望の乞う声、朔の言承け
(望の乞う声 2)
先に帰ってきたのは遠征部隊であった。
「いち兄!」
「江雪兄さん、怪我はない?」
表門で待っていた弟刀に、兄刀たちは何事かとまず訝しむ。
「ええ、軽傷の者が出ただけですが…」
「何かありましたか」
断定の問いに厚と小夜は顔を見合せ、頷いた。
「なあいち兄。竜胆丸って刀(ひと)、知ってるか?」
一期一振の目が動揺で丸くなる。
何事かと他の遠征メンバーも集まり、厚は構わず続ける。
「昨日の夜、竜胆丸さんが鍛刀で来たんだ」
「あの人は、鶴丸さんを助けるために来たと言っていた。その言葉どおり、審神者はもう人としては生きていない」
「どういうこと? あの人間、死んだけど死んだわけじゃないってこと?」
大和守が前へ乗り出したとき、内門から凛としつつも柔らかな声が飛んできた。
「よ、帰ったかい? …ああ、久しいなあ一期一振」
皆に挨拶を投げてから一期を目に留め、彼はゆるりと眼差しを細めた。
「竜胆丸殿…」
「…え、鶴丸、さん?」
演練でのみ見掛けたことのある鶴丸国永であると言いたいが、色が真逆だ。
彼は皆の疑問には答えず、その横をすり抜けて表門の先…ただの下り階段に見える…を見通す。
「俺はきみたちの知る鶴丸ではないな。だが何度も説明させてくれるなよ」
夜戦部隊が戻ってきたら話すことになるさ、と言うので、それ以上の答えは望めそうにない。
「…ならば1つ、確認させてほしい。先に居た鶴丸さんは無事なのか?」
裏表の無い蜂須賀に、竜胆丸は頷いてやった。
「無事さ。昼には起きる」
ほ、と誰もが肩の力を抜いたことが、彼に自嘲気味の笑みを浮かばせる。
「すまんな。余程きみらに気を揉ませていたらしい」
言えば即座に皆が首を振った。
「いや、謝られる理由なんて無いさ」
「俺たちは、あの人にずっと守られていたから」
御手杵と骨喰の言葉には困ったような笑みで、彼はやはり『鶴丸国永』なのだと一期一振は思う。
「私たちは先に戻りましょう。夜戦部隊は少なからず負傷していますから、人手が割かれます」
江雪の一声で、遠征部隊は建物の中へ引き上げていく。
「竜胆丸」
声を振り返れば、三日月が物吉を伴いやって来た。
「朝まですまんな、物吉。おかげで助かった」
礼を言えば、彼は少し戸惑った後にやや疲れの見える顔で笑む。
「いいえ。鶴丸さんのお役に立てるなら。…ええっと、竜胆丸さん、で良いんでしょうか?」
「ああ、構わん。きみも少し寝てくると良い。朝餉の時間はまだ先だろう?」
「…鶴丸さんの処へは、行かない方が良いですか?」
竜胆丸は目を瞬き、それからふふっと跳ねるような笑い声を溢した。
「いや、きみなら慣れてるだろうから有り難いさ。逆にきみと平野、三日月と大倶利伽羅以外は部屋に入れないようにしてくれるか?」
「…竜胆丸」
三日月が名を呼ぶ声に、懸念が乗っている。
物吉は首を傾げつつも首肯した。
「分かりました。それじゃあ、僕はこれで」
「『俺』の部屋ではなく、三日月の部屋だぞ」
「はい!」
走り去る物吉の向こう側から、別の誰かがやって来る。
「あ、居た居た」
結界維持の任を終えた蛍丸だ。
「竜胆丸さん、朝餉の当番がそろそろ起きてくるんだ。1人分増やすなら言おうと思って」
食事か、と呟いた竜胆丸は否を返す。
「俺が口に出来るのは水と酒くらいだからな、遠慮しよう。気遣い有り難うな」
驚くも理由をここで尋ねるのも妙な気がして、蛍丸は何も言わなかった。
「うーん、分かった。酒ってことはお茶がいけそう…? 朝餉が終わったら呼びにいくね」
「おう」
手を振って戻っていく蛍丸に、竜胆丸は手を振り返す。
「竜胆丸」
改めて名を呼ばれ、竜胆丸はようやく三日月を見上げた。
が、口にしたのは三日月の懸念への答えではない。
「きみも寝るか、朝風呂でも行ってきてはどうだい?」
さすがに眉を寄せた三日月だが、竜胆丸は仕方がなさそうに笑うばかりだ。
「…きみが、」
ひゅるりと風が吹き、襟足の髪が流される。
「きみが懸念していることは起きないさ。ただ霊(たましい)の修復が為されるだけで」
たましいのしゅうふく。
