キャスリング

(守るためなら何だって出来る)




キィン! と刃音が鳴り響く演習場で、リヴァイは片方の口の端を吊り上げた。
「探し物は見つかったか? 詐欺師」
「詐欺師とは酷いな」
暴言をさらりと流す男は、この国の政治を担う複数名の内の1人だ。
リヴァイよりも策に明るいファーランが言うに、かなり出来る人間らしい。
が、貴族ではないというただそれだけで、その有能さを発揮できる地位に居ないようだ。
「ハッ、偽の情報と偽金掴ませるヤツは詐欺師っつーんだよ」
割りの良い話、というわけでもなかった。
警戒も怠っていたわけじゃない。
運が良かったのは、その日エレンの体調が芳しくなく、イザベルをその傍に置いてきたことだった。
「確かに、あのケニー・アッカーマンなら偽金を掴まされる失態は侵さないだろうね」
「…胸糞ワリィ名前出すんじゃねえ」
一段低くなった声音に、その男は肩を竦める。
「おや、育ての親なんだろう?」
「"親"なんて付けられること自体が不快だ」
今度こそ男は笑った。
「ははっ、そこまで言い切るとは痛快だな」
ならばこそ、引き抜いた価値がある。
「いずれは彼とも対峙するだろうからね」
「…なんだと?」
リヴァイが振り向いたときには、男はこちらに背を向け歩き去っていた。
「…………ヅラ狸が」
「ぶはっ!」
ファーランは盛大に噴いた。
「エルヴィンはヅラではない。…たぶん」
そして背後から突然声が掛かり、盛大に噎せた。
「てめぇはあいつと一緒に居た…」
「ミケだ。先鋒左翼の分隊長をしている」
地下街で、リヴァイの刃を抑え込んでみせた男だ。
「お前たちの"宝物"を捜したが、何の痕跡も無かった」
スン、と鼻を鳴らして、ミケはリヴァイとファーランを等分に見やる。
「そりゃあ、な」
「大事なもんは、念入りに隠す主義だからな」
言い置いて、2人は他の兵士たちの訓練へ混ざりに行った。

若干の上玉の餌に掛かって釣り上げられた先は、この国の軍部。
中でも、立体機動装置と呼ばれる装備を武器として扱う特務部隊へ放り込まれた。
立体機動装置はこの国独自のもので、特に市街戦と森を舞台にしたゲリラ戦において恐ろしく有用だ。
製作には特殊な過程が必要で、立体機動装置を造る工業区はそれ自体が門外不出とされる。
リヴァイとファーランは、その立体機動装置の扱いに手慣れていた。
兵士へ志願し適正テストに合格しなければな扱えぬそれを、無法の地下街で生きる2人が真っ当に手に入れるはずがない。

訓練場は幾つかのエリアに分かれ、立体機動を扱う者は森が主な拠点になる。
地上で静止した状態から、アンカーを射出し樹上へ。
後方支援である長距離射撃部隊のペイント弾を掻い潜り、アンカーとワイヤーを操作するトリガーに装着した刃で目標地点のデコイへ刃を振り下ろす。
デコイの首は呆気なく落ちた。
「…チッ、また落としちまった」
勢いを殺し反対側の樹上へ降りたリヴァイは、ブレードを上下に振り舌打つ。
別のデコイを狙っていたファーランも戻ってきた。
彼は指示通り、デコイの一部に引っ掛けられていた腕章を手にしている。
デコイは腕が若干抉られているだけで、人間に例えると致命傷ではない。
「ははっ、容赦ねーなーリヴァイ」
「力加減が分からねぇ」
つい先日、軍部でも慕われているエルヴィンに引き抜かれてやって来た2人の少年。
新兵といっても過言ではない年齢の彼らが見せる立体機動は、特務部隊でもベテランの域に入った。
何者なのかと、誰もが彼らに注目する。
「そこの2人!」
対角線上の樹上から声が届いた。
男か女か分からない、すらりとした体躯の兵士だ。
「君たちの実力は十分に分かった。後は経験値を積むだけ。ここはもう良いから、着いてきてくれる?」
私はナナバ、ミケの下で班長をしている。
「どこへ行くんだ?」
「連携訓練のフィールドだよ」



