巨人の時代に在ったこと。

(2.Four years after)




4年の月日が流れ、殲滅には至らずとも巨人の数は随分と減った。
相変わらず発生源も原因も判らず、南方から来ているという予測しか立たない。
それでもこの1年、調査兵団の損害率は1割以下となっている。
(…潮時だ)
エルヴィンは自身に充てがわれたテントの中で、1つの計画を実行に移す刻を見定めた。
すでに日は沈み、巨人も活動を停止している夜半のことだ。
エルヴィンはリヴァイやハンジを筆頭とした、調査兵団の主要幹部を集めた。
「明日の0600、我々は壁内への帰路に着く。ルートや陣形に変更はない。
だが、人員の分担について計画を変更する」
湧き水があり野生動物の多いこの場所は、ウォール・マリア外の壁外調査で必ず使用している駐屯地だ。
数百m東へ向かえば、『壁』に囲まれる前の人類が住んでいたのであろう跡がある。
枯れていると思われた井戸はなんと使用可能で、汲まれた水は医療班の調査により"安全"の太鼓判を押された。
壁外でもっとも長居するこの地は、巨人への警戒さえ怠らなければ居心地も良い。

焚き火に照らされたエルヴィンの横顔に、変化は窺えない。
誰もがただ、次の言葉を待った。
常に最善を見据える眼(まなこ)は、向かい側のリヴァイへ据えられる。

「リヴァイ。お前とエレンには、此処に残ってもらう」

誰かが息を呑んだ。
リヴァイは感情の読めぬ銀灰をエルヴィンへ据える。
「…兵士長の仕事は?」
「ミカサとアルミンにやって貰おうと思っている。彼女の実力はお前も認める通りだ。
頭脳に関してはまだ及ばないが、アルミンならばそこを補えるだろう」
「残るのは俺たちだけか?」
「いや。此処を拠点として使えるよう、ある程度整備して貰いたい。2人では手が足りないだろう」
候補に上がった名はエレンの同期、ジャンとコニー、サシャ、ユミル、クリスタである。
ハンジは彼らの名前にピンと来た。
(まさか、エルヴィン…)
彼女が問う前に、再度リヴァイが言葉を発する。
「期間は?」
エルヴィンは笑った。
それは場違いに思えるほど、朗らかに。

「他の者は、次の合流時に交代する予定でいる。だがリヴァイ、お前はエレンを壁内へ戻したいか?」

他の面子にも、エルヴィンの意図は紛うこと無く通じた。
(…そうだ。これは、唯一人のために練られた計画)
口元を釣り上げたのは、ハンジだけではなく。
リヴァイの答えが、調査兵団の今後の道を決定付けた。

「誰が、戻すかよ」



*     *     *



エレンの目の前には、『海』が広がっている。
塩分を含んだ、どこまでも続く巨大な青の水溜り。
もう何度、此処へ来ているか分からない。
調査兵団の他の面々もすでに海は見ているが、場所は此処ではなかった。
…此処を知っているのは、エレンとリヴァイだけだ。
巨人の脅威が未だ去らぬ中、単独行動は調査兵団では固く禁じられている。
また内地への説明に必要でもあるからと、リヴァイがエレンの監視役として傍に居ることも変わらない。
(それは少しだけ、申し訳ないけど)
でも今さら、離れろと言われても無理だ。
エレンはそっ、と左手の薬指をなぞった。

その指に嵌められているのは、翼のような紋様の刻まれた銀細工の指輪。
片翼の翼の根本には、キラリと光る小さな宝石。
多面に光を反射する宝石が何という名前なのか、残念ながら贈り主は教えてくれなかった。
自分よりも余程博識な幼馴染に聞いてみても、贈り主に反して教えるのは無理だと苦笑されて。
知ったとして、頭を素通りしそうなことは自分でも分かっているが。
「エレン」
声に振り返れば、この指輪の贈り主が登って来た。

