俺の(私の)可愛い弟

(3.過保護な兄と過保護な姉の話)




スマートフォンが短くバイブレーションし、アプリの通知を知らせる。
甘さ控えめと描かれたミルクティーのパックを飲みながら、エレンはスマホのロックを解除した。
ほんの数秒で彼はまたスマホを机に置く。
アルミンが尋ねた。
「お兄さん? お姉さん?」
「ヒス姉(ねえ)。夕ご飯にミートローフ食いたいんだって」
ミートローフってすぐ作れる? と尋ね返してきた彼に、隣のミカサが少しだけ考えてから答えた。
「材料さえあればいけるはず。レンジで作れるレシピを探すと良いと思う」
「へえ」
と言いつつミカサの指先はスマホであり、件のレシピを検索しているであろうことは明白だった。
「エレン、今レシピの番号を送った」
「お、サンキュ。んー…挽き肉と玉ねぎはあるけど、付け合わせに出来るもんあったかなぁ?」
エレンは適当な方向へ視線を投げて思い返すが、記憶は曖昧なままだ。
スマホを手に取り、違う相手へメッセージを飛ばす。

E:夕ご飯にミートローフ作るけど、付け合せに出来そうな材料あるっけ?

きっかり10秒後、返信があった。
ついでに件の姉からの返信も付いてきた。

L:じゃがいもとブロッコリー、にんじんがあるからグラッセでも作ればいい。
H:インスタントの冷製スープ、まだあったよ。

なるほど。
後は、米を炊くかガーリックトーストでも焼くかすればいい。

E:分かった、そうする。
H:リヴァイ、今日の帰りはよろしく。
L:ああ。

今度こそ、メッセージのやり取りは終わりだ。
「エレン。今日の帰りは何時?」
「18時じゃねえかな。大会が近いわけでもねえし」
エレンは空手部、アルミンは文芸部、ミカサは陸上部に所属している。
アルミンだけ文系という違いはあるが、部活動の終わる時間は大体同じなので彼らはいつも帰りが一緒だ。
元より3人は小学校入学の頃からの幼馴染で、そのまま同じ中学校へ入った。
転入転出以外で、小学校の6年間の顔触れはあまり変わらない。
ゆえにエレンたちはちょっとした有名人だった。
「じゃあ、ミカサも一緒に帰れそうだね」
話を振ってきたアルミンに、ミカサは嬉しそうに頷く。
と言っても、いつも巻いている赤いマフラーに隠れて口許は見えないが。
「今日の迎えは?」
「リヴァ兄(にい)」
途端、ミカサの機嫌が一気に降下した。
「あのチビ…」
「ミカサ、いい加減にリヴァ兄の身長ネタやめろよ」
どうにもミカサはエレンの兄、リヴァイとの仲がよろしくない。
ミカサが一方的に敵視しているというか、何というか。
「チビはチビだ」
「俺らと身長変わんねえっての」
「大丈夫。私とエレンの方が高くなるから」
「どっから来んだよ、その自信…。あとアルミンはどうした」
いくら言っても治らないようなので、エレンももう諦めた。
リヴァイはリヴァイで、まるで果し合いのように手合わせを挑んでくる彼女を嫌ってはいないようだし。
毎日1回以上はやり取りされる会話には、アルミンも苦笑するしかない。
「次移動教室だし、そろそろ行こうか」
「そうだな」
「分かった」



愛されている、と思う。
大事にされている、と思う。
ただ、これは『普通』よりも過剰なんだろうな、ということはエレンも感じている。

部活も終わり、ミカサたちとの待ち合わせ場所である校舎の玄関へ向かえば、今日は2人とも先に待っていた。
「悪い、待たせた」
「大丈夫」
「僕たちもさっき来たところだよ」
部活終わりに彼ら3人が連れ立って帰ってゆく光景は、部活動に所属している者なら見慣れたものだった。
見慣れたというよりは、この後に続く光景が印象に残りすぎて覚えてしまうと言うべきか。
3人が校門を出たすぐそこには、待ち人があった。
「リヴァ兄、お待たせ!」
エレンが手を振れば、彼は暇潰しに弄っていたスマホを仕舞う。