ビュオッと、地下では動かぬはずの風を切る。
「ヒャッホゥ!」
エレン、ちゃんと掴まってるか?
「だ、だい、じょぶ!」
強い風に煽られ、エレンはぎゅっと目を閉じる。
落とさないように、眼鏡をしっかりと掴んで。
イザベルはスタンッ、と軽い音でどこかの屋根へ降り立つと、油断なく周囲を見回した。
「…よし、大丈夫そうだ」
彼女の声に、エレンもようやく強張っていた指先から力を抜く。
「いざべる、ガスののこりは?」
「十分だ。備蓄も1ヶ月くらいあるから、オレたちが手に入れるべきは食料!」
「うん、ごはん!」
元気良く返事をしたエレンに笑って、イザベルは彼の頭をうりうりと撫でた。
「眼鏡も割れてねえか?」
「うん! めがね、じょうぶ!」
イザベル、ファーラン、そしてリヴァイ。
3人は地下街を、盗賊紛いのやり方で生き抜いてきた。
リヴァイと一緒にいたエレンが2人に出会ったのは、地下街へ下りてしばらくの頃。
なんだか良くわからないが因縁を付けてきたゴロツキの中にファーランがおり、そのファーランの知り合いにイザベルが居た。
「じゃ、ちょっと行ってくるぜ。上手に隠れてろよ?」
「分かった!」
エレンはかくれんぼが得意だ。
それに、何がどのように危ないのか、リヴァイがたくさん教えてくれた。
だからエレンは、名前を呼ばれただけでは隠れ場所を出ない。
リヴァイたちの名前を出されても、やっぱりそれだけでは出ない。
(かくれんぼ!)
地上の誰かが見ても"小さい"と言う年齢であるエレンだが、残酷で恐ろしい目にはもう遭った。
だからエレンは、他の誰も信じない。
きょろりと辺りを見回して、エレンは朽ちたバラックを見つけた。
周りをよく見て、そっとバラックの中を覗く。
…大丈夫そうだ。
(よいしょ!)
段差を登って、暗いバラックの中へ。
隠れられそうな場所を探し、幾つか垂れ下がっている黄ばんだ襤褸切れの間へ入り込む。
(いざべるが、けがしませんように)
胸の中で祈りながら、エレンは息を殺した。

うつらうつらとしながらも、エレンはただイザベルを待つ。
「ーーー…」
パッとエレンは目を開けた。
(いざべるのこえだ!)
「おーい、…ーー!」
何度か呼ばれる中に、合図がある。
それに気づいたエレンは立ち上がるが、音もなく上方から伸びた腕に口を塞がれ、身体を抱えられてしまう。
「!!」
噛み付こうと咄嗟に口を開くと、しぃ、と笑みを含んだ吐息が耳を掠めた。
「外の音をよーく聴いて」
勢いを削がれたエレンは、息を殺し耳を澄ませる。
「…!!」
「…、……!」
(けんかのおとだ!)
「もし君が出ていっていたら、彼女の弱味にされてしまっていた」
エレンは、自分が戦えないことをよく知っている。
ゆえに、ぐっと両手を握り締めた。
「君、リヴァイのとこのおちびちゃんでしょう?」
自分を捕まえている人物を、首を捻って見上げる。
エレンもリヴァイも夜目は利く方だ。
(めがね、かけてる……おんなのひと?)
誰だろう。
少なくとも、エレンには覚えがない。

上から見下ろす子どもの眼が、眼鏡の隙間でちらちらと色を変える。
(なーるほど、ねえ?)
確かに、『リヴァイの連れ子は稀少な金色の眼だ』と知られていた。
ゆえの応急処置とはいえ、偏光グラスとは。
(高い買い物じゃないか)
あの少年は、引き離されようが何だろうが、どこまでもこの幼子を守り通す気でいるらしい。
(その潔さ、嫌いじゃないね)
唇が良い感じに弧を描いた、と自覚する。

