結狂夢ノ零銀

七.弐ノ札



*     *     *



深淵の藍色。
濃淡とりどりに揺らめくそこに、フワリフワリと拳ほどの大きさをした光が漂っている。
夜空の星々とはまた別の淡い光たちは、めいめいにあちらこちらを漂う。
その内のひとつに、人の両手が伸ばされた。

「みつけた」

潰さないように、零さないように、そぅっと両手に包み込む。
ふわりとした光はほんの僅かだけ明かりを強くして、またすぐに元へ戻った。
「独りにしちまって悪かった…」
大事に両手へ包んだ光へ、少年が謝る。

生き物といえば少年しかそこには見当たらず、光と闇はあれど音は他になく。
果ての見えぬ藍色と光だけの世界で、少年は光をひとつ抱えて佇んでいた。

足元に、ぽつんと波紋が広がる。

「…また、駄目だったの」

声がぽつん、ともうひとつ。
まるで鈴の音のように清らかに響いた。
俯き加減に後ろを見れば、少年とは違う足が見える。
その顔を見遣ることなく、少年は手元の光へ視線を戻した。
「なあ、何でだ? なんでこいつは、人間としての寿命すら全う出来ないんだ?」
答えがないことは、もう知っている。
「もう何度目だよ? あいつらがこいつを殺すのは」
手の中の光が怯えるように縮まり、大丈夫だと囁く。
「……かつてから」
後ろの存在が、口を開いた。

「かつてから、真の無垢なる存在は他者の羨望を集めてきた。人間にも、稀にそのような者が生まれる」

彼らは人々の羨望と尊敬を一身に受け、同様に嫉妬と悪意をも受ける。
「その子も同じ。本来人ではないから、目に見えぬ存在までもが目をつける」
どちらにせよ、人間のものだけれど。
少年はその言葉をハッ、と笑い飛ばしてやった。

「人間、人間、人間! 全部あいつらの所為じゃねえか!!」

憎悪はすでにどす黒く、かつての清廉な気などどこにも無い。
「それじゃあ、ずっとここに居る?」
問い掛ければ、ふと静かになった少年がゆるゆると首を横へ振った。
「俺はそれで良いが、それじゃあこいつが満足しねえ」
こいつ、と光を見下ろした眼差しは、酷く優しい。
「こいつは大地を愛してた。駆けられる場所ならどこへでも駆けた。それが留まるのも難しい極寒の地だろうが、海の際だろうが」
まるですべての景色を目に納めると言わんばかりに、一処には留まらなかった。
光をゆるりと撫で、少年は口許を綻ばせる。

「だから、こいつが俺の住処に根を下ろしてくれたこと、俺には奇跡だったんだ。
お前らみてぇな天津神(あまつかみ)の、じゃねえ。俺にとっての、こいつが齎した『奇跡』」

その奇跡を奪われた怒りは、哀しみは、高天原にさえ慟哭を響かせた。
それを、もうひとりは知っている。
「……」
手の内の光を愛おしげに見下ろす少年の背に、もうひとりは尋ねる。
「『次』へ行くのなら、こっちだよ」
すると少年がまた首を振った。
「そっちには行かねえ」
「なぜ?」
転生の川はここではない。
ここにずっと居ることもしないと、つい先ほど言ったばかりだ。
少年はもうひとりをゆっくりと振り返った。
「今までと同じじゃ、だめだ。もっと…もっと前じゃねえと」
「…何を」
少年がようやく相手を見た。
相手は、絵も描けぬ美しい容姿をした少女。
彼女は深い空を映す目を見張っている。
「お前ら天津神に、時間の概念はない。時間が過ぎるのは天津神ではない者だけ。なぜならお前らにとっては、すべてが同じ処に存在しているから」
ここがそれだ、と少年は藍色の世界を見回した。
「俺たちが過去と呼ぶものは、すべて此処にある。未来と呼ぶものも、形が曖昧なだけですでに存在する」
それなら、と表情の乏しい口許が僅かに弧を描く。
「人間どもの畏怖が"神"に向いている時代に戻って、こいつを守るための準備をする」
言わんとすることを1秒遅れで悟り、少女は声を荒げた。

「何を言っているの?! そんなことをしたら、二度と『此処』へ戻ってこられない!」

ここへ戻ってこられないということは、二度と転生の輪廻に入れないということだ。
だのに少年は、それがどうしたと笑った。

「死ななきゃいい」

言葉を失うとは、このことか。
あまりのことに絶句していると、少年が彼女を急かす。
「ほら、月読。早く案内してくれよ」
月読。
そう、彼女は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の双子神、夜を司る月読尊(つくよみのみこと)。
命に優劣を付ける、廻る命の了(おわり)。

