果てに続く

(4.ゆめ、ユメ、夢)




エレンが見る夢は、一貫しているらしい。
夢の途中で目が醒めることが大半で、次に眠ると続きから夢が始まるのだと。
「どういう絡繰だ? そりゃ」
「そんなの俺が知りたいですよ…」
起きたらリハビリ代わりに動き回りながら、誰かと話す。
それがエレンにとっての日常であり、彼の云う"誰か"はエルヴィンやハンネス、それにハンジだった。
「なんか…リヴァイさんだけじゃなくて、エルヴィンさんやハンジさんも偶に出てくるんです」
「そうか」
「今見てる夢は、なんか…普通?」
「何で疑問形なんだ」
「…だって、俺は何が『普通』か分からないし」
エレンと彼を取り巻く境遇は、おそらく『普通』のカテゴリーではない。
だがリヴァイが『普通』かと言えば、エレンの方が『普通』にカテゴライズされるだろう。
「リヴァイさんは? 夢、見ないんですか?」
そういえば、見ない。
「夢は毎日見るもんらしいが、生憎と俺は覚えていない」
「へえ、毎日?」
ハンジの受け売りだが、信憑性はある。
「……」
「え? 何か言いました?」
「何でもない」
リヴァイはエレンの追求を避け、口を噤んだ。
(夢に見たとしても)
起きたときに居ないのなら、無意味でしかない。
それから半日後、眠気を訴えたエレンは5日間、目を覚まさなかった。



6日が経ち、エレンの夢に変化が起きた。
「終わっちゃいました」
その目にリヴァイを映すなり、彼は眉尻を下げてそう告げた。
「終わった、とは?」
「夢が。もう、この夢の続きはありません」
彼曰くの『普通の夢』は、夢を見ながらその視点であった彼(エレン)の死で、幕を閉じたという。
「"夢が終わった"のは、今回が初めてか?」
「…いえ。数えてないですけど、初めてではないです」
終わりはいつも、自分が死ぬんですよね。
起き上がること無く深く息をついたエレンの頭を、リヴァイはそっと撫でた。



リヴァイがエレンについて知っていることは、多くない。
眠っている時間の方が多いエレンは、夢の中で生活しているような気さえしてくる。
「リヴァイさんは地上の人だって聞いたんですけど、ホントですか?!」
ハンジさんが言ってたんですけど! とある日続いて、リヴァイは内心で舌打ちした。
(あのクソメガネ…)
余計なことをと思いはすれど、否定する理由も特にない。
「てめぇらも、本来は地上の生物だろうが」
「生物って…。でも、人類が地下に逃げてから凄くたくさん時間が経ったんでしょう?」
「らしいな」
ピピッと電子音がして、今度は態度に出して舌打ちした。
「何の用だ? 下らねえ用なら削ぐぞ、ハンジ」
『えっ、開口一番に酷くない? ねえエレン、リヴァイってば酷くない?!』
ベッドに座るエレンの正面、リヴァイにも見えるような曲面ディスプレイが現れハンジの姿が映る。
リヴァイの冷たい物言いに態とらしくエレンへ縋るハンジに、彼は苦笑した。
「どうしたんですか? ハンジさん」
いつもの遣り取りなので、用向きを尋ねる。
ちょっと遊びに来てみた! なんて返ってくるので、またリヴァイの眉根が寄ったなあとエレンは思うのだ。
『遊びにっていうのは本当だよ、エレン。実は見せたいものがあるんだ!』
幾つものディスプレイがエレンとリヴァイを取り囲み、ひとつのパノラマモニターへと変化する。
『見て、エレン』
色鮮やかな光景が、広がった。

『リヴァイの記憶を元にした、本来あるべき"地上"の姿だ!』

それは、もっとも価値ある宝石の煌めきを集めたよりも、ずっとずっと輝いていた。
「……!」
樹がこんなにも密集するなど、知らない。
花の形も色も、こんなに違うなんて知らない。
風も、雨も、こんなものは…知らない。
エレンはただ、言葉もなく映る映像へ見入った。
「これが、地上なんですか…?」
『正確には、"地上だった"ものだね』
画面が切り替わり、エレンは息を止めてしまう。

「っ、あお…!」

青い、蒼い色が画面を埋め尽くす。
雲が沸き上がり姿を変えて流れ、時間の経過と共に壮大なグラデーションを描く空。
光を反射しキラキラと絶え間なく煌めく、空とは違う青を雄大に横たえた海。

