果てに続く

(3.xx回目の出会いは)




「で、こいつはどういう状況だ…?」

まさか、目を覚ましてみれば何も無いとは思うまい。
凝り固まった関節を解しながら辺りを見回すが、本当に何も無かった。
見えるのは赤茶けているか、砂しか見えぬ地面。
砂色の地面は平坦であったり隆起を持ったりしながら、どこまでも続いている。
(クソつまらんな…)
何も無い、とはこうまで味気ないものであったか。
動物はおろか、枯れ草1本見当たらない。
まさしく『不毛の大地』だ。
以前に自分がここへ来た風景を思い出して、とりあえず足を踏み出す。

そして、落胆した。

エレンが飽きもせずいつも眺めていた海が、場所は間違っていないはずが随分と遠い。
(どんだけ干上がったんだ…)
おまけに色が汚い。
これでは泥の水溜まりではないか。

誰も居ない。
何も無い。
(どこかに"何か"が居るはずだ)
『世界』の寿命とは即ち、リヴァイの寿命である。
『世界』の視点をミクロにしたものがリヴァイであり、言うなれば兄弟、鏡に写った分身、もしくは表裏一体。
ひとつの"個体"としての概念がリヴァイを形作り、『世界』に留め置いている。
ゆえにリヴァイは、己の寿命がどこまであるのか視えていた。
…そろそろ近いが、目前でもない。

外見年齢を人間でいう『少年』だか『青年』の辺りに巻き戻し、リヴァイは海であったものに背を向けた。
かつての海岸線から離れない程度に歩いていく。
生き物の気配が無いというのは、不気味な静けさを持つらしい。
馬がいれば随分楽だろうにと考えていると、巨大なすり鉢状の穴に遭遇した。
「何だこれは…」
蟻地獄、という単語が思い浮かぶ。
小さな町ひとつ飲み込めるくらいの穴だった。
すり鉢の中央にはまた真っ黒な穴があり、それは暗闇ではなく人工物の色のような気がする。
ふと、フィン、と虫の羽音に近い人工的な音が聴こえた。
きょろりと周囲を見ると、真っ黒な穴から"何か"が出てくる。
二足歩行の生き物らしいが、黒いものに身を包んでいて何やらさっぱり分からない。
ビニールのような、分厚そうなそれは衣服なのだろうか。
顔であろう箇所はさらに硬質であろう素材で覆われ、随分昔に存在した閃光避けゴーグルを思い出す。
(しまっ…!)
目に見えたものが武器であること、それが光線銃と呼ばれる類であったこと。
リヴァイが思い出したそのときには、意識がブラックアウトしていた。



ひや、と何かが首筋に触れたような感覚を覚えた刹那、リヴァイの身体は本能に従った。
拘束されていない腕を下から突き上げ、ぐにゃりと何かを殴り飛ばす。
キン、と鳴った何かを見るために目を開ければ、それはメスだった。
下着以外の衣服がない。
自分の下にあるのは、僅かだけ柔らかな手術台。
そして落ちたメス。
「ハッ、いつの時代も変わんねぇな!」
リヴァイはありったけの侮蔑を笑みに乗せ、視界に入った二息歩行の"何か"へ拳を向けた。



"彼女"がその一角へやって来たのは、単に好奇心と諦感だ。
彼女の持つ権威と"彼ら"の持つ権力はそれなりに等しく、彼女ひとりの権威は国の中枢を為すと言っても過言ではない。
けれど悲しいかな、ひとりというのは不便であった。
『非常に貴重なサンプルを地上で発見した』
その報はもちろん、第一に近い順位で彼女へもたらされ。
此処で生きる多くと同じく惰性に身を委ねかけていた彼女を、サンプルが収容された区画へ走らせるくらいには発起させた。
けれどやはり、ひとりではない"彼ら"の方が有利なのだ。
ゆえに彼女は、すべてのセキュリティをスルーしながら思っていた。
(もう、生きてないだろうなあ)
だがその予想は、恐ろしいまでに外れる。

"彼ら"の研究施設に入れば、血腥さが鼻についた。
足早に廊下を抜け、奥へ。
「!」
血色に染まった研究服が幾つも転がる光景を目の当たりにし、息を呑む。
部屋の中央、手術台に半分ほど腰掛けている人物は少年。
ピチャン、と彼女の靴先が血を跳ね、少年の鋭い目がこちらを捉える。
…と、彼は驚いたように銀灰色を見開いた。

