07.
せっかくのリゾートバカンスが、なぜこうなっているのか。
ノノハは思わず吐きかけた溜め息を呑み込んだ。
(うう…なんでこうなるのよ…)
浜辺を見れば、銘々が好きなように過ごしている姿が見える。
が、どう見ても"普通の過ごし方"ではない。
例えば、アナは手元で何か書いているが、それはスケッチブックではない。
タブレット端末に描かれた迷路を、手にしたタッチペンで解いている。
キュービックはアイリと共に、砂地へ魔方陣やらワードスクエアやらを描きまくっている。
エレナは自分が創ったパズルをカイトに解かせ、ギャモンはソウジと共に対戦型パズル談義を咲かせている。
タマキはミハルへパズルの作り方を指南し、楽しそうだ。
「なんでこうなってるのよ…」
屋敷の1階テラス、優美な曲線と円で造られたカフェテーブルに突っ伏し、ノノハは南国に居るとは思えないうめき声を上げた。
海で思い切り遊ぶ予定が、周り皆が皆これでは遊ぶ気も削がれるというもの。
するとクスクスと小さな笑い声が降り、顔を上げた。
「ノノハの頭上だけ、雨雲だな」
なぜこうも、美人というのはどこにいても絵になるのだろうか。
「さん…悟ってくださいこの私の気持ちを…!」
日差しにはあまり強くないようで、は長袖姿だ。
海にも入らずほぼ日陰の民となっているが、それはそれで素晴らしいリゾートライフに見えた。
暗雲を背負うノノハの前に、コトリと差し入れされたアイスココア。
それはもう、魅力的だ。
ノノハは有難く受け取り、絶妙な甘さに落ち込んだ気分を持ち直した。
大きなパラソルが差されたテラスは通る風も合わせ、暑さの中に心地好さがある。
「他のヤツらがパズル漬けなのが悔しい?」
なんと率直に聞いてくるのか。
浮上した気分は、浮上させた当人によってまた撃沈される。
ノノハは視線をココアへと落とした。
「…だって、私はパズル解けないから」
オルペウス・オーダーとの一戦で感じた疎外感ほどではないが、やはり孤立感はある。
しかしは笑った。
「何馬鹿なこと言ってんだ。パズルだと認識してないだけで、基本的に誰でもパズルは解いてる」
「え?」
考えもしないことを返され、視線を上げる。
(どんな瞬間を切り取っても雑誌に載りそう…)
同じくアイスココアを飲むを見遣って、思考が飛んでしまった。
「えっ、それ、どういう意味?」
気を取り直して聞き返せば、例えば、とは指折り数える。
「ジグソーパズル」
「あ…」
「クロスワードパズル。簡単なもので良い。新聞とか雑誌の付録とか、解いたことあるだろ?」
「…そういえば」
「点つなぎパズル。1から始まる数字を順に線で結んで、絵を浮かび上がらせる」
「あるある! 幼稚園の頃とかよくやった!」
「塗り絵パズル。決められた色で決められた部分だけを塗る。塗り終わると絵が完成する」
「…それ、何ヶ月か前にやったばっかり……」
あれ? じゃあもしかして私もパズル解ける?