「ねえ、君。その眼鏡、ゴーグルに替えてあげようか?」

エレンはクエスチョンマークを浮かべた。
「ごーぐる?」
相手はエレンの口を塞いでいた手を外し、その手で自身の眼鏡の蔓に触れた。
「ここにベルトを通して、飛んだり跳ねたりしても落ちないようにするのさ」
キラ、と幼子の目が輝いたような気がする。
(うん。地下には勿体無いわ〜)
ふと、外の喧騒の音が止んだ。
「終わったみたいだね」
もう良いよ、と身体を離してやれば、くりくりとした両目が見上げてきた。
話の続きを催促されているのだと気付き、何だか楽しくなる。
「時計屋の親父さんは知ってるだろう? 彼に『眼鏡の魔女さん居ませんか?』って聴いてごらん」
確かに時計屋のおじさんは知っているが、エレンにはよく分からない。
「"まじょ"って、わるいことするおんなのひとのこと?」
思わず噴き出した。
「ぷぷっ…いや、それは"悪女"かな」
「ちがうの?」
「違うよ。魔女はね、良いことも悪いこともするんだ」
じゃあね、おちびちゃん。
眼鏡を掛けたその女の人は、朽ちたバラックからするりと音もなく出ていった。
エレンはぽかんとその姿を見送り、次いでイザベルの合図に慌てて出ていく。
「いざべる!」
声に振り向き、イザベルはホッと肩を下げた。
「良かったぁ。さっき別の連中に絡まれちまってさ」
もちろんボコボコにしてやったけどな!
にぱりと笑って、エレンの身体を抱き上げる。
「隠れてる間、大丈夫だったか?」
エレンはこくんと頷いて、それからあっ! と声を上げた。
「かくれてたとこでね、まじょさんにあったよ」
「へ?」
「めがねのまじょさんっていってた」
イザベルの頭の上に、クエスチョンマークが量産される。
「魔女?」
そんな呼ばれ方されてるやつ、居たか?
「とけいやのおじさんにきいたらわかるって」
「ふぅん?」
兄貴とファーランが居ればなあ、とイザベルは胸の内だけで思う。
「まあいっか。帰るぞ!」
「うん!」



この国の軍部は、大きく3つの部隊に分かれている。
ひとつは憲兵団。
国の治安を守る警察機能を持ち、国内に入り込む敵を相手取る。
ひとつは駐屯兵団。
主に国境戦の警戒を担い、国内の町々では検問の役割も果たす。
そして調査兵団。
他国への潜入や偵察、戦争が起きた場合には最前線に赴く。

リヴァイとファーランが属するのは、調査兵団である。
ここは実際の戦闘に関わる大部分を担うために致死率が高く、一方で英雄視されていた。
「…君たちは、人を殺めたことはあるかい?」
不意に問うてきたナナバは、こちらを見てはいない。
そして、回答を期待しているわけでもなさそうだ。
「特務部隊の任務は、大きく言うと『戦局の迅速なる打開』。
重要な局面への派遣から潜入、暗殺まで、ひたすらに手を汚すことになる」
リヴァイとファーランはちらりと互いに視線を交わし、軽く息をついた。
「汚ねぇのは勘弁だが、そこまで気にすることじゃねえ」
「それが功績としてカウントされるなら、悪いことじゃないな」
2人の言葉に、ナナバは目を丸くした後に苦笑する。
「エルヴィン司令が引き抜いただけあって、結構な人生歩んでるようだね」
馬鹿にするでも悲観するでもなく、冗談のように流した彼女には好感が持てた。

リヴァイとファーランが軍に入って、はや1週間。
軍人としての実地訓練を複数こなし切った彼らは、すでに尊敬と嫉妬の両方を受けていた。
…渦中へ放り込めば、恐ろしい程の戦績を挙げるであろうリヴァイ。
…如何様な国であっても溶け込み、馴染むであろうファーラン。
特にリヴァイの方は、その小柄な体躯のどこにそんな力があるのかという具合である。
「リヴァイ! ファーラン!」
ナナバと同じくミケの分隊に属する班長のエルドが、2人を呼んだ。
「先鋒右翼の分隊が帰ってきた。ミカサ分隊長に挨拶に行くぞ」

