黄金絡繰夢紡
(鬼と屍)
やたらと格の高い金眼の鬼と、やたらと強い屍人(しかばねびと)。
「生きていても屍と云うのか?」
「俺に聞くなよ」
格上げ目当てに彼を襲う妖異は多かったが、彼の目論見通りに青年は非常に役に立っていた。
ほら、今も。
「きったねぇ羽でエレンに近づくんじゃねえよ、鳥風情が」
妖異に落ちた八咫烏を両断にして、青年はその屍を崖下に蹴り落とす。
「妖異の八咫烏は戦の合図…。ちょうど良いか。リヴァイ、軍場(いくさば)探せ」
「はあ? なぜ態々巻き込まれに行く?」
問うたとしても良いからと彼に即されてしまえば、青年が拒む術は無い。
舌打ちをひとつ、風向きを調べ煙を探す。
程なくして見つけた軍場は両者撤退、夢の跡。
山の麓まで降りて、彼は良い頃合いだと青年を振り返った。
「リヴァイ、左腕出せ」
左手を彼に向けて差し出せば、ちょっと違うと彼は青年の二の腕を掴む。
「屍人って名前は、強ち間違いじゃねーよ。そろそろお前にも、直し方教えてやる」
このままやると着物が血で汚れるな、どうする?
「…腕を千切る気か?」
予想に違わずそうだと頷かれても、青年は拒否しない。
「分かった」
着物の左袖を下ろし腕を晒せば、強い力で掴まれ左腕がギシリと悲鳴を上げる。
「あ、舌噛むなよ」
痛みに眉を寄せた青年にほら、と彼は己の左手首を口元に持っていき、青年は遠慮なく彼の手首に噛み付き歯を立てた。
「ーーーー!!」
ミシリと骨が軋みぶちぶちと肉が捻じり切られ、痛みで意識が白に染まる。
「おい、気絶すんな」
けれど耳元で囁かれたなら、気など失えない。
痛みに千切れた思考を必死に掻き集めて、青年は間近の彼を睨み付ける。
「よく見てろ」
意識が白い間に青年の左腕は引き千切られて、無残に地面へ転がっていた。
キラ、と彼の指先で光ったのは、彼が常に身に着けている女郎蜘蛛の糸。
糸は千切られた腕の付け根に回り、ギュゥと血管を縛るとぼたぼたと盛大に流れ落ちる血を止めた。
「5分もすれば血管は塞がる。行くぞ」
「…ああ」
血が足りずにふらつく脚を叱咤して、青年は歩き出した彼を追う。
煙の燻る戦場を歩いていれば、自然とこの金色を初めてみた日を思い出す。
(ああ、だからか)
青年はようやく、あのとき彼が戦場を歩いていた理由を理解した。
「死んだばっかりの死体っつーか、左腕探せ。腐ってるのは却下な」
足元に転がる死体を見下ろし時に軽く足先でつつき、ゆるゆると彼は歩き回る。
あれはダメ、これもダメ、と歩く彼に倣い、青年も死体を見下ろし歩く。
「…これは?」
見つけた死体を引っ張り上げ彼に見せれば、良い感じ、と彼は満足気に笑んだ。
彼は死体の左腕を力任せに引き千切り、腕に張り付いた布を剥ぎ取る。
「コレを固定して」
青年は誰とも知れぬ死体の腕に盛大に眉を顰めたが、腕が無いことの方が大問題だ。
死んだ左腕をつい先ほど出来た切り口に押し当てられても、文句ひとつ言わない。
痛みも歯を食い縛ることで耐えた。
「繋ぐ」
女郎蜘蛛の糸が青年の左腕の端と死体の左腕を繋ぎ合わせ、着物を着直せば見た目には分からなくなった。
「2日は無理に動かすな。馴染めば、腕の長さも元みたいになる」
「…そうか」
青年は歪な腕の切り口に指を這わせて、痛みをやり過ごす。
「痛み止めはねえのか?」
「ん? ああ、痛いのか。芥子でも探すか?」
黄泉軍の彼は、腕を切り落とされても切り口がすぐに塞がる。
痛みが人間のように続くことは無いのだろう。
「じゃあ、女郎蜘蛛の糸はどう手に入れる?」
「それはここ離れたら教える」
それもそうだ、と青年は思い直した。
そうして青年は己の身体を修復する術を覚え、人間という枠組みから益々と逸脱した。
けれどその事実を、青年が気に病むことはない。
人間であればとうの昔に、寿命が尽きて死んでいるだけの年月が経つ。
青年は彼を手に入れた日、代償に人であることを捨てたのだ。
* * *
彼が、帰って来ない。
すぐに戻ると出掛けてから、すでに半刻を過ぎた。
本来ならば共に出掛ける青年であるが、生憎と脚を繋げたばかりで足手纏いであるのは明白だ。
止む無く見送り待つ間、空からはしとしとと雨まで降りだした。
「…遅い」
戦う以外の動きであれば、問題ない。
焦燥に駆られた青年は、唐傘を手に東屋を出た。
しとしとと降る雨はざあざあと音を変え、青年の視界を塞いでくる。
(エレン、何処だ?)