三日月は聞いた言葉を復唱する。
千の齢を越える三日月であるが、彼の言葉の意味を正確に推し量ることは出来なかった。
「…あ」
馬の足音だ。
2人は同時に表門を見返り、足早に門を開けた。
下り階段の先に開いている、巨大な門扉。
加州に肩を貸されている薬研が、2人を見上げてにやりと笑った。
「よお、旦那たち。今戻ったぜ」
重症者3名、中傷者3名、刀装はすべて溶けたという。
夜戦部隊の帰還に、本丸は一気に慌ただしくなった。
手入れに向かう彼らの後から、竜胆丸と三日月も着いていく。
「審神者はもう『人』としては在らぬぞ。手入れ部屋は使えるのか?」
使えるさ、と竜胆丸は答えた。
「人ではないが死んじゃいない。ここの維持が出来るということは、きみたちの維持も出来るということさ」
つまり、と言の葉に乗せた竜胆丸は、酷く愉しげな顔をしていた。
「生カサズ殺サズ、というやつさ」
* * *
平野と物吉を朝餉に行かせ、眠る鶴丸の髪をゆったりと漉く。
「こちらの日中は、さすがに眠くなるなあ」
ふあ、と欠伸をひとつ。
羽織が身体を覆うようにして鶴丸の枕元に頭を置くと、竜胆丸は眠気に逆らわず目を閉じた。
「…!」
「…わぁ」
朝餉を済ませた平野と物吉は、そこにあった光景に思わず嘆息した。
白い鶴丸の枕元に懐くように、竜胆丸が身体を丸めて眠っている。
「すごく…鳥っぽいですね」
その様は冬場に翼へ頭を埋めて眠る鳥を思い出させ、つい頬が緩む。
平野が心中を代弁してしまったので、物吉は何も言うことがない。
「起こすのが勿体ないです…」
しかし皆が呼んでいる。
とりあえず竜胆丸の頭近くに膝を付き、声を掛けた。
「竜胆丸さん」
起きない。
「竜胆丸さーん」
まだ起きない。
鶴丸の向こう側へ回っていた平野と、意図せず顔を見合せてしまう。
「竜胆丸さん、起きてください」
ゆさゆさと肩を揺さぶれば、ようやくむずがるような声が上がった。
「竜胆丸さん、皆が待ってますよ!」
なおも揺すりながら声量を上げて、ようやく黄金の眼が気だるげに開く。
「ん、ん…?」
「竜胆丸さん、皆さんが呼んでいます」
「……」
物吉を見上げて数秒、竜胆丸はようやく附に落ちた。
「…ああ、また暴かれた訳ではないのか」
「え?」
どういう意味かと問う前に、彼は起き上がる。
「鶴丸もそろそろ起きるだろう。独りにだけはしないようにしてくれ」
乱れた装束を直し、じゃあ行ってくると立ち上がった竜胆丸を、物吉と平野は見送るしかない。
「…どういう、意味だったんでしょう」
「さあ…」
2人は首を傾げた。
聞いていた方向へ赴けば、大倶利伽羅が曲がり角に立っている。
「なんだい、出迎えかい?」
「…そんな処だ」
素直じゃないなと笑い、鼻を鳴らし背を向けた彼の後を着いて行く。
しばし歩いて辿り着いた先の襖を、竜胆丸は戸惑いなくスパンと開いた。
「よっ、待たせたかい?」
そこには結構な人数の刀が集まっていた。
「なに、我らが勝手に待っておっただけよ」
こちらへ、と三日月に手招かれ、素直に示された座布団へ座す。
竜胆丸にとっても鶴丸にとっても、周囲から耳目を集めることは珍しくない。
見目麗しく優美な佇まいは、必要不必要に非ず『鶴丸国永』の行く末に関わっていた。
数多くの見目に晒されたとて、何ら感じることもない。
大倶利伽羅が襖を閉じて腰を下ろしたところを見計らい、竜胆丸は一同を見回した。
「それじゃ、『俺』の話をしようか」
* * *
ゆるりと目を開けた鶴丸の視界にあったのは、心配そうな平野と物吉の顔だった。
「鶴丸さんっ!」
「良かった…!」
気だるい身体を起こそうとすると、いつものように2人が両脇から支えてくれる。
「…ありがとうな」
次に差し出された白湯を受け取り、静かに飲み干した。
「ここ、は」
いつもの部屋ではない、ことしか分からない。
鶴丸が言葉だけを出せば、物吉が答える。
「三日月さんの部屋です」
他の部屋はこのような造りをしていたのか、と今更ながらに知った。
(いや、初めて見た訳では…)
一度、自分は起きたはずだ。
(とても懐かしい温もりが、傍に)