再び憂鬱状態から脱したノノハへ、が1枚の紙とペンを差し出す。
そういえばここに来てからの彼は、常に方眼の入ったノートと機能ペンを持ち歩いていた。
縦に捲っていき、すぐに切り取れるようなタイプのものだ。
渡された紙を見下ろし、ノノハは首を傾げる。
「これって…魔方陣?」
3×3マスの中に数字が3つ入っている。
は頷いた。
「それなら解けるだろ? 斜めは考えなくていいから」
「え? うん…?」
縦と横、どの列と行を足しても同じ数字になるように、空いたマスに数字を入れる。
「出来た!」
数字を埋めた紙を彼へ返せば、正解、とまた別の紙を渡される。
「今度は斜めも合わせて」
同じ3×3マスの中に数字が3つあるが、先ほどと数字は違った。
「ええっと…斜めに足しても同じ数字に…」
簡単な足し算に頭を捻りつつ、数字を埋める。
「出来た!」
再び数字を埋めた紙を返し、正解、と言葉を貰う。
どうやらは、ノノハが解いている間に別のものをノートに描いているらしい。
ノートに何かを書き加えたものがピリリと破られ、また目の前へ差し出される。
それを見たノノハの顔は、図らずも輝いた。
「あっ、虫食い算だ! 懐かしい〜」
え? これもパズル?! と驚く彼女へ、は頷く。
「本格的なやつは、ほとんどの数字が見えないけどな」
ノノハとがテラスで何やらやっているのは、気づいていた。
しかも思いっきり沈んでいたノノハが徐々に持ち直す様を見れば、何をしているのか興味が沸くのも当然だ。
カイトが手を止めたので、エレナも彼の視線を追い掛ける。
「あら、さんとノノハ? 何をしてるのかしら…」
彼女も好奇心に負け、意識がそちらへ向いた。
テラスへ行けば、ついでに喉を潤すことも出来る。
2人がテラスの手摺向こうへやって来たことに気づき、ノノハは手を止めた。
「見てカイト! 私もパズル解けるよ!」
ほら! と彼女が示したテーブルの上には何枚もの紙が雑多に配され、そのどれもが解かれたパズルだった。
本当に初歩的な(もしかしたら初心者用よりも簡単な)ものばかりだが、パズルを前にしてこんな笑顔のノノハは初めて見た。
「楽しそうだな…」
珍し過ぎてカイトが呟けば、彼女も気づいたようで自らに疑問を持つ。
「…ほんとだ。私、パズル解いてるのに楽しい」
止めた手をもう一度動かし、最後の枠を埋める。
「出来たよ、さん!」
返された回答が正答であることを確認し、はノノハへ合格点を出した。
「OK。ここで俺が出したパズルは、もう初心者卒業だな」
「ほんと?!」
「そ。これが卒業試験」
そうしてまたノノハの元へやって来た紙には、4×4の魔方陣が。
「やり方は3×3と同じ。斜めも合わせること」
うっ、と彼女が眉を寄せたことを、見逃すわけもなく。
は続けた。
「速く解こうとしないこと。正解だけを書こうとしないこと。
もう一度言うが、やり方はさっきまでと同じだ。良いな?」
やや色の薄いサングラスの向こうからじっと見据えられ、ノノハは思わずシャキっと背を伸ばす。
「が、頑張りマス!」
そうして4×4の魔方陣へ取り組み始めた彼女に、カイトは笑みを浮かべた。
(すっげー…)
よくよく考えてみれば、カイトもその周囲も元からパズルが得意な者ばかりだ。
ゆえに初めから『解けるはずだ』という先入観があり、今ののようにノノハへ教えたことなど一度もない。
エレナはそっとテラスへ上がり、散らかされたパズルを何枚か手に取る。
「…美しいパズルだわ」
筆跡が違うので、が初めに書いていた箇所はすぐ分かる。
「これなら誰だって、解いてみたくなる」
見てみなさいよ、と回答済みの紙を渡され、カイトは息を呑んだ。
(これ…)
初めに存在した数字が、なぜこの数でこの位置なのかと興味を湧かせる。
回答ですべての数字が並べば、何も分からずともきっと"綺麗だな"と感じるはずだ。
しかし、カイトは気づかれぬようそっと眉を寄せた。
(このパズル…)
パズルは創り手の心を映す。
カイトは手元のノートに新たなパズルを描いているらしいを、複雑な思いで見つめた。
「さんもパズル創るのね。この完成度、POGに勧誘したいくらいだわ…」