手の内の光をゆるりと撫でた少年は、彼女が動かぬことを見て取り肩を竦めた。
「チッ、仕方ねえな」
自分で探すか、と歩き始めた彼の進路を阻み、月読尊は首を横に振る。
「無理だよ。此処の川はあらゆる処へ繋がっているの。間違えれば魂ごと消滅するわ」
人間であれば、彼女が泣きそうな顔をしていると思ったろう。
しかし残念かな、紛うことなき『神』である彼女に感情の機微は見当たらない。
「…こっちよ」
仕方がなさそうに、月読尊は少年に背を向け歩き出きだした。
少年はその後を着いて行く。

色合いの揺れる藍色の中、あらゆる川が無尽に走る。
細いもの、幅広のもの、青いもの、白いもの、どろりとしているもの、砂のようなものまで。
宙に浮かぶ大小様々な光は、時に川へ寄せられ吸い込まれる。
吸い込まれた川の先で、"それ"は何かに産まれるのだろう。

少年が上下の感覚を無くした頃、ようやく月読尊が足を止めた。
「此処よ」
白い光が幾つか浮かぶ、深い藍をした川だ。
覗き込めば、鏡面のように自分の顔が映る。
じゃら、と耳慣れぬ音がして少年がそちらを見れば、月読尊が左腕の手甲に撒いていた数珠を外していた。
「これ、あげるわ」
じゃらりと差し出されたのは、この空間を切り取ったような藍色の、瑪瑙に劣らぬ美しき数珠。
少年がそれを受け取ると、数珠はひとりでに浮き上がり少年の周りでぐるりと円を描いた。
次にはフワリ、と水に溶ける墨の如く消え去り、少年は目を瞬く。
月読尊を見れば、彼女は白い指先で少年の左手を指差した。
己の左手を見下ろした少年は、先の藍色の数珠がそこに巻き付いているのを見てまた目を瞬いた。
「これは…?」
少年が消えろと念じれば数珠はふっと姿を溶かし、現れろと念じればまたそこに在る。
「それは死返珠(まかるかえしのたま)」
「死返珠?」
「そう。私が母…伊耶那美尊(いざなみのみこと)より賜った宝珠、生と死の狭間を繋ぐことが出来る数珠。私は使ったことがないけれど…」
死ななければ良いと云うのなら、役に立つ日も来るでしょう。
続けた月読尊はそれから、と少年の手の内にある光へ厳かに手を翳した。
「忘れているようだから、せめて本能に合わせられるように」
「何が、だ…?」
判らぬ少年が月読尊を見返すと、彼女はふぅと小さな息を吐いた。
「かつては、あなたのように人間が宮を奉った。時が流れ種が人間により滅び、それは深い森に呑まれてしまったけど」
思い出したか、少年が瞠目する。
「真神(まかみ)…?」
「知ってたんだ。知らないと思ってた」
「…他のヤツらが教えてきた」
「そう」
月読尊は少年の額へ両の手を翳した。
「もう、出会うことはないわ。でも、私はあなたたちを好ましく思っているの」
月読尊の手元で少年もまた光へと姿を変じ、彼女は2つの光を同じ川の流れへと投じた。

「いってらっしゃい」

あなたの願いが、叶うと素敵ね。



 ∞



2週間掛けて、ハンジは全校生徒の授業に潜り込んだ。
自宅…というよりはアジトか…へ帰り着くと、がっつり系のコンビニ弁当とデザートのプリンを片手にデスクへ陣取る。
カタタタタッ! とキーボード音が響き出した。
開いたメモ帳に箇条書きでタイプしていく。

>> こっくりさんに先生が来ること教えてもらったの!
>> 隣のクラスのxxxなんだけど、こっくりさんやってるらしいよ。
>> こっくりさん? やってるヤツいるらしいって話なら。
>> 前に事故に遭った先輩! あの事故、誰かがこっくりさんに頼んだんだって!
>> 私も1回だけやったことあるよ。…1回だけね。
>> こっくりさん、4人集まらないと出来ないからやったことないなあ。
>> 去年に事故で死んだうちの生徒、こっくりさん怒らせたらしいよ。