ハッと目を見開く。
「あいつ、は…竜胆は?!」
今までにはない剣幕で問うてきた鶴丸に、平野は目を瞬かせた。
「み、皆さんに説明をと大広間に…」
「広間?」
「はい。でもそろそろ戻られるはずです。…鶴丸様?」
聞いた途端に俯いてしまった鶴丸を覗き込んで、平野が息を呑む。
「……っ」
鶴丸は、泣いていた。
誇り高い彼が、このように平野たちの前で涙を流すことなんて今までなかった。
「そう、か」
夢では、ないのか。
そう言ったきり掌で顔を隠してしまった鶴丸に、平野と物吉の胸がズキリと痛む。
ーー彼の心には、どれだけの傷が刻まれているのか。
「戻ったぜ」
竜胆丸が襖を開けると、途端に3組の目がこちらへ向いた。
中でも涙に濡れた顔をしている半身へ、竜胆丸は穏やかな笑みで歩み寄る。
「おいおい、夢じゃあないぜ? だから泣くなよ」
傍に跪けば即座に細い両腕が伸ばされ、逆らわず彼を抱き締めると強張っていた身体から力が抜けた。
(こりゃあ、思っていたより悠長にしてられんな…)
ひとまず、竜胆丸は詳しい話を聞きに行けと平野と物吉を部屋から出してしまう。
どこか急いていた彼の様子は、今までと違った。
「平野、物吉、こちらだ」
隣の部屋から鶯丸が手招く。
渡りに船とそちらへ行けば、部屋には三日月と大倶利伽羅、一期一振、宗三左文字が居た。
「皆さん…」
唖然としている2人に、三日月が眉尻を下げて笑う。
「はっは、竜胆丸に追い出されてしもうたか」
追い出された、とは。
疑問が瞳に乗っていたのだろう、障子を閉めれば彼の表情から笑みが消えた。
「…竜胆丸が言うておったのだ。『時間がない』と」
『なぜ、遥か昔に分かれた霊(たましい)である"竜胆丸"が顕現されたのだと思う?』
幾振りもの刀たちを前に、竜胆丸は問い掛けた。
彼は答えを求めていない。
『"鶴丸国永"の本質たる霊が、消耗しすぎて消滅する寸前なのさ』
元々欠けていた霊の分霊が、刀剣男士たる"鶴丸国永"。
分霊は本霊ほどの強靭さを持たず、また人間が用意した肉体に入れ込まれることで更に強度を落とす。
『"俺"は、まだ消えたくないと願ったんだ。だから消耗を回復する手段として、"竜胆丸"を引き寄せた』
ちなみに俺も分霊だ、という説明は完全に余談らしい。
『きみたちの知る"鶴丸国永"は、霊が半分に欠けている。欠けた部分が"竜胆丸"(俺)だ。
欠けている中でさらに消耗したなら、本来欠けているべきではない部分を直してしまった方が早いだろう?』
半月の状態である鶴丸を竜胆丸で修復すれば、僅かだけ欠けた望月にまで戻るのだ。
『元の望月を半分にした片割れだ。俺自身も離れ難いし、出来ることなら共に居たい』
けれど、状況がそれを許さない。
"鶴丸国永"という霊は、あまりにも涜(けが)されてしまった。
『人の欲には慣れていたんだが、今回ばかりは祟り殺しても祟り足りない』
ちらと思い出すだけでも殺気が漏れる。
針の筵に座らされたようなそれに、多くの者たちが冷や汗を浮かべた。
『鶴丸はもう、自ら荒御魂へ反転して穢を滅する余力すらない』
ビリビリと幾振りかの刀剣から殺気が漏れてきて、竜胆丸は目を細めた。
(起こったことは覆せない。ならば)
塗り替えるまで。
『…俺は鶴丸の霊修復に入る。が、きみたちに言っておくべきことがひとつだけ』
鶴丸と同じ黄金が、色濃く円を映す。
『ここまでの記憶は、鶴丸の中から消える』
不具合で臥せっていた。
鶴丸の記憶ではそのような形で曖昧にぼやけ、"思い出す必要もないこと"として処理される。
元より鶴丸と直接会った者の方が少ない本丸だ、異ではなく是ばかりが返った。
「それは…そう、ですよ。あんな、あんなこと…あんな記憶!」
物吉は掌で自らの口を抑える。
ともすれば、呪詛でも吐き出してしまいそうだ。
彼の頭を宥めるように撫で、宗三がその通りです、と同意してみせた。
「あの刀(ひと)が僕たちを助けてきた記憶は、僕たちが持っていれば良い。恩を返すも守るも、彼が覚えておらずとも出来ることです」
「俺の知る鶴丸は豪快で奔放だが、それは心の強さと必ずしも比例しない」