こんなにも美しいものを、エレンは見たことがない。
こんなにも広い世界を、考えたこともなかった。
絶句し黙り込んでしまったエレンを横目に、リヴァイはディスプレイを睨み付ける。
(何のつもりだ)
この世界は、閉鎖的だ。
おそらくは『壁』の時代よりも。

「おい、ハンジ。てめえ何のつもりだ」

リヴァイは久々にハンジの研究所を訪れ、本人を前に低く唸る。
ハンジは戯(おど)けるように肩を竦めた。
「あの子に見せる判断を下したのは、"彼女"だよ。私はそれが面白そうだと思っただけ」
「同じことだろうが」
まあね、と彼女は悪びれないが、ふと眼差しを改めた。

「実のところ、あのイメージを見てその素晴らしさを即時に理解出来るのは、エレンしか居ない」

どういうことかと沈黙で先を即したリヴァイを、ハンジは見返す。
「君は言ったね。この国の人々は『未来を信じてはいない』と」
彼らはこのイメージを見ても、先に諦めてしまう。
「かつて在ったなら、もう一度見られる可能性があるのに。
そうではなく、『どうせ見られないのだから考えても仕方がない』と決めつけてしまう」
それは解るが、リヴァイが訊きたいことは違う。
「…それと、エレンに何の関係がある?」
なぜ、エレンなのか。
ハンジは簡単なことだ、と指を1つ立てた。

「『夢』さ。エレンの見ている夢が、余りにもリアルなものだからだよ」

エレンが今までに見てきた夢を、ハンジ…正確には"彼女"…はすべて記録している。
彼の見る夢は一貫して、『誰かの人生そのもの』であった。
「ただの夢と言い切るには、とてもリアルだ。まるで、誰かの半生を目の前で見ているようで」
「誰かの半生…?」
ハンジは頷く。
「そう。まるで『記憶』だよ」
リヴァイの脳裏で、何かがチカリと閃いた気がした。



苦しげに眉を寄せるエレンの額を、そっと撫でる。
すると安心したのか、僅かだけ緊張し切っている身体が弛緩した。
「一体、何の夢を見てやがる…?」
リヴァイの聞いていた1つの夢が終わった後、エレンは魘されるようになった。
今までは静かに眠っていただけであったが、苦しげな表情で眠っていることが増えている。

「…戦いの夢です」

目を覚ましたエレンへ尋ねれば、彼は疲れた顔でそう言った。
「戦争、って云うんですよね。人同士で殺し合いを続ける世界で、俺も兵士になるんです」
ベッドに横たわったまま、エレンは両手を眼前へ持ってくる。
「目の前で父さんと母さんを殺されて、殺した相手が、その国が心底憎くて」
憎い相手が目の前に居るかのように、エレンの眼光が鋭く尖った。
「全部、全部殺してやるって、俺は…」
上げていた片手を不意に掴まれ、驚いて掴んだ手の元を辿る。
「それは夢だ。此処にはそんな敵は居ねえ」
ひ弱なエレンの手を強く柔く両手で握られ、ホッと息を吐く。
安心したようにゆるりと微笑んだ金の瞳に気付かれぬよう、リヴァイもまた息をついた。

エレンの魘される頻度が、上がっている。
「どうにかなんねえのか?」
リヴァイの隣で魘されるエレンを見守っていたエルヴィンは、ゆったりと首を横に振った。
「こちらからどのように干渉しても、起きないんだよ」
小さな電子音が響き、ハンジを映したディスプレイが隣に現れた。
『また、魘されているのかい』
痛ましげにエレンを見つめる彼女は、さながら母のような眼差しだ。
夢を喰う獣の伝説があるんだ、と彼女らしからぬ話が語られる。
『エレンと仲良くなってからさ、私はいつも思うんだ。その獣が本当に居れば良いのにって』



夢の終わりは、呆気無く訪れた。
…そのときリヴァイはエレンの傍に居らず、エレンは久々にたったひとりで目を覚ました。
何かが染みてくるような目をゆっくりと、本当にゆっくりと開いて。
なぜか滲み歪んだ視界に、水の中のようだと口の中だけで呟いて。