(たった2週間で、こんだけの噂話が出た)
玉石混合だが、さすがにこれは多すぎる。
(で、だ)
ハンジは赴任している中学校の名前を主なキーワードに、とあるWebサイトを探す。
(今どきだとスマホ版しか無かったりするかな?)
程なくして『ソレ』はすぐに見つかり、ハンジはさくっとそのサイトへアクセスする。
サイトのタイトルは『xxx中バックエンド』…所謂"学校裏サイト"というやつだ。
(さーて)
といっても、ハンジはここの情報が新しいとは思っていない。
なぜなら今は、閉鎖空間を簡単に作れるLENEというツールがある。
表向きは『招待されていない者は見れない』グループ機能、これが裏サイトの代わりになっているとも言える。
生徒個人個人がスマートフォンを持つ時代だ、幾らでも閉鎖的な空間が作成可能。
(潜り込むのはまた今度、ってね)
まずはこの学校裏サイトからだ。
(スレはどこかなー?)
ハンジが調査で使用するPCは、俗に言う『bot』と呼ばれるダミーだ。
アクセスはここではない別の箇所を幾つか経由しており、手慣れていなければ逆探知は難しい。
「それにイマドキの怨霊は、こういうとこに集まるんだよねえ」
にまりと笑い、見つけたスレを辿り表に出されていないディレクトリを浚っていく。
「!」
嫌な感じのするリンクがあった。
この『嫌な感じ』は勘のようなもので、滅多に外れない。
ハンジは空になった弁当箱を手に台所へ向かい、調味棚から塩を出す。
「そんな強くはないだろうけど」
塩を片手にデスクへ戻り、正方形に切ったコピー用紙を4枚、PCを囲むように置く。
そしてコピー用紙にそれぞれ塩を盛れば、簡易な結界の完成だ。
「さぁて、そんじゃ…ぽちっとな!」
嫌な感じのするリンクをクリック。

ぶわあっ!!

真っ黒な靄が画面から多量に噴き出す。
それは位置ゆえにハンジへ一直線であったが、盛り塩の結界に弾かれバチッと白い火花が散った。
「おお、中々の濃度だね!」
でも残念! と戯けるなり、ハンジは右の指先をぱちんと鳴らす。

ぶわっ!

煙が風に掻き消されるように、黒い靄が霧散した。
PC画面を見ると、画面はちゃんとリンク先らしきところへ変移している。
「ひと昔前までメインで使ってた、って感じだねえ」

>> こっくりさんの呼び出し方
>> 仲間探しスレ
>> 呼び出し結果判定スレ
>> 雑談スレ

『こっくりさんの呼び出し方』
・4人メンバーを集めます。
・五十音表に0〜9の数字、はい/いいえ、男/女、鳥居の絵を加えた紙を用意します。
・十円玉を用意します。
・紙の辺に沿うように4人で紙を囲み、座ります。
・十円玉を鳥居に配置します。
・4人が十円玉に右手の人差し指を乗せます。
・心をひとつにして「こっくりさん、こっくりさん、いらっしゃいましたら『はい』へお進みください」と唱えます。
・十円玉が『はい』へ進んだら、1人ひとつずつ、お願い事に答えてもらうことが出来ます。
・十円玉が『はい』へ進まなかったら、3回まで御呼び出しを試せます。それ以上やるとこっくりさんがお怒りになります。

「まあ、これは私も知ってる範囲かな」
ハンジは雑談スレッドの中から『こっくりさん真偽』をクリックする。

>> 願い事が叶ったかどうか、その後どうなったのか晒してけ

「ふぅん…?」
このスレッドは、『こっくりさん実施者や関係者を晒したり現実世界でそれを話したりした場合、こっくりさんを用いて罰を下す』と、目に訴える大きな赤字で書いてあった。

>> テスト範囲
・だいたい合ってた。
・感覚は勉強する山を当ててもらう感じ。
・人数合わせに加わっただけだけど、このレベルならこっくりさんやらなくても…っておもた。
・完全に一致した。おかげで小遣い増えたw
・オートマティスムだと思う。
・ねーちゃんのテスト範囲代わりに聞いたけど、答えてくれなかった。
・こういう下らないお願い事は、こっくりさん真面目に聞いてくれない気がしてる。当たったけど。

(まあ、確かに下らないよね)
何せ自分で出来る範囲の『願い事』であるし、こっくりさんには何の利益もない。
「ん?」
『こっくりさんの呼び出し方』を別のページで開いていたハンジは、ページの中盤以降から毛色が変わっていることに気づく。
「おいおい…」
これはマジもんだ、とさすがのハンジも口許が引き攣った。

