神は非礼を受けず
(3.ある政府高官の遭遇)
山姥切長義の実装が政府の大本命であったのは、彼が政府内に顕現され政府勤めであった点に尽きる。
顕現された長義は人手不足解消の一環としてほぼすべての部署に一振りずつ以上配属されたので、政府の内部事情など筒抜けだ。
本丸の組み方や管狐の伝送の仕組み、時間遡行装置の細かな起動方法に刀装妖精の根本の作り方、審神者ですら知らされない政府の監視手段や発明装置まで。
多岐に渡るすべてを、彼は把握していた。
だから彼は、『監査官』としてすべての本丸へ赴いた。
本丸が、審神者が、《刀剣にとって是か非か》監査するために。
「あ、あの…」
双子の如く似た美しい顔(かんばせ)が、声に気づいてこちらを見遣る。
片方は向日葵のような金の髪、片方は蒼みを湛えた銀の髪。
「え? えっ…?」
彼らを視界に入れて以降、疑問符しか口から出ない、困った。
だって彼らは『名』にまつわる因縁があまりに深く、戦闘以外で隣に立つなど異例中の異例。
それが穏やかに、顔を寄せて会話を為すなど。
銀髪の君の眼差しが和らぎ、口元が緩やかな笑みを象る。
「やあ、いらっしゃい。取って喰いやしないから入りなよ」
そう言われて、恐る恐る足を踏み入れた。
ああ嫌だ、帰りたい。
穏やかな空気なのに威圧感が凄すぎて、冷や汗ばっかり流れてくる。
刀剣男士の彼には何度も会っているし、幾度も世話になっているというのに。
「山姥切、長義様」
浮かべられる笑みは変わらない。
違うのは、『存在』そのものだ。
「ようこそ。時の政府の《中央》へ」
本霊・山姥切国広を隣に、本霊・山姥切長義は新参の政府幹部を微笑みでもって出迎えた。
*
《時の政府》が審神者と刀剣男士から成る軍を立ち上げた際、実装された刀剣の数は五十七。
これを多いと判ずるか、少ないと判ずるか。
歴史改変を目論む《時間遡行軍》の戦力は万とも億とも囁かれる中、審神者が複数在ったとて心許ないことだろう。
審神者が十居たとして五七十、百人居たとて五千七百。
如何に後手に回っていたか、これだけでも察せられるというものだ。
それでもやらねばならぬなら、やるべきことを熟すのみ。
自らの存在の有無が懸かるこの戦、人に親(ちか)しい刀でも慎重を期す。
人が刀の取扱いに注意する、という意味ではない。
自我と現身(うつしみ)と、大なり小なり斬り祓う《力》を持つ刀が、人との関わり方に慎重を期した。
諸々の都合で刀剣男士は人と同じ身体を持ち、肉体の維持が必要だ。
おまけに刀の頃と同じだけの《記憶》を持てば、脳と精神が壊れるという注釈まで。
「人の子の脆さを改めて思い知ったな」
「長くて100年の命が、400年、600年、1000年、なんて…耐えられるわけがなかったね」
高官の部屋だとひと目で分かる重厚な執務机と椅子に、来客用ソファとテーブルセット。
そのソファに優雅に座る山姥切長義に勧められ、呆けたまま新人高官は向かいに腰を下ろした。
山姥切国広は長義の斜め後ろに立ったままで、あなたは山姥切様の護衛なんですかという問いを喉奥で呑み込む。
部屋に入った際の威圧感は、今は収められている。
長義が国広に向けて「威嚇しない」と嗜めていたので、威嚇されていたのだろう。
威嚇されたとて、我々は反撃のはの字も持てぬ人間だというのに。
「慢心せず、油断せず此処まで上り詰めた君を、まずは褒めてあげよう。よく頑張ったね」
並大抵の精神では此処まで来れまい、と柔く微笑まれ、心臓がぞわりと悲鳴を上げた。
恐怖ではない、歓喜の悲鳴だ。
どうかどうかと願ったカミサマのひとりが、わたしのここまでを認めてくれた!