いろんなものを大事に抱え続けるやつだった、と鶯丸は茶を飲みながら独り言のように呟く。
「…問題は、次の朔の日ですな」
一期一振が暦を思い返した。
「竜胆丸殿が来たのは朔の日でしたな?」
彼に問われた大倶利伽羅は頷いた。
「昔の話だが、伊達にあいつが現れたときに鶴丸が言っていた。
『あいつは根ノ國暮らしで、朔の日しかこちらへ来られない』と」
その竜胆丸は、次の朔の日に還ると言った。
ーー此の岸から、彼の岸へ。
ただ、と彼は困ったように笑った。
『きみたちに、俺の記憶が残るかは判らんなあ』
* * *
装束にしがみついて離そうとしない鶴丸に、竜胆丸は仕方ないなと微笑んだ。
彼の両頬に手を添え、顔を上げさせる。
涙でけぶる視界に、同じ黄金色が近づく。
「りん…」
銘を紡ごうとした声は重なった唇に飲み込まれ、驚く鶴丸を待つことなく咥内にぬるりと舌が差し込まれた。
「んぅ…!」
熱い、熱い、舌を絡め取られて息が吸えない。
「…っ、は」
息継ぎの間隔だけ唇を離されたと思えば、また合わさる。
熱く、優しい、それでいて喰らい尽くすような。
「ぁ、は……りん、ど…!」
声があまりにも切羽詰まっていたのか、竜胆丸の唇が離れた。
それが思った以上に切なくて、鶴丸は自ら身を乗り出し口づける。
唇を舌先で舐めれば迎え入れられ、また熱を絡ませては夢中になった。
「ん、んん…は……ぅ」
分かたれた己を求めるのは、元に戻ろうとする霊の本能であろう。
取り込めるなら取り込んで、本来のカタチに戻りたい。
(でも、)
分かたれていなければ、こうして触れ合えることもなかった。
触れた傍から伝わる体温も、黄金を宿す望月も、骨ばった指先の優しさも。
とんだ自己陶酔と思わぬでもないが、この世の何よりも信じるに足り、すべてを預けられた。
「りんどう」
たった四の言の葉が、こんなにもいとおしい。
「きみとひとつになりたい」
鶴丸の口端から零れた唾液を舐め取り、竜胆丸がクスリと笑う。
「俺たちは元々ひとつの霊(たましい)だろう?」
互いが望むなら、互いの霊を重ね合わせて元の『鶴丸国永』として変わることも出来る。
これは分霊だからこそ簡単に出来ることだが、鶴丸はゆるりと首を振った。
「違う。きみに、触れていたい」
合わせた掌の指を絡める。
ひとつに戻っては、こうして触れられない。
霊をひとつに戻すのではなく。
「こうして触れて、重ねて、ひとつになりたい」
甘やかな睦事を望むのは、何も鶴丸だけではなく。
竜胆丸は鶴丸の瞼に、羽のような口づけを落とした。
「乞う声をそっくり返すぜ」
再び唇が重なれば、もう言の葉は要らなかった。
* * *
じっ、と不浄処に生えた柘榴の樹を見上げる。
「黄泉戸契になりたけりゃあ、止めないぜ」
軽快な声に振り返れば、丸1日ぶりに見る竜胆丸であった。
三日月はどこか呆れの混じる笑みを向ける。
「1日ぶりだなあ。どれだけ呼び掛けても反応がないゆえ、龍の仔らが気を揉んでおったぞ」
「ははっ、そりゃあすまんことをした」
あまりすまなそうな顔ではない。
「何せ、巳の刻から申の刻辺りは起きてられないんでな」
「それは…根ノ國の住人であるが故か?」
まあな、と答えた竜胆丸の耳に、誰かの駆けてくる足音が聞こえた。
「竜胆丸さん!」
「竜胆丸様!」
物吉と平野だ。
ずっと鶴丸の傍にいた彼らは、余程不安であったのだろう。
まるで泣く寸前のような顔をしていた。
「お食事も取らず、お2人は大丈夫なのですか?!」
「何度呼んでもお返事がなく、何かあったのかと…!」
これはいけない、思った以上に根が深かった。
「んん…いや、本当にすまんな。そこまで心配されてしまうとは思わなかった」
何を、と顔を上げた平野と物吉だが、竜胆丸が真実困った顔をしていたので口を噤む。
「順に答えようか。まず、俺と鶴丸は互いの霊(たましい)を混ぜ合わせて喰らっているような状態だから、飯は要らない」
あなや、と三日月が眉を寄せた。
「それは共喰いと云うのではないか?」
「違うなあ。それは生き物の話だろう? 俺と鶴丸は元は1つなんだ」