「これ、君がやったのかい?」

高揚する自らを抑えて彼女が問えば、彼は言う。
「*****」
通じない、というか、分からない。
彼女は走ってきたことでずれた眼鏡を直し、もう一度問う。
「【これ、君がやったのかい?】」
妙な顔をされたので、もう一度言語を換える。
「《これ、君がやったのかい?》」
今度は問いの意味が分からないような顔をした。
「俺がやったのかって? 見ての通りだが」
通じた!
「あと、こいつらはまだ死んじゃいねえ。あと1時間もすりゃ死ぬだろうが」
少年は手持ち無沙汰に弄っていたメスを放る。
カランと高い音を立てたそれは、随分と無機質に反射した。

「てめえは何だ?」

殺気の籠る視線というのは、随分と清々しいものらしい。
彼女は意図せず笑んでいた。
「研究者という括りはそこの彼らと同じだけど、君の命を取るような愚か者ではないよ。
あ、ちょっと待ってて。着られるものを探すから」
そうして背を向けた彼女に、リヴァイは複雑な目を送る。
(どう見ても、あのクソ眼鏡じゃねえか)
"エレン"に出逢った時代に出会った、多少どころでなく変わった人間。
彼女はすぐに戻ってきた。
「ごめんね、こんなものしか無いんだ。すぐ手配するから、少しだけ我慢してもらえるかい?」
まっさらな白衣を差し出され、仕方なしに受け取る。
リヴァイが受け取ったことを確認した彼女が、徐(おもむろ)に目前の宙を右手で撫でた。
するとやや白い四角が浮かび上がり、ピピピッと人工的な音を上げる。
(あれは…)
ずっとずっと昔、エレンに出逢うよりももっと前に、こんなものを見た記憶があった。
「やあ、聞こえるかい? え? 言葉? あぁ、ごめんごめん。
ほら、この間地上で見つけたって報告あったでしょ。これ、その子が使ってる言語なんだ」
ちょっとメンズ服の手配頼める? そうそう、ハイスクールくらいの。
宙に現れた白い四角…薄っぺらく向こう側が透けている…へ話し掛ける彼女の左手は、いつの間にか別の四角を呼び出している。
リヴァイはようやく思い出した。
(量子ディスプレイ、だったか)
用事が済んだらしく、光る四角がパッと消える。

「自己紹介もしてなかったね。私はハンジ。たった今から、君の身元引き受け人だ!」

よろしくねと言われて、現状でリヴァイが返せる反応など限られている。
とりあえず、名乗られたのならこちらもそうすべきだろう。
「…リヴァイだ」
名を告げれば、ハンジが首を傾げて不思議そうに笑った。
「リヴァイかぁ」
何か、懐かしい感じがするね。
そんなことを呟かれても、リヴァイには答えなどない。



リヴァイが押し込められたこの部屋は研究所の一部であり、またこの"国"の中枢を担う箇所でもあるという。
「国って言っても、小さなもんだよ。もう少し昇れば、それが見える」
乗った人間を即座に建物の他階へ運ぶ光る円盤…ハンジはフロアワープと呼んだ…で、位置関係も判らない。
ハンジの後を付いて歩けば、前方に全面硝子張りのフロアが現れた。
好奇心に逆らわず近づき、リヴァイは絶句する。

あれは"空"じゃない。
あれは"樹"ではない。

今まで見てきたどんな人口物よりも人工的な景色が、そこには在った。
色を変える空は、精巧に映し出された映像。
生える緑は本物であるのかもしれないが、本来の姿からはかけ離れている。

下げた視線の先、眼下に広がる街は非常に進んだ科学力を見せども、あまりにも小さい。
リヴァイにあの、"巨人の時代"を思い返させるくらいには。
(ウォール・シーナくらいしか、ねえじゃねーか)
空が偽物である理由、緑が不自然である理由。
「…ハンジ、ここはどこだ?」
眼下に視線を釘付けにされた少年は、驚愕冷めやらぬ様子で問うてきた。
(賢い子だ)
隠すことではない、むしろ彼には開示すべき情報だ。
ハンジは答える。

「ここは地下都市"エンド・ウォール"。人類に残された、最後の世界だ」



*     *     *



人類が到底生きていけぬ地上で発見された少年は、学生の外見に反してとても落ち着いていた。
時にハンジすら子どものように扱うので、末恐ろしい子だなと彼女は思うのである。
今日も机を挟んで向かい合い、口を開く。

