」
「分かったよ。ほら、手で打ち込め」
ノノハが携帯電話を占有している間、カイトは視線を自室の窓の外へ投げた。
夜闇深まる空には、これから現れるのか消えるのか、糸のように細い三日月。
それがまるでを見ているようで、知らず息を詰めた。
(…大丈夫、だ。あいつは、消えたりしない)
「よし、出来た!」
元気の良い声と共に、携帯電話を返される。
返された携帯電話の画面を見下ろし、カイトは電話帳がスカスカだと改めて思った。
(この学園に入ってから、一気に増えたんだよな)
ノノハ、キュービック、アナ、連絡を取らなくなったギャモン。
解道の番号は元から登録していたが、そこへソウジと姫川エレナ。
今をときめく芸能人とアドレス交換とは、中々にレアな体験だろう。
それから、同じ名前で数字分けされた2つのアドレス。
の持ってるケータイ…)
壁掛け時計を見上げたノノハが、暇(いとま)を告げた。
「じゃあ私、そろそろ帰るね」
顔を上げたカイトが、微笑む。
「ああ。お休み」
ノノハも笑みを返す。
「うん。お休み、カイト」

カイトの家を辞したノノハは、自宅へとマンションの廊下を歩む。
扉の前で立ち止まり、来た道を振り返った。
「…このまま、さんと話せないままなのかな」
もうずっと、物思いに沈むカイトしか見ていない気がする。
だからこそノノハは努めて普段通りに振る舞うのだが、ほんの数カ月前のことを思い出さずにはいられない。
(初めはみんな、もっと楽しそうだったのに)
青空の下で笑い合っていたはずが、いつの間にか闇夜に散ってしまった。
時刻はまだ20時。
(0時なら、起きてるかな…?)
どうしても、と話したいことがあった。





1人だけの静かな部屋で、登録外の電話番号が着信を告げる。
「一体誰だ?」
カイトは眉を寄せ、通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『やあ、カイト』
「え?」
何だか聞き覚えのある声だと感じたのも、道理で。

『僕だよ。ルークだ』

息を呑む。
(何で…)
携帯電話の番号を知られていることではない。
なぜわざわざ電話をしてきたのか、だ。
「…どうしたんだよ? お前が自分で連絡つけるなんて」
ずっとそう。
彼の言葉と姿があったのは、あの『愚者の塔』ただ1つだけで。
クスリ、と通話向こうから笑みが返る。

『今日の会議、興味深かっただろう?』

途端、カイトの脳裏で噛み合わなかった事柄が繋がった。
「やっぱり、わざと入れるようにしてたのか…!」
進行中の会議の閲覧に際して、パスワードが必要とされなかったこと。
タイムテーブルが、ビショップのパズルのみで保護されていたこと。
会議の内容で立ち消えてしまった違和感は、スケジュールを見た頃にはすでに首をもたげていた。
…これは、他の誰の為でもない。
(オレがあの会議を見るように仕組んだんだ…!)
カイトの周囲がPOG内部システムへの侵入を試みるのは、当然予測が付いていたはず。
ならば、パズルの難易度を予め変えることも容易い。
矢継ぎ早に口にしようとした言葉を、ぐっと呑み込んだ。
「…何がしたいんだよ、ルーク」
カイトには、親友であるはずの彼が視えない。
次の沈黙は長く。