>> マジで御願いしたい人向け→結果はすべて自己責任の『こっくりさんの呼び出し方』
・基本は同じだが、メンバーは別の学校か関わりの薄い人の方が無難。
・御呼び出しは『逢魔時(日が暮れる頃)』か『丑の刻(午前1時〜3時)』に行うこと。
・一番効力が高いのは『丑三つ時(午前2時〜2時30分)』
・余計な口を利いてはならない。
・こっくりさんの邪魔をしてはならない。
・こっくりさんを行ったことも含め、何事も他人に吹聴しない。
・願い事が叶った場合は、その7日後までにまったく違うメンバーでこっくりさんを行うこと(時間帯の指定はない)
・願い事が叶った後のこっくりさんは、こっくりさんへ御礼を申し上げることが目的。

「これの結果は載ってるのかな…? 隠しリンクか?」
これまたひと昔前に流行った方法で画面内を全選択してみたりするが、そんな分かり易いものでもないらしい。
仕方がないので開発者モードでコードを浚うと、ようやくそれらしいものを見つけた。
「さっきより嫌な予感…」
ハンジは引っ掛けていたカーディガンの内側に貼り付けていた小さな札を2枚取り出した。
表に梵字が書かれたそれをPC画面の両端に貼り付け、隠しリンクへポインタを持っていく。
「さあ、鬼が出るか邪が出るか」
ぽちっとクリックすれば、

バチィンッ!!

目が眩むくらいにはっきりと、何かが反発して弱い稲光を生んだ。
それは音となり部屋に鳴り響く。
「うわあ…」
PCを見たハンジは、思わず苦笑いを浮かべた。
画面の両端に貼り付けていた札が、猫が爪研ぎした痕かと言いたくなるほどボロボロになっている。
「どんだけ強い思念が凝り固まってんだか…」
予防出来るハンジのような人間ならともかく、何も知らずにこのサイトを使った只人はひと堪りもない。
取り憑かれ、自分も知らぬ内に影響され、己の意思まで蝕まれる。
(そしてさらに『こっくりさん』が広まる)
終わりのない循環だ。
サイトページは何事もなく推移している。

ピョロリロリッ!

不意にスマホが鳴り、ハンジはビクリと肩を跳ねさせた。
「もー、何てタイミングだよ!」
LENEの通知音だ。
相手は学校ではなく学習塾へ探りを入れているグンタだった。
「『塾の勉強時間後にこっくりさんをやりたがる子がいます』…ね」
夜も遅いので問答無用で家に帰しているが、それこそ"面白そうだから試してみようぜ!"という感覚らしい。
(まあ、一般人からすればそのレベルなんだろうけど)
ハンジたちのような『その筋』の道に居る者にとって、『こっくりさん』は立派な『呪術』だ。

「…『御呼び出し』出来るんだよ。本物も偽者も、ね」

凝り固まった邪念の潜んでいたWebページ。
そこには『本物』によって齎されたのであろう結果が、詳細に報告されていた。
読むだけでも影響される程に。
(もし、同じようなものがLENEで共有されてるとしたら)


*     *     *


A実(仮名)の記録

◯月×日
虐めてくる連中への報復のために、逢魔が時に『こっくりさん』を御呼び出しした。
何も聞かず、何も言わずに協力してくれたx(伏せ字)さん、yさん、zさん、ありがとう。

◯月△日
御呼び出しから3日、報復相手の1人が階段から落ちた。
もう1人もそいつに巻き込まれて一緒に落ちた。
2人とも足折ったんだって。自業自得。

◯月□日
御呼び出しから4日、報復相手のもう1人(全部で3人)が父親の勤め先の不祥事で転校になった。
慌てて机の中身を片付けて、誰とも目を合わせないようにしてた。
すごい笑えた。

◯月××日
aさん、bさん、cさんに協力してもらい、こっくりさんへ御礼の御呼び出しを行った。
何か御供えとか求められるのかと思ったけど、そんなことで良いの? って感じの『御願い』だった。
これからお返しの御願い叶えにいく。
次からは私も、ここでメンバーを探している人がいたら協力しようと思う。

ーーーココマデ



B斗(仮名)の記録

妹が『こっくりさんを試したいけどどうやって4人集めるの?』と聞いてきたので、このサイトを教えてやった。
こっくりさんをやったのは妹で、オレはそれを聞いて代わりに書いてるってことをここで断っとく。