「そろそろ戻るぞ」

飽きもせずひたすらに海を臨むエレンの姿は、もうリヴァイには見慣れたものだ。
ここは海にもっとも近い山の中腹で、どこよりも広く海を見渡せる。
太陽が沈む方角を向く此処で夕日を見ることを、エレンは誰よりも好んでいた。
「日が沈むまで居ちゃ、駄目ですか?」
毎度交わされる会話だって、変わり映えしない。
「暗闇で巨人に襲われたいならな」
夜になると巨人は活動を停止する、しかしいつ止まるかは個体差が大きい。
巨人が人間を捕食する際に使用するのは視覚であるが、夜目が効くのかどうかは今でも判明していなかった。
リヴァイは渋るエレンに己の左手を差し出す。
「行くぞ」
差し伸べられたリヴァイの左手薬指には、金色の指輪が嵌められていた。
エレンの嵌めた指輪と対になるよう刻まれた翼の紋様、根本には同じ小さな宝石が埋め込まれている。
それを見ると、エレンはいつも嬉しそうな顔をした。
だから幾ら渋っていても、彼は自らの左手をリヴァイの左手に重ねる。
リヴァイは重ねられた手を握りエレンの身体を引き寄せて、触れるだけの口づけをひとつ。
「明日はエルヴィンたちが戻ってくる。新しい工程表が出来たそうだ」
エレンの金の眼が、好奇心で輝いた。
「ほんとですか?! じゃあ、新しいところに行けるんですね!」
"自由の翼"とはエレンのことではないか。
そう言い出したのは、彼の幼馴染であったか。
壁外に本部…と言っても相違ない…を構えた調査兵団にとって、エレンは文字通りの"希望"である。
ウォール・マリアの奪還から、壁外における新たな調査の開始まで。
今では小さな町と形容出来そうな拠点は、エレンなくしては存在すら有り得なかった。
…その本人も、何のリスクも負わずに来た訳が無く。
麓に離していた馬を呼び、拠点へと走らせる。

エレンはもう、巨人化してはいけない。

壁外に留まるようになってからも、彼は数度の巨人化を行っている。
リヴァイが覚えている限りでは、1年と1ヶ月前が最後。
あのときエレンは自力で巨人体から出てきたが、今までに無い程の高熱に侵された。
体温は下がらず意識も戻らず3日間、生死の境を彷徨って。
「今までエレンの中で保たれていた、人間の組成組織と巨人の組成組織。その均衡が、崩れた」
ハンジの仮説は仮説でしかないが、ほぼ真実だろう。
「調査兵団は、いつでも最悪を想定してここまで来た。だから私も…、最悪を想定しよう」
拳を握り締め、ハンジは言葉を続けた。
「エレンが次に巨人化すれば、巨人の組成組織が一気に活性化する。
巨人の組成組織はエレン自身を構成する人間の組成組織を死滅させ、エレンは……」
死んでしまう。
不気味な静けさは、絶望に等しい。
「…巨人化、させなきゃ良いんだろうが。あいつが巨人化しなきゃなんねえ程の巨人は残ってねえ」
リヴァイの言葉は事実だ。
ハンジの仮設を元にしたそれは、選択肢ではなく残された手段。

「ねえ、リヴァイ兵長。新しい工程表にある目的地、どの方角になるんでしょうね?」
「…さあな。部隊の人数が揃うから、案外南かもな」

そのときは誰も、思い出せなかったのだ。
命の危険は隣り合わせでも、限りなく低くなった死亡率の中で死んでゆく仲間が居ても。
確かに此処には『希望』が在って、充実した"自由"と"人生"を謳歌していた。

ーーー『希望』の隣人は、『絶望』であったのに。



人間は、あまりにちっぽけだ。



叩き付ける雨粒と、鼓膜を破らんと劈く雷鳴。
泥濘んだ土は人の足も馬の足も絡め取り、岩肌は容赦なく滑落を誘う。
「ジャン! あと200mくらい先に洞穴が在る! 前に枯れた水脈のあったところだ!!」
部隊の中央に位置取りするエレンは、先頭に居るはずの同期へと叫ぶ。
「っ! そうか、判った!!」
稲妻が何処かへ落ちる直前、彼の声が雨音に乱されながらもエレンへ届いた。
(あと、もう少し…!)
遠征調査の最中(さなか)、長く横たわる山に差し掛かった部隊に急激な天候の変化が襲い掛かった。
今回の遠征は、ジャンを隊長にユミルを副隊長、隊員として先輩兵士と昨年加わった新兵たちとなっている。
エレンとリヴァイは正式には隊員ではないが、遠征と名の付くものには必ず2人も同行していた。
(兵長が殿(しんがり)だ。だから大丈夫…、っ?!)
山肌から一番離れていたエレンの脇を、何かが落ちていった。
雷と雨の他に、音は聴こえない。
「…っ?!」
今度は被った外套のフードに、ぱらぱらと雨以外の何かが落ちた感覚を受けた。
ハッと上を見上げる。
エレンの動きを雨のノイズ越しに捉えていたのは、リヴァイだった。