「ねえリヴァイ、昨日の話の続きを聴かせてよ!」
「ざけんな。てめえ、いい加減に俺をこの施設の外に出せ」

ハンジは目を瞬いた。
それはもう、かなりの驚きを伴って。
「わあ、気づいてたのかい!」
純粋に称賛したのに、ギロ、と銀灰色の眼がハンジを睨む。
「……ハンジ。てめえはそんなに削がれてぇか」
「うわうわ、待ってリヴァイほんと待って!」
削ぐって何処を? と聞きたい衝動を抑え、ハンジは降参を示すために諸手を上げた。
彼の手には刃物が握られており、もはや生存本能である。
…彼がやたらと物理的に強いことは、とうに既知のことだ。
その小柄な身体の中にどれだけの筋力が詰まっているのか、ぜひとも解剖してみたいものである。
「そうか。今すぐ死にてぇか」
「えっ、口に出てた? だから待ってって! 連れてくから!
てか自由に出入り出来るようにしてるとこだから!!」
ハンジの必死の弁解が届いたか、リヴァイが矛を収めた。
パチン、と折り畳み式の刃が閉じる。
「…随分な権力だな」
「え?」
初めから、違和感は隠れちゃいない。
リヴァイは単刀直入にぶつけた。
「地上は人間どころか植物ですら生きられねえ。だから俺は重要なサンプルとして捕らえられた。
だが、てめえは表向きの検査しかしない。おまけにやたらと権力を持ってやがる」
セキュリティも、他から電子で飛んでくる意見や言葉も、ハンジには微風(そよかぜ)の如くだ。
「初めに俺は訊いたな。答えの解釈の違いか態とか知らねえが、今度こそ答えてもらう」

お前は何だ?

沈黙の長さは、思うよりも短く。
予想外だとでも言うように、彼女の口許がゆったりとした笑みを刻んだ。
「何だ? って聞かれるとアレだけど」
ハンジは片手を自分の前で翻す。
するともはや見慣れた電子の画面が現れたが、四角く現れた光は人の頭蓋程の球体に変移した。
白い光の球体はパッと周囲へ飛び散り、リヴァイが目を瞬いたその間に姿を変えている。
「"エンド・ウォール"は、正確には国の名前じゃあないんだ」
光の球体は多くの曲面ディスプレイとなり、ハンジの周囲であらゆる画面を映し出す。
彼女が指先をひとつ揺らせば、傍に漂うディスプレイが掻き消え新たな画面が浮かび上がる。
薄っぺらい電子の画面に囲まれて、彼女は笑った。

「"End;WALL"は、100年前に誕生した人工知能の開発コードさ。
そして『彼女』は人工知能であり、この国の管理者であり、この国そのものでもある」

永い、それは永い時間を生きてきたリヴァイではあるが、ハンジの言うことが理解できない。
彼の様子に構わず、ハンジは続ける。
「私は子どもの頃に、脳の半分が壊死する奇病に罹(かか)ってね。そのときに、」
トン、と自分の頭を指先で叩いて。
「壊死した脳の代わりに、人工脳を埋め込まれた」
まあ、ここまでは症例が何件もあるんだけど。

「私に埋め込まれた人工脳に、何と"彼女"がリンクしてきた!」

生みの親たちの手をとうに離れて、独自に成長し続けた人工知能"End;WALL"。
国の根幹を支える"彼女"は、しかし人間の持つ『感情』が理解出来ない。
"新たなものを知り、新たに造り出す"というプログラムの元、"End;WALL"はハンジという人間にリンクし物事を知る手段を取った。
ハンジがもう一度右手を翻すと、彼女を取り囲んでいた画面は一斉に消える。

「つまりね。私はハンジという人間であると同時に、"End;WALL"そのものでもあるんだ」

リヴァイはややの沈黙を挟み、ハンジの言葉を飲み込んだ。
「"エンド・ウォール"って国が、お前の形を取ってるってことか」
「まあ、そんなとこだね」
妙な世界になったものだ。
しかしこれもまた、生きる者の過程なのだろう。
「…ハンジ」
「うん?」
この際、尋ねてしまおう。

「捜して欲しいやつが居るんだ」



*     *     *



暗くはない、だが明るくもない。
"エンド・ウォール"に生きる人々は、どこか停滞した時間の中に居るような錯覚を抱かせた。
平穏であることを甘受し、しかし未来が明るいとは信じていない顔。
感じたものをリヴァイが正直に伝えれば、ハンジは言い得て妙だと頷いた。
「停滞した楽園か」
そうかもしれないね。