妹はこっくりさんやる半年前に某事務所に読モスカウトされて、オレが言うのもなんだけど結構アカ抜けてきたと思う。
けどまあ上には上がいるもんで、妹と同時期にスカウトされた別の女の子が凄かったらしい。
ほら、すげえ美人って感じじゃないのに、なんか目が惹かれるタイプっての?
他にも同期がいて多人数の企画で並ぶと、どうしてもその子にばかり注目が集まるんだと。
他の子は才能だってんで諦めてたらしい(モデルは完全にアルバイト感覚)けど、妹は芸能人目指してたからそうじゃなかった。

で、△月×日のこと。
『こっくりさんするから、遅くなること親に誤魔化しといて』と言われて協力した。
その日は読モのバイトが入ってなかったからな。
何をこっくりさんにお願いしたのか教えてくれなかったけど、『こっくりさん、叶えてくれるかな?』とテンション高かった。

△月××日、読モのバイトが終わって帰ってくるなり、妹はオレの部屋へ突撃してきた。
どうやらこっくりさんが願いを叶えてくれたらしい。
はっきりとは教えてくれなかったけど、『ずっと一番人気でいたい』的なことを願ったとか。
上には上がごろごろいるだろうに、それループじゃね? と思わんでもないけど。
ともかく願いが叶ったってんで、妹はまたこっくりさんしに行った。

曖昧な報告で悪い。
こっくりさんって、やってない人間にも何かしら波及しちまうもんあったりすんのかな?
オレは人呪うのも呪われるのもごめんなんだけども。

ーーーココマデ


*     *     *


「こっくりさんといえば?」
「狐ですか?」
「『狐狗狸』って書くから、狐だけじゃないだろ?」
「そうですよね」
「じゃあ何で『狐』のイメージなんだろうね?」
霊的な意味で強固な回線を用い、『翼の組織』メインメンバーたちはテレビ会議を行っていた。
エルヴィンがふむ、と組んだ両手に顎を乗せる。
「人がもっとも描きやすく、また美化しやすい。そして信憑性がある。それが狐の選ばれた理由かもしれないね」
古来より狐は人を『化かす』と云われ、また美しい化け物の代表格でもあった。
狐の嫁入り、葛の葉(くずのは)、隣国の妲妃(だっき)。
化けるのは狸や貂(てん)の方が上手(うわて)だそうだが、そもそも『こっくりさん』は化けるのかすら定かではない。
「まあ、それは良いや。問題は昨日送った裏サイトの件だよ」
ハンジの言に、画面に映る誰もが神妙に頷いた。
「あれ、ひと昔前で全部のファイルの更新が止まってますよね」
エルドの言葉に頷き、ハンジはここ数日の調査結果を報告する。
「おそらく今は、全然違う場所にあるんだろう。URLの共有方法は、LENEかそれ準拠のプライベートグループ」
表から探すには、昔から存在感のある某所の巨大掲示板を浚うしかない。
「掲示板の方は、俺とペトラがやりまsガッ…」
「噛むなら初めから口閉じてなさいよ。ハンジチーフ、こちらは任せてください」
いつものやり取りも問題なさそうなので、巨大掲示板は任せることにする。
「ケイジとニファには全然違うとこの学校に行ってもらってるけど、こっくりさんの流行り具合はそこそこって感じみたい」
ハンジの感覚で言うと、今赴任している学校の流行り方はかなり過剰だった。
「『こっくりさん』は1つの学校につき、1年を通してどこかの学年で流行る傾向がある。だが、ハンジの中学校は実際の話が多すぎるね」
地理的にはやや特殊なところだが、とエルヴィンは続けた。

「件の国道交差点には、『黄泉の辻』がある」

『黄泉の辻』とは死者たちの通る死後の道であり、幾つにも枝分かれする辻の先には来世の道筋があると云う。
その辻の1つが現世と重なっているハンジの赴任学校区は、呼び易く、また巻き込まれやすい地域ではあった。
「うん。ちょっと聞いただけだけど、あの交差点は3日一度は必ず事故が起こるみたい」
「それ、何とかならないんですか?」
グンタの問いに、ハンジは首を横に振る。
「いや…。あれは人間にどうこう出来るレベルじゃない。札を貼って様子を見たけど、どんなレベルの術者でも祓えないだろうね」
そこまでのものなのか、と他の面々が顔色を悪くする。
ふと、エルヴィンが思い出したように言い出した。