「ーーー走れっ! 崖崩れだ!!」

岩が、降ってくる。
リヴァイの声は雷の間隙を縫い、部隊の者全員が聞いた。
だが。
見上げた視界に次々と映る石は多く、大きい。
(これじゃあ、全滅する…っ!)
エレンに迷いは無かった。
後ろを見返ったジャンとユミルは、『絶望』がパクリと開く様を見た。

「…っ、エレン、止せーーー!!」

鳴り響く雷鳴を押し退け、閃光と衝撃が周囲を取り巻く。
すると降ってきた岩が、叩き付けていた雨が、唐突に止んだ。
衝撃に顔を庇っていた腕を恐る恐る外した隊員たちは、顔上げて目を見開く。
ーーー巨人、だ。
大きさは15m級。
金色の両眼に理知的な光を宿した巨人が、自身の背と広げた両腕を盾に降り注いだ岩を遮っていた。
隊員の内、新兵たちの目が恐怖に歪む。
「きょ、巨人…っ?!」
しかしその先は、ジャンの鋭い叱咤が押さえ込んだ。
「ボサッとしてんじゃねえ! 洞穴まで走れ!!」
先輩兵士たちも次々と彼らを追い立て、部隊が先にエレンの示した洞穴へと走り出す。
その途中、ユミルは唇を噛み締め声を張り上げた。

「新兵ども、よく訊け! あれはエレンだよ!!」

お前らもよく知ってる『人類の希望』、巨人になれる人間だ!
「あの、馬鹿…! あいつ、アタシらの命と自分の命を、天秤に掛けやがったっ!!」
ユミルがこれでもかと叫んだ声に新兵たちは呆気に取られ、その間も叩き付ける雨は弱まらない。
「ジャン、アタシは戻るぞ!」
並走するジャンへ怒鳴るように告げれば、彼は苦渋ばかりが見える表情で頷いた。
一旦速度を上げてジャンを追い越したユミルは、馬の速度を落とし隊列の外側へと位置を移す。
「そこの! 替え馬を寄越せ!!」
「は、はいっ!」
轡を受け取った替え馬も合わせて馬の方向転換を試みる彼女へ、先輩兵士が叫ぶ。
「ユミル副隊長! エレンさんを頼みますっ!!」
「あったりめーだ!」
雨が遮るほんの数mの視界、ユミルの姿は来た方角へ即座に消えてしまった。



エレンの馬と共にリヴァイが山肌から離れたことを確認し、エレンは巨体を動かし背で受け止めた岩を振り落とした。
ガラガラと落ちたそれらは大きく、部隊に直撃していたらと思うと背筋が寒くなる。
「エレン!」
この人の声は、どんなときでもよく聴こえる。
リヴァイがエレンへと声を上げていた。
「走れるか?! 前の野営地まで戻るぞ!!」
返事代わりに雷に負けぬ唸り声をひとつ、すでに走り出した彼の背を追うため足を踏み出す。
(まだ、動けるか)
後ろを付いてくる足音に、リヴァイは雨で滑る轡を握り直した。
新たな崖崩れの誘発を防ぐよう静かに歩く様からは、深刻な自体は見受けられない。
「…チッ」
すぐにでも堕ちようとする思考を舌打ちで払い、リヴァイは並走するエレンの馬の轡を掴んだ。



全員の馬も何とか洞穴へ押し込め、部隊はようやく安堵の息を吐いた。
この狭さでは火を起こすことは無理だが、馬も人数も居る。
暖を取ることは可能だろう。
新兵たちがホッと息をつき肩の力を抜いても、先輩兵士たちの表情は硬いままだ。
がつ、と鈍い音が響く。
「畜生が…っ!」
岩肌を殴りつけたジャンは、内で暴れ回る激情を堪えることに必死だった。
(さいあく、だ)
ジンと痛みが登る拳とは逆の手で、額を覆う。
「あ、あの…ジャン隊長」
「何だ」
「あの、さっきの巨人は、本当に…?」
震えていても物怖じしない問い掛けに、ジャンは洞穴の奥を振り返った。
新兵たちがこちらを見て、なお無言で問う。
しばしの間を置いてジャンは息を吐き、彼らへ向き直った。
「…そうだな、全部話してやるよ。アイツのことも、…これから、起きることも」



