結狂夢ノ零銀
三.参之鳥居
* * *
赤、朱、紅。
飛び散るのはその色ばかり。
森は焼かれ、地は穢れ、そこかしこから上がる黒い煙が、追い討ちのように空気すら穢していく。
我らがいったい何をした?
土地に棲み、土地を守り、ただ静かに暮らしていただけではないか!
ざくりと踏み締めた地面は、炭と化した草花。
死臭に澱む空は灰を吸い、気味も悪く重々しい色で垂れ下がっている。
ヒュー、ヒュー、としゃがれた呼吸音が聴こえる。
四肢の1本は使い物にならず、もう1本も可笑しな方向に曲がっていた。
白金に輝く毛並みはごわごわに削れ、赤黒い血がこびりつき見る影もない。
黒でけぶる焼け野原が美しい草原だったなんて、誰が信じるのだろう?
清々しい青空に満天の星が浮かんでいたのだと、どうして信じられるだろう?
痛みは全身から脳を揺さぶる。
呼吸が継げなくなり、ごぷりと喉奥から錆びの味がせり上がった。
口から吐き出されたのは、もはや黒く酸化した血。
それでも、ぼきりと音を立て折れそうな足を踏み出し、進む。
草いきれのある季節はまだ先で、今立ち昇るのはひたすらに異臭のみ。
共に駆けた野は黒い煤となり、何者かの判別すら難しい何かの躯がそこここに転がって。
共に仰いだ天は汚らしく、共に愛でた樹々は炭となった。
がくがくと震える足が、その歩みを止める。
眼差しの先に崩折れていたのは、今もっとも求めた、愛しき者の成れの果て。
光に艶やかな明かりを返した茶褐色は、黒と赤に穢され。
夜半には満月のようであった輝ける瞳は閉じ、ピクリともしない。
鼻先をその首筋に寄せ優しく啄いても、何の反応も返らない。
…それでも。
喉を込み上げてくる血を吐き捨てて、幾分かマシになった舌で愛しき者の目元を舐めた。
獣に涙は無いと云うが、それは唯の獣の話。
産土神となった身はとうに千の齢を超え、美しきものを、愛しきものを愛す心を持った。
ゆえに、
本能の枠を超えた怒りは、嘆きは、大気を轟かせ、波を生み。
声無き慟哭は、天にさえ轟いた。
此 ノ 怨 ミ 、
晴 ラ サ デ オ ク ベ キ カ 。
∞
ーーーにゃーん。
オフホワイトの身体に手足と尾の先だけ焦げ茶の猫が、エレンの後ろをとことこ着いてくる。
「お前も心配性だなぁ」
猫を振り返って見下ろして、エレンは呆れたように話し掛けた。
「それは仕方ないよ。この子が居なきゃ危なかったことなんて、1回だけじゃないんだから」
「分かってるよ」
アルミンの言葉にむくれたエレンを慰めるように、彼の足へ先の猫がするりと懐く。
「ははっ! 踏んじまうから離れろって」
笑うエレンを横目に、ミカサは涼しい目許を細めた。
「エレン」
僅かだけ強張っている声音の意味を、エレンはちゃんと知っている。
魔の交差点だ。
本来なら避けて通るその場所。
それでも、通らなければならないときというのはあるもので。
「ここの歩道橋って、今度補強工事やるんだっけ?」
「みたいだね。使えなくなる間は警察官が配備されるんだって」
十字路に、縦と横の横断歩道は1つずつ。
その少ない横断歩道の数を補う歩道橋。
歩道橋を使って渡る時間と、渡ろうとする横断歩道が赤になってから青に変わるまでの時間は、歩道橋の方が数秒早い。
ーーーにゃーん。
早く行けとばかりに、猫が足元で鳴いた。
点滅し始めた歩行者用信号を横目に、3人と1匹は階段を登る。
階段を登りきり、エレンは足を止めた。
何台もの車が走り抜ける風で、髪が煽られぱさぱさと揺れる。
足元を横切る車道、この地域から見れば下り方面。
そちらを見据え、彼は呟いた。
「…あの人」
「え?」
「ほら、あそこの学生服の女の人」
エレンの示した箇所を見下ろせば、自分たちと同じ制服の少女が歩道に立っていた。
家族の迎えでも待っているのだろうか?
「エレン。あの人がどうかしたの?」
歩道橋を渡りながらミカサが問えば、何となく、と興味を無くした声が返る。
「危ないだろうな、と思って」
歩道橋を渡り終えても、まだ白猫は着いてくる。
次の交差点まで3人と1匹で歩いていけば、商店街が見えてきた。
ーーーにゃーん。
見送りはここまでだ、とばかりに白猫が足を止め、こちらを見上げる。
きっちりと『お座り』の状態で見つめてくる青い眼(まなこ)に、エレンはふわりと笑んだ。
「ありがとな」
その頭をひと撫ですれば、にゃおんと鳴いた白猫は家々の隙間に身をくぐらせ姿を消した。
ーーーカア!
その様子を、1羽の鴉が見下ろしている。
『こっくりさん、こっくりさん。あの人は、どうすれば私を見てくれますか?』
『どうすれば両想いになれますか?』
『……分かりました。こっくりさんが仰るのなら』
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2015.5.23(むすびきょうむのこぼれぎん)
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