宛てなく歩いているわけではない、しかし馴染んだ気配は見当たらない。
ざあざあと降る雨は匂いを消し音を消し、焦燥ばかりを募らせる。
「…!」
上から下への雨粒の中、下から上へと昇る白煙を見つけ、駆け寄る。
そこには巨大な"骸"が在った。
骸ではなく"躯(むくろ)"と云うべきか、黄泉軍の纏う巨体である。
蒸気を上げて消えていく中に、彼の姿もあるはずだ。
「エレン!」
名を呼び躯の周りを駆け回れば、程なく彼の身体は見つかった。
「…っ!」
だというのに彼は血塗れで、傷の再生を示す蒸気も彼自身の身体からは見当たらない。
「おい、エレン! 早く修復しろ!」
半身を抱き起こし呼び掛ければ、金色が薄っすらと姿を見せた。
「はは、さすがに俺も、寿命だな」
確かに彼は永く生きた、強いままに永く生きた。
だが青年にとっては、太陽を失うのと同じくらいに恐ろしいことだった。
「馬鹿云ってんじゃねえ!」
怒鳴っても、叫んでも、彼の体温は失われていく。
雨が、邪魔だ。
「…なあ、リヴァイ」
楽しかったか?
唐突に問われ、青年は口を開けて呆けた。
「な、にを…」
己の命が失われゆく状況だというのに、彼は笑っていた。
青年を見上げて弓なりを描く金色は、青年が人間であった頃に見続けていた色を灯して。
「俺の自由を奪って、散々楽しんだんだ。次は俺が愉しむ番だろ」
彼は、嗤っていた。
「討伐師は浄土へ行けない。生きるため以外の殺生をしてるからな」
嘲笑う金には、排他と憎悪に満ちた色を。
「俺の母さんさ、伊耶那美様の孫なんだよ。だから俺、伊耶那美様には結構我儘聞いてもらえるんだ」
口から吐かれる言葉には、間違えようもない悪意を。
「お前の魂は何処にも行けない。浄土にも、黄泉にも。だから死なない」
俺は二度と、お前の前には現れない。
お前を好きでいたことなんて、刹那も無い。
「俺の自由を奪ったお前をどう苦しめれば胸がすくか、ずっと考えてた!」
身体は屍、壊れたってすぐ直せる。
力も強い、鬼でも鬼神でも倒せるくらいに。
「俺はもう死ぬ。死んで輪廻に戻って平穏に暮らす。二度とお前に会うことはない」
お前は死なない、その身体は死ねない。
「その身体も、心臓も、全部俺のモノだ。だからそうした。お前を絶望に突き落とす為に」
魂は要らない、どうでも良い。
「俺はもう死ぬ、やっとお前から開放される」
お前は死なない、どうしたって死ねない、俺を忘れることも出来ない!
「その左腕は必ず腐り落ちる。そうして俺を忘れられずに、無間の生き地獄で彷徨え!!」
ざあざあと、雨が降りしきる。
「エ、レン…」
青年は、もはや言葉も無かった。
彼が、たった今しがた命を止めてしまったことが信じられず。
彼が吐いた、すべての言葉が信じられず。
「えれん」
青年が呆然と見下ろす彼の身体から蒸気が昇り、青年は目を見開く。
修復ではない。
彼の心臓は、もう鼓動を止めてしまった。
ならばこの蒸気は?
「…っ!」
青年は錯乱した。
彼は開放されると言った、二度と会うことはないと言った。
「エレン、止めろ!!」
物言わぬ骸となった彼の身体が、蒸気と変わり消えてゆく。
「止めろ! 止めろ…っ!!」
何も遺らない。
このままでは、すべてが青年の掌から零れてしまう。
蒸気が上がっているのは、現時点では首から下。
それなら、
斬り落せば?
青年は躊躇なく業物を払い、そしてーーー。
<< >>
ー 閉じる ー