以前の野営地は、山から少し離れた森の中にある。
相変わらず雨が視界を狭めているが、薄っすらと森の緑…というよりも影…が、見えてきた。
そこでふっ、と後ろの足音が途絶える。
「エレン?!」
大きな影が、リヴァイのすぐ傍へ落ちてきた。
ズゥン、と地鳴りのような音を上げて倒れた身体から、白い蒸気が昇る。
即座に馬を寄せ、立体機動装置のアンカーを巨体の肩へ打ち込んだ。
項の肉がずるりと溶け、エレンの姿が見える。
「エレン!」
熱を発する巨人の皮膚繊維に構わず、エレンの身体を引き摺り出す。
「おい、エレン! エレン!!」
雨脚に負けぬ声で何度も呼び掛け、ようやく僅かに瞼が開かれた。
「…、」
言葉を発しようとしたのか微かに開閉した唇からは、漏れた吐息の音すら聴こえない。
エレンをしっかりと抱きかかえ、リヴァイは骨組みを見せ始めた巨人体から飛び降りる。
「部隊に損傷はねえ。お前のおかげでな」
顔を近づけて話せばちゃんと聴こえたのか、エレンの口元に薄い笑みが浮かんだ。
それも束の間、彼は不意に咳き込む。
「エレン?!」
2回、3回と空咳をして、そして。

エレンはごぽり、と血を吐いた。



*     *     *



白いカーテンが、はためいている。
ミカサは小さな椅子に腰掛け、ベッドに眠るエレンを静かに…ただ見守っていた。

あれから、ユミルは馬を1頭潰してしまう程に駆けた。
おかげで拠点を出たばかりの本隊を近くの山から確認出来、彼女は音響弾を撃った。
「エレンの言う通り、あの人は指示が的確過ぎるな」
先程までここに居たユミルは、そう苦笑していた。
途中でエレンを抱えるリヴァイと擦れ違ったユミルは、"距離が遠いなら音響弾を使え"という指示を受けていたという。
…音で気づかせ、そして煙弾に気づかせる。
そうでなければエルヴィンやハンジたちを含めた本隊は、気づくこと無く壁内への道行きを続行していただろう。
本隊で真っ先に煙弾を発見したのはミカサで、上がった煙弾は彼女にとっての最悪を想起させた。

赤い煙弾と黒い煙弾が、同時に打ち上がる。
それは『巨人以外の非常事態』を示すものと、調査兵団では定められていた。

今では副兵士長の肩書を保つミカサと、団長補佐役であるアルミン。
2人がエレンと共に居られる時間は、長くない。
エレンを壁内へ戻さない為に必要なことであり、彼を死なせないためにも必要なことであった。
「…エレン。ジャンたちは、遠征調査を続行するって」
長距離伝達用にと訓練していた伝書鳩が、先日拠点へ飛んできた。
結ばれていたカプセルの中身には現在の位置と状況、そしてエレンに対する言葉が2つ。

『 エレンのお陰で、誰一人欠けてない。
お前の見たことのない世界を、絶対に見てきてやる 』

風でふわりと揺れたエレンの前髪に、そっと触れた。
(ジャンたちは、知ってる…)
彼らはもう、"間に合わない"。
ぽつり、とミカサの膝の上に雫が落ちる。

「泣、くな、よ…ミカ、サ…」

ハッと顔を上げると、両の目からまた涙が零れ落ちた。
「エレン!」
億劫げに開かれた眼(まなこ)が、穏やかにミカサを映す。
酷く重たげに持ち上げられた片手を、慌てて握った。
「ここ、拠点、か?」
コクリと頷く。
「あなたとリヴァイ兵長の家。兵長があなたを連れて帰ってきて、ユミルが私たちに知らせてくれた」
エレンはそうか、と吐息だけで呟いた。
寝室の先、リビングの奥からノック音が聴こえ、ミカサは首だけで振り返る。
程なくお邪魔します、と入ってきたのは…玄関にまだ鍵は掛けていない…、アルミンだった。
「アルミンっ、エレンが!」
ミカサの声に、アルミンは弾かれたように寝室へ飛び込んだ。
「エレン!」
椅子を譲る意味も込めて、ミカサは立ち上がる。
「エルヴィン団長とハンジ分隊長を呼んでくる」
「うん、お願いするよ」
礼を言い、アルミンは先程までミカサが握っていたエレンの手を取った。
「ア、ル…ミン…、あ、いつら、は?」
主語のない問い掛けでも、アルミンは正確に察してみせる。
「ジャンたちなら、遠征調査の真っ最中だよ。部隊に損傷はない」
ユミルはここに留まることになったけどね、と続ければ、エレンは吐息だけで笑った。
「…エレン、何か食べられそう?」
困ったように眉が寄せられ、微かに首が横に揺らされる。
「喉は渇いてない?」
掠れた声が、ごめん、と答えた。
エレンの手を取った両の指に、きゅっと力が入る。
…言葉を失うとは、こういうことなのだろう。
アルミンはそれ以上、何も言えなくなってしまった。