「狐といえば、紅葉山の神社に祀られている神は『狐』だそうだよ」

全員の目が彼に集まった。
「稲荷神じゃなくて?」
「ああ。白狐だとか九尾だとか、そういった部分は定かではないけれどね」
ハンジは嫌でも、赴任している学校での『こっくりさん』と結び付けてしまう。
なのでもしも、と注釈を付けてから話し始めた。
「…神様が呪術を広げたとして、何かメリットある?」
ハンジのもっともな問いに、エルヴィンはあくまで推測だが、と前置きした。
「神というのは2種類ある。人間が創りだした神である場合と、元から人智を越えていた存在の場合。前者の例だと菅原道真が分かりやすいかな」
「いろいろ端折ると、政治争いに負けて太宰府に流されたあの人?」
「…端折りすぎだが、そうなるね」
まあ、例えの話だ。
「それで?」
エルヴィンの話は、まだ核心を突いていない。
案の定、彼は含みを持たせ再度口を開いた。
「元から人智を超えた存在であった場合、"それ"は人が勝手に畏れ敬ったものだ。"それ"が人間に友好的であるかは関係ない」
「…祟り神じゃなくて?」
「ああ。この國の創世神話を読んだことはあるだろう?」
「天照大御神と月読尊、それに須佐之男尊(すさのおのみこと)の話かい?」
「そうだ。須佐之男は人間を創り出したが、月読尊はその人間を嫌っていたそうだ」
「へえ」
それは初耳だ。
「生命の始まりは天照大御神、始まった後は月読尊に引き継がれる。今もそうだが、人間によって滅びる生命は随分と多いからね」
ここまで来ると、さすがのハンジも首を傾げざるを得なかった。
「…? エルヴィン、あなた詳しすぎない?」
問われた彼は誤魔化すことはせず、デスクの鍵の掛かった引き出しを開け手帳を1冊取り出す。
皆にも見えるようにカメラの前へ掲げられたそれは、画面越しに見ただけでもとても古い代物のようだ。
「『翼の組織』には、創設から受け継がれてきた知識の集合体がある」
右開きの表紙を1枚捲れば、古い紙の匂いが立ち昇った。

『 記 翼ノ座 開基 延暦一四年 』

よくぞ今まで残っている、と言わんばかりの本の内表紙には、驚くべき記載が為されていた。
「それ、まさか『翼の組織』の初めの?」
画面越しのそれに、信じられないという眼差しを隠しもしないハンジへエルヴィンは頷く。
「全ページをスキャンしたものは、皆のメールにさっき送っておいたよ」
つくづく、手回しの良い男である。
それは後で確認するとして。
「これを全部読んでる貴方から見て、今回の件はその本にも関わりがあるということ?」
「少なくとも、無関係ではないだろう」
なにせ『紅葉山』に宮が建てられたのは、当時『翼ノ座』と云われた『翼の組織』が創設された頃。
「紅葉山は帝の勅命により神域とされ、特に力の強い陰陽師の祝詞に対する返礼があった場合にだけ、入ることを許されたそうだ」
「それ、ほぼ入れないってことか」
「そうだろうね。あまりに人間が好き勝手するので、紅葉山の『神』は心底人間が憎いという話だ」
「はあ…」
「それで、100年経っても約束を守れる者たちだけが麓に住むことを許されたと云うよ」
「えっ」
エルドとペトラが割り込んだ。
「それってもしかして!」
「今の紅葉山の麓の…」
エルヴィンは予想に違わず頷く。
「そうなるね」


*     *     *


大きな鳥居を順に潜る度に、空気が変わっていく。
それは相応しくないものを排除しているようにも思えた。
参道の土産物屋はこじんまりとして、随分昔から変わってないんじゃなかろうか、とハンジは織物屋の女将に尋ねてみる。
「そうだねえ。千年前の『紅葉山の御告げ』を守れと、あたしも父さんも口を酸っぱくして云われ続けているからねえ」
(紅葉山の御告げ…)
いったい何だろうか?
「御告げって、どんなものなんですか?」
訊いてしまってから、ハンジはへらりと笑って誤魔化した。
「すみません。この国に昔から存在する神様について調べるのが趣味で、つい立ち入ったことをお聞きして…」
「あらそう。でも良いんだよ、話しちゃいけないって話は聞いたことないから」
女将はからからと手を振り笑う。