「エレン」

兄のリヴァイだ。
彼はここから駅3つ分先にある大学に通っているが、それは姉のヒストリアも同様。
2人はエレンが小学校に通っていた頃から、エレンの学校帰りに迎えに来ている。
それは過去に起きたとある事件の所為で、それがある手前、エレンは迎えを断れないままでいた。
リヴァイはエレンの頭をくしゃりと撫でた。
「今日も元気にやってたか、エレンよ」
「わっ、朝だって元気だったよ」
リヴァイの目線がアルミンとミカサへ向けられる。
アルミンは微苦笑しつつ頷き、ミカサも気に食わないという表情を見せながらも頷いた。
そうして初めてリヴァイは満足する。
「そうか。なら帰るぞ」
ここまでがお決まりの流れだった。

エレンがこの学校へ入学したての頃、リヴァイとヒストリアを見た帰宅途中の生徒たちは余すことなく悲鳴を上げた。
何せこの2人、悪目立ちし過ぎなのだ。
ヒストリアは誰がどう見ても美少女だし、リヴァイはゴロツキの如き目付きのおかげでとても人相が悪かった。
そんな彼らが並んで校門脇で待っていたら、動揺するなという方が無理だ。

毎日律儀に弟の迎えに来る、歳の離れた兄と姉。
彼らはいつも2人というわけではなく、どちらか片方の場合もままあった。
(最初は確か…お姉さんの方だったっけ)
美少女が1人で居るところに自分たちが複数となれば、気が大きくなって声を掛ける輩も出てくる。
しかも学校では教師以外には居ない、大人に近い歳上の女性だ。
興味を惹かれるのは、男子生徒であれば無理もない。
あれは確か、5人くらいの3年生のグループだったか。

Take.1
『お姉さん、今日は1人なの?』
『見て分からない?』
『っ、いつも誰かの迎えに来てるけど、毎日面倒くさくねえ?』
『人の家庭に口を出す権利があなたにあるの?』
『え、いや…』
このタイミングでエレンとミカサ、アルミンは校門近くに来ていたのだが、声を掛けずに様子を窺っていた。
枝打ちのように一蹴された上級生たちが次の言葉に迷ったタイミングで、ヒストリアはこう言った。
『私に声を掛けたいなら、リヴァイより強いことを証明してね』
彼女の言う"リヴァイ"があの目付きの悪いもう1人であると知った彼らは、すみませんっしたー! と謝った後、脱兎のごとく走り去っていった。
まあそうなるよね…、というのはアルミンの胸中談だ。

(お兄さんのときは確か…)
あのときは、リヴァイの隣にヒストリアではない女性が居た。
眼鏡を掛けていて中々に博識で、一方的に喋り倒すという癖はあれど親しみやすい人物だ。
(そうそう。ハンジさんが居たから、女子のグループが話し掛けたんだっけ)
彼女たちは2年生だったか、3年生だったか。

Take.2
『あの、アッカーマン君のお兄さんですよね』
『…?』
『(ほら、やっぱりカッコイイって!)』
『お、弟さん来るまでで良いので、少しお話させてください!』
『あ? 興味ねぇよ』
『あっははは! 相変わらずだねえ、リヴァイ。せっかく可愛い後輩ちゃんたちがナンパしてくれてるのに』
『知るかよ。俺とエレンに声掛けてぇなら、ヒストリアより強くなってからにするんだな』
『は…?』
『えっ…?』
『これだからブラコンは…。ヒストリア、分かる? こいつと偶に一緒にいる金髪の美少女だよ。あの子見た目によらず強いんだよねえ』
声を掛けた彼女たちが呆気に取られる間に当のエレンがやって来て、女子グループは話の続きをぶった切ったままそそくさと離れていった。
まあそうなるよね…、というのは、これまたアルミンの胸中談だ。