巨人化から戻って、エレンは大量の血を吐いたという。
おまけに天気は大嵐、体調を崩させる要因には事欠かない状況で。
初めは恐ろしいほどの高温を発していた身体は、一晩明けると急激に体温を失っていった。
今だって、握ったエレンの手はとても冷たい。
数日前まで青年の身に相応しい健康的な色をしていた肌も、今は青白い。
ぽたりぽたりとアルミンの頬を涙が伝い、けれど彼は拭おうとはしなかった。
「泣、くなよ…ア、ルミン…」
泣かないでなんて、居られるわけが無い。
けれどエレンの穏やかな顔を見て、やはり何も言うことは出来ずに。
エルヴィンとハンジが駆け入って来るまで、アルミンは彼の手を握り続けた。



再び寝入ったエレンが目覚めぬまま、2日が経った。



その日は、美しい月の夜だった。
扉の開く音が聴こえたのか、月明かりを金色が取り込む。
「へいちょう…?」
「っ、エレン!」
エレンは食べることも飲むことも出来ず、いつ目を覚ますとも知れない不定期の眠りの中だ。
ミカサたちも時間を見つけてはここへやって来ているが、言葉を交わせたのは1度だけだと言っていた。
力無く差し出された手を、リヴァイは強く握る。
安心したようにふわりと笑んだエレンが、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「良かった…。ミカサ、たちには…会…たけど、兵長…には、あれから、会ってなくて」
リヴァイはエレンの言葉を訂正する。
「俺はもう兵長じゃねえ」
「…?」
「昨日付けで、調査兵団兵士長はミカサ・アッカーマンになった」
金色が軽く見開かれる。
「今の俺はただの一兵士だ。エルヴィンが別の役職云々と言っていたが、そんなもんは蹴る」
心底嫌そうに言い切ったリヴァイに、エレンの口からは小さな笑い声が漏れた。
「じゃあ、もう、兵長って…よべませんね」
ベッドに腰掛けているリヴァイが、手を伸ばしてきた。
頬に触れた彼の手は熱く、エレン自身の体温が如何に低いかを教えてくれる。
それでも。
(あんしんする)
エレンを導いてきた手だ。
ーーーエレン自身を欲し、傍に在ると言ってくれた人だ。
言葉は自然と溢れ出た。
ずっと以前、隠し通すはずであった想いが零れてしまったときのように。

「…大好きです、リヴァイさん」

今度はリヴァイが目を見開いた。
金色の眼差しは初めの邂逅と変わらず、リヴァイを真っ直ぐに見つめている。
「俺は…、あなたを好き、に…なれた、自分を、誇りに…思う」
惜しみなく差し出される心が、酷く眩しい。
リヴァイが握っているエレンの指先に、ほんの僅かだけ力が篭った。
「ねえ、泣かな…で、ください」
笑みが困ったようなものに変わる。
指摘されて初めて、リヴァイは自身が泣いていることを自覚した。
「おれはも…動けない、から。あなたのなみだも、ぬぐえない」
「エレン、」
喉の奥から絞り出せたのは、その名前だけ。

兵士として戦ってきたリヴァイにとって、『死』はいつだって隣人であった。
何を信じても、結果が『生』か『死』か判ることなど有り得ない。
ゆえにリヴァイは、足を止める原因でしか無い『死』への恐怖を捨てていた。
…このときまでは。
リヴァイはこの瞬間初めて、他者の『死』に恐怖した。
「っ、頼む、エレン。死ぬな…!」
無理だと理性が答えを返す。
嫌だと心が答えを拒む。
エレンはもう一度、リヴァイの名を呼んだ。

「ね、リヴァイ、さん。おれは、しあわせ…です」

あの日の地下室、月のように静かに泣いていたエレンは。
月明かりで静かに、微笑っていた。

すぅ、と目を閉じてしまったエレンに、リヴァイの顔から血の気が引く。
「エレン?!」
冷たい首筋に指を当てると、まだ微かに脈動が残っている。
心の奥底から安堵の息をついて、リヴァイは流れる涙を乱暴に拭った。
泣く、という行為など、いつ以来か。
「返事くらいさせろ、馬鹿野郎が…」
エレンが次に目を覚ましたら、伝えてやろう。
( 愛してる )
沈黙してしまった唇へ、優しく口づけた。



*     *     *



調査兵団の誰もの願いも虚しく、エレンは再び目覚めること無く息を引き取る。
最後の巨人化から僅か7日、享年21歳。

それはあまりにも早い、幕引きであった。
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2013.10.14
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