互いの霊を擦り合わせ、混ぜ合わせ、また2つの霊に分けるのだ。
たった1日で出来ることではないし、分霊という半端な身の上のために時間が掛かる。
まぐわうのはその方が効率が良いというのもあるが、単純に互いの深くまで触れたいだけだ。
「では何も聞こえないのは…」
「霊を混ぜる、なんて特異なことをしてるんだ。何かあっても困るだろう?」
そこまでの説明を閉じ籠もる前にしてくれていればと、思わないでもない。
だが、それ程までに鶴丸の存在が危うかったのかと思い至れば、ゾッとする。
「あとどれ程掛かるのでしょうか…?」
「そうだなあ。丸2日といったところだな」
3日目を向かえるまで、この不安と戦わねばならないのか。
物吉は眉尻を下げ、平野は考え込む。
ずっと鶴丸の世話をし続けていた彼らには、当人が居ないという状況が受け入れ難いのだろう。
「なれば其方ら、俺が使うておる鶴の部屋へ泊まりにくるか?」
三日月が打開案を出した。
彼の私物はすべて元の部屋から出してしまっているので、実質的にはすでに部屋を交換しているようなものだ。
「何も解らぬとはいっても、隣の部屋だ。竜胆丸が出てきたときには分かるであろう」
おおそうだ、と三日月はまた思いついたと笑う。
「今日のように、こうして一度だけ外へ出てきてもらえばよかろう」
三日月へ向いていた2人分の目がパッと戻ってくるので、竜胆丸は面食らった。
「きみなぁ…。まあ、少しの時間なら構わないが」
「なに、部屋の外へ出てもらうだけで構わぬさ」
竜胆丸はがりがりと後ろ頭を掻き、やはり泣きそうな顔の平野と物吉の頭を撫でてやった。
「分かった分かった。きみたちを困らせるのは俺の本意ではないからな。今くらいの時間に、部屋の外へ顔を出そう」
その言に三日月までもがあからさまにホッとするので、竜胆丸は考えを改めることにした。
(『鶴丸国永』に対して、相当に比重が寄っているな…)
『自身を扱う者』が必要な付喪神であるがゆえに、彼らは鶴丸をそのような位置に押し上げてしまっているようだ。
神を敬わぬ人の子の元では、仕方のないことかもしれないが。
(後々、釘だけ刺しておくか)
部屋へ戻ると、鶴丸が所在無さげに褥の上に座っていた。
「鶴丸」
呼び掛けこちらを見た黄金(こがね)は望洋として、焦点が揺らいでいる。
「りんどう」
「ああ。どうした?」
手を伸べられたため逆らわずその手を引き抱き締めれば、ほぅと満足そうな息が漏れた。
「きみがはなれると、おちつかない」
それはそうだ。
今鶴丸と竜胆丸の霊は混ざり合っている最中で、言うなれば半端で脆くなっている。
半分ずつ独立しているわけでもなく、不安にもなろう。
(自分という存在が欠けているのだから)
竜胆丸は白い額に口づけを落とした。
「それは俺も同じさ。だから鶴丸」
離さずに掴んでおけよ、と両の指先を絡み合わせ、鶴丸の身体を褥に逆戻りさせる。
ふふ、と鶴丸が笑った。
「おれはきみだもんなあ。だからとてもいい」
唇を合わせれば、もう他には何も見えない。
翌日の日が暮れるまでを、平野と物吉はじりじりとしながら過ごした。
部屋の主である三日月と3人、入れ替わりやって来る者たちと話しながら。
部隊編成と出陣の音頭を担っている陸奥守吉行、へし切り長谷部、歌仙兼定から出陣を誘われても、2人はいつも断った。
「鶴丸さんが出陣するときに、一緒に行きます」
「僕も物吉殿も、鶴丸様と同じく練度1ですから」
この2名もまたレア刀であり、鶴丸の世話役に命じられたこともあって出陣したことがない。
確かに、練度差はあまり無い方が部隊は編成しやすいが。
ちょうど次回遠征の話で呼ばれていた蛍丸が、これ幸いと身を乗り出した。
「3人練度1なら盾役が必要だよね? なら俺、予約入れとくから!」
構わんだろう、と長谷部はいずれ使用する部隊編成表に、鶴丸、物吉、平野、蛍丸の名を書き付けた。
ちなみに後々この件で騒動になるのだが、まあ下らない話なので置いておく。
そしてようやくの夜、微かな気配に気づいた平野と物吉が廊下へ出ると、隣の部屋の前に竜胆丸の姿があった。
(…え?)