人間の大人である矜持を掻き集めて、涙腺だけは閉じ込める。
けれど感極まった喉は発声方法を忘れてしまって、何とか頭を下げることで応えた。
ふふ、と軽やかな笑い声が返ったので、きっと伝わったのだろう。
「さて。此処まで上ってこれた人の子は、皆平等にある権利を得る。何か分かるかな?」
今、まさにその最中だった。
「正解。君たちが本霊と呼ぶ刀と、直接対話する権利だ」
大抵は巴形君と静形君が対応するんだけどね、と。
長義は政府関係者たちが苦心の末に顕現させた、《概念の薙刀》の名を出す。
「聚楽第の監査後に着任したのは、まだ君だけだからね。一番俺たちに訊きたいことだろうと思って」
現時点で唯一、本歌と写しが戦力として揃う刀。
ましてやこの新人高官は審神者であったこともあったし、多くの部署を流れながら働いていた。
またも冷や汗が流れる。
ーー神様というものは、人の子の考えなどお見通しなのか。
ドギマギとしながら発言の許可を求めれば、与えられた。
「あ、あの、では、」
緊張しすぎて声が震える。
もっと偉い人だとか、人間的に可笑しい人だとかの相手もしてきているのに。
「本霊の山姥切長義様と山姥切国広様は、仲がよろしいので…?」
訊き方が予想と違ったのか、僅かに目を丸くした二振りがちらりと顔を見合わせた。
「仲が良い、という表現の仕方をするなら、そうなんだろうね」
不思議そうな長義に対し、国広が口を開く。
「写しが、本歌に負の感情を抱くわけがない」
何より俺は、と途切れた言葉に顔を上げると、驚くほど感情の見える常磐がこちらを見据えていた。
「俺は、《本歌のための写し》だ」
使い手の、持ち主のための刀じゃない。
そう告げた声音は身を造る鋼のように硬質で、けれど憤怒、悔恨、それから少しの哀しみが、内包されていた。
「それは、極の…」
「そう、極の山姥切国広の話。大変だったんだよ、本当」
長義は呆れと苦笑を綯い交ぜにした笑みで、説明してくれた。
刀剣男士が極めるにあたり、必要なのは《己》を見つめ直す場所と人。
己という刀の根幹を、関わってきた人々を、第三者の目で見つめ直す。
人は人生の壁を乗り越えることで強くなるが、その壁を擬似的に与えて彼らを高みへ引き上げる、それが『極』だ。
「極めるために向かう場所は、俺たち自身の物語の根幹と岐路。何度も何度も、政府側と本霊が落とし所を擦り合わせなければいけない」
だけどね、と長義が笑みの種類を変えた。
「慢心というか、油断したんだろうね。隔離点・聚楽第の接続調整も難航していた頃だったし」
ねえ? と眼差しで国広を見上げた蒼天の目は、柔らかな口調に反して鋭かった。
記憶を漁る。
聚楽第の接続よりも前、山姥切国広の極の実装と、実装のための検証時のこと。
「…あ、」
一斉に、極に関わっていた職員たちが全員、辞職をしてはいなかったか。
「まさか、本霊様に確認を取らずに…?」
「そうだね。当たらずも遠からず、ってところかな」
ゾッ、と背筋が凍った。
あの職員たちは辞職をしたのではなく、『辞職を余儀なくされた』のだ。
「国広側で調整されると、俺も分霊を調整しないといけない。だから何とか国広を宥めたんだ」
あれ、何の話だっけ? と長義が首を捻ったので、慌てて取り繕った。
「あ、ええと、その、分霊のお二方が『ああ』である理由は…?」
「そう、その話だったね」
白い指先が、内緒話をするように口許に立てられる。
「人の子は、慣れると忘れてしまうから。思い出させるために、火種をぶち込んだだけだよ」
クスクスクス。
投げられた笑みは、《神》に相応しく高慢で慈悲深かった。
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2019.1.25
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