今リヴァイは、ハンジの主な生活圏である"主軸"と呼ばれる研究棟から少し離れた、この国で唯一の複合医療施設に居る。
彼女が投げて寄越した国民 IDは、リヴァイに広範囲の自由を与えてくれた。
「私の親友には話通しておいたからさ。行っておいでよ」
掌に光で印字されたIDを、入り口に設置されたディスプレイへ翳し扉を開く。
ほとんど白に近い暖色の壁に挟まれた通路を少し歩けば、再び扉が現れる。
もう一度掌を翳し、通過する。

「やあ、君がリヴァイだね」

通路の片側の壁が硝子張りになった処で、男が1人待っていた。
「……」
表情の変わらないリヴァイではあったが、内心ではそれなりに動揺…というよりも困惑…する。
(何で、こいつまで)
男は相手の警戒心を和らげる笑みで続けた。
「私はエルヴィン。この医療施設の責任者のひとりだよ」
そう、ハンジ同様に"巨人の時代"で浅からぬ付き合いであった男がそこに居た。
(エレン以外の転生は頼んでねぇんだが)
同じ"世界"の存在ゆえに廻(めぐ)ることもあろうが、それにしたって。
「ふむ。見た目や検査の結果は、私たちとまったく変わらないね」
「…そうかよ」
「はっは、そう不機嫌にならないでくれ。研究者の悪い性(さが)でね」
ゆっくりと歩き出したエルヴィンの後を、リヴァイも歩き出す。

まるで日が当たっているかのような窓明かり。
こんな地下深くまで日光は届かないはずだが、何なのだろうか。
じっと窓から"空"にあたる部分を見上げるリヴァイに、エルヴィンは答える。
「これは間違いなく、地上の光だよ」
思わず彼を見たリヴァイに、エルヴィンは続ける。
「地上の日光は、私たちにはただの毒だ。それを無害なレベルまでフィルターに掛けているんだよ」
憐れなことだ。
彼らはもう、地上すら歩けないとは。
「俺の血液検査やら内臓の検査もしたろう。それでも分かんねえのか?」
「残念なことにね」
窓が途切れ、また壁に挟まれた廊下になる。
…先程から、壁と窓以外を見ていない。
「おい、エルヴィン。さっきから扉のひとつもねえが」
「そうだね」
T字の分かれ道が現れ、右へ。
「ここは限られた関係者だけが使える通路だからね。ああ、ほら。ここの壁に触ってごらん」
訳の分からぬまま、リヴァイはエルヴィンの指差す箇所へ手を伸ばした。
「!」
見えるのはただの壁だ。
だが手に触れたのは間違いなく、扉の取っ手部分。
その周囲にも触れてみれば、やはり違う手触りになっている。
(部外者には見えねえってことか)
エルヴィンを見返すと、疑問は解消したかとばかりに目を細められ舌打つ。
もう興味はないと扉に背を向けたリヴァイに、なぜがエルヴィンは微笑んだ。
「なんだ?」
片眉を上げたリヴァイを見下ろす眼差しは、おそらく"優しさ"に分類されるもの。
「いや、」
少し含みを持たせたのは、合う言葉を探していたから。
「君は本当に、"ひとり"を捜し続けていたのだと思ってね」



この国そのものだと名乗ったハンジに、リヴァイは言った。
「『エレン』という名前の人間を捜してくれないか」
目を瞬いたハンジは、尋ね返す。
「人捜し?」
遥か以前に、植物さえ棲めぬ不毛の大地となった地上。
そんな場所で発見された少年が、人を捜してくれと言う。
…そんな矛盾、リヴァイは百も承知だ。
ハンジはじっと彼の目を見つめ、何を思ったかふと目元を綻ばせた。
「ねえ、リヴァイ」
穏やかな声音は、いつになく柔らかく。
「君の知っている地上は、どんな処だった?」
「は?」
微かな電子音が連なり、リヴァイとハンジの周囲をパノラマモニターが取り囲む。
「私は…いや、"私たち"はね。地上を知らないんだ」
写真だろうか、リヴァイもよく知る風景がモニターに映っては消えていく。
気付けばモニターは幾重にも広がり、広くもない部屋は全面が電子画面に埋め尽くされた。
「あるのは記録であって、"記憶"じゃない。だから私は知りたい」
本当ならば在ったはずの、世界を。



その部屋は外光に照らされ、日溜まりのように暖かな姿をしていた。
(部屋、か)
病室ではなく、居室と言った方がしっくり来る。
多くはないが殺風景さを打ち消す幾つかの家具に、可愛らしさを残すカーテンやクロス。
ベッドに眠る部屋の主を見つけたリヴァイの口からは、無意識の内にひとつの言葉が零れ出た。