「ーーーリヴァイ准将」

エレンは夢の『誰か』の名前を、込み上げる哀切と共に吐き出した。



出来ることなど、傍に居るくらいしか無い。
リヴァイにはそれが、あまりにも歯痒かった。
エレンが魘され続けた夢は終わり、起きた彼はやっと以前の明るさを取り戻した。
けれど夢の影響は排除出来ず、表情に影が差すようになった。
(本当に、誰かの人生を夢でなぞっているのか?)
もしそうであるなら、危険過ぎる。
リヴァイは何ら平気だがエレンはただの人間で、それも人より身体が弱い。
病室の外、街が一望出来る展望室。
エレンは街を見下ろした後、じっと"空"を見つめていた。
「…ねえ、リヴァイさん」
名を呼ばれ、彼を見る。
「地上はハンジさんが見せてくれたような景色じゃないって聞きましたけど、空は?」
「空?」
金を宿す目が、細められた。

「空も、もう青くないんですか?」

再びエレンが寝入ったことを見届けて、リヴァイはハンジの研究室を訪う。
「ハンジ。地上の様子は見えねえのか?」
藪から棒に問われて、ハンジは目を白黒させた。
「は? え? どしたの??」
「良いから答えやがれ。地上の様子はここから見えねえのか?」
「ああー、いや、見えるよ。ちょっと待って」
ディスプレイと操作パネルを喚び出し、ハンジは地上と繋がる換気口の一部を監視用に切り替える。
彼女に手招かれ、リヴァイはディスプレイを覗き込んだ。

暗い空間を、上へ上へと昇っていく映像だ。
「これくらいの、自立飛行型のカメラだよ。全部で4機」
ハンジが人差し指と親指で、3cmくらいの幅を示す。
「地上へ出るまで、あと5分くらいだ。一体どうしたのさ? リヴァイ」
つくづく、彼女もエルヴィンもお人好しだ。
「…エレンが、聞いてきた。地上は駄目でも"空"はどうなのかと」
「空?」
リヴァイは頷き、ディスプレイの昇り続ける暗闇に目を凝らす。

「"空はもう青くないのか"と訊かれて、俺は答えられなかった。
そんなもん、俺には当たり前すぎて。目の前の何もねえ地上の方が圧倒的だった」

画面の光度が増した。
「カメラが出るよ」
ハンジの合図と同時に、4機の映像が真っ白に変わる。
赤茶けた何も無い大地と、空が映る。
上を向いたカメラに映った景色には、まだ。

「…まだ、空は青いのか」

ホッと呟かれた小さな言葉を、ハンジは隣で聴いていた。
(リヴァイ、君は…何者なんだい?)
"彼女"の予測とハンジの予想は、同じものだ。
けれどそれは、余りにも非現実的に過ぎた。



エレンの睡眠レベルが深くなった。
彼はベッドから起き上がることも困難になり、覚醒している時間は益々短くなっている。
…彼は、新しい夢が始まったのだと云った。
「今度はどんな夢だ?」
問い掛けながら、少し艶を失くした髪を梳いてやる。
擽ったいと笑って、エレンはリヴァイを見上げた。
「旅をする夢です。俺はこの街よりずっと大きな都市で生まれて、そこから都市の外を見に行くんです」
俺の名前はやっぱり『エレン』で。
「リヴァイさんによく似た人と一緒に、まずは『エレン』って名前の街に行って」
髪を梳く手がピタリと止まったが、エレンは気付かない。
「ああ、なんか…巨大な人間に出食わしたり」
その気味の悪い人間を倒したりして。
「黒と白の翼のマークが入った建物で、肌の色が黒めの女の人に会ったりして」
「…エレン、」
「初めに見に行ったのは、海でした。凄く…凄く綺麗で、広くて、」
「エレン」
「次は、砂の雪原でした。…言葉、おかしいですね。俺、"雪"なんて見たこと無いのに」
「エレン!」
リヴァイの強い声に、エレンは目を瞬き彼を見た。
「駄目だ、エレン。それ以上、夢の続きを見るんじゃねえ」
「え…?」
そんなことを言われても、眠ると見てしまうのだから無理だ。
だったら眠らなければ良いと言われて、それだって無理だとエレンは困惑する。
「リヴァイさん…?」
リヴァイはエレンの手を握り、首を横に振るばかりだ。
「…駄目だ、エレン。それ以上先を見たら、」
彼はエレンの見る夢を、その内容を、知っているのだろうか?
けれど起きたばかりの思考は覚束なくて、エレンは結局また意識を手放してしまった。