けれど2人には、彼の姿が鶴丸に見えた。
もちろん彼らは同じ存在であるので、背格好から何からまったく同じ。
しかし髪色や装束はまったく違う色だ。
「竜胆丸、様?」
平野の声に見返った彼の髪は、黒のはずで。
「ああ。どうした?」
なぜだろう、白銀の髪をした『鶴丸国永』に見える。
「竜胆丸さん、ですよね…?」
正直に尋ねた物吉へ、彼は意味ありげに笑ってみせた。
「ははっ、鶴丸に見えたかい?」
互いの霊を混ぜ合わせているという。
ならば今目の前に居る竜胆丸は、竜胆丸であり鶴丸であるということだろうか。
「そうさ。今の俺は鶴丸と呼ばれても竜胆丸と呼ばれても、どちらにも返事をしなければならない」
どうだい、面白いだろう?
クスクス笑う彼は心底面白そうで、その様子だけを見ていれば大事には至っていないらしい。
「それじゃ、また明日だ」
ひらりと手を振り、彼はあっさりと部屋へ舞い戻ってしまった。
呆気に取られたまま廊下に残され、物吉と平野はしばし立ち竦んでいた。
「…明日お会いするのは、どちらなのでしょう」
平野の問いに答えられる者は、いない。
* * *
三日月は本丸の中を、短刀たちと手分けして歩き回っていた。
「三日月さん! 離れの物、全部出してきました!」
「うむ。して、例のものは?」
「離れにはありませんでした…」
秋田藤四郎が乱藤四郎と共にやって来て、報告していく。
次にやって来たのは、厚藤四郎と今剣だった。
「三日月、ひがしがわのへやはすべてみてきましたよ」
「すまんな、今剣。して、どうであった?」
「それっぽいものは見つからなかったぜ。西側の部屋も、いち兄が兄弟たちと隅まで確かめた」
ううん、と縁側に立ったまま三日月は考える。
「無いわけがないのだが…。あれは政府から、すべての審神者に与えられるものだからなあ」
三日月が短刀たちと探しているのは、政府が審神者に与える式神…管狐だ。
名を『こんのすけ』と付けられているそれは、子犬ほどの大きさである。
政府とのやり取りや本丸の管理などは、すべてその管狐が行っていた。
…はずだ。
「おーい、月のじっちゃん!」
三日月をこのように呼ぶのは、1人だけだ。
「どうした、獅子王」
廊下の向こうから顔を出した獅子王が駆け寄ってきた。
「広間でさ、和泉守たちと『最初から思い出してみようぜ』ってんで、考えてたんだ。そしたらなんか妙なんだよ」
「妙、とは?」
「ううん、とにかく来てくれ!」
「あい、分かった。今剣、捜索は引き続き頼む」
振り向きざまに告げれば、彼はにっこりと笑う。
「まかせてください。ねこのこいっぴき、みのがしませんよ!」
広間では和泉守と堀川、薬研、長谷部、それに燭台切光忠、明石国之が車座になっていた。
「月のじっちゃん連れてきたぜ!」
全員の目が三日月を見る。
ちょいちょいと和泉守が手招きするので、逆らわず彼の隣へ腰を下ろす。
車座の真ん中には幾つもの紙が散らばり、何事か書きつけてあった。
「して、何が妙なのだ?」
「鶴丸さんが来る前と来た後、その周辺の審神者の行動が、だ」
和泉守の言に沿い、堀川が1枚の紙を差し出してきた。
大雑把な時系列表のようだ。
「鶴丸さんが顕現したのをこことして、物吉くんが来たのはここ、僕と兼さんもこの辺」
「自分が来たんはこの辺ですわ。そんで自分は演練が初めての出陣やったんで、えろう印象に残ってます」
ここ、と明石がやや過去に遡った一点を指差す。
堀川が三日月へ言った。
「僕の思い出せる限りだと、明石さんが演練に出た以降。誰も演練に出ていません」