『ねえ、カイト。明日1日、君の時間を僕にくれないかな?』





教えてもらったばかりの番号を表示する画面を前に、ノノハはむむ、と考えた。
時刻はそろそろ、日付変更線。
(出てもらえない可能性、忘れてた…)
が、電話帳にない番号を取らないスタイルだったら?
悶々と悩んで、さらに30秒。
「ええぃ、掛けちゃえ!」
大きな決意とは裏腹に、プッシュ1つでコールは鳴り始めた。
5回、6回、と続き、やはり無理だろうかと不安になってくる。
『…もしもし?』
思わず、繋がった! と騒いでしまうところを慌てて切り替えた。
「あ、あの、私ノノハです! いきなり電話しちゃってすみません…!」
電話越しとはいえ、の声も何日ぶりに聴いただろう。
彼の驚いた気配は数秒ほどで、苦笑が返ってくる。
『悪いな、わざわざこの時間帯見計らってもらって』
見えはしないが、ノノハはふるふると首を振った。
「ううん、良いんです。私がさんと話したかっただけだから」
『…じゃあ、そっち行こうか?』
「え?」
『カイトと同じマンションだろ? 夜中に男が訪問する、ってのに目を瞑れるなら』
「えっ、でも…良いんですか?」
『俺は構わない。5分もあれば着くし』
「じゃ、じゃあ、私ベランダに出ますね!」
通話を切った携帯電話を見下ろし、ノノハは内心でカイトに手を合わせる。
(ごめん、カイト!)
一番会いたいのは、彼だと分かっているのに。

ベランダに出れば、夜風がさらさらとそよいでいる。
ノノハは携帯電話を片手に細い三日月を見上げ、まるでのようだと唐突に感じた。
(何でだろ…)
彼は消えたりしないのに、儚さが三日月に重なってしまう。

不意にザッと風が吹き下ろし、驚いて目を閉じた。
「お待たせ」
またそよぎに戻った風に顔を上げれば、黒と赤の衣服に身を包むが少し離れて佇んでいた。
彼はポケットから携帯電話を取り出し、軽く小首を傾げる。
「番号、カイトに聞いた?」
ノノハが頷けば、彼の柳眉はやや寄せられた。
「…なら、何か言って来そうなのに。らしくねえな、カイトも」
「えっ?」
思わず声を上げれば、小さな溜め息が返る。
「ノノハの電話の、1時間くらい前に。カイトから電話が来たんだ」
携帯電話を見下ろしたまま続けられ、ノノハはもやもやとした疑念を抱いた。
「カイト…、何も言ってなかったんですか?」
「ああ。他愛ないいつもの会話以外には、何も」
「…何も?」
どういうことだろう。
の美しい眼が、つと細められた。
「何か、あったのか。今日」
断定されてしまえば否定の術はないが、ノノハは答えを躊躇した。
(カイトが言わなかったこと、勝手に言っちゃって良いの…?)
覗き見た、POGの幹部会議。
ルークのことは、も知らぬわけではない。
(でも、カイトに何か考えがあるのだとしたら)
誰よりもに近くて、傍にいて、誰よりも強く助けたいと願っている彼が。
そのカイトがわざと黙っているものを、伝えて良いのだろうか?
曖昧な沈黙は不自然なほど長く、思い悩むノノハを視界から外したはそっと手摺へ身体を預けた。

空を区切る天井、見つめる視界を片腕で覆い隠せば、即座に襲ってくる微睡み。
起きているか眠っているか、じわりと迫る選択。
(だけどまだ、俺は"ここ"にいる)
どうしようもない閉塞感に窒息しそうになりながら、それでも手を伸ばしているのに。

「あいつ、俺を置いていく気かよ…」

カイトを守ると約束した。
もう見続けなくて良いと言われた。
けれど、告げたはずだ。
(その手の届く場所に居ると、言ったはずだ)

なのに置いていかれたら、手を伸ばされても掴めない。

ぽつりと零れた、の言葉を拾ったノノハの耳元で。
警鐘が鳴り響いた。
(いけない)
カイトにとってのノノハは『遠ざけて守るもの』であると言ったのは、だった。
ならば彼は、カイトにとって『遠ざけなくても守れるもの』なのだろう。
自分たちには話さなかったことを彼には打ち明けていた事実を、ノノハはそう受け止めていた。
(…でも、違う。変わってしまった?)
現にカイトは、今日見聞きした出来事をに伝えていない。
(カイトはさんを守ろうと、助けようとしてる。でも、)
それではいけない。
(私もさんを助けたい。私に出来る限り)
カイトが伝えなかったのなら、それを勝手に伝えるのはフェアじゃない。
けれど、黙っているのだってフェアじゃない。

さん」

1つの決意を胸に、ノノハは顔を上げた。
Our wishes should be the same.


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12.7.22

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