「ヒス姉、今日何かあったの?」
「アニの親父さんのジムに寄るんだとよ」

アニはヒストリアの友人の少女で、小柄ながら格闘技が趣味で特技だった。
彼女の父は格闘技を教えるジムを経営しており、エレンも時折ミカサと一緒に通わせてもらっている。
「俺もまた行こっかな」
「エレン、そのときは私も行くから絶対言って」
間髪入れず告げたミカサに分かったと適当に返事をすると、リヴァイが注釈を付けた。
「おい。ミカサも行くなら、アニが居るときに行ってやれ」
ミカサの目が据わる。
「…そうだった。あの女とは決着をつけなければ」
「決着って、何か勝負でもしてんのか?」
知らぬはエレンばかりだ。
アルミンは現場を知るわけではないが、いろいろと察しつつも口を噤んでいる。
ミカサはマフラーの下で言い淀んだ。
「……女には、譲れない戦いがある」
やけに重々しい。
「ふぅん? まあアニも強いから、怪我しねえように頑張れよ」
「…! うん!」
そもそもの元凶はエレンであり、また彼の兄であるリヴァイでもある。
しかしエレンはともかくリヴァイが何も言わないので、アルミンは黙秘するばかりだ。
(まさか『エレンをどちらが嫁にするか』の勝負だなんて、エレンは考えもつかないだろうなあ…)
しかも全部、エレンが居ないときに始まっているときた。
かといってアルミンが何かするわけでもなく、彼は静観すると決めている。
アルミンとしてはエレンが楽しそうであれば良いので、どちらかと言えばリヴァイの思想に近いとも言えた。



アルミンとミカサの家はエレンの家と近いが、途中で道が分かれてしまう。
リヴァイは他愛ない話をするエレンたち3人をいつも見守っているだけだが、表情の変わり難い彼が冷血漢などではないことを、アルミンもミカサも知っていた。
「じゃーな! アルミン、ミカサ!」
「気をつけて帰れよ」

エレンに手を振りリヴァイへ軽く頭を下げると、2人は揃って家路をゆく。
「…聞きそびれてたんだけどさ。ミカサはどうしてそこまで、リヴァイさんを敵視してるの?」
ミカサはアルミンをちらりと見、また前を向いた。
「私は、ヒストリアより強い。でも、あのチビよりは弱い」
「…それだけ?」
含みを感じて問い返せば、ミカサは言い倦ねたようだった。
「……はっきりとは、分からない。聞くのも、確かめる気も、ない。ただ、」
ただ?
「例え私かアニがチビに勝っても、あいつはエレンを誰かに渡す気はない、と思う」
たぶんヒストリアも同じ、と続けられたので、アルミンは返答に困った。
(否定するための材料がないなあ…)
中学生のうちは、保護監督の義務が家庭に生じる。
けれどこの先、高校生になっても状況が変わらないというなら、おそらく過保護の枠を越えていると言えるだろう。
(ジャンの言ってることが、たぶん世間一般なんだよね)
ジャンは小学校で出会ったエレンたちの友人だ。
エレンとの関係だけを取り出すと毎日1度は喧嘩をしていて、彼にとっては喧嘩友だちと言った方が相応しいか。
エレンの兄と姉が、過去に起きた事件を抜きにしてもエレンに過保護すぎると明言したのはジャンが初めてだった。
(僕とミカサは疑問にも思ってなかったし)
ミカサは事件以降、エレン以外はその辺の電柱のように思っているし、アルミンはアルミンで可能な限りエレンを最優先事項に置いている。
2人も徹底してますよねえ、なんて言ったのは、いつでも何かを食べている友人のサシャだったか。



アルミンとミカサと別れ、途中のスーパーで必要な食材と日用品を買い足した。
荷物持ちはリヴァイで、こういうときエレンは大抵何も持たずに手持ち無沙汰になる。
「あ、リヴァ兄ちょっと待って」
着信だ。
この時間帯にわざわざエレンに電話を掛けてくる相手は絞られる。
スーパーの出口脇で立ち止まった。
「はい。…うん、え、良いよ。何時くらい?」
エレンの返しから、母親かとリヴァイはアタリをつけた。
「うん、大丈夫。ヒス姉も遅いみたいだから。ん、それじゃ」
電話を切ったタイミングで問い掛ける。
「母さんか?」
「うん。夕ご飯一緒に食べたいって」
「今日は親父も家に居るから、全員分作る必要があるな」
「余ったら弁当に入れようと思ったけど、余らなそう…」
「明日の朝はヒストリアだ。あいつのリクエストでお前が夕飯作るなら、今から強請っときゃあいつも作るだろ」
「そっか。じゃあ何頼もう」
毎日弁当を持っていくのはエレンだけで、リヴァイとヒストリアは気が向いたときだけ持っていく。
大学の学食というのは便利で、2人の通う大学は学食にも力を入れているので栄養もばっちりだ。
「サンドイッチだとすぐ腹減るんだよなぁ。んー、朝からチーハン作んのはさすがに無理かなぁ…」
ブツブツと呟くエレンに、リヴァイはお前が頼むなら作るだろ、と胸の内だけで答えておいた。
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2017.7.21
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