ーーーあれは『夢』じゃない、『記憶』だ。
繰り返し、繰り返しこの世界に生まれて生きた、『エレン』の回想録。
リヴァイが願ったばかりに転生を繰り返すようになった彼の魂の記憶が、夢として再生されている。
(全部、俺の所為じゃねえか…!)
"今の"エレンが苦しんでいる元凶は、すべて。
眠るエレンを見つめて、リヴァイは知らず唇を噛み締めていた。
エレンに触れていた指先が、強張る。
「リヴァイ」
呼ばれてハッと振り返ると、エルヴィンが立っていた。
扉の開く音にさえ気づかなかったらしい。
「…何だ」
普段以上に剣呑な気配を撒き散らす彼に、エルヴィンは苦笑する。
「ハンジが話があるそうだ。一緒に研究所まで来てくれ」
「…分かった」
立ち上がったリヴァイの袖を、何かがくん、と引いた。
袖を掴んでいたのはエレンの細い指先で、その先を辿ったリヴァイは息を呑む。
薄く水の膜に覆われた金色の瞳が、リヴァイを真っ直ぐに見ていた。
「リ、ヴァ…さん、」
彼はまだ、夢を見ているのだろう。
エレンの見る夢の中で、リヴァイは。

「置…て、いか…いで…」

掠れた声が、切に訴える。
ーーー確かにリヴァイは、あのとき。
「…ふざけるな」
袖を掴む指先が力を失って落ち、カッとリヴァイの頭に血が昇る。
つと頬を滑り落ちたものに、気づくこと無く。

「初めに俺を置いて逝ったのは、お前だろうが…っ!!」



*     *     *



かつて、人類は幾度も滅亡の危機に瀕した。
その内の1つでは"人間"をそのまま巨大に醜くした生き物が人間を喰い、人類は狭い『壁』に閉じ籠もった。
「…あれ、神話じゃなかったんだ」
机にぐでんと突っ伏して、ハンジは零す。
彼女の向かいで、エルヴィンが散らばった書類を纏めクリップで止めている。
「いや、そういう理解でも良いんじゃないか? 何せ、どれだけ昔のことか判らない」
「んー…まあねぇ」
「どうしたんだい? ハンジ。いつもより疲れているようだが」
「あぁ、うん、ちょっと"彼女"の質問攻めが終わらなくて」
眼鏡を外した彼女はもう降参、とポーズを取る。
エルヴィンは思わず笑ってしまった。
「なるほど」
これは如何な数式を用いても、解の無いものだ。
ゆえに"End;WALL"は理解出来ずに、ハンジへ問うてくるのである。
しかし本来、理解出来ないのはハンジとエルヴィンとて同様のはずだった。

気の遠くなるような年月を生きてきた"ひとり"。
同様に、永きを転生しながら生きてきた"ひとり"。

「まあ、知ってるの私たちだけだし」
「そうだね」
第三者に知らせる必要はない。
なぜなら、自分たちをも含めた全人類が、未来を信じてなどいないのだから。
「でも、凄いよねえ。リヴァイのあの一途さたるや!」
「ははっ。一緒に居られるエレンも、もはや尊敬ものだよ」
軽口を叩き、互いに沈黙する。
ハンジは身を起こすと眼鏡を掛け直した。

「もう、エレンは長くない」

元から強い身体ではなく、夢により睡眠時間が伸びてからは体力など付くはずも無く。
今までは精神への影響を及ぼしていなかったものの、これももう不可避だ。
…エレンが今見ている"夢"には、確実に『リヴァイ』が居る。
苛まれるのは、エレンだけではない。
「それで、君はどうするんだい? ハンジ」
昨日、エレンは4時間だけ目を覚ました。

『空が、見たいです』

偽物じゃない、本物の青い空を。
「…ほんと、ささやかなのに難しい願い事だ」
叶えてあげたいよねえ、とハンジは安寧とした笑みを浮かべた。
「問題は、エレンが"いつ目覚めるか"なんだ」
現生人類が地上に出れば、待つのは『死』のみ。
ーーーけれど見たい、とエレンは言った。
ーーー見せてやりたい、とリヴァイは言った。
ハンジはガタリと椅子を蹴倒して立ち上がり、笑う。

「叶えてやろうじゃないか」

私は、"End;WALL"だ。
拳を握ったハンジに笑って、エルヴィンも立ち上がる。
「それなら、早速取り掛からないとね」
狭く暗い地下の世界で初めて、光が見えたような気がした。
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2013.12.31
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