そういえば、と三日月も思い出した。
「俺も覚えがないなあ。あの審神者は、顕示欲の塊だったように思うが」
他所の審神者に見せびらかすために、三日月は幾度も演練に引っ張り出されていた。
長谷部が口を開く。
「そうだ。誰も出ていない。遠征と出陣はしているが、演練だけは一度も」
「ふむ…?」
「演練に出るときって、必ずこんのすけが一緒だったよね」
燭台切の発言に、誰もがハッとした。
「そうだ。こんのすけが身分証明書代わりで、かつ門を繋げていたはずだ」
長谷部が紙の空いた箇所へその旨を殴り書けば、薬研がそれぞれを丸で囲み繋げるように線を引く。
「政府からの管狐、余所の本丸のやつらと会える演練、あとは…。
ああ、後藤藤四郎がいた大阪城以降は、そういう場所への出陣もなかったな」
新たな刀剣の顕現は、各本丸の力を測るという意図もある。
ゆえに鍛刀でも戦場での顕現でも、新たな刀剣については政府からの通達で審神者へ伝えられる手筈だ。
「政府と繋がりたくなかったってことか?」
「そうなると、一番怪しいのは審神者の部屋になるね」
和泉守の問いを燭台切が継ぎ、獅子王が立ち上がった。
「ごちゃごちゃ言ってても仕方ねえ。百聞は一見に如かずだ!」
審神者の部屋とそこから北の不浄処へ繋がる庭は、竜胆丸の指示で結界を張りすべて燃やした。
庭はまだ黒焦げで、雪に埋もれ春を待つしかないだろう。
部屋のある一角は燃やして穢れが消えた後も、簡易な注連縄で場を閉ざされている。
炭となった部屋の柱に触れ、三日月は狩衣の裾で口元を隠し言った。
「ふむ…大丈夫そうだ」
穢れに侵されやすいのは、年月の若い刀だ。
それを警戒してのことだが、大事にはならないだろう。
履き物を履いたまま庭から入り、くるりと部屋を見回す。
「これで燃えておらぬとなると…」
全員の目が下へ向いた。
「床下、だな。おっし、床板剥がすぞ! 堀川、軍手持ってきてくれ」
「そう思って持ってきてますよ!」
はい、と堀川が和泉守へ軍手を渡す。
「僕もやろう」
「俺もやるぜ!」
燭台切と獅子王も軍手を受け取り、和泉守と共に黒焦げの床板を引き剥がしに掛かる。
明石も肩を竦めながら渋々と軍手を嵌めた。
「月の旦那、あんたも軍手はしておけ」
ほれ、と薬研に軍手を手渡され、三日月は素直に従った。
よっこらせ、と明石は文机らしき残骸を脇へ避ける。
「自分、こんなようけ働くん初めてですわ…」
柄にもない…、と言いつつ動く理由は、他の者たちと同じだった。
(恩があってもなくても、あのお人と話してみたいんは変わりゃしません)
文机の下は壁際であることから、剥がすよりも板の中央で破った方が早そうだ。
「せいやっ!」
断ずるや否や、明石は右拳を叩きつけた。
ぼろろ、と焦げた板が崩れ落ちる。
「ん?」
箱だ、木箱がある。
「なんかありまっせ」
「何だ? 木箱か?」
明石の後ろから覗き込んだ薬研は、床下にあった木箱のサイズを目測してみた。
「…こんのすけと同サイズかもしれねぇな」
他のメンバーも剥がすより壊した方が早いと気づき盛大に焦げた床をボロボロにしていたが、何も見つかっていない。
「呪術的な気配はないようやけど…」
よっ、と小さく掛け声を出し、明石は木箱を取り出した。
「…嘘でしたわ」
「これは当たりかもな」
側面に薄汚れた呪符が貼ってある。
皆も集まってきた。
「…仮に」
三日月が口を開く。
「そこにこんのすけが入っておるとして、今すぐ取り出すのは正解であろうか?」
政府に連絡が取れたとして、それは刀剣たちにとって吉と為りうるのであろうか?