なんでも、その『御告げ』は口伝だけでなく文書としても遺っているそうだ。
「5年に一度、必ず耐久力のある紙に写せとも言われていてね」
「文書化されているってことですね」
何とも念入りなことだ。
「それで、『御告げ』の中身は…?」
『御告げ』は3つあり、古文を現代語訳し要約するとこのようなものになる。

壱.甲が住めるのは、参道に繋がる階段の手前までとする。これを越えて山を登ってはならない。
弐.甲は自らの欲望を抑えること。それが出来ぬ場合は二度と此処へ近づくことを許可しない。
参.甲は乙に対し、決して願掛けを行わないこと。

「山を開発してはならない。金儲けやらに走ってはならない。神頼みをしてはならない…?」
さらに意訳すると、そういうことだろうか?
「そうだねえ。これはお祖父ちゃんから聞いた話なんだけど、」
店を大きくしたいと2件目の店を山の麓に建てようとした住人が、何かにつけ怪我をするようになったらしい。
2件目の店を建てるのを止めてもそれは収まらず、息子が本殿へ登り『2件目の店を建てることはない』と言ったらピタリと止んだ。
「それは…願掛けじゃなくて、報告ってことか」
「ともかく、以降は怪我もしなくなったって話さ。お祖父ちゃんは『金儲けを考え始めたら罰が当たる』って言ってたけど」
「なるほど…」
狭い地域で大店になると、やっかみやいざこざも増える。
それは巡り巡って争いの火種となり、人間嫌いの神様にはあまりに目に余る事柄であろう。
(3番目の願掛け禁止は、そもそも人間に関わりたくないってことかな?)
となると、『こっくりさん』は無関係のようにも思える。
ハンジは女将へ直接問うた。
「女将さんは、『こっくりさん』って知ってます?」
「五十音表に十円玉を置くやつかい? ここを離れた娘の子が…孫だね。あの子が言っていたよ」
学校でやってる人がいるってね。
(…まあ、よく流行るからなあ)
イマイチ判断はつかない。
「ここの神様と関係あったりってしますか?」
「『こっくりさん』は知らないけど、『こっくり様』ならそういう唄があるよ」
「えっ?!」
他に客が来そうにないことを通りの左右で確認した女将は、一度店の奥へ引っ込む。
そうしてまた表へ出てきた女将は、随分と古そうな手帳を手にしていた。
(エルヴィンが持ってた本みたいな…)
考え込むハンジには気づかず、女将が手帳をぱらぱらと捲る。
「ええっと…あれは……ああ、これこれ」
開いたページを手帳ごと差し出され、ハンジは紙の匂い香る手帳を見下ろした。


ーーきれいな きれいな おきつねさまは
ーーおくにのもりで こいをした

ーーきれいな きれいな おおかみさまと
ーーしょうがいをかけた こいをした

ーーけれどにんげん あまつかみへゆみひき
ーーおきつねさまと おおかみさまは
ーーりふじんに いのちをうばわれた

ーーあはれにおもった つくよみさま
ーーおきつねさまと おおかみさまを
ーーおなじりんねへ とうじます

ーーつぎこそ どうかしあわせに
ーーおきつねさまと おおかみさまは
ーーすがたはたがえど またこいにおちます

ーーさぁさ、のりとをささげましょう

ーーこっくりさま こっくりさま
ーーいらっしゃいましたら どうぞわれらにかまわれますな


(『つくよみさま』って、まさか『月読尊』のことか?)
ページの写真を撮っていいか確認してから、ハンジは唄をスマホで写真に納めエルヴィンたちへ送信する。
「この"狐"と"狼"は、ここの神社に関係あるんでしょうか?」
「狼は判らないけど、紅葉山の神様は狐だよ。山の参道の入り口と本殿にある狛犬は、犬じゃなくて狐だしね」
それに、と女将は続けた。
「その唄のとおり、大層綺麗なお狐様だって話さ」