ほぅ、と感嘆の溜め息をついて、エレナがを見る。
そう思わない? と話を振られ、カイトは素直に頷いた。
「ああ。こんなパズルなら、いつまでだって解き続けられるぜ」
何分経っただろうか。
不意にノノハが手を挙げた。
「出来ました…っ!」
それは大事件だ。
カイトとエレナは出題者よりも先に彼女の回答を覗きこみ、互いに顔を見合わせた。
「凄いわノノハ! 正解よ!」
「ほ、ほんと?!」
恐る恐る手元の魔方陣をへ差し出せば、彼はにこりと爽やかな笑みを寄越した。
「おめでと。これでノノハの肩書きから『パズルが解けない』っていうのは消えるよ」
「やったーっ!!」
ノノハの歓喜の声は、浜辺の面々にもよく届いた。
なんだなんだ、と他のメンバーもとノノハの周りへ集まってくる。
はまた手元のノートを千切り、渡す前にノノハへ尋ねた。
「迷路の解き方は知ってるか?」
彼女は首を捻る。
「ええっと、右手を付いて?」
「それは自分が迷路に入って解く場合。紙の上だったら?」
「…あ、行き止まりを塗り潰す!」
正解、と彼はノノハへ手にした紙を渡した。
「頑張ったノノハにプレゼント。せっかくだから、黒以外の色で塗ってみな」
その視線はエレナへ向き、受けた彼女は頷く。
「ちょっと待ってて。カラーペン持ってくるから」
は軽く伸びをし、立ち上がった。
「この量は久々に創ったな。昼寝してくる」
本当に、どんな動作をしても表情になっても、絵になる人間だった。
(美人ってすげーなー…)
アイリやミハル、タマキが彼の姿に惚けているのは、もはや見慣れてしまった。
カイトもまたいちいち彼に視線を奪われながら、その姿が屋敷内に消えるのを見送る。
ギャモンとソウジがノノハの解いたパズルたちを見下ろし、エレナと同じく感嘆の息を吐いた。
「美しいパズルだね。特にこの迷路は」
「ああ。難易度は高くねーが、こいつはメイズ部長の上行くぞ…?」
2人は迷路パズルを十八番としている、上司でもあるPOGジャパン幹部を思い出す。
「持ってきたわよ! あら、さんは?」
色ペンを持って戻ってきたエレナに、カイトは屋敷の入口を指差した。
「昼寝するってよ」
「そう。ノノハ、どの色にする?」
「じゃあハイビスカスの赤で!」
「ハイビスカスって、黄色もあると思うんだな〜」
「もう、アナ! 余計なこと言わない!」
他愛もない会話を交わしながら、ノノハは迷路を解き始めた。
ミハルやアイリはどうか解らないが、他のメンバーにはすでに正解の道が見えている。
ノノハは次々と、迷路の行き止まりからそこへ繋がる分岐点を塗り潰していった。
「え?」
それは誰の上げた声だっただろう。
彼女が迷路を解く様を見守っていた誰もが、目を見開いた。
「す、ごい…」
行き止まりを塗り終わった迷路を目の前に掲げて、ノノハは息を呑む。
薔薇、だ。
迷路に薔薇の花が咲いた。
10cm四方で描かれた、正方形の迷路。
その迷路の行き止まりをすべて塗り潰すと、塗り潰した箇所は薔薇の花弁に。
塗り潰されずに残った正解ルートは、花弁の重なる辺に。
ギヴァーとしてかなりのレベルであると自負しているギャモンもエレナも、言葉を失くした。
「これ…計算して創れるものなのかな」
呆然と呟いたキュービックに、アナがぽつりと続けた。
「芸術。さんの迷路は、芸術作品だね」
カイトはノノハへ声を投げた。
「ノノハ、それ見せてくれ」
「あ…、うん」
の創った迷路パズルを手にし、カイトはギャモンたちとは別の意味で言葉を失う。
「!」
表情を繕うことさえ出来ずに。
(なんだよ…これ…!)
「カイト?」
ノノハが訝しげに問いかけてくるが、それすら聴こえない。
(なんで…こんな…)
彼の創り上げた迷路から感じたのは、パズルが好きだという感情と、そして。
ーーーひたすらに強い、憎悪だった。
At the border of the blue sky and sea.
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12.6.17
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