「エレン」

幼い輪郭を残す顔立ちはあどけなく、茶色みがかった黒髪に白さを残す肌。
初めて彼と出逢った時代、あの頃の彼と寸分違わぬ寝顔を見せて。
…瞼に隠された眼(まなこ)は、輝く色をしているのだろうか。
「こいつは…ずっと寝てるのか」
エレンは、夢を見るのだと云う。
哀しくて辛くて、幸福な夢を。
「夢…か」
「ああ。エレンを引き取っていた人物の話によると、10歳になってから徐々に睡眠時間が伸びていったらしい」
今リヴァイの見つめる先で眠るエレンは、15歳だった。
数日間眠り続けて、数日起きているのが通例だという。
眠り続けている間の彼はずっと、物語のように進む夢を見続けていると。
「他人の夢を視ることは出来ねえのか?」
「出来ない訳ではないが、精々、ぼんやりとした映像を映し出せる程度だよ」
エルヴィンの物言いからは、すでに試したことが窺える。

恐る恐る手を伸ばしたリヴァイの指先が、エレンのさらりとした前髪に触れた。
眠ったままピクリとも動かないエレンの姿に、ひやりと冷たいものが喉奥に落ちる。
(…まるで、)
眠りから目覚めることなく逝ってしまった、"あの時"のように。
「家族はいねえのか…?」
「8歳のときに両親と死別したそうだ。以降、叔父が引き取っていたと」
10歳になって丸1日目覚めないことが続き、ここへ相談に来たという。
エレンを見下ろしたまま動かぬリヴァイに、エルヴィンは問い掛けた。
「此処に居るかい?」
銀灰色の眼が、初めて揺れ動いた。

「…居る」

一途な男だ。
少なくともエルヴィンは、リヴァイという人間をそう評した。



ハンジの研究所からエルヴィンの研究室へ身を移したリヴァイは、いつもエレンの病室に居た。
エレンを見つめているだけのときもあれば、何か話し掛けていることもある。
ハンジが時折モニターで邪魔をしてきて、下らない話をしたりもする。
エレンの叔父である男にも会った。
ーーーそうか、院長先生の処の子か。寝てばっかりのヤツだが、エレンと仲良くしてやってくれ。
ハンネスと名乗ったその男は、心底エレンを心配していた。
良い奴だな、とリヴァイが思うくらいには。

「…さっさと起きろよ、愚図野郎」

ベッドに腰掛け、さらさらとした前髪を梳く。
口から発されるのは悪態でしかないが、態度はその真逆。
ハンジはその点をネタにしてリヴァイをからかい、エルヴィンはなぜか微笑ましげにこちらを見てくる。
つくづく、理解の出来ない人種たちだ。
「……」
ふと身じろぐ気配があったような気がして、リヴァイはエレンを見つめ直した。

「ん…」

思わず、息を止めた。
睫毛が微かに震え、続いて酷くゆったりと、瞼が押し開かれる。
はたりはたりとやはり時間を掛けて瞬かれた瞳が、リヴァイを捉えて驚きを映す。
「あ…れ…?」
一連の動作に見蕩れたリヴァイを見上げて、エレンはまた目を瞬かせた。

「おれ、まだゆめみてる…?」

その発言にイラッと来たリヴァイは、その額を指で弾いてやった。
「いってぇ!!」
額を抑えて枕に沈んだエレンを見下ろし、溜め息代わりに言ってやる。
「俺が夢の住人だと? 寝言は寝て言え、クソガキ」
だって、とエレンは涙目のまま言い募る。
「夢にあんたそっくりな人が出てくるから!」
額を押さえる片手の上から、もう一度パシンと叩いてやった。
「口の効き方のなってねえガキだな」
「ぅえ? 俺とおんなじくらいじゃ…」
「少なくとも、てめえよか生きてるな」
ふぅん、と首を傾げるような動作をしたエレンは、全体の線が細い。
眠っている時間の方が多いなら当然であるが、その内身体が重力に負けてしまいそうだ。
「…あの、」
「なんだ?」
訝しげに口を開いたエレンに、相槌を打ってやる。

「えっと、どちら様ですか…?」

"知らない目"で見られるということに、リヴァイは慣れることが出来ない。
毎回のように、それを飲み下して。
「リヴァイ。エルヴィンの処に厄介になってる」
端的に告げれば、院長先生の! とエレンの表情が変わる。
エルヴィンは懐かれているらしい。
「俺はエレンって言います。よろしくお願いします、リヴァイさん!」
「ああ」

そうしてまた、リヴァイは『エレン』に出逢った。
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2013.12.31
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