じっ、と木箱を見下ろした明石は、首を横に振った。
「自分は開けん方がええと思います」
政府に連絡がいけば、この状況は変わるだろう。
だが。
「竜胆丸の旦那のことは、ちぃと話したくねえなあ」
真面目な顔で述べた薬研に、同感だと和泉守が続けた。
「相手が善人とは限らねえ。それに、新しい審神者なんざ派遣されたくもねえ」
この本丸も、刀剣たちの肉体も維持できる。
ならば新たな人間など不要ではないか。
燭台切が三日月へ尋ねた。
「僕は呪(まじな)いには詳しくないけど、三日月さんや石切丸さんはどうかな?
こんのすけを『こちら側』にすることって出来ないかな?」
ぽん、と獅子王が手を叩いた。
「なるほど、管狐の所有権を俺たちに移すのか!」
「ふむ…。俺も詳しくはないのだが、石切丸が遠征より戻り次第聞いてみよう」
それまでこの木箱は、注連縄に区切られた部屋に置いておくことに決める。
一度解散することにして、捜索隊は短刀たちへ知らせに向かった。
昼間、竜胆丸は眠る。
暖かな布団の中で彼を抱き締めながら、鶴丸は縋るようにぴったりと自身の身体を寄せた。
(眠るというより、冬眠だな)
黄泉の國、あるいは根ノ國。
死してなお手放さぬと己を埋葬させたかつての主が、鶴丸は嫌いではない。
(だが、一方で俺は)
鶴丸はもっと生きたかった。
刀として、日の元でもっと振るわれたかった。
ーーーならば俺が、主の供をしよう。
『きみは戻ると良い。きみを振るいたいと願う人の子の元へ』
半分に分けた霊(たましい)は、二度と交わらぬ天と地に分かたれた。
そうして『鶴丸国永』からは、ハバキの竜胆が失われた。
銘と号を示す装束、竜胆丸の『鶴』にあたる号部分には『竜胆』の紋がある。
共通するのは、どちらも目出度き緋色を持ち得ぬことだ。
(亡者を斬ったら、何が出るのだろう?)
"鶴丸"の号を手放した彼は、見送った主の霊魂や、彷徨う死者たちに寄り添っているのであろうか。
(離れ難い)
遠きに失われた半身を、手放すことなど。
(せめて)
この身に、彼の身に。
(確かに在ったこと、すべて刻み込めたら)
驚くほど執拗に触れてくるので、竜胆丸はついに目を丸くした。
「おいおい、本当にどうした?」
決して離すまいと絡めた指をさらに強め、鶴丸は竜胆丸を抱き締める腕の力をも強くした。
黒髪の揺れる首筋に吸いつき、紅い花を咲かせる。
目の前で互いの黄金色が重なった。
「…いつまで」
じっと見つめるその中に、自分の姿が映る。
「いつまで、きみに触れられるのか。いつきみが消えてしまうのかと思うと、どうしようもなくなる」
2つに分かれた身をこれ以上ないほど重ねても、渇きは癒えない。
目許を撫でてくる鶴丸に、竜胆丸の双眸が緩んだ。
「言ったろう? 乞う声をそのまま返すと」
「…っ、あ!」
ぐっと太腿を押し込まれて、短く嬌声が漏れた。
一度ぶれた視界の中に、再び黄金色の望月が映る。
「すべて、刻み込めたら良いのになあ。俺がきみであることを、こうして触れていることを」
次の朔を迎えれば、竜胆丸は否が応でも黄泉へ引き摺り戻されてしまう。
それが摂理というもので、遥か過去の選択でもあった。
「竜胆」
「ああ」
「もっと、呼んでくれ。俺を、きみの片割れの名を」
ーーー竜胆丸。
乞う声は胸に染みる。
「鶴丸」
「っ、ああ」
「鶴丸、鶴丸国永」
いとしいと、離れたくないと叫ぶ心が溢れ出た。
「りんどう、竜胆丸…!」
どうしようもなく哀しく、どうしようもなく歓喜して、ただただ名を呼び続けた。
双方が、意識を眠りに落とすまで。
<< >>
2016.1.3
ー 閉じる ー