アリ・ディッラ・リベルタ

(私にとってのカミサマ)




炎に呑まれた。
でも、早く帰らなきゃ。

ーーーあのこが、まってる。


*     *     *


薄っすらと開いた目に映ったのは、清々しい空の色。
ああ、肌が痛い。
頭が痛い。
痛む身体を無理に起こせば、ここはどこだろうと単純な疑問が。
「…ここ、どこ?」
真っ黒焦げの柱がいくつも立ち、煉瓦も歪に立ち並んでいた。
煤けた煙があちらこちらで上がって、本当に、ここはどこなんだろうかと考えた。

引き攣る痛みを見下ろせば、腕が焼け爛れている。
でも、動いた。
同じように足に力を入れれば、ピシリと固まった筋肉が悲鳴を上げた。
よろよろと立ち上がり、大きく息を吸う。
肺が痛い。

「ウォルター…?」

誰も居ない。
どこにも居ない。
ううん、居なくて良かった。
でも、居ない、どこにも居ない、捜さなきゃ。
「また、見失っちゃう」
居ない、居ない、誰も居ない。
焼け焦げた肉の匂いに、嗅覚が麻痺した。
素足で踏みしめる地面はありとあらゆるものが散乱し、足の痛覚が麻痺した。

青空が、黄昏れていく。

「教会に、行かなきゃ」

ああ、でも、どこにあるんだっけ?
ああ、違う、さっき、居たところだ。
何も、無くなっていた、あの場所だ。
本当? 違う? でも、教会がいい。
教会に、行かなきゃ。

ただ只管に、教会を目指す。
黄昏に浮かんで一際大きな姿をして、屋根の崩れさえ絵画のように。
街の外れ、どこよりもみすぼらしいはずの廃教会が、黄昏の赤紫で荘厳に思えた。
破れた扉を潜り、中へと入り込む。
焼けた匂いの代わりに、カビ臭さが鼻を突いた。
形を残した長椅子の並び、その奥では石造りの十字架が祭壇に突き立つ。

神様、神様。
「ウォルターは、どこ?」

突き立つ十字を照らす、幾筋もの赤紫。
「…ぇ?」
窓の採光では照らせない、十字架の足元。
自分の頭くらいの高さにある祭壇で、暗い塊が動いた。
その塊はやおら両腕を伸ばす。
いや、両腕のように見えた、だけで。

カチカチ、キチキチ、カシャン。

些か金属質な音が連なり、"ソレ"は広げられた。
聴こえないはずの羽音が、ばさりと目の前で揺れる。

息が、できない。

夕焼けに映し出された影は、鳥?
けれど、あんなにも大きな鳥は居ない。
指が震えた。
声も震えた。

「てんしさま…?」

神様の伝令を、役目を伝える御使い。
聖書にのみ描かれるその姿が、目の前に現れた。
翼を背負う、『人』が。

「あれ、人が居たのか? あーあ、見られちまった」

"ソレ"が、言葉を話した。
"ソレ"が、笑った。
真っ直ぐにこちらを射抜く両眼は、冴え渡るような紅。
「お前、ひっでぇ格好だな。炎に焼かれたのか?」
身体は硬直し、恐怖か歓喜か、喉は干乾び。
かろうじて首を縦に振った。
すると"ソレ"が動き、祭壇の上で立ち上がる。

「見られたら消せって言われてるんだけど、お前だけだよな。
なあ、お前。死にたい? 死にたくない?」


*     *     *


肌色が元に戻るまでに、4年という歳月を要した。
身体が自由に動かせるようになるまでは、1年で済んだ。
実験と調整を終える間に、5年という歳月が過ぎた。

1度。
たった1度だけ、炎に呑まれたあの日の再会があった。
住まいとなった屋敷の西の外れ、寂れた教会の裏手にて。
大小無数の十字架が無造作に差された、その中にあの人は立っていた。

「…天使様?」

神は何も救わなかった。
けれどこの翼持つ人に、己は救われたのだ。
「オレは天使じゃねえよ」
その人は笑う。

細やかな金属で形作られた翼。
己が扱う斬大蜈蚣(スコロペンドラ)の何十倍も繊細に、複雑に組まれた翼はただ…美しい。
ブラックとシルバーに彩られた翼に、赤紫の陽光が加わる。

「いいえ。あの日私を救った貴方は、私にとって天使様以外の何者でもありません」

こちらをほんの少しだけ振り返った"彼"は、グリーンベリルの眼を細めた。
(翠…?)
前に出会ったときは、鮮やかな赤だと思ったけれど。
「…そう」
あの日のことなど、覚えていないかもしれない。
あのときの子供だと、気づいていないかもしれない。
それでも、微かに浮かべられた笑みが己に向けられたのだと思えば、胸が震える。
「ここでオレに会ったこと、誰にも言うなよ」
ここに居るということは、彼も少なからず『同じ』であろうに。
「…なぜ?」
純粋に問えば、鋼の翼がバサリと金属質な音を立てた。

「オレは"スペア"だ。"オリジナル"以外が此処でオレに接触することは許されない」

それは、スペアキーと同様の意味だろうか。
「さあ、もう行け。それで、二度とオレに会うことはない」
きっと、そうなのだろう。
ここで踵を返せば、もう二度と会うことはないのだろう。
足が勝手に、彼の言葉に従おうとする。
「…もしも」
1歩後ろに引いた足が、ビクリと止まった。
改めて顔を上げれば、夕陽が視界を遮る。

「もしも"オレ"に会ったら、"オレ"が翼を失っていたら。
それは"オレ"が役目を果たせたってことだから、悲しんでくれるなよ」

それが、オレの存在意義。
駆け出した耳に届いた言葉を、決して忘れることはないだろう。


*     *     *


十字架を見上げて、ロベリアは思う。
神は何も救わない。
けれど、あの繊細で美しい機械の翼をした天使ならば、人の命を救えると。

「さあ、行きましょうか」

"武器"である己が今、子供たちを守れるように。
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2013.11.17

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