ハンジは女将へ礼を言い、本殿へ繋がる階段を登った。



他に参拝客が居ない中、ハンジの姿は物凄く目立つ。
本殿横の社務所から出てきた青年が、訝しげに問うてきた。
「ただの参拝客じゃなさそうだな、あんた」
紫藤の紋袴を着用しているということは。
「もしかしなくても、あなたが宮司?」
「俺しかいねぇから、神主で宮司で禰宜だな」
「え、それっておかしくない?」
真面目に返せば、青年はおかしくないと言う。
「神社だなんだって名前つけてるのは人間の勝手だ。管理者が必要なら1人でやれ、ってのがここの神様の御宣託なんだよ」
それで? と青年は呆れを滲ませつつ、眼光鋭くハンジを見据えた。
「胡散臭ぇヤツはお引き取り願ってるんでね。何の用だ?」
ハンジは何を口にするか、僅かだが迷った。
「ここの神様が狐だっていう話を聞いて、ちょっと興味が湧いて」
「…へえ」
「さっき下の織物屋の女将さんに、興味深い唄のことも聞いたし。神社の人がいるなら詳しい話を聴けたらな〜って」
「唄?」
「そう。これ」
ハンジはスマホに撮った写真を見せる。
青年はああこれ、と事も無げに息を吐いた。
「この唄なら、間違いなくここの祭神のことだな」
「えっ!」
ジャンと名を名乗った青年は、本殿横の階段を指しハンジに座るよう即すと自分もその横に腰掛けた。

「じーさんのじーさんの話だけどな」
不確実な話だと前置きして、ジャンは話し出す。
「この国には大昔はすげえ数の神様が居て、狐の神様も狼の神様も居た」
何かの巡り合わせで出会って、仲良くなったって不思議じゃない。
神になるほどの齢を重ねた生き物であるなら、種族の違いなど大した問題ではないのだと。
「唄はじーさんのじーさんより前からあるらしくてな。どこまで本当かは眉唾だけど」
人間同士の争いごとに巻き込まれた神様は、人間によって理不尽に殺されこの世を去った。
「本当なら、ひでぇ話だよな。人間なんざ滅亡させてぇくらい憎いだろうよ」
それで、と彼はハンジへ切り込む。
「あんた、目的は何だ? 何を知りにここへ来た?」
どうやら、誤魔化されたままではいてくれないようだ。
ハンジはひと通り唸って首をぐるぐる捻ってから、ようやくジャンへ向き直る。

「『こっくりさん』って知ってるかい?」

仮に、と話を咀嚼したジャンがハンジを見返した。
「もしうちの神様が『こっくりさん』に関わってたとして、あんたどうするんだ?」
祀られた『神』に対し、何を行うつもりなのか。
なんとも言えない、とハンジは正直に告げた。
「人に混じって話を流布しないと、この手の話は広がらない。ましてや複数人で行う占いなんて」
だから、話を流布した人間を重点的に捜すのが先だと。
「例え出てきた人数が多くても、初めは1人だ。そこから辿ってもしもここに辿り着いたら…」
『神』の調伏など、出来るのだろうか。
ハンジの胸にそんな疑問が過る。
ジャンは肩を竦めた。
「ここの神様は、人間如きじゃどうにもならねえだろうよ。それに何事も、初めに事を起こすのは人間だ」
「え?」
彼はハンジが咄嗟に上げた疑問符には答えず、逆に問いかけてくる。
「あんた、どこの組織だ?」
呪術を扱う組織は、この国には多くない。
神社の人間であればその手の情報も持っているだろう。
隠し通すのもフェアではないか、とハンジは身分を明かす。
「私は『翼の組織』のハンジ。近隣の学校で『こっくりさん』による事故があまりに増えていて、関連性を調べてる」
「…まあ、ここが無関係であることを祈るぜ」
「ははっ、そりゃそうだよね!」



ハンジが去ってから、ジャンは境内へ繋がる階段をじっと見ていた。
「ライナー、あいつ追ったか?」
いつの間にか、上へ登る階段脇にエレンの自宅に住む大型犬が座っていた。
ーーーわんっ。
「マルコとアルミンには伝えたか?」
ーーーわぅっ。
「あの人にも?」
ーーーわぉん。
「まあ、今更って感じはあるけどな。んじゃ、エレンの周りは頼むぜ」
ジャンが社務所へ踵を返すと同時に、ライナーもまた階段を駆け登っていく。
犬であるはずの姿に、虎のような姿が霞んで消えた。



『こっくりさん、こっくりさん。いつもいつも滅茶苦茶なことしやがるxxxを殺して下さい』
『彼奴、華族の嫡男だからってやりたい放題しやがって』
『xxxさんもxxxもxxx先生まで、彼奴の所為で学校辞めちまった。xxxさんたち、すっげえ努力して此処に入ったのに!』
『俺に出来ることなら何でもしますから、どうか…!』
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2015.7.1(むすびきょうむのこぼれぎん)

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