大規模訓練に使用される広大な更地を、馬をけしかけ真っ直ぐに横切る。
「『ミカサ分隊長』って、もしかして『軍神ミカサ』?」
ファーランの問い掛けに、エルドは笑って答えた。
「語呂が良いからってそう言われるけど。あの人、すげー美女なんだぞ」
「えっ、女だったんですか?」
「ああ。絶対見惚れるぞ?」

帰還から落ち着いた頃合いだったのだろう。
右翼の分隊は遠征装備を外しており、身軽な通常装備に戻っていた。
彼らの中央、指示を出している美しい立ち姿。
「ミカサ分隊長!」
エルドの声に振り向いた彼女は、確かに美女であった。
一分の隙もなく軍服を着こなす身体はすらりとしている一方、鍛え抜いた者特有の貫禄がある。
肩口で切り揃えられた髪は漆黒で、同じ色をした切れ長の眼(まなこ)は刃のような雰囲気すら醸す。
(すっげ…)
容貌もさることながら、性別による言い掛かりを倍返しにしてきたであろう、この威圧感。
(リヴァイそっくりだ)
「リヴァイ?」
その美女が脳内発声と同時に声を発したので、ファーランは驚いて隣のリヴァイを見た。
彼は常と変わらぬ表情に見えるが、僅かだけ眼差しが険しい。
ファーランやエルド、周りの兵士たちが驚きを隠せぬ中、美女は迷いなくリヴァイへ歩み寄った。
まだ自己紹介すらしていないというのに彼の名を呼んだ彼女が、口を開く。

「おい、チビ。なぜ貴様がここに居る?」

ファーランは悲鳴を飲み込んだ。
(おいおいおい?!)
それは、リヴァイには絶対の禁句。
地下街で彼をそう揶揄した者は、半殺しよりも酷い8割殺しにされてきた。
(上官にそれは止めろよ?!)
いざとなれば、半殺しの目に遭ってでも止めよう…!
そんな悲壮な決意を固めたファーランの横で、リヴァイは眼光鋭く眉間を寄せた。
「てめぇ…良い大人だろうが。いい加減その呼び方を止めろ」
するとミカサは小さく口の端を上げ、嘲笑した。
「チビをチビと言って何が悪いの?」
確かに、ミカサの方が10cm以上高い。
(いやいや、そういう問題じゃなくて!!)
ファーランは冷や汗が止まらない。
一触即発の空気に、周囲の兵士たちも冷や汗状態で固まっている。
「み、ミカサ分隊長…。彼とお知り合いですか?」
周囲が揃って硬直している中、声を掛けたエルドはまるで勇者と言って良い。
ミカサは彼をちらとだけ見遣る。
「…昔、このチビに武術を指導してやったことがある」
それはファーランも初耳だ。
とは言っても、地下街では過去を訊くような野暮はしないのが鉄則である。
ミカサの視線が、険しさを増してリヴァイへ据えられた。

「答えろ、リヴァイ。なぜ貴様がここに居る?」

しばしその黒耀の瞳を見つめ返してから、リヴァイは溜め息を吐いた。
「どっかのヅラ狸が執念深くてな。このままで終わらせる気はねぇが、地上でツテを作るのも悪くない」
ぶつかる視線から、険は消えない。
「…それで?」
淡々と返すミカサを、同じだけの眼光で見返す。

「他にも居る。誰にも渡さねえ」

それが何を指すのか、悟ったのは僅かにファーランだけであった。
(武術を教わった…だけじゃないってことか)
何も言わずじっとリヴァイを見つめていたミカサが、先に視線を外した。
「こちらの特務部隊に会わせよう。こっちだ」
ピリピリと肌を指すような空気が消え、誰もが知らず詰めていた息を吐く。
「エルド、お前も来い。そいつらのお守りだ」
彼女の言い様は、まるきり子ども扱いのそれ。
またも眉間に皺を増やしたリヴァイに、ファーランはやっぱり苦笑するしかなかった